7-2 異形
担任に、保健室で言われたことを伝えて学校を出る。右目には眼帯をつけたため、視界が狭まりなかなかに歩きづらい。
病院は、駅近くにあるらしく、朝に比べれば人通りの少ない歩道を、道沿いの店を眺めながらだらだらと歩いていく。途中、階段でみかけたような黒いもやが、道をすっと横切っていくことがあった。
目が痛くなるのと、黒いもやを見かけたのがほとんど同時だったことを思うと。もしかしたら、飛蚊症などのように、目に異常があることが、関係しているのかもしれない。
もやを目で追いかけていると、ふと、店のガラスに、眼帯をした自分の顔が映り、思わずくすりと笑ってしまった。
(こんなのつけて帰ったら、お母さんびっくりしそう)
幸いにも、痛みは引いてきた。まだ赤くなっているのだろうかと、眼帯をずらしてみる。
「うわ……やっぱり赤い」
普段は焦茶に近い瞳が、鮮やかな赤色をしている。
(血で……こんな風になるもんなのかな)
あまりにも綺麗に染まり過ぎていて。むしろ、今朝話した昊千代の紅い目を思い出してしまう。
――家族だもの
「……っ」
思わず身体が震えてしまい、自分を抱き締める。さっとガラスから視線を外し、前を向いた。
(関係ない。関係ない――)
そう、心の中で唱える。
だが。
「……え?」
道端に、見慣れないものが見えた。
大きさは、一メートル程もあるだろうか。まるで、子どもが作りかけで放置した、粘土細工のような。不格好な形をした、何かの生き物の成り損ないのような。そのような、モノ。
ソレはもぞもぞと蠢きながら、道をふらふらと這っている。まるで、先程まで見えていた、もやのように。
美邑が固まっていると、ふと、ソレの動きが止まった。身体の一部がぐにゃりと歪み、こちらに向けられる。
「ひ……」
ぞわりと鳥肌が立ち、一歩後ずさるが、ソレは進行方向を変えて、こちらにもぞもぞと這ってきた。
「やだ。来ないで……」
上擦った声でそう呟くも、ソレが理解できるようにも見えず。案の定、ずるずると身体を引きずりながら近づいてくる。
辛うじて形作られていた部分すら崩しながら、ねっとりとした身体を地面に吸いつかせ。どう見たってもう生き物とすら思えないのに、生き物のフリをしてやってくる、ような。そんな奇怪さを振り撒きながら。
ずるずるずる。
ずるずるずるずる。
「いや……ッ」
短い悲鳴と共に、美邑は弾かれるようにして後ろを向き、駆け出した。道を行く人が、驚いた顔をして見てくるが、特にそれ以上の反応もない。ちらりと振り返ると、ソレは速さを上げ、身体を波打たせながら追ってきていた。
(やだ。なにあれ。なんなの。なんであたしについてくんの)
怪我している膝が、ズキズキと痛む。それ以上に、背筋をぞわぞわと撫でるようなおぞけが、恐ろしく嫌でたまらない。
(なんで誰も助けてくれないの? あんな、気持ち悪いもの。なんで――)
なんで、他の誰にも見えていないの?
「来ないで来ないで来ないで来ないで……っ」
無我夢中で、足を動かしていた。
目の前の横断歩道が、赤信号だとも気づけない程に。
はっとしたときには、もう遅かった。
右側から、トラックが迫ってきていた。不思議と、運転手の顔を見る余裕があった。引きつった顔をしている。当然だ、赤信号を突然、歩行者が飛び出してきたのだから。
(これに跳ねられたら――死んじゃうかな)
そんなことを、ぼんやりと思う。時間がやけにゆっくりと動いているように感じる。きっと逃げられないと、本能が死を予見している。
(怖い)
ふと。そんな単語が脳裏に浮かんだ。身体に、ぐっと力が入る。
(怖いよ)
トラックが目前に迫ってくる。目をつぶることもできず、美邑はその瞬間をじっと見つめていた。
(こんなとこで。あたし、まだ。あたしなにも――)
思い出してないのに。
真っ白な頭に、そんな単語がふと、過り。首を傾げるのと、トラックがぶつかってくるのと――身体を誰かに抱き締められるのとは、まさに僅差だった。
「え」
呟きた声だけその場に取り残してしまいそうな素早さで、美邑の身体は宙に浮かんでいた。跳ねられたのではない。誰かに抱き締められたまま、飛び上がっていた。
放物線を描くようにして着地した先は、近くのビルの屋上だった。
足が地面につくが、膝に力が入らない。解放されると同時に、美邑はその場に崩れるようにして、へたりこんだ。
「う……ぁ」
我知らず、声が口から漏れた。
遅れて、全身ががくがくと震えだす。歯がかちかち鳴り、全身を寒気が覆った。
「あ、あ、あぁあ……ッ」
怖かった。ただ怖くて、それだけで涙が両目からポロポロと溢れ出た。言葉にならない声が、口から溢れ出る。
(死ぬかと、思った)
実際、死の香りというものを、鼻先に感じた気さえする。
「……落ち着け」
後ろから聞こえた声に、美邑はハッとして振り返った。そうだ、自分は助けられたのだ――そう、恩人を見上げる。
その顔を見る前に、少し予感はあった気がした。あんな場面で、唐突に現れて。信じられない速さで美邑を助け、こんな場所まで一飛びで連れてきた。
そんな芸当ができるのは。
「あなた、は」
緋色の着物に、鬼の面をつけたその人は。面の奥にある紅い目をつと細めて、美邑を見つめていた。
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