第39話 ドレスアップ


 親交パーティ当日、テネブリス城は大騒ぎだ。

 サキュバスを筆頭に城の女性陣は特に張り切り、エレナの私室に集合した。用意していたドレスの着付け、変装、化粧、ヘアセット……エレナの特別な一日が形作られていく。今日の為に用意したドレスは星が散りばめられた夜空を閉じ込めたような漆黒のドレス。紫色のリボンとフリルで縁取られているそれはエレナも大変気に入っていた。髪は無難なベージュブラウンのウィッグを被る。また変装のために顔半分を前髪で隠していた。せっかくの化粧で飾られた顔を隠すのはエレナとしては嫌だったのだが仕方ない。仕上げに真っ赤な口紅を塗ってもらえば、リリスがにっこり微笑んだ。


「うん、綺麗よエレナ様。その素敵な金髪が生かせないのは残念ですけどね」

「わ、凄い……」


 エレナは手鏡を見て思わず声を上げる。いつもより遥かに大人っぽい自分に惚れ惚れとしてしまった。少しだけ胸元の開いたドレスもどこかくすぐったい。


(ノームの目には、今の私はどんな風に映るのかな……)


 そんなことを考えていると、ノック音が聞こえた。見ればアムドゥキアスが頬を赤らめてエレナに見惚れているではないか。


「嗚呼、エレナ様! なんとお可愛らしい! ダンスの相手が私ではないのが本当に、ほんっとうに、ほんっっっとうに、残念でなりません!」

「ちょっとアム! アンタの為にエレナ様はドレスを着たんじゃないの。それより、王子様の迎えが来たんでしょう?」


 アムドゥキアスはそんなリリスの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をしつつ、頷いた。エレナの鼓動がどんどん大きくなっていく。いつもと違う自分の足音が新鮮だ。中庭へ向かえば、城の男性陣が円を作っている。中心にはノームとレガンがエレナを待っていた。ノームは強面ドワーフ達に囲まれて非常に居心地が悪そうである。


「──ノーム!」


 慌てて声をかけると、ノームの顔がぱっと明るくなる。男性陣の視線が今度はエレナに集まった。皆が綺麗に飾られた姫に歓声を上げる。エレナはノームの所へ行く前に、まじまじとこちらを見ている魔王の下へ向かった。


「パパ、どう? 似合うかな?」

「あぁ。お前が似合わないドレスがこの世にあるわけがない。例え変装していたとしても綺麗だよ、エレナ」


 魔王はそこでエレナの頭を撫でようとしたが、せっかくのヘアスタイルが崩れてしまうことを気に留めてくれたのかその頬を軽く撫でる。エレナは恥ずかしさと嬉しさが混じった笑みを浮かべた。


「……エレナ、分かっているな? もし何かあったらすぐに魔法陣に触れてわたしを呼ぶんだ。すぐにこちらへ飛ばそう」

「うん。分かってる! 魔法陣の書いてある紙切れ、ちゃんとバッグに入ってるから」

「……危険がない範囲で、楽しんでくるんだぞ」


 名残惜しそうに離れる魔王の手。魔王はエレナからノームに視線を移す。ノームの姿勢がピシッと綺麗になった。


「──我が娘を、よろしく頼む」

「っ! はい! 貴女の娘は、必ず無事にテネブリスへお返しします!」


 ノームのその言葉に魔王は頷く。ノームがそっとエレナに手を伸ばした。テネブリス城一行に見守られながら、エレナはその手に自分の手を重ねる。ノームを後ろからしがみつく形でエレナはレガンの背に乗った。レガンが翼を広げると同時に魔王を見る。


「──パパ、いってきます! 皆もありがとう!」

「あぁ、行ってらっしゃい。エレナ」

「エレナざまぁああああああああ!!」


 アムドゥキアスの悲鳴をBGMに、エレナはテネブリス城を飛び立った。目の前に広がるノームの背中に顔が熱くなる。ぎゅっと彼の腰に回す腕の力を強めて、少しだけ触れ合う肌面積を広げた。そうしたくなった。


「エレナ、」

「ひゃ、ひゃい!」

「……今日のお前は一段と綺麗だよ」

「!」


 ノームのその一言はエレナの胸に溶け込んで、ほんわりと彼女の身体を温める。こっそりと笑みを溢すエレナは「ありがとう」とだけ返した。


「すまないなエレナ。見て分かると思うが余はまだ着替えていないんだ。城で余の従者が待っているから、少し待っていてくれ」

「うん、分かった」


 レガンはその後シュトラール城の裏庭に着陸する。するとノームの言う通り、そこには燕尾服の男性が二人を待っていた。漆黒のオールバックに眼鏡をかけた彼は少しだけ見慣れない顔だちだ。遠い国から来たのかもしれない。ノームの手を借りてレガンから降りると、燕尾服の男性がエレナに礼をする。


「──ようこそいらっしゃいましたエレナ様。いつもノーム殿下がお世話になっております」

「エレナ、この者はイゾウ。余が一番信頼している従者だ。何かあれば頼ってくれ」

「は、はい。よろしくお願いします」


 エレナも礼を返すと、イゾウはそのクールな顔を崩して微笑んだ。エレナはその笑みに少しだけ力を抜く。その後、ノームにエスコートされて城の中へ入る。既に大勢の貴族や関係者が集まっており、エレナは冷や汗が出そうになった。その中には──勿論ウィンとレイナもいる。


「エレナ。お前は今日だけはヘレンを名乗れ。いいな? 貴族と言えばボロが出るから平民ということにしよう。とにかく、余がいないところで目立たないようにすること! お前は後先考えずに突っ走る節があるからな」

「わ、分かった……」


 ノームはイゾウに「エレナを頼む」と言い残すと、そさくさと階段を上がってしまった。残されたエレナはイゾウに案内されるまま、会場に足を踏み入れる。目立たないように会場の隅を通り抜けて城のバルコニーに抜けた。


。喉が渇いておられませんか? ドリンクをお持ちしましょう」

「は、はい。ありがたいです」

「かしこまりました。甘い果実ジュースをお持ち致します。少々ここでお待ちください。すぐに持って参りますので」


 ポツンと残されたエレナはようやくほっと肩を下ろす。久しぶりのパーティの空気に触れ、そわそわしてしまう。ウィンとレイナを気づかれないように会場を覗きこめば、大陸中の恩恵教徒を束ねる統率者──枢機卿と親し気に話していた。枢機卿とはエレナも話したことはあるが、穏やかで親切な人間だったと記憶している。……尤も、それはきっとエレナが“白髪の聖女”だったからだろうが。


 するとここで、エレナは誰かに声を掛けられた。


「──ね。君、なんていう名前?」

「っ!」


 予期せぬ背後からの声にエレナは思わずビクリと肩が揺れる。すぐ振り向けば、いつの間にか銀髪の美青年がエレナの顔を覗きこんでいた──。

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