16.目的はデモンストレーション
がらん、と大きく扉の鈴が音を立てた。
「もう今日はしまいだよ……」
やや赤みのかかった電灯のついた扉の方へと顔を向けながら、イェ・ホウはそう言いかけた。扉の外にはもう注文は終わり、の看板がかかっているはずだ。それはこういった店によくある、祖先の言葉の文字を使って、やや装飾的に書かれている。もうそういう時間なのだ。店に居るのは、もう食事を半ば以上終えた人々ばかりだ。
だが彼は言いかけて、言葉を止めた。
「サンド……?」
ホウは彼の偽名を呼んだ。いつもとは違い、その表情はひどく動揺していた。肩が上下し、白い顔に、脂汗がだらだらと流れていた。イェ・ホウは慌ててカウンターの中から飛び出すと、彼の両肩を掴んで揺さぶった。
「どうしたんだよ!」
「……何でもない……」
「何でもないって顔かいそれがっ!」
もしもそうだとしたら、不覚だ、と彼は思う。だが自分が動揺していることは、彼自身一番よく知っていた。Gはホウの手を、それでもまだぐっしょりと汗をかいたままの指先で避けた。
「お茶くれる? イェ・ホウ」
「お茶…… あ? ああ」
何ごとか、と食器を洗っていたユエメイも顔を出す。そしてお茶だね、と言って再び厨房へと引っ込んだ。Gはホウから離れて、いつものようにカウンターの席へと座った。
「……いきなりごめん」
「いや俺はいいけど。……だけど君、サンド、ひどい顔してる。綺麗な顔が台無しだ」
彼の前に、土瓶と湯呑みが置かれる。彼は茶を半分だけ注ぐと、近くの注水器でそれを半分薄め、一気に飲み干した。そしてはあ、と息を吐き出す。
「何か、幽霊でも見たような顔だったよ」
「幽霊…… うん、似たようなものかな」
げ、とホウは肩をすくめた。
幽霊ではない。だがそれに近いものを、彼は確かに見たのだ。少なくとも、自分の目が間違ってなければ。
*
いつものように、この店に食事に来ようとしていたのだ。おそらくは、もうじき来れなくなる。だから、その前に。これは他愛ない感傷だ、と彼も思っていた。
水曜日の舞台で彼が友人としたことは、確かに少女を助けたいという気持ちが全く無かった訳ではないが、目的はデモンストレーションだった。
何にしろ、自分の目的は、第一層に入り込み、エビータに会わなくてはならないのだ。
だが、ここに入ってからさりげなく収集する情報、そして自分の足で歩いてみて、「目をつけられ」ない限り、入り込むのは厄介だ、という結果を導き出した。少なくとも、自分のピアノ弾きという立場からしたら、そうなる。他の職業を表向き持っていれば、それなりの方法があるのかもしれない。例えばあのハウスキーパーのように。踊り子のように。第二層までなら、おそらくそれは比較的抜け道はあるのだ。
ところが、その上となると。
……さて前の週のショウの後、彼は苛立ちと、不快感を胸に抱えたまま、舞台に上げられた少年と少女が何処に運ばれるのか、さりげなく後をつけてみた。
すると、何故か、少年と少女は別々の車に乗せられ、送られていった。二台の車は、途中で道を分けた。一台は、そのまま、おそらくは少女の住処があるだろう第二層の中の地区へ。そして少年を乗せた一台は……層境のチューブの方へと向かったのだ。
第一層へ送り込まれたのだ、と考えるのは単純かもしれない。だが、考えられないことではないのだ。
あの小楽団の四弦弾きのシェ・スーあたりに、何げなく彼はこの事について聞いてみたことがある。青い髪の彼は、こういうショウを、あの小楽団の中では一番嫌いそうだったからだ。
「そうだなあ。だいたい男の子と女の子、どっちもいるんだ。連れてこられる」
「連れて」
「ただやっぱり綺麗な子が多いね。だけど綺麗な少年少女、っていうと、さすがにこの惑星じゃ少ないだろ? それであちこちの層で、金と引き替えに連れてこられることが多いらしいよ」
「何だって少年少女なんだろう?」
彼が聞くと、シェ・スーは大げさな程に顔を歪めた。
「それは決まってる」
「何」
「世の中には悪趣味が多いってことだ。……俺の知ってる奴ももの凄い悪趣味が居るがねー」
へえ、とその時は曖昧に目を丸くしてみせただけに終わった。シェ・スーもそれ以上付け足そうとしなかった。
「でもその悪趣味っていうのは、単にガキをどうこうするのを見るのが好きってだけなの?」
「いんや」
手をひらひらと振る。
「これはあくまで最近の流行り、らしいよ」
「流行り」
「俺達が入ってくるちょっと前までは、ぼよんぼよんしたねーちゃん達ばかりを一度に五~六人上がらせて共食いさせるってのが流行ったらしいし、その前はあんたみたいに綺麗な野郎ばっか、てのもあったらしい」
ふうん、と彼はその時はうなづいた。つまりはブームという奴があるのか、と納得した。
ピアノ弾きで居るだけでは、せいぜいがところ、カードで誘われる程度である。エビータの気を惹くには、多少の無茶をした方が良さそうなことは、彼も気付いていた。あとはタイミングである。
そしてそのタイミングを合わせたようにやってきた盟友は、ショウの後、泊まっていった自分の部屋で、こう言った。
「お前変わったね」
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