第5話 当日

 ジリジリ、と鳴り響く目覚ましに起こされて、みなこは身体を起こした。時計の針は八時少し前。いつもよりも余裕のある時間のハズなのに眠い。自分が出るわけじゃないのに、緊張してよく眠れなかったせいだ。


 花と音楽のフェスティバルが行われる宝塚末広公園までは、阪急電車を使って移動する。出番は一五時過ぎ。その為、部室に一度集合しリハーサルをしてから、昼前に現地に到着する手はずになっていた。


「おはよう」


「お、おはよう」


 明らかに緊張している七海と鶯の森で合流をする。いつも朝から騒がしいのに、今日は静かだ。毎日、本番だったらいいのに。そんなことを考えながら、みなこはオリーブ色のシートに腰を落とし、そっと目を閉じた。


 一瞬だけ眠りに落ちて、雲雀丘花屋敷に着くアナウンスで目を覚ます。土日とあって車内に人気は少ない。ブレーキのかかった車体が少しだけ揺れて、隣に座る七海の方へ身体が傾いた。いつもなら「キャッ」などとおちゃらけるはずだが、彼女は無心でまっすぐ正面を向いたまま。電車が駅に着いて、みなこが立ち上がったというのに、七海はまったく微動だにしない。


「降りるよ?」


 そうみなこが声をかければ、ガチガチに固まった七海が「う、うん」と声を裏返した。


「緊張しすぎちゃう?」


「あかん、ドラムのすべてのリズムが身体からこぼれ落ちていく気がする……」


「いやいや。ほら落ち着いて……」


 七海の背中を擦りながら改札を出たところで、奏とめぐに会った。介護されている七海を見て、めぐが心配そうな顔を浮かべる。


「どうしたん? 七海調子悪いん?」


「体調不良ではないから安心して。調子っていうんかな? ただ、いつも通りではないのは確かやけど」


「めぐぅ」


 半べそをかいた七海は、めぐの腰元にぐっと抱きついた。


「ちょっ、どうしたん」


「緊張がやばい!」


「知らんし。手のひらで人って書いて飲みこんどき」

 

「いけずー」


 ひっついた七海を突き放し、めぐは早足で坂を登っていく。めぐと話すことで七海の緊張も少しほぐれたらしい。いつも通りの光景に、みなこは安堵した。


「奏ちゃんは、緊張してへん?」


「うーん、ちょっとだけ」


 そう言って緩めた奏の口元は、ほんの少しだけ硬さがあった。



 *



 集合時間より十五分ほど早く部室に着いたが、すでに多くの部員が個人練習を始めていた。今日が本番とあって、不安な部分を無くしておきたいのかもしれない。


「おはよう」


 みんなが練習に集中している中、みちるがこちらに気づき挨拶をしてきた。みなこたちは揃って返す。


「おはようございます」


「みんなも早いねぇ。七海ちゃんと奏ちゃんは緊張大丈夫?」


「私はもう今にも帰りたいです」


 珍しく弱音を吐く七海に、みちるはクスクスと笑いを堪えた。


「七海ちゃんは緊張せんタイプやと思ってたのに。ほら飴ちゃん舐めて」


 みちるはスカートのポケットからパインの形の飴を取り出した。受け取った七海はすぐにそれを頬張る。


「おいしいです! ありがとうございます」


 声はあからさまにしぼんでいく。空元気すら出ないようだ。少し苦笑いを浮かべながら、みちるが言葉を続けた。


「あとは、佳奈ちゃんと桃菜ちゃんの二人だけやから、集まり次第練習始めるね。七海ちゃんと奏ちゃんも準備はじめといて」


 七海と奏が準備を始める中、みなことめぐは二人顔を見合わせた。本番だと言って緊張していたが、自分たちは一体何をすればいいのだろうか?


「私たちは何をすればいいですか?」


「そうやね。楽器も自分のものは自分たちで運べるし、基本的にはすることはないんやけど。……マネージャー気分でみんなのサポートしてあげて」


「マネージャーですか?」


「きっと、今後の大切な経験になるよ。航平くんも呼んでくるね」


 いつもと同じ笑みを浮かべるみちるに、みなこも笑みで返す。残念ながらみちるの指示の意図をはっきと認識出来たわけじゃない。浮かべた笑みは誤魔化しを含んだものだ。やんわりとした彼女の指示をあまり理解できないまま、午前のリハーサルが始まった。



 *



「なぁ、航平はみちる先輩になんて言われたん?」


 演奏を終え、部員たちは互いの気づきあったところを話し合う。残りわずかの時間でも演奏を良くしようと余念がない。あまり大きな声を出さないようにか、航平がこちらに少し顔を近づけて来た。


「マネージャー的なポジションで動いてって」


「やんなあ。私ら何したらええん?」


「普通に見学しながら、困ってそうなことあったら積極的に動いたらええんちゃう?」


「困ってそうなことって?」


「例えば、持ってる水がなくなりそうだとか、荷物が重そうだったら持ってあげるとか?」


「なんで航平がそんなこと分かんの?」


「一応、サッカー部でマネージャーの仕事見てきたからな」


「あー、やっぱりマネージャーのことよく見てたんですね。また元カノ自慢ですか……」


「やから違うって。その敬語になんのやめろ」


 そらした視線の先では、七海と奏が必死に楽譜と向き合っていた。

 

「先輩はともかく、大西とか谷川とか一年組は特に気にかけてあげてもええかもな。初めての本番で緊張してるやろうし」


「なるほどなあ。って井垣さんは?」


「井垣はなんか怖いやんか」


 みなこが関わりづらさを感じているのだから、異性の航平は尚更かもしれない。練習を見る限り、佳奈は与えられたソロのパートも淡々とこなしていた。一通り確認が済んだのか、再び曲が演奏され始める。


「やっぱり井垣さんは上手いよな」


「やろ? でもソロ嫌がってたらしいやん」


「なんで航平がそのこと知ってんの」


 みなこはたまたま立ち聞きしてしまった。どうして航平がそのことを知っているのか。みなこが驚きて航平の方を向くと、かなり近い距離に彼の顔があった。彼の顔はなぜかスッと赤らむ。


「いや、最初に井垣がソロやるってなった時に渋ったって建太先輩が言ってたからさ」


「ふーん。なんで渋ったんやろ?」


「さあ? 先輩に気使ったんちゃう?」


「でも、織辺先輩とみちる先輩が決めたんやろ?」


「どうなんやろ。そこまで詳しく聞いてへんから」


 佳奈のことはよくわからない。きっと真面目な性格なんだろう、とは思う。だけどその性格が他人を近寄り難くしているのは確かだ。みなこも仲良くしたい気持ちはあるけれど、七海との関わり方を見ているとどうも難しい。


「とにかく今は本番前やから俺らも集中。ベンチが浮ついてるとプレイに影響出るからな」


「そういうもんなの?」


「そういうもんなの」


 航平に丸め込まれると少しムカつく。航平のくせにと、みなこは唇を尖らせる。外した視線の先で、七海のそばにある水がなくなりかけているのに気づいて、みなこは自販機へ買い出しに向かった。

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