6.料理人イェ・ホゥと「クラブ」のバンドの仲間

「……あ」

「また会ったねえ」


 あの宇宙港でぶつかった青年が、白い作業衣を着て、立っていた。


「えー…… と」


 彼は忘れたふりをする。だがそれは相手には通じないみたいである。白い、半袖の作業衣、そして頭には白い帽子。

 料理人だ。にっこりと笑うその青年は、掴んだ襟から、彼の首にぐい、と馴れ馴れしく腕を回してくる。


「忘れたの? でも一瞬だったからねー。でも俺ちゃんと覚えていたよ。忘れようが無いってば、あんたのような綺麗さんだったら。食事まだ? まだだったらうちでどぉ?」


 勢いよくまくしたてる。


「しょ、食事?」

「ふふん。うちは中華料理屋なんだよん」


 短い髪は、料理人の帽子の下にも、濃い色のバンダナを巻いている。


「俺、イェ・ホゥ。よろしく」

「あ、サンド・リヨンといいます」


 勢いに負けた、と彼は思う。



「あ、お出かけですか?」


 昼頃目覚めると、エルディに呼ばれるのが半ば彼の日課になりつつあった。


「うん、食事してくる」


 彼は答え、それでも彼女が用意するお茶には口をつけていた。この少女はなかなかハウスキーパーとして優秀だった。そしてなかなか可愛らしい。

 とはいえ、彼にしてみれば、だからどうということがある訳ではなかった。この少女とて、何処かの組織の構成員であると考えた方がいい。

 それを言ってしまえば、今日これから…… いや、越してきた日に再会した中華料理屋の青年にしたって同様なのだ。いつから、何処から来た誰。それは口にした瞬間に、羽根の生えたかのようにふわふわと頼りなく何処かへ行ってしまう。重要なのは、目の前に居る相手そのものでしかない。


「いってらっしゃいませ。今日のお仕事もいつもの通りですか?」

「うん、その前までには帰る」


 彼の「仕事」は既に始まっていた。少女の姉達も居るという「クラブ」におけるピアノ弾き。

 「ピアニスト」などという品のいいものではない。そこにある楽譜の中で、要求されたものを何でも弾けることが必要な、そしてそのリクエストした客にウィットのある態度を向けることが必要な、とっさの判断とセンスが要求される場だった。

 夜時間になると古風なネオンチューブがうねうねと輝きだす「クラブ」のプレイヤーは彼だけではなかった。ピアノ弾きは彼だけだったが、弦楽器も打楽器もそれなりの人数が居た。

 時と場合により、そのプレイヤー達はその場に配属される。

 ちょうど彼が居る時間には、弦楽器隊が三人、そして打楽器隊が一人居るだけだった。

 静かな時間を受け持たされているので、その間、他の要員は食事や喫茶にいそしんでいるのだろう。

 もしその中に何処かの構成員が居るなら、情報交換の時間としてもそれは妥当と言えた。

 ちら、と彼は鍵盤に指を走らせている時に、その弦楽器隊の一人がなかなかいい音を鳴らしているのに気付いた。もしそれが組織の構成員だったとしても、その六弦の楽器をずいぶんと長いことやっているだろう、と思わせるような音だった。

 そのプレーヤーと彼は話したことはない。ひどく無口なのだ。話すどころか、声すら聞いたことがない。

 そのプレーヤーは、黒い…… 自分よりずっとずっと長い髪を、どっさりと後ろで一つの三つ編みにしている。顔は多少女顔だった。目がひどくくっきりと大きく、そのラインが自然な陰影で強調されている。特徴ある美人の部類だが、体型から見たら、男だった。

 あと二人の弦楽器隊は、一人はやや小柄だが野性味を残した青みのかかった髪を伸ばしっぱなしにしている、という印象の青年で、もう一人は背の高い、ブラウンの髪の、こさっぱりとした雰囲気の青年だった。

 打楽器の青年は、これで大丈夫なのか、と思うくらいの小柄な身体を持っていたが、なかなかと元気がいいらしい。

 その野性味のある青年は、空き時間に気さくな口調で彼に話しかけてくる。その話によると、彼らはどうも小楽団ごとこの惑星にスカウトされたらしい。

 そこでその野性味のある青年の曰く。


「そらまあ、オリイやニイなら判るがなー、俺やジョーでどうするってんだっての」


 ということは、この青年…… シェ・スーと言った…… は少なくとも、この惑星が後宮であることは知っているのだろう、と彼は思う。

 もしも彼らが、何処かの構成員でないのだったら、このシェ・スーあたりはひどく困惑しているだろうな、と彼は何となくおかしくなった。



「はいスープ」


 イェ・ホウはカウンターの彼に茶碗を差し出した。中には琥珀色のスープが、いくらかの浮き身と溶かし卵を散らして入っている。

 第三層のその中華料理店はやはり昼時には混んでいると思われたので、彼はやや時間をずらして通っていた。

 それはこの店で調理人その1をやっているイェ・ホウの勧めでもあった。最初にGをこの店に引きずり込んだ時は、夜の空き時間だったらしい。

 あまり慌ただしい時間だと、なかなか調理自体が粗雑になりかねないから、とのことだった。


「そりゃあまあ、そんなことしないのがプロではあるんだけどさ」


 イェ・ホウはチャーハンを大きくひっくり返しながら言った。既に彼の前には、その日の定食のメインである酢豚が置かれていた。


「でもやっぱり余裕がある時のほうが俺としては嬉しいねえ」

「何で」

「君の顔が見られるじゃない」


 当たり前のように言うイェ・ホウに、何だかなあ、と彼は笑った。

 会ったその日から、この若い料理人は、一目惚れなんだ、と繰り返し彼に言っていた。冗談でしょ、と彼が言うと、冗談じゃないって、と笑顔を見せる。屈託のない笑顔は、それが本物であるのか判らないが、なかなか彼を戸惑わせるものがあった。


「あんまりしつこいのは嫌われるよ」


 奥からもう一人の調理人である、やや年かさの女性がくっくっく、と押さえた笑いを見せて、イェ・ホウの肩をぽんと叩いた。

 軽い男だ、と彼はそのチャーハンを盛りつける手つきを見ながら思う。口も軽ければ、どうもその気も。最も手の身軽さは、賞賛に値したが。

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