第30話『赤いスウェット』
乙女と栞と小姫山・30
『赤いスウェット』
「お母さんには二度会い、お父さんには一度も会えへんもん、なーんや!?」
今日の日本史Aの始まりが、これだった。
まるでナゾナゾ。いや、ナゾナゾそのものだった。そもそも最初の授業がデーダラボッチの話だったし。
「むか~しむかし、常陸の国にデーダラボッチいう、雲を突くような大男がおったげな。毎日こいつが海岸に行っては、しこたま貝を口に含んで、もぐもぐして住みかに帰っては、ぺぺぺッと貝がらを吐き出した……これから何が分かる?」
正解は貝塚であった。関東地方で貝塚は海岸線から遠く離れたところで発見される。これは縄文時代の温暖な海進期に、海岸線が関東平野の奥まで達していて、貝が採れ貝塚ができ、二千年ほど昔に始まった海退によって海岸線がひいて、今のそれと変わらなくなった。古代人たちは「なんで、こんな海から離れたとこに貝殻がいっぱいあんねん?」と、思った。で、まさか海岸線が移動したりするなんて思いもつかなかった。ほんでデーダラボッチいう巨人をしたてて、想像力のつじつまを合わせた。
「ファンタジーや思えへんか!?」
で、デーダラボッチ、ダイダラボッチの分布範囲を黒板の地図に記す。
「これで、縄文時代が温かったのが、ようわかる。農業せんでも、食い物はどこにでもあった。ジブリの作品にも、こいつが出てくるなあ」
で、ひとしきりジブリの話をして、あとは教科書○ページから○ページまで読んどけ。それで、プレ縄文と縄文時代の話はおしまいである。並の教師なら二週間はかかる。乙女先生の信念は近現代史にある。それまでは、こんな調子。三年の生徒達は、乙女先生の授業をバラエティー番組のように思っている。
「答わかったか?」
生徒たちは顔を見交わしクスクス笑うだけ。
「イマジネーションのないやつらやなあ。正解はクチビルや!」
「ええ!?」
「クチビル付けて母て言うてみい」
生徒たちは、パパとかババとか言って喜んでいる。
「平安時代は、そない発音したんや。微妙にクチビルが付く。で『ファファ』になる。ほかにも濁音の前には『ん』が入る。今でも年寄りの言葉に名残がある。『ゆうべ』は『ゆんべ』になる。せやから、当時の発音で源氏物語を読んだら『いんどぅれの、おふぉんときにてぃかふぁ……』とやりだす。それも表情筋を総動員してやるので、笑い死に寸前のようになる者も出る。乙女先生は、半分冗談で酸素吸入器を持ち歩いている。
「で、こういう言葉を表現しよ思たら、漢字では間に合わんよって、片仮名・平仮名が生まれた『お』と『を』の発音の違い分かるか?」
何人かが手をあげる。「O」と「WO」を使い分ける。クラスの1/3が分からない。で、生徒たちに教えあいをさせる。
「え」と「ゑ」の違いも披露し、今の日本語が平板でつまらなくなってきたと脱線して「国風文化」が終わりとなり、来週はめでたく摂関政治と院政のだめ押しをやって「武家社会」に入る。
乙女先生は、無意識ではあるが、日本史Aという授業の中で、総合学習をやっている。ちなみに、乙女先生は、日本史とはいわずに国史と……たまに言う。
「えー、こんなのもらってもいいの!?」
栞が、喜びと驚きを小爆発させた。昨日来たさくやのお姉さんがMNB受験のためにスウェットの上下とタンクトップをくれたのである。
「へへ、お姉ちゃんも、若かったらやりたいとこや言うてました」
「変わったブランドだね『UZUME』いうロゴが入ってる」
「まあ、一回着てやってみましょか?」
そこは女の子同士、チャッチャッと着替えてスタンバイ。以前も思ったが、さくやはナイスバディーだと思った。この子が制服を着ると、とたんにありふれたジミ系の女子高生になるから不思議だ。似たようなことはさくやも思った。制服の栞は硬派の真面目人間に見えるが、歌ったり踊ったりすると、目を疑うほど奔放になる。
「これ、ステップとターンが、とても楽にできる!」
「それは、なによりですぅ(^▽^)/!」
MNBのオーディションは明日に迫っていた……。
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