第4話 取材

 会場である神戸国際会館は、神戸の街の中心に位置している。レンガ調の造形が美しく、おしゃれな神戸のランドマークのような存在だ。広場には、この日の演奏を楽しみにしていたお客さんや別の高校の生徒たちの姿があった。


「それじゃ、楽器を所定の位置まで運搬するから着いてきて」


 川上に先導されて、会場の中へと入っていく。入り口は一般だったが、そこから関係者通路を通って控室へと通された。


「すぐにリハーサル始まるから準備はじめてなー。普段の部室と違ってステージが広いから、ポジション気をつけて! 衣装は制服のままでいいから」


「それと、貴重品はしっかり自分で管理しておいてね! スマホの電源はリハのステージに上る時には切ること!」


 知子とみちるの指示を受けて、それぞれが楽器の準備を始める。早々にチューニングを終えたみなこは、ひとり廊下でぼんやりと待機していた。スマホを触るのは憚られる気がしたので、ギターの弦を触りながら、感触を確かめていた。


 辺りは、ざわざわと高校生らしい賑わいに満ちている。ここがコンサート会場であることをつい忘れてしまうくらい。まるで文化祭の時の校舎の雰囲気そのものだ。


 けど、あの文化祭には無い重々しい期待と緊張が渦巻いている。リラックスしていたつもりだったけど、いざこの場所へ来るとまた気持ちが変化してしまった。数時間後に幕が開く。本番は刻々と迫って来ているのだ。身体を押さえつけて来るものは、人前で演奏することへの恐怖心だろうか。半年間、懸命にやって来た練習が裏切るんじゃないかという恐ろしさが身体を硬直させる。


 怯えてちゃだめだ! と肺いっぱいに息を吸い込み、思いっきり吐き出す。身体を巡っていた嫌な緊張を全て出しきりたかった。目を閉じて、いつもの光景を思い出してみる。余計な意識を捨てていつも通りに。止めていた息をまた戻して、ハッと目を開くと、視界にハンドカメラが飛び込んできた。


「宝塚南の生徒さんですか?」


「は、はい」


 驚いて声が少し上ずってしまう。さっきまでイメージしていた光景はすっかり消え去ってしまった。バクバクと心臓の鼓動が、鼓膜を激しく叩いてきていた。


 カメラを持っていたのはスーツを着た若い男性だった。二十代前半くらいだろうか。首から通行書をぶら下げているところを見るに関係者の方らしい。彼はニッコリと優しい笑顔を作った。「ちょっと、インタビューいいですか?」と言いながら、カメラをこちらに向ける。


「い、インタビューですか?」


「はい。大会の公式You Tubeに上がるので、顔や学校名が出るのが嫌でしたら、別の方にお願いしますが」


 みなこが戸惑っていると、ひょっこり横から里帆が顔を出してきた。扉の縁に手をかけて、悪戯な笑みを浮かべている。髪は、落ち着いた色のヘアゴムで一つにまとめていた。


「清瀬ちゃんインタビューされてるやん。なに聞かれたん?」


「いえ、今からされるところで。……というか、これはどうしたらいいですかね?」


「なにー、清瀬ちゃんカメラ向けられて緊張してんのー? 今どき珍しいなぁ!」


「スマホのカメラとはわけが違うじゃないですか! こんなしっかりとしたもの経験したことないので……顔出しや学校名がって」


「そんなに固くならんでも、気軽に気軽に。演奏の映像は、定点カメラで撮影されて後日ネットに上がるし、このインタビューだって全編流されるわけじゃないで。いろんな学校の生徒さんのものをまとめてダイジェストドキュメンタリーみたいにするんですよね?」


 里帆の言葉の後半はカメラマンの男性に向けたものだ。彼は、「堅苦しいものじゃないので、意気込みだけ一言頂けたら嬉しいです」と朗らかに表情を緩める。


「それじゃ、……少しだけ」


「ありがとうございます! お名前は清瀬さんでしたね?」


「そ、そうです」


「清瀬さんはどうしてジャズを始められたんですか?」


「始めた理由ですか……?」


 質問が脳内を巡り、七海と音楽をやろうと約束した日のことを思い出す。あの時の約束はジャズじゃなかったけど。そのあとに、奏と出会い、めぐと出会い、……佳奈とも出会った。過ぎ去ってきた半年間の出来事が、みなこの記憶の中をどっと駆け巡る。思い返せば、いくつもの約束を重ねてきたんだと思う。


「……友達から音楽をやってみないかって誘われたんです。バンドがやりたくて……。でも、本当はジャズじゃなかったんですけど」


「ジャズは好きじゃなかったんですか?」


「いいえ。あまり触れたことのないジャンルだったので。……けど、今はたくさんの友達や素敵な先輩に出会えて。……きっと、それはジャズのおかげなんです。だから、私がジャズを始めたのは、人に導かれたからです。それは運命みたいに、あなたはここに行くんだよって手を引いてもらえたような不思議な感覚で……」


 喋っていて、自分が何を言いたいのかよく分からなくなってきた。不意に詰まった言葉を飲み込めば、それを押し戻すように、「だから今は――、」と、気持ちが溢れ出してきた。


「ジャズが大好きです!」


「ありがとうございます。清瀬さんの気持ち伝わりましたよ。今年も良い素材を貰いました」


 素直な言葉に、気づけば自分の頬が赤らんでいるのが分かった。けど、心臓の鼓動はいつも通りに戻っている。カメラを収めた男性の笑みは、爽やかながらどこか溢れてしまいような笑いを堪えているようにも見えた。


 丁寧に頭を下げて、「また本番あとに取材するかもしれないので、先生や部長さんにもよろしくお伝え下さい」と言って男性は次の高校のところへと消えていく。


「今ので大丈夫だったでしょうか?」


「しっかり受け答え出来てたで」


「あの人、今年もいい素材を……って言ってましたけど?」


「あー、去年は、伊坂がインタビューされててん。あいつはガチガチに緊張してな! そうや、その時の様子がYou Tubeにまだ残ってるで」


「里帆!」


 楽屋からトロンボーンとギターケースを抱えた大樹が怒号を飛ばしてきた。声色のわりに、表情は怒りよりも恥じらいに近い。照れくささを隠せていないのは、両手がふさがってしまっているからだろうか。


 悪戯な笑みを浮かべて、里帆がそっとみなこの耳元に顔を寄せる。


「URLあとで送っといてあげる」


 初々しい先輩の姿を見るのは悪いと思いつつ、興味が湧くのは人間の性だろう。「よろしくお願いします」とみなこが笑いかけると、里帆は当時のことを思い出したようにケラケラと笑い出した。


「それじゃ、まもなくリハの移動開始しますー」


 知子の声で、部員たちは一斉に動き始めた。

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