乙女と栞と小姫山

武者走走九郎or大橋むつお

第1話『乙女の転勤・1』

乙女と栞と小姫山

01『乙女の転勤・1』         





「は……」


 思わず声になってしまった。


「オホン……だから、佐藤乙女先生の転勤先は、姫ケ丘青春高校です」


 どうやら校長は、乙女先生が転勤先の学校が気に入らないのかと思い、バーコードを撫でつけ、いささか緊張して言い直した。


 乙女先生は、名前に似合わず、学校で、いや校長会でも、ちょっと名前の通った女傑である。

 若い頃は(今も実年齢より若く見えるが)駅のホームで、他校生とケンカをしてボコボコにされていた受け持ちの悪ガキを助けるために、相手のK高校のアクタレ五人を叩きのめしたこともある。指導もきびしく、喫煙で捕まった生徒がシラバックレようなものなら「ええかげんにさらせよ!」と、シバキ倒した。

 ガキ(子どもというようなカワユゲなものじゃなかった)のころから、ケンカ慣れしていて加減というものを知っている。シバキ倒しても鼓膜を破ったり、口の中を怪我させたりはしなかった。

 今は、さすがに生徒に手を出すことはしなくなった。セクハラや体罰に世間がうるさくなってきたからで、乙女先生の心情が変わったわけではない。実際十年ほど前の過渡期には、思わず手が出てしまい、戒告をうけたことがある。


 それからの乙女先生は言葉である。岸和田の生まれなので、人を叩きのめす言葉は、絶妙のタイミングと、ボキャブラリーの中から何百通りでもでてきた。


 事実目の前にいる校長は、前々任校では、乙女先生の同僚で平の教師、組合の分会長であった。組合がN教組から、独立してZ教を作ったとき、乙女先生は吠えた。

「ええかげんにさらせよ、ネチネチとオッサンらシンキクサイんじゃ!」

 乙女先生は、昨日まで組合の幹部が、こう言っていたのを覚えている。

「D教組が上部のN教組を抜け、新しい組合組織に入るのには、組合員の全員投票が必要」

 それが一晩で、こうなった。

「新しい上部組合に入るのではなく、新しく自分たちで創るんだ」

 乙女先生には屁理屈としか思えなかった。

「自分たちで、新しい組織を作るんだから、全員投票の必要はない。各学校ごとの分会の決議でいけるんや!」

 この手のひらをかえしたような変貌ぶりを一言で見限った。

「あほくさ」

 で、すぐに組合をやめた。そしたら数人の幹部の先生に呼び出され、椅子に座らされて取り巻かれ、刑事ドラマの犯人が刑事達に尋問を受けるようなかっこうになった。

――ああ、これが、M集中制っちゅうやつで、今のウチの状況を総括ていうねんなあ。

 乙女先生の辛抱は五分で切れた。


で……。


「ええかげんにさらせよ、ネチネチとオッサンらシンキクサイんじゃ!」


 と、なったわけである。


 むろん校長は、そのネチネチ組の中に入っていた。日の丸、君が代にも当然反対で、あのころは卒業式そのものをボイコットして、校門前で式に参列する保護者たちにビラを配っていた。その同一人物が、つい先月の卒業式では、国歌斉唱のとき、起立しない教職員の頭数を数えていて、乙女先生と目が合うと、サっと目線を避けた。


 そんなこんなで、校長は、乙女先生が、転勤先に不満を持ったと思ったのである。


 乙女先生は、ただ、学校の名前がピンとこなかっただけである。数秒後思い出した。

――四年ほど前に、統廃合されて、そんな学校ができたなあ……。

 その思い出すまでの数秒間、乙女先生は校長の目を見っぱなしであった。特にウラミツラミがあってのことではないのは、読者にはお分かりのことと思う。ただ、校長は蛇に睨まれたカエルのように長い時間のように感じられた。



――これが学校の看板か……。

 

 姫ケ丘青春高校の校門の前に立った、第一印象が、これであった。


 乙女先生の常識では、学校の看板とはブロンズのレリーフで重々しいものであった。

「大阪府立姫ケ丘青春高等学校」の十三文字は、キラキラのステンレスの貼り付け文字。いかにも軽々しい。校舎は、統廃合前のS高校の校舎を、そのまま使っているので、どうにもアンバランス。なんだかテレビドラマのロケに使うためにイカニモつけました。と、いう感じ。


 乙女先生は、最近の公立高校の名前の付け方は気に入らなかった。何年か前までは、条例で「学校名は地名を冠するものとする」と決められており、例外は廃校になった准看護婦養成の女子高と、八尾市から引き継いだ伝統校だけであった。校名を具体的に書くことははばかられるが、なんだかラノベに出てきそうな校名が多く、どうにも軽々しい。なによりも地名を冠しないことで地域との結びつきが希薄である。で、希薄になった分、逆に地域からのクレームが増えた。これは、単に校名の問題ではなく、地域がコミュニティーの存在としての意義を失ったからであろうが。


 そんなことを思いつつ、校門前に佇んでいると後ろから、バリトンの東京弁で声をかけられた。

「保険の勧誘ならだめだよ、今日は会議と作業で、先生たち手一杯なんだから」

 振り返ると、四十前後のニイチャンが、スーツ姿で立っていた。

――なんや、こいつは?

――なんだ、こいつは?

 同じ表情が、二人同時に顔に浮かんだ。

 ビックリしたのか、小鳥が飛び立ち、五分咲きの桜の花びらハラハラと舞い落ちた……。



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