三幕「花と音楽のフェスティバル」

第1話 選曲

 花と音楽のフェスティバルは五月の下旬、中間考査が終わってすぐの土日に行われる。本番までは基本的にあと三週間しかないのだが、その直前には学生の本分である中間考査が待っている。テストは木曜日まで。花と音楽のフェスティバルでの宝塚南高校南高校の出番は日曜日なので、テスト休みの金曜と土曜は終日練習に当てられる。しかし、テスト期間中の部活動は禁止されているため時間はかなり限られていた。


「みなこー、そっちの椅子運んでー」


「はいはい」


「ハイは一回!」


「そんなお母さんみたいな小言いってんと七海も身体を動かして」


 部室の中央で指揮を取る七海に、みなこは愚痴を飛ばす。ビッグバンドに選ばれた嬉しさと責任感で頑張っているのだろうけど、少しだけ方法がずれているのが七海らしい。


「清瀬さん。椅子は二つ余るから、抱えてるやつ三つでええかも」


「え、」 


 そう言って、佳奈がみなこの抱えた丸椅子を上からさらって行った。ふいの出来事にみなこは思わず言葉を失ってしまう。佳奈の方から声をかけてきたのは初めてだったから。それが業務的なものでもなんだか嬉しかった。揺れるポニーテールが遠ざかって行くのが見えて、みなこはふと我に返る。


「あ、ありがと」 

 

 椅子を元あった場所に戻したポニーテールは、こちらを振り返り軽く会釈した。みなこはぎこちない笑顔で返す。


 普段のジャズ研は、自然と集まり演奏をして、時間になれば解散する流れがほとんどだ。練習前にミーティングなどをすることは珍しく、いざミーティングが行われるとなると、その旨が前日や昼休みに通達され、こうして一年生が部室の隅に積まれた椅子をスタジオに並べておく。


 とはいえ、上下関係が徹底されているわけではなく、早く部室に来た上級生がその場にいれば自然と手伝ってくれることも多い。基本的に一年が雑用を任されているのは、委員会や進路指導などの用事が少ないからだった。


 ほどなくして部員全員が部室に集まり、ミーティングが開かれた。知子とみちるは皆の前に立ち、こちらを睥睨する。全員が揃っていることを確認して、知子がパンと手を一つ鳴らした。


「それでは、花と音楽のフェスティバルに向けてのミーティングを始めます。最初に、昨日行われたオーディションの合格者を紹介したいと思います。合格した人は起立してください」


 知子にそう声をかけられ、昨日合格した三人が立ち上がった。みなこの隣に陣取った七海は、元気いっぱいに席を立ち、がたんとやかましい音を立てる。立ち上がった三人の顔を順に見て、知子が言葉を続けた。


「ドラム大西七海さん、ベース谷川奏さん、サックス井垣佳奈さんです。演奏する曲にもよりますが、これに伴いベースの鈴木さんには、トロンボーンを演奏してもらうことになります」


 やはりベースやギターなどは上級生が移動させられてしまうらしい。奏が少し申し訳なさそうな顔を浮かべていたが、ベースの杏奈は「一緒にイベント出れて良かったなぁ」と声をかけていた。


 基本的に、ビッグバンドでは音の分厚さを増させるために他の楽器を演奏できるものが本職でないパートに回るという考えが浸透しているらしい。しかし、それはコンボでの演奏があるからだ。裏を返せば、コンボのオーディションはみんな必死だということ。「コンボは譲らんで」大樹のそのセリフがみなこの頭の中でリフレインしていた。


「次に今日からの練習のことですが、本番までさほど時間はありません。ジャズの経験が少ない一年生の部員も参加するということも考慮して、例年よりも全体で合わせる時間を多く取ろうと思います。みちるお願い」


 知子の指示にみちるが手に抱えた紙を前列の生徒に配り始めた。回って来たコピー用紙には、イベント本番までの予定表が書かれていた。イベントの直前、「中間テスト期間」と明記された大きなスペースをなるだけ見ないように、みなこは視線を今週の辺りにそらす。


「今日から大スタジオでは、ビッグバンドのイベントに向けての練習。小スタジオでは、今回合格できなかった一年生の個人練習という風に分かれて練習したいと思います。土日の練習参加は、基本的には今までと変わりありませんが、本番直前の金土だけは絶対参加でお願いします」


「本番直前の土日も全員が集まれば、合わせるんですよね?」


 質問したのは大樹だった。知子は大きく頷く。


「はい。川上先生にお願いして、日曜日も全日部室は開放してるので、みんなの時間が合えば合わせたいと考えています」


 少し部員たちがざわめき、今週末の予定を確認し合った。本番までの時間の無さを全員が感じているらしい。みなこの斜向いに座っていた里帆が、首だけを後ろ向けて大樹に声をかけた。


