26.「お召し」の現場

 「お召し替え」として彼等が与えられたのは、白い服だった。

 それは何と言うだろう。ひどく変わった衣装だ、と彼は思った。

 袖を通すと、前で大きくそれは開く。さっと片側を上にして、軽く止められると、くるくるとやはり白い、長い帯を腰に巻かれる。その帯一つでその服は留まっているらしい。

 促され、たっぷりとした袖ごと腕を上げると、無表情の女達がその帯を巻くのにまかせる。

 この女達は、湯浴みの際にもその広い浴場の中、彼等の周囲に居た。木製の、やや特徴のある香りが全体に漂う、湯気がこもった室内で、やはり無表情のまま、一糸まとわぬ彼の身体を洗い出した。

 さすがに彼も一瞬戸惑ったが、やはり木製の桶に湯を汲み、手には何やら粉状のものを入れた袋を手にした、その一連の作業をする彼女達の姿を冷静に観察する。隙が無い。彼は警戒を強める。だがそれは同業者に対する警戒とはやや異なっている。何が、という訳ではない。だが何かが、彼の中で違和感と危険信号を同時に発していた。

 一方で顔を上げると、同じことをされているオリイの姿が目に入る。髪以外の全てを、彼と同じ様に女達の手で扱われている。だがその目は、女達を素通りして、彼の姿を映していた。

 ずっと気になっていた。この視線。

 髪を洗おうとする女の手を軽く振り払うと、オリイは自分で頭に湯を掛け、専用の洗い粉を手にした。解いた三つ編みは、水に濡れ、思った以上に長い。手に髪の束を取り、丁寧にそれを洗う姿は、奇妙に他を寄せ付けない雰囲気がある。

 何度か浴槽に入れられ、これ以上はないというくらいに肌をこすられた後、彼等はようやくその室から出ることを許された。やはりたっぷりの布で全身をくるまれ、水気を取られる。つやのある濃いえんじ色の台には、換えの服が置かれていた。

 彼等が着ていた服は何処にも無かった。あったのは、白い、たっぷりとした服だけだった。

 女達は皆、うつむき加減に作業をする。それは「お召し」にあずかった者に対する敬意を表すものなのか、それともそう命令されているだけなのか。

 椅子に腰掛けさせられ、髪を乾かされながら、彼は思考をめぐらす。それがそんな場所であったとしても、髪を乾かすための暖かな風というのは何故こんなに心地よいのだろう?

 オリイはやはり髪に触れられるのを拒否しているらしく、ただ周囲で女達はたっぷりした暖かい風を送るしかなかった。それを受けながら、長い髪は、時にざらり、時にふわりと揺れる。

 生乾きの髪は、白い服に絡み付き、絶妙のコントラストを描き出す。

 女の一人が、彼に向かって、軽く紅を指そうとする。頭にはやはり固そうな、奇妙なかぶりものをつけているので髪の色は判らない。そしてちょうど、見下ろす彼の視界からは死角になるから、どんな瞳の色をしているのかも、彼には判らない。

 だが、その白い指が目の前に突き出された時、彼はそれに見覚えがあるような気がした。

 気がしたので、彼は一瞬、突き出される白い指の先端の紅を避けた。その拍子に、女の手にしていた紅の容器が、落ちた。

 あ、と女の声が微かに耳に飛び込む。彼はその瞬間を逃さなかった。

 ああ、と彼は声に出さずにつぶやく。確かに綺麗だ。宝石の様な色だ。


 上等の、ペリドット。


 かなりの茶番だ、と鏡に映る自分ともう一人の姿を見て彼は苦笑する。何でここまでする必要があるのだろうか、と呆れずにはいられない。

 鏡の中の自分は薄化粧を施され、普段の顔よりずいぶんと濃いものになっている。

 お綺麗ですわ、と女の一人が彼等に言葉をかける。なるほど確かに綺麗かもしれないな、ともう一人を見ながら彼は思う。

 オリイは、と言えば、彼よりさらに濃い化粧を施されていた。もともと大きな瞳が、目の周囲の色によって、さらに強烈なものになっている。やや厚手の唇にも、色が足され、色気とはまた別の妖艶さまで漂わせていた。

 そのまま促され、彼等は更に奥へと歩みを進めた。

 やがて、彼はふと、何か甘い香りが漂うのを感じた。甘い。いや甘いどころではない。甘ったるい。またその中に、森の中に入った時に感じるあの香りまで奇妙に入り交じっているようなのが、彼にはやや不気味に感じる。

 そして次第に辺りが薄暗くなっているのに、彼は気付いた。自分達の回りに居る女達も次第に少なくなっているかのようだった。はじめは前後左右に二人三人とついていたはずだ。だが一人消え二人消え……

 彼等がその天井の高い、薄手の白い布が幾重にも張られた部屋にたどり着く頃には、前を歩く二人しか、そこにはいなくなっていた。

 薄暗い部屋の中で、その白い布の向こう側は充分に明るいらしく、薄い布を重ねても、その光は漏れ出てくる。高い天井から、垂らしているのだろう。彼にはそれは大きな演劇を行う舞台に使う垂れ幕のようにも見えなくもない。


「……お方様、御所望の者どもを連れて参りました」


 アルトの声だ、と彼は思う。

 そして中から。


「ご苦労」


 男の声だ、と彼は片方の眉を微かに上げる。するとやっぱり今の「エビータ」は男なのか。

 彼等を連れてきた女達は、ゆっくりと後ずさりしながら、幾重もの布をそっと左右に開いた。

 どうぞ、とアルトの声がつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る