第94話 鋼の信念



 東京湾沿岸。

 上半身を消し飛ばされた大嶽丸おおたけまるに突如天から光の柱が降り立ったかと思えば、その姿は瞬く間に変容を遂げた。

  

 でっぷりとした大柄な体格だった彼の姿は、圧縮されたかのようにスマートな美丈夫へと変貌を遂げた。

 血に塗れたような濡れ髪からは牛のような野太い二本の角ではなく、鋭い刃のような漆黒の角が四本覗く。

 結膜白目が黒、角膜黒目が血のような赤色だった眼には金色が混じる。


「ガハハハハハハハハハハッッッッ!!!! 貴様との殺し合いが楽しみすぎて黄泉よみの彼方より舞い戻ってきたぞ。さぁ、さぁさぁさぁ!! 今一度死合しあおう!! 血湧ちわ肉躍にくおどる狂乱のいくさを存分にたのしもうぞ!!」


 大嶽丸は胸の内から湧く抑えきれぬ衝動がままに、世界へとその歓喜を轟かせる。

 大気はまるで、彼のよろこびを表すかのように稲光を瞬かせ、嵐を巻き起こす。

 大地はまるで、彼の高揚して高鳴る鼓動を表すかのように断続的な地震を発生させる。

 そして、主人のよろこびに呼応するかのように、その右手に握られた顕明蓮けんみょうれんが紅く脈動する。


「一度で気が済まぬのなら何度でもその身に刻み込んでやろう。戦いをたのしむような輩に、俺の信念を折ることはできぬということを」


 クラウスは拳を握り込む。

 常在戦場たる彼に臨戦態勢などない。

 勝負は既に始まっている。


 音を置き去りにして、両雄は激突する。

 千里の彼方まで斬り裂く顕明蓮けんみょうれんとクラウスの拳がぶつかり、凄まじい衝撃波が東京湾に荒波を立てる。


 しかし、両者共に手数は両腕だけではない。

 

 次いで、大嶽丸が巻き起こした四本の竜巻が龍となって襲い掛かる。

 クラウスはそれに対して、六本腕の岩石巨人を作り出す。

 四本腕で竜巻を抑え込み、残る二本の腕をハンマーのように大嶽丸へ振り下ろす。


 だが、大嶽丸は巨岩の一撃を左腕一本で受けきってみせた。

 最強の鬼にして、今や神の力さえも得た彼にとってこの程度の巨岩は軽石でしかない。


「ぬるいわ!!」


 咆哮によって衝撃波を生み出し、六本腕の岩石巨人を粉砕する。

 されど、共に喰らったクラウスはびくともしない。

 まるで大地そのものかのような不動明王たる彼は、地震エネルギーを纏った拳で大嶽丸の頬を打ち抜く。


 先の大嶽丸の上半身を抉り飛ばした一撃と同等のものを浴びて尚、大嶽丸は笑みを浮かべる。


 ダメージは通っている。

 神の力を得たとはいえ、それは神の真体を獲得した訳ではない。

 あくまでその内に宿る力を授けられただけのこと。

 ならば、ダメージは通って当然だ。

 神と人を隔てる次元の壁は存在しないのだから。

 けれど、神の真体であったとしても傷をつけられるクラウスの一撃でさえも耐え抜く程に、大嶽丸の身体強度は爆発的に上昇していたのだ。


「今度は我の番だ!」


 クラウスの拳を耐え抜いた大嶽丸は顕明蓮けんみょうれんを己の内へ仕舞い込み、渾身の力で彼の顔面を殴りつける。

 

