第35話 誰よりも幸せになってほしい人


「──とても、安心しました」


 その場にいる皆が、ノームに注目した。ノームはただただ穏やかな笑みを浮かべ、その青色の瞳にペルセネを映している。一歩一歩、愛しい母へ歩み寄った。

 

「本当は、ほんの少しだけ気付いていたんです。母上がハーデス様を愛していることを」

「っ! え……どういうこと?」

「お気づきでなかったかもしれませんが……母上は毎晩眠りながらハーデス様の名前を呼んでいたのですよ。周りの従者達は冥界の主の悪夢を見て魘されているのだと言っていましたが、余にはとてもそうは見えなかった。なぜなら彼の名前を呼ぶ母上の寝顔が、あまりにも幸せそうだったからです」

「!!」


 ペルセネの頬に涙が伝った。ポタリ、と雫が直線を描いて地面に滴り落ちていく。言葉を吐き出そうにも嗚咽が出てきて叶わない。ペルセネはそんな様子だった。

 ……そんな彼女と、シュトラールの私室で独り泣く生前の彼女自身をノームは重ねた。ペルセネがノームの父──ヘリオスを愛していないのはノームでも分かっていたことだ。せっかくハーデスによって生き延びたというのに、その時間をヘリオスにペルセネは奪われてしまった。ただの庶民だったペルセネが正妃になるのは当然様々な者達から反感を買う。故に彼女は城に閉じ込められたにも関わらず、その城に馴染めない。孤独だった。ノームが産まれてからはノームの前で泣かなかった彼女だが、陰でこっそりと嘆いているのもノームは知っていたのだ。


「──母上。今まで辛かったでしょう。苦しかったでしょう。寂しかったでしょう。それなのに貴女は、身体の限界まで生き続けてくれた。余を産んで、余を愛してくれた。余は、もう十分貴女の愛を受けてきました」

「……っ、違う、私は、最低な母親よ! だって、今、貴方の心をズタズタに傷つけているのだもの! 貴方という存在を捨てて、今は自分の幸せを掴もうとしているの!! 自分勝手な母親なのよ! だから──」

「傷つけている? それはどうしてですか。むしろ余は嬉しい。死後の世界で、母上が幸せであり続けているという事実はこれからの余の心の支えになるのですから」


(──半分本当で、半分嘘だ)


 エレナはノームの言葉を聞きながら、そう思った。でも何も言わない。ただただ彼を見守るだけ。

 ペルセネが堪らずノームを抱きしめる。ノームはそんな彼女の背中に腕を回した。


「母上、どうか愛する人と幸せに。……ハーデス様、母上をよろしくお願いします」

「っ、! あ、あぁ! 必ずだ! 必ず、僕がペルセネをこの世界の誰よりも幸せにする! ──冥界の主の名にかけて!」


 ハーデスは声が裏返りながらも、ノームの手を強く握って真っ直ぐにそう誓った。その言葉は絶対に嘘ではない。彼の必死さからそれが十分伝わる。ノームはそんなハーデスに嬉しそうに笑った。


 ──と、その時だ。


 ミカエルがズンズンとノームの方へ急接近し、その両肩を掴んだ。彼はそれはそれはにっこり微笑して──





 ──と言った。

 当の本人であるノームはポカンとする。


「合格? 何がでしょうか」

「大天使が合格と言ったらしかないだろう。今まで意地悪してしまって悪かったねノーム。実は君を試していたんだ。ちなみにエレナの体力を吸い取っていたのも僕だよ」


 どうしてそんなことを。ノームのその質問にミカエルは「だから、君を試したんだって」とウインクをした。


「──勇気とは、“恐怖に立ち向かう強さ”」

「!」

「愛とは、“他人を大切に想う心”。希望とは、“未来に望みをかけ、前に進む志”である。この三つが勇者に必要な要素らしい。ノーム、君はこのネクロポリスに勇敢にも足を踏み入れ、重荷になっていたエレナを見捨てることなく、己の限界まで諦めずに走り続けてみせた。オマケに己の幸せより自分の母の幸せを心の底から願っていたね。……本当はただの好奇心で見守っていたんだけど、僕もこれで他の大天使に急かされることがなくなって大いに結構!」

「?? あの、ミカエル様?」


 ミカエルはコホンを喉を整えると、ノームの瞳を真っ直ぐ見つめる。そして──


「この大天使ミカエルが認めよう。ノーム・ブルー・バレンティア! 君が、君こそが、最後の──未だ空席であった僕の寵愛を受ける者──土の勇者に相応しいと!」

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