10.禁じられた恋人達を演じる少年少女のショウ
それは、嘘ではない。
彼は思う。
どうしてこうも、行く先々で、何かを知り、何かを見、そして何かの中に巻き込まれ、そして時には何かを巻き起こしてしまうのか。
どうして自分には、そうでない生き方はできないのか。
それは彼にとって、時々不意打ちのようにやって来る疑問だった。
考え出すと止まらなくなり、嵐のように彼の中を駆けめぐり、やがて考え疲れる時まで、彼を苛め続ける疑問でもあった。
遠い昔。客観的な時間の流れの中においても、彼の主観的な時間においても遠い過去のあの惑星で、当時は司令だった、あのMM盟主がその答えを一端、指し示したような気もした。
だがそれは錯覚だった。
彼は巻き付くキャサリンの腕をそっと避ける。彼女は何を言わなかった。
やがて辺りが暗くなった。高い天井に取り付けられた照明は消え、あちこちの小さなフロアスタンドだけが、足下の危険を回避させてくれる。
「ほら」
キャサリンは、間接照明のわずかな灯りの中にも不快そうな顔をして、あごをしゃくる。
彼はつられるようにしてその方向を見る。そこには舞台があった。そして何やら甘い…… 甘ったるい匂いが、その方向から漂ってくるのに彼は気付いていた。
がたん、と音をさせて彼女は近くの椅子を引いて、まだピアノの側に居る彼の横にとかけ、きっちりと折り目のついたズボンにくるまれた、すらりとした足を組んだ。
ぼんやりとした赤系の光が、淡く舞台の上に漂う。
やがて彼の目には、その真ん中に、何やらそれまで無かった台の様なものが浮かび上がってくるのが映った。
「始まるわね」
肩に手を置かれて、彼は思わず飛び上がりそうになった。背後でカクテルを口にするクローバアは、全く気配を消していたのだ。
いやそれだけではない、と彼は思う。この甘ったるい匂い。催眠系の薬品がその中には感じ取れた。それはあの時、宙港で彼が受けたシガレットとも酷似していたが、それよりやや濃いものであることは、間違いない。
「見るがいい、サンド君」
キャサリンは、そうつぶやいた。彼は顔を真っ直ぐ上げた。
やがて、そのぼんやりとした中に、人の姿が浮かび上がってきた。……ひどく若い、少女と、少年が一人づつ、そこには立っていた。歳の頃は、いいところ14か15といったところだろうか。少女のほうはまだ、12と言っても通じるくらいだった。
そして彼はやや眉をしかめた。遠目に見ても、彼らの表情は、奇妙だった。うすものしか身に付けさせられていない彼らは、ひどく動作も緩慢で、糸のたるんだ人形のように、彼の目には映る。
少女の方が、台に腰掛けると、そのままぐらり、とその上に横たわった。手足に力は無かった。しゃら、と模造パールの腕輪が、何連にもその手首に揺れる。
揺れたのは、その少女の腕が上がったからだった。もやは次第に晴れていく。まだひどく細いその腕が、無表情に動く。少年を誘っているような動作だった。だが動作だけだった。その動作には、心が入っていない。
少年はそれに引かれるように、台の上に腰掛け、少女の身体を半分起こすと、緩慢な動きで、その小さな肩を抱き、不自然に赤い唇に口づけをする。
「悪趣味だと思っているな? サンド君」
「……ええ」
「だがまだいい。まだ可愛いものだ」
キャサリンのアルトの声が、短く囁く。
そこへ、ぱん、と大きな音がした。彼はその音に聞き覚えがあった。かつん、という靴音とともに、手に黒い鞭を持った男が舞台に現れる。
無言のやりとり。どうやら、この少年少女は、禁じられた恋人達を演じているらしい、と彼は気付く。やがて、舞台の上には、二人を取り囲むように、数名の男達が現れる。
少女と少年は、互いにかばい合うが、やがてどちらも別々の男達の手にかかり、身にまとうものをはがされ、台の上に別々に転がされた。
そして―――
彼は前髪をかき上げる。出し物だ出し物だ、と判ってはいる。おそらくは、この少年少女もそれが仕事なのだろう、と判ってはいる―――
だが、ひどく、それは不快な光景だった。少年少女を哀れんでいる訳ではない。ただ、不快だったのだ。
無論、そんな歳で、そんな仕事についている、それで食わなくてはならない、という状況には、悲しいものを感じなくはない。
だが、彼は、自分が感じているものの正体が、そのことではなく、別のことにあることに――― ひどく不快な気持ちになったのだ。
舞台には、台の上だけに光が当たっている。
その台の上も、一部分だけで、少年も少女も両方が見えるという訳ではない。だが、その時々しか見られない、というのが、この年端もいかない二人の動きをエロティックに見せる。
肉のついていない白い肌も、熟す前の細い背中や胸のラインも、ひどくなまめかしい。
少年も少女も、手をつながれ足をつながれ、その上で幾人もの男達に、好きにされている。既にまとっていた服は、舞台の隅で丸まっている。
―――彼が不快だったのは、そのことではなかった。
時々、光が少年や少女の顔に当てられる。
おそらくは薬を与えられているのだろう、緩慢な動き。半分だけ開けた目は、とろんとして、舞台の外の世界など何処にも感じていないようにも見える。だがそれが時々、苦しそうに細められる。口が開く。涙がこぼれる。
なのに、それが、やがて別の表情に変わっていく。
こんな時にでも、それでも、身体は、少しでも快感を感じ取ろうとするのか。
彼はそれを見て、ひどく嫌な気持ちになった。
それは少年少女に対するものではない。自分に対してだった。
さすがに彼は席を立とうとした。だが、動けない自分に気付く。クローバアの手が、肩に乗っている。それだけなのに、自分の足は、地面に吸い付いたように、そこから立ち上がれない。
「一度見ようと思ったものは、最後まで見るのが礼儀じゃなくて?」
彼女の大きな胸が、彼の後頭部にぎゅっと押しつけられた。
*
「どう? 水曜日にはお休みしてもよくってよ?」
ショウの終わった後、背後の女は言った。
「刺激が強かったかな?」
横の女もまた、そう口をはさむ。彼は斜めに身体を動かすと、大丈夫です、と答えた。
「ちゃんと来ますよ、水曜日にも……」
「そう」
ふふ、とクローバアはそれを聞くと微笑んだ。
からん、と扉を開ける音がする。閉店の合図だ。彼はピアノの蓋を閉めると、立ち上がった。
「食事でも、どうだい? サンド君」
「結構ですよ…… それより、妹さんとちゃんとさっさと帰ってやったら如何ですか?」
「おや」
キャサリンは目を大きく開き、傍らのクローバアのむき出しの肩を抱き寄せる。
「妹とはさっさと帰るが?」
「その妹さんじゃないですよ。もう一人いるでしょう」
「何だ、知っていたのか」
「可愛い子ですね」
「いい子だよ。あれは」
ふふん、とキャサリンは口先に笑みを浮かべた。
「あれも一緒に、じゃまずいのかい?」
「食事するところは決めてますので」
やれやれ、と彼女は両手を広げ、苦笑した。
「お姫様は、ひどくおかんむりのようだよ」
「お姉さまがあんまりいじめるからだわ」
くすくす、と口元に曲げた指を当ててクローバアは笑う。不快な気持ちが、なかなか消えない。
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