 避けようと思えば避けることもできた。

 しかし、悦楽に塗れた拳から逃げる事は彼の信念が許さなかった。

 真正面から大嶽丸の拳を耐え抜いた彼は、再び大嶽丸を殴りつける。


 そこからは互いに渾身の殴り合いだ。

 両雄の殴り合いの余波だけで周囲は荒れ果ててゆく。

 東京湾が荒波を立て、大気は荒れ狂う。

 コンテナは紙屑同然に吹き飛んでゆき、クレーンは地響きだけで崩れ落ちる。


 路地裏の喧嘩のような泥臭い殴り合いが、天災を巻き起こす規模で繰り広げられる両雄の戦いは長くは続かなかった。


 先に音を上げたのは大嶽丸だ。

 一撃で日本全土を揺るがすような馬鹿げたエネルギーを圧縮した拳が数十発。

 幾ら神の力を授けられたとはいえ、同じく神に等しい力を振るう彼を相手にするには分が悪かった。

 耐えきれなくなった大嶽丸は派手な音を立てて背後へ吹き飛んでいく。


 しかし、クラウスも無事という訳ではない。

 大嶽丸は怪力無双の鬼。

 そこに神の力が加わっているのだから、弱いわけがない。

 口内に溜まった血を吐き出し、口端を手の甲で拭う。

 

「ガ、ハハハ。……あぁ、強いな。訂正しよう。これほどの強者にまみえたのは我が主人あるじ以来よ」

主人あるじ……。何かしらの契約によって取引しているものと思っていたが、そうではないのか?」


 大嶽丸はたった一人で世界を揺るがすレート7クラスの怪物だ。

 クラウス・バゼットというレート7でも最上位に位置する怪物中の怪物が相手であったが故に、劣勢を強いられているが、本来ならば容易には太刀打ちできない存在だ。

 それはクラウスとて重々承知している。

 

 だからこそ、彼は契約によって従っているのだと考えていた。


「まさか。我らはただ、負けただけさ」


 大嶽丸は傷む身体に鞭を打ち、立ち上がる。

 これより語るは、表層世界の裏側。

 神秘の時代が終わりを迎え、深層世界へとその居所いどころを移した神代の存在に起こった世紀の大事件。


「我ら八体の厄災の多くは、神秘の時代が終わりを迎え、星の記憶アカシックレコードへと居所を移していた」


 突如現れた魔獣アンリマユによって引き起こされた巨神大戦ティタノマキア神々の黄昏ラグナロクと称される各神話体系に巻き起こった終末。

 それらを契機として、神秘は衰退の一途を辿り、魔獣アエーシュマの神秘狩りによって表層世界の神秘はそのほとんどが根絶され、深層世界へと追いやられた。

 

 だが、追いやられた先の星の記憶アカシックレコードは、神秘に生きる者にとって楽園であった。

 どれだけ暴れようが、世界は壊れず、いさめるものもいない。

 神々が暴れた程度で壊れるほど星の記憶アカシックレコードやわではない為、諌める必要がないのだ。


 かと言って平和が保障されていない訳でもない。

 秩序を重んじるものは、秩序を重んじるもの同士で固まって小世界を築いていた。

 そこは、暴力と秩序が調和した理想郷であった。


「だが、ある日一人の人間が次元の壁を穿ち、星の記憶アカシックレコードへと辿り着いた」


 その者は手始めに秩序を重んじる小世界に足を踏み入れ、そのことごとくを食い荒らした。


 神を喰らい、妖精を喰らい、星霊せいれいを喰らった。


 神々が形成していた一つの小世界が丸ごとたった一人の人間に喰らい尽くされたのだ。

 その事態を前に黙っているほど、神秘の存在は大人しくはなかった。

 日本神話、インド神話、ローマ神話、ギリシャ神話、アステカ神話、エジプト神話、メソポタミア神話。

 ありとあらゆる神話体系の神々。

 星の代弁者たる星霊。

 神代の住人たる妖精や妖怪。

 神々の手にさえ追えない神獣たち。


 星の記憶アカシックレコードに存在するほぼ全ての存在が総力を上げた、神話にすら語られたことのない大戦争が勃発した。

 当然、大嶽丸を含めた八体の厄災のうち幾人かもそのいくさに参戦した。

 