「土日の二年の参加状況調べといた方がええな。あんたメールでみんなの意見集めといて」


「なんで俺やねん」


「あんた書記やろ」


「お前は学年リーダーやろがい」


「ええから頼むで」


 そう言い切って里帆はクルっと前を向く。緑色のヘアゴムでまとめられた低めの二つ結びが不機嫌に揺れていた。彼女の隣では同じ髪型の美帆が座っている。二人の髪型は毎日アレンジされているのだが、仲がいいのか、ややこしいことに髪型は同じ。一層、別々にしてくれれば見分けが楽なのだけど。美帆と里帆の今日の違いはヘアゴムの色だけだ。


 宝塚南高校のジャズ研では、各学年にリーダーと書記が存在しており、部内での情報などを伝える役割を担っている。確実ではないが、三年が引退すれば、この役職が部長副部長へと昇進することになる。二人のやり取りを見ると、うまくいくとは思えないのだが。ちなみに、一年生は夏頃から上級生の判断でその役職が与えられるらしい。


 知子の空咳が、そんな部員たちのざわめきを一掃した。やはり彼女には統率力がある。決して怒っている空気感ではなく優しい雰囲気で、こちらに集中して、と言いたげだった。


「それじゃ、肝心のイベントで演奏する曲です。今回もみちるが選曲しているので、これはみちるの方から」


 指名されたみちるは、知子の方を向いて口端を緩めると、振り返ってホワイトボードに張り付いたマジックペンを手にとった。可愛らしい文字で曲名を書き始める。彼女がボードに板書している間、みなこはふとした疑問を隣に座る大樹に尋ねた。


「いつもみちる先輩が選曲してるんですか?」


「例年は、部長、副部長、先生の三人で選ぶらしいんやけど、あんまり織辺先輩は選曲にこだわりないみたいで。二人が役職についてからは、東先輩と川上先生で選んでるらしい」

 

 そういう決め事は、知子が仕切っているイメージだっただけに意外だった。長話をするわけにもいかないので、みなこが正面を向けば、みちるの可愛らしい文字がホワイトボードに並んでいた。

 

「はい、えーっと。今、書いた通りなんやけど、今回の花と音楽のフェスティバルで演奏する曲は二曲。『Little Brown Jug』と『Rain Lilly~秋雨に濡れるゼフィランサス~』です」


 ホワイトボードに並んだ曲を見て、拍手と共に部員たちから様々なリアクションが飛び交った。自分のパートが目立つ曲だの好きな曲だの、意見はバラバラだが、みちるの選曲に不満を上げる声は聞こえなかった。上級生たちが発表された曲で盛り上がる反面、あまりジャズに詳しくないみなこはリアクションが取れない。


 そんなジャズ初心者が多い一年を気遣ってか。里帆がこちらの方を振り返り「曲、知ってる?」と尋ねてきた。大樹に話す時よりも幾分か物腰が柔らかい。


「いいえ。有名な曲なんですか?」


「『Little Brown Jug』はジャズのスタンダード・ナンバー。教科書にも載ってるし、CMとかでも流れてる。聞いたことあるんちゃうかな?」


 タタッタタータタッタター、と里帆が指先でリズムを取りながらメロディーを口ずさむ。


「あ、聞いたことあります。確か、お酒のCMで流れてましたよね」


「そうそれ。タイトルに茶色い小瓶ってあるように、原曲の歌詞は、お酒好きの男女を描いたもので、」


「お酒に溺れて友人を無くし、お酒に溺れてボロボロの服を着ることになる。それでもお酒が大好きーって歌詞やんな」


 里帆の話を補足するように、美帆がこちらを向いた。双子とあって振り返る格好が瓜二つでそっくりだ。だが、美帆にセリフを奪われたことが気に食わなかったらしく、里帆の眉間には浅いシワが寄っていた。


「私が説明してんねんけど?」


「あら、ごめんなさい」


 美帆は、わざとらしく肩をすくませる。敵意むき出しの里帆の目は、こちらに向けば穏やかなものになった。 


「古いアメリカの民謡を、グレン・ミラー楽団が演奏し始めたことがきっかけで世界的に人気の曲になってん。ちなみに、グレン・ミラーって人は、カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントンとかと並ぶスウィング・ジャズ、ビッグバンドの有名なミュージシャン」


