第69話 同盟


「──ん、」


 エレナはふと目を覚ました。エレナの手を包む固い何かががピクリと反応する。その感触で、傍にいるのが誰なのかエレナはなんとなく分かった。瞼だけ上げれば、案の定ネオンブルーの瞳が見える。その瞳の主──ノームの優しい微笑みに胸が昂った。

 エレナは慌てて彼から目を逸らす為に周りを見渡す。どうやらエレナが今横になっている場所はシュトラール城の一室のようだ。部屋にはノームとエレナの二人きり。


「おはようエレナ。変な時間に目が覚めてしまったな。水を飲むか?」

「……うん」


 エレナはノームの手が離れていくのがどうしようもなく寂しく感じた。しかし喉が限界まで乾いていたので頷く。ノームが水を注いでくれている間、身体を起こそうとしたがピクリとも動かない。これはあと丸二日は回復にかかりそうだ。


(サタンさんと本格的に魔力を共有したことによって、治癒の速さが格段に進化していた。だからつい調子に乗っちゃったな。扱える魔力量が増えたからといって私の体力が強化されたわけでもないというのに)


 窓を見れば、どうやら今は真夜中のようだ。身体が動かないのでノームに水を口に運んでもらう。濡れた唇を布で拭いてもらうのはなんだか少し恥ずかしかった。

 そして水分補給が済んだのならエレナがやるべきことは現状の確認だ。


「ノーム、あれからパパや操られていた魔族達はどうなったの? ここにはいないようだけど……」

「あぁ、ひとまずテネブリスに帰っていったよ。操られた者達も皆、能力が解けて正気に戻っていた。そこは安心するといい。……ちなみに余が気絶したお前をここで預かると提案したんだ。少しでも早くお前を落ち着かせてやりたかったからな。信頼してくれたお前の父には感謝せねば」

「……そっか。じゃあ、シュトラールやスペランサの民達は?」

「一部の怪我人は今もサマルク大広場で治療している。父上がスペランサ信者達の入国人数をある程度制限していたのでなんとかなっている。二か国間の信者全員が王都に押し寄せていれば当たり前だが対処できなかっただろうからな」


 「まぁ、悪魔に操られていたとはいえそんな信じられない状況を作ろうとした愚か者は余なのだが」と自嘲気味に付け加えるノームにエレナは「その信者達を守ってみせたのもノームだよ」と投げかける。

 ……と、そこでふとエレナはとある少女の顔が頭に浮かんだ。


「──レイナは?」


 エレナの問いに、ノームは目を伏せる。


「既にの準備はしているよ。場所を知りたいのなら今度教えよう」


 ──『目に入るもの全てを救うだなんて、デウス以上の傲慢じゃない』

 ──『あたしとしてはいい気分だわ。大嫌いな貴女に傷を残せたというのなら』


 埋葬。その言葉がエレナの心で反芻された。同時に瀕死の彼女に言われた台詞もはっきりと脳で再生される。きゅっとエレナは拳を握った。


(私はレイナを救えなかった。この力がありながら)

(レイナだけじゃない。この先、ノームやパパが同じことになってしまっても私は何も出来ないのだろう)

(治癒魔法を施せないほどの瀕死状態。それに陥った人は本当に救えないのだろうか……)


 そこまで考えて、エレナはノームを見上げる。自分の決意を、他の誰でもなく彼に聞いて欲しいと思った。


「ノーム、聞いてほしい」

「なんだ?」

「私ね、もう絶対に目の前で誰かを死なせたくない。ましてや自分の大切な人を失うなんて嫌だ。大切な人を救うためなら私は出来る限りのことを尽くすよ。……どんな手を、使っても。とにかく今は治癒魔法の修行あるのみだろうけど、私はそう誓ったから!」


 エレナの言葉にノームは「確かに聞いたよ」と言ってくれる。そこでノームも「余の話も聞いてくれ」と真剣な顔つきで返してきた。その表情にエレナはどこか違和感を覚え、ドキッとしてしまう。


「──エレナ、」

「っ!!」


 ノームの優しい指先がエレナの頬に触れる。その触り方がどこかくすぐったくて、エレナの身体に熱が篭もるばかりだ。


「余も改めて決意したよ。余は土の勇者としてセロ・ディアヴォロスを倒す。そしてこのシュトラールを守りたい。それが大天使ミカエル様との約束であるし、何より余はこの国の王太子だからな。あの後枢機卿と話したんだが、余らは対セロ・ディアヴォロス同盟を作るべきだとおっしゃっていた。シュトラールやスペランサだけではなく、もっと大陸中を巻き込んだ大規模な組織を。それには勿論──テネブリスも含まれている」

「!」


 エレナの目が見開かれる。つまりそれは、セロ・ディアヴォロスを倒す為に人間と魔族が手を組むことを示していた。だがそれが本当に可能なのか。その同盟に大きな影響を及ぼすであろう恩恵教は大の魔族嫌いだというのに。


「それに関してはもう問題ないと思うぞ。聖女のレイナが実は悪魔で、風の勇者のシルフはセロ・ディアヴォロスそのものだったんだ。今や恩恵教の威厳もあったものではない。……だからこそ、恩恵教は今後枢機卿を中心に立て直すと聞いた。名前も変えると言っていたが、」


 ノームはチラリとエレナを見て、意味ありげに微笑む。エレナはそんなノームにキョトンと首を傾げた。


「……まぁ、要するに今回の騒動でテネブリスの魔族達が人間を救ったという事実が大陸中に伝わるのも時間の問題というわけだな!」

「ちょっと。なんか今変な間がなかった?」

「いいや? まぁそれは置いておいて。とにかく余はセロ・ディアヴォロスを倒す。そして余がお前に伝えたいのはそれが叶った後の話なんだが──」

「……なに?」


 ノームの言葉が途切れたので、エレナは先を促す。ノームはどうもその続きを言えないでいるらしい。不思議に思って彼の顔を覗きこむと、彼はエレナの瞳を直視出来ずに唇を噛みしめた。


「……っ、……本当に大切な想いというのは、それを口に出そうとした時、必要以上に溢れてしまうものなのだな……」

「うん?」

「エレナ、余はな、その、余は──お、お前のことを──っ!!」

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