「その結果は惨敗。神も星霊も妖精も妖怪も神獣も、その全てを我が主人は喰らい尽くした」


 そうして星の記憶アカシックレコードに存在する全ての神秘が喰らい尽くされると覚悟した時、世界の創造主たる唯一神が重い腰を挙げた。


 唯一神率いる星の記憶アカシックレコード連合軍と侵略者の戦争は長きに渡って繰り広げられた。


 数十年、数百年と繰り広げられた戦争だったが、終わりは呆気ないものだった。


「唯一神には勝てないことを悟った主人あるじは、めぼしい存在を支配下に置いて星の記憶アカシックレコードを後にした」

 

 実力で言えば勝てる可能性もあった。

 しかし、唯一神に勝ってしまえば最高神の位が己に移譲されてしまうことを戦う中で悟った。

 それは彼の計画に支障をきたしてしまう為、星の記憶アカシックレコードからの離脱を決意したのだ。


 それに、用事は既に済んでいた。

 彼の狙いは星の記憶アカシックレコードに存在する神々を喰らい、力をつけること。

 帰り際に大嶽丸を始めとした手駒という土産まで得られたのだから、勝利と言って差し支えないだろう。


「だからこそ、我らは逆らえない。この身に呪符を埋め込まれているから、主人の意に沿わない行動を取ることができないのさ」


 そう述べる大嶽丸の表情に悲壮なものは欠片もなかった。

 そこにあるのは、悦楽のみ。


「厄災の中にはそのことで不平不満を抱く奴もいるのかもしれんが、我は大満足だ。あれほどの大戦争をたのしめただけでなく、今こうして神に匹敵する強者と合間見あいまみえることができているのだからな」


 大嶽丸は強者と戦うことさえできれば文句はない。

 たとえ主人の意に沿わない行動を制限されていようと、力が制限されている訳でもない。

 全力全開の力で強者と殺し合いができるのならば、不満など起こりようはずもない。


「ようし、身体も休まったし、第二ラウンドと洒落込しゃれこもうぜ! 次は顕明蓮けんみょうれんも使う。日本諸共ぶった斬っちまうかもしれねぇが良いよなぁ!? その方が面白ぇもんなぁ!!?」


 悦楽に塗れた大嶽丸は、顕明蓮を大上段から振り下ろす。

 その一太刀は先までの一撃とは異なる。

 全霊が込められた、まさに日本国土そのものをぶった斬る一撃だった。


 だからこそ、クラウスに避けるという選択肢はなかった。

 それは、己の正しいと思ったことを全うするという彼の信念に反する行動だからだ。

 

 恐らく、外界とを隔てる結界でさえも、本気の大嶽丸の斬撃は斬り裂いてしまうだろう。

 故に、彼が避けてしまえば、日本は両断され、射線状にいる多くの人間が死ぬこととなる。


 それは許されないことだ。

 特務課の人間として、人々の平穏を護る者として、許してはならないことだ。


 だからこそ、彼の行動は既に決まっていた。

 全魔力を防御へ回し、狂刃を我が身で受け止める。


「ガハハハハ!! 防ぐ気か!? いいぜ! やってみな!! 世界を斬り裂く我が一撃、耐えてみせろォォォオオオオオオオオオオ!!!!」


 日本列島を両断する斬撃は、寸分の狂いなくクラウスの肩口から脇腹にかけて大きく斬り裂いた。


 血飛沫が舞う。

 その口端からは鮮血が垂れる。


 されど、その背には一切の斬撃はなく。

 大地を体現する英雄は己が身を盾として、大陸さえ両断する災厄を見事受けきって見せた。


「お前では、俺の信念は斬り裂けん」


 そう、静かに告げた不動の英雄は右拳を硬く握りしめる。


 世界すら滅ぼしてみせる莫大な地震エネルギー。

 それを周囲に被害を出さぬよう、ただ一点に収束させた一撃が大嶽丸の頬を打ち抜いた。



   ◇



 ここに、厄災が一つ。

 

 悪鬼闘神あっきとうしんの大嶽丸は破られた。


 残る災厄は、後七つ。


 

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