 と里帆が続ければ、


「曲調は楽しいし認知度も高いからええ選曲やわぁ」


 と美帆。


 姉妹揃って譲らない性格のようで、その目から火花が散りそうなほど鋭い視線がぶつかり合う。そんな二人が苦手なのか、大樹は完全にそっぽを向いていた。


「ほんなら、『Rain Lilly~秋雨に濡れるゼフィランサス~』っていうのはどんな曲なんですか?」


 姉妹喧嘩などまるで聞いていなかったように、七海が隣の席から乗り出して来た。みなこの腿に手を乗せて、身体をぐっと突き出す。里帆と美帆が二人同時に、うーんと唸った。


「私もあんまり詳しく知らんねんな。聞いたことくらいはあるけど……美帆は?」


「私も聞いたことはあるけど。最近の曲やんな?」


「私らがジャズ始める前ではあるけど、世間一般的に、特にジャズの世界では最近やろな」


 饒舌に語っていた二人があまり聞いたことがないということは、あまり有名な曲じゃないのかもしれない。それにジャズと言えば、古い曲ばかりのイメージだったが、最近の曲とのこと。その最近がどの程度の時代を指しているかは分からないが。


 七海の首がコクリと傾く。みなこの頬に七海のハネた髪が触れた。くすぐったい。


「どんな曲なんです?」


「前に一度だけ聞いただけの印象やけど、とにかくものすごい難しい。個人個人の技術も求められるし、何よりそれを音楽として一つにするのが大変。……もちろん、ええ曲やと思うで。自分たちの曲に出来ればジャパンスクールジャズフェスティバルで最優秀賞も狙えるかもしれん」


「なんで、ここでジャパンジャズフェスティバルなんです?」


「それはね!」


 ここぞとばかりに、美帆がゴホンと咳払いをした。里帆の顔が露骨に不機嫌になる。


「曲の完成度を上げるために、この時期からビッグバンドの選曲をしておくっていうのが例年の流れ。難易度の高い曲を、イベントを通じて何度も演奏して、クオリティを上げていく。その始めのイベントが花と音楽のフェスティバルってわけ」


「なるほどです!」


 七海は感心して目を輝かせた。その話を聞いていたであろう大樹が、前に立つみちるに問いかけた。


「で、今年もその流れでいくんですか?」


「一応、そのつもりです。もちろん、確定じゃないけどね。曲を知らん人もおるやろし、一回聞いてみよか」


 みちるはスマートフォンを取り出すと、携帯式のスピーカーから曲を再生した。


 初めに流れて来たのは、『Little Brown Jug』。冒頭はベースのフレーズから始まり、誰もが聞いたことがある有名なリフが繰り返さる。軽快ながらもスローなテンポ感と明るい雰囲気が聞く者を楽しい気持ちにさせてくれるナンバーだ。

 

「それから次が『Rain Lilly』です」


 そう言って、みちるが曲を切り替えた瞬間に、みなこは驚いた。


 冒頭、急降下するような激しいピアノから始まり、そこに一斉に金管の音色が加わる。そこから代わる代わるパートが目まぐるしく移り変わり、軽快で繊細ながら秋の嵐さながらの激しさを持った勢いのある曲だった。これは難しい。楽器を少しでも弾ける人ならば、直感的にそう思うはずだ。でも、これを完璧に演奏出来れば、間違いなくかっこいい。


 スピーカーから流れてくるその曲にはそれだけパワーがあった。


「はい。えー、それぞれ思うところはあると思うけど、花と音楽のフェスティバルはこの選曲です。質問はありますか?」


 みちるの質問に、手を上げたのは大樹だった。


「『Little Brown Jug』はさておき、聞いた限り『Rain Lilly』は一年にはかなりキツイと思うんですけど」


「それやねんけど、川上先生と相談した結果。今回の『Rain Lilly』は、一年生抜きの編成にしようかなって思います。期間的にも二週間で二曲を完璧にするのは難しいと思うし。一年生は、『Little Brown Jug』だけでの参加でと思ってます」


「それじゃ、『Rain Lilly』は、新歓ライブの編成ってことですか?」


「そういうことやね。それじゃ今から楽譜を配ります。さっきも言った通り、今後も演奏する機会がある曲なので、出演しない一年生にも配っておくね。自主練でしっかり練習しておいて」


 前から回って来たプリントを後ろに回していると、知子とみちるが二人で何やら話し込んでいた。


「それにしてもみちる……『Rain Lilly』って……」


「選曲は私に任せるって言ってくれたやろ?」


「まぁそうやねんけど。でもさ、」


「今の所やから、曲はいつでも変えれるんやし」


 知子は小さく息を吐くと、楽譜に視線を落とした。その目に少しだけ悲しみが浮かんでいる。みなこはなんとなくそう思った。


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