第十四話 社長の愛人
そしてまた三ヶ月前。海来と漆原は香西雪愛を尾行する。
ゴロゴロとキャリーバッグを引っ張りながら歩く浮島の旦那と、その横を歩く香西雪愛。駅前ロータリーでタクシーでも乗るのかと思ったら、ここでもタクシーを使わない。
「こんな特に何もない感じの、何の変哲もない市街地に一体何の目的で?」
「さぁねぇ、目立つのを嫌がる詐欺師の習性かもねぇ。でもあれだけ目立たない人も珍しいね。じゃぁ尾行しますか。漆原くんは、私のあとを少し離れて歩いてきてね」
線路に沿った道をあの二人は並んで歩いていく。漆原の言ったとおり、この駅の周辺には特に観光地があるわけでもなく、男女二人の逃避行先といった趣などまるでない。都心から一般電車でたったの一時間。香西雪愛の秘密の花園でもあるのだろうか? あれだけの金持ちだし。
百メートルくらい歩いたところで振り返ると……、あれ? 漆原何処行った? ……と、あいつ何やってんだ? と、駆け足で数十メートルほどバックする。
「こらっ、お前ってやつは」
「だってさ、尾行くらい杏樹さん一人で出来るでしょ?」
「いーから、来い!」
と私は、漆原の腕を引っ張って早足で歩き出す。
「ごめんねー、またどこかであったらよろしくー」と漆原は、その女性に向かって手を降る。……なんて奴だ、ったく。
「君って奴は、目を離した隙にナンパするのか」
「詐欺師にも習性あるかもしれんけど、俺にも習性があるんだよ。可愛い女の子をみすみす見逃すわけには……」
「あー、もういい! 私から離れんなっ」
こいつほんと、マジで見境がない。女は全員俺のものだとでも思ってるのかな? ……それはいいとして、あの二人、一体何処へ行くつもりなんだろう?
と思っていたら、駅から5百メートル程に離れたビジネスホテルに入っていった。
「ビジネスホテル・シェフィールド、か」
何の変哲もない、こじんまりしたビジネスホテル。大浴場付き……くらいしか特色はない。
「まーた、あの二人昼間っからセックスすんのかなぁ?」
「さぁね。私達も入ろうか?、ここ安いみたいだし」
と、漆原の腕を引っ張りつつ、二人してそのホテルの受付へ。フロントに聞いたら、うまい具合に香西雪愛らの隣の部屋は空いていて、その鍵を受け取って支払いを済ませ、511号室の部屋に入る。部屋に入った途端――。
……あん、あああっ、もっと、ああ……
「ゲッ、丸聞こえだ」
漆原と二人、同時に同じ言葉が出た。
「この前のラブホも大したことないけど、ここのビジネスホテルは防音とかまるでないのね」
「うん、俺も声とか聞かれるの恥ずかしくて、ホテルだけは防音のしっかりしてそうないいホテルにすることにしている」
……あああ! もうだめ! 成海さんのものを!……
私はたまらず耳を塞いだ。
「しっかしまぁ、俺の時もそうだったけど、あの女、セリフがやたら強烈なんだよな。演技だとしたらアカデミーAV賞ものだぜ」
「なにー? 漆原くん、なんか言った?」
――と、耳を開けるとあの声が聞こえるのでまた塞ぐ。
「杏樹さーん、これしばらく終わらないみたいだから、俺ちょっとその辺ブラブラして軽くナンパでもしてくるわ」
何を言っているのかはすぐ分かったので、窓のそばにいた私は漆原に手で合図して、外に出かけてもらった。
それにしてもたまらん。しょうがないから、耳栓代わりにスマホにイヤホン繋いで大音量で適当に音楽をかけた。Red Hot Chili Peppers の By The Way が流れる。それでもまだ聞こえる。イヤホンがそんなに遮音性が良くないからなのだろうけど、もう我慢できないと思ってベッドの布団に潜り込んだ。
「どうすっかなぁ。……確かにこれ、しばらく終わらないだろうし、私も小一時間位外に出てようかな。それくらいなら逃げはせんだろう。――よしっ」
ホテルを出て、駅前ロータリーまで来たけど、特になにもない。漆原は見当たらなかった。一応、漆原にLINEして、できるだけ早く戻ってくるように言っておいた。一応これは張り込みだし、一人では少々不安だったから。
特に何もすることがないので、三島に電話して、仕事の簡単な話をするも、すぐに終わる。することがないなぁと、駅前ロータリーのコンビニに入り、イートインでコーヒーを啜りつつ、ぽけーっとスマホで時間つぶし。そして三十分ほどすると――。ん? あれは……。
コンビニのウィンドウから見える駅前ロータリーに、1台の黒塗りワンボックスカーが停まった。そこから三人ほどの柄のでかい男が降りてきた。どうも、なんかヤクザっぽい格好で、あたりは禁煙指定区域なのに構わずタバコをプカプカ。直ぐ傍には交番もあるというのに……。
その一人が、私の今いるコンビニに入ってくると、「よう、ねーちゃん、すまんけどトイレ借りるでー」と、関西弁丸出しで店員に告げるとそのままトイレに入っていった。外を見ると、ワンボックスカーの近くで残った二人がウンコ座りで、なんだか下品でガラの悪い笑い方をしたりして、せっせとタバコを吸っている。
そして、トイレに入っていたその男たちの一人が車の方に戻ると、三人とも乗車。そして車が動き始めた――。どうも何故だか気になる、あの車。私はコンビニから出ると、ホテルに戻る線路沿いの道を歩き始めた。すると、あの車が私を追い越してホテルの真ん前に停車した。
――えっ? ど、どういうこと?
