第8話 文化祭

「先にお化け屋敷行こうやー」


 フランクフルトを頬張った七海が、めぐの袖を引く。プチっと弾けた肉汁がケチャプとマスタードの香りを引き連れてみなこの鼻をかすめた。「お化け屋敷?」と前日に配布されていたパンフレットにめぐが視線を落とす。ちなみに、宝塚南の文化祭は生徒の模擬店が禁止されている代わりに、職員とPTAが屋台を出してくれている。


「そう! みちる先輩のクラスがやってるんやで」


「へえ、案外、舞台とダンス意外のクラスもあるんやなー」


「二人も行くやろ?」


 ジュウジュウ、と鉄板の上でソースの絡まった焼きそばが湯気を上げている。陽射しを反射する校舎が湯気で歪んで見えた。人がごった返した校門前の広場は、まだまだ夏が勢力を持続している。仮設テントの下で、招待客のチケットをもぎる実行委員たちは暑そうだ。「えー、どうやろ」とみなこは曖昧な返事を返す。


「奏は?」


「お化け屋敷、楽しそうだね」


「奏ちゃん平気なん?」


「うん」


 どうやらお化け屋敷が苦手なのは自分だけらしい。テーマパークの本格的なものを拒むならまだいいのかも知れないけど、さすがに文化祭の出し物で怖がるのは恥ずかしい。


「みなこ、ビビりすぎ」


 ケラケラと七海が恥かしげもなく笑い声を上げる。同時にケチャップが器官に入ったのか、ゴホゴホむせた。人を笑った罰だ、とみなこは目を細める。


「みなこちゃん苦手なん?」


「うーん。あんまり得意じゃないけど、みんなが行くなら仕方ないかな……」


「行くなら早く行こうや。昼過ぎから舞台二本も観なあかんねんから」


 自分たちのクラスの舞台、それから佳奈が出る『オズの魔法使い』は絶対に観覧しなくちゃいけない。練習があるせいで、午前中は佳奈と回れないのは残念だけど、佳奈の演技には注目だ。


 *



「みなこ、ビビリ過ぎてやばかったでー」


 夕暮れの校庭に七海の高笑いが響く。オレンジ色に染まった空にはカラスが数羽飛んでいた。外部からの招待者がいなくなり、見渡す限り祭りの後といった雰囲気だ。けれど、すっかり静かになった校舎には、二日目の準備のために残っている生徒たちもチラホラと見られた。文化祭は明日も続く。


「確かにちょっと怖がりすぎやな」


「そうそう、この写真がおかしくて」


 めぐと七海がとある写真を見て、くすくすと笑いを堪える。


「もー、いつまで言ってんの。……だって、怖かったやんか」


 お化け屋敷から出てきた直後の様子をチェケに収めるという不要なサービスのせいで、その場にいなかった佳奈にまで、ひどく怖がっていた様を見られてしまった。


「そんなに怖かったん?」


 二人が未だにニヤけながら眺めている写真を指差し、佳奈がコクリと首を傾ける。顔を上げた七海が笑い混じりに答えた。


「まさかー。それなりにクオリティーはあったけど、ここまで怖がるもんとちゃうで」


 少なくとも文化祭で学生がやるクオリティーは越えていたはずだ。さすがに怖がりすぎて、みちる先輩からも笑われたけれど。


「私は昔からお化けは苦手やの!」


 拗ねた口調のみなこに、佳奈がいじらしい目を向けた。


「みなこってお化け苦手なんや」


「あるやろ? 佳奈にだって苦手なもんくらい」


「うーん。あんまり思い浮かばんけど」


 確かに佳奈にはなさそうだ。もっとも、無自覚なところを言うと人付き合いが上手いとは言えないのだけど。それを言ったら怒られそうだ。わざわざ春先のことを蒸し返すことはしなくていい。


「佳奈は何でも出来て、才色兼備って感じやもんな!」


 七海の褒め言葉に、佳奈は「そんなことない」と否定する。頬を赤くしながら告げられた言葉は、春先のそれとは明らかにニュアンスが異なっていた。


「七海は苦手なものだらけやろ」とめぐが毒づけば、「うちには、なにもないもーん」と七海がお気楽な声を出す。しかし、そんな七海を見つめながら奏が口端を緩めた。


「七海ちゃんは数学だよね」


「そうやったー、数学だけは無理やー」


 七海の嘆きは、夕暮れの空に花火みたいに打ち上がっていった。


「ほら、明日は本番やし、そろそろ帰ろ」


 校門に立てられたカラフルなアーチの方へみなこは歩き出す。まだ残っている生徒たちがいるのは、文化祭の期間だけ下校時間が延長されているからだ。練習はどれだけやっても足りない。本当は残ってギリギリまで練習がしたいけれど。すでに楽器を倉庫へと移しているため、部室での練習は出来ない。視聴覚室は、他の有志のバンドだって使いたいはずなのだ。しっかり休息を取るのも大事なこと。焦る自分にそう言い聞かせた。

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