驚いて、私は電柱に隠れ、その様子を窺った。なんと、あの香西雪愛がホテルから出てきて、その車に駆け寄ったのである。そして、そのまま雪愛はその車に乗り込むと、三人のあのヤクザ風の男が車から降り、ホテルに入っていく。事態が飲み込めない……。しかし、これ浮島の旦那、やばいんじゃないか?
そう思って、その黒いワンボックスカーの中にいるであろう香西雪愛に気付かれないように姿勢を低くして近づき、そのままホテルに入った。そして、511号室に戻ると――。
「おらぁ! 浮島はん! 舐めとったら承知せんぞ!」
と、ものすごいドスの利いたまさにヤクザそのもの強烈な脅し声が隣のこちらの部屋にも響き渡る。
「ああ? 何とぼけとんねん? おっさん。ちゃんと言え!」
「……、……」
ヤクザの声は聞こえても、浮島の旦那が何を喋っているのかがわからないので、急いで持ってきていた探偵用道具鞄の中からコンクリートマイクを取り出して壁にセット、そのイヤホンを耳に――。
「おどれ、知ってたやろ?」
「いい、いえ、ぜ、全然そんな、し、知らなかったです」
「うそこけ! どアホが! どない責任取るんじゃ! ボケ!」
これはもしかして、
「あのなー、おっさん、あの人が誰の女や思うとったんや!?」
「い……いや、あの、誰のって、……そんな、私は別に」
「ああっ!? はっきり言えや!」
「だ、だからその、……し、知らなかった、です」
「知らんわけあらへんやろが! オドレの会社の社長の愛人やろが!」
ええ? マジで? 自分とこの会社の社長の愛人? それどういうこと?
「いや、あの……わたしはただ、だからその……、なんていうか」
「だからもへったくれもあるか! 知ってたんやろが!? 違うんか!」
「だって、……か、彼女が私に……、助けてくれって」
一体何の話をしているんだ?
「杏樹さん、戻ったけど……、何してんの?」
「シッ、漆原くんはちょっと待ってて」
しかし、漆原もそのヤクザ風の強烈な怒鳴り声に体をビクつかせて目が点になっている。
「ちゃんと説明したれや! 浮島はん!」
「だ、だからその、最初は全然、彼女が社長の愛人だなんて知らなくて、近付いてきたのも彼女の方だし……」
「なんでやねん! おどれみたいな腹の出た
いや、待て。それは違う気がする。ちょっと身辺調査して浮島の旦那のことは知ってるけど、浮島成海は親からの遺産相続で結構な大金を持っている。香西雪愛が女詐欺師かもと漆原から聞いて、それを狙ったんだと思ってたし――。
「いやだから、その……、し、知ったのはちょっと経ってからの話で」
「知っとったんやないけ! 嘘ついとったらどつき回すど!」
「だから、わ、私は別に、社長の愛人を奪ったとか、そ、そんなんじゃありません!」
「なんでやねん! 分かったら離れるのが道理やろが! お前んとこの社長の愛人やぞ! 社長とうちの組長は
あー、そういう話か。つまりは社長の愛人だった香西雪愛が、浮島成海と浮気、……浮気っつーのこれ? ともかく浮気がバレてそれでその昵懇の組の人ががここに。ということは、……え? 美人局とかとも違うわけ? ……でも、さっき普通にワンボックスカーに、雪愛、乗り込んでたよね?
「す、すみません。も、も、……申し訳ございません」
「謝って済むんやったら、警察いらんのじゃ! 責任取れ! ちゅーとんじゃ!」
「ででで、でも、せせせ、責任って、どどど、どうすれば? も、もう私は、雪愛さんには近づきません!」
「小学生みたいなこと言うとったら、おっさん、いてまうぞ! どないすんねん! 大人として!」
すると、少しの間、その隣の部屋は静まり返って、何かゴソゴソ音がするだけ。そして……。
「……じゃああの、こここ、……これで」
「はぁ? たったこんだけかい! たったの20万でケリつけろっちゅーんか!」
「だだ、だって、そそそ、それが今の私の全財産です!」
「この期に及んでまだ嘘つく気か! 全部わかっとんねん! 雪愛はんにちゃんと聞いてんのや!」
「え?」
あっ! 分かった! そういうことか! 確か浮島の旦那の会社って――。
「はよ出さんかい! ワレ! ここに持ってきてんねやろ!?」
「い、いや、だって……、あれは」
「あれはもへったくれもあるか! お前をここで縛って、こっちで探してもええねんぞ!」
「わ、わかりました! こここ、ここには、ありません!」
「ほんじゃ、どこにあんねん!?」
「い、今から、ご、ご案内します!」
ほほー、浮島成海の旦那、やるじゃん。まだあれを渡してなくって、しっかり何処かに隠してるんだ――。
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