第6話

「はい?!」俺より先に反応したのはエクだった。「何を急に仰るんですか、貴方は!?そんな事を急に言われても困ります。私は他人の面倒を見れるほどの余裕は……」

「すまんな。訳あって、儂が直接面倒を見てやる訳にはいかんのでな」カジモドはエクの言葉を途中で遮って言った。「もちろん無償でとは言わん。お前には、今よりもっと割の良い仕事を斡旋する様にギルドに口利きしてやる。エク、お前、腕前の割にはつまらない仕事ばかりさせられてるそうだな。ゴブリン狩りなんぞその最たるものだ。お前がケンの面倒を見てくれると言うのなら……端的に言えば、お前に躍進のチャンスをやる。獣人のお前にとっては、またと無い機会だろう?」随分上から目線の頼み方だな、こんな頼み方でOKする人なんているのか……と思ってエクの方を見ると、彼女は意外にもカジモドの提案を真剣に検討している様だった。耳と尻尾がひょこひょこ動くので本当にわかりやすい。

 俺は……俺は、どうしたいんだ?そんな疑問が、ふと心の中によぎった。エクは自分の事を、冒険者と言った。その仕事の内容を詳しくは聞いていないが、モンスター狩りなんてやるくらいだ、危険を伴う仕事なのは間違い無さそうだ。彼女の元に行けば、日本での平和な暮らしからは想像もつかない苦難が待ち受けている事だろう。それに比べれば、例え悪臭は酷くても、身寄りがいなくても、このグゼの街で何とか仕事を見つけて暮らす事を考えた方がまだ良いんじゃないか?俺の理性はそう告げていた。それは正しいと思う。しかし……俺の本能はその考えを否定していた。俺は、正直、本音ではエクと離れたくは無かった。こんな気持ちは初めてだった。

「エク……」彼女の真っ赤な目を真っ直ぐに見つめて、俺は言った。「俺を連れてってください。お願いします」

「お、お前……!」一瞬、エクは全身をブルッと震わせたかと思うと、全身の毛を逆立たせた。彼女の瞳孔は最大限に開いていた。視線も落ち着かなく、あっちを見たりこっちを見たりしてる……明らかに狼狽えてる様だ。もしかして、今の頼み方はちょっと直球どストレート過ぎたかな……そう思うと、何だかこっちまで恥ずかしくなって来た。

「クソ!わかった!わかったよ!」エクは叫んだ。「カジモド様、さっきの話、信じて宜しいんですね」

「二言は無い」老人は大きくうなずいた。

「ありがとうございます!」俺は思わず笑みがこぼれた。

「その喋り方、止めろ!」エクは左手で頭を掻きむしりながら言った。「お前のその喋り方、変によそよそしいと言うか、仰々しいと言うか、堅苦しいぞ。なんて言うか、つまり……もっと普通に喋れ!」

「わかりまし……いや、わかった」俺はエクに右手を差し出した。「これから宜しく頼む、エク」

彼女は、項垂れながらも俺の握手に答えてくれた。その時、俺は初めて彼女の身体に触れた。体毛はサラサラしていて、肉球は柔らかかった。その経験の無い感覚に、俺は心がときめくのを感じた。




そこから先はとんとん拍子だった。俺のグゼの森でのやらかしもカジモド老人が処理を引き受けてくれる事となった。それだけでも有難い事この上ないのに、その上彼は俺に魔法の教科書までプレゼントしてくれた。老人曰く、この本は全ての魔法使い志望者が最初に読む入門書の様なもので、まずはこの本の内容を丸暗記するくらい読みまくって、そして実践してみるのが何より大事らしい。不思議な事に、その本は魔法の素養の無い人間には読めないが、逆にその素養さえあれば母国語にかかわらず内容を理解できるらしい。実際俺も、試しに数ページをパラパラと流し読みしてみたが、明らかに日本語とは違う言語で書かれているにもかかわらず何故か内容は理解出来た。

それにしてもあの老人、こんなに良くしてもらっといて何だが、正直胡散臭過ぎる。ただの親切にしては明らかにサービス過剰だし、そもそも自分の正体も俺をエクに押し付けた理由も隠してやがる。何か裏があるのは間違いなさそうだ。

俺たちが街についてから二日後、グゼの町では週一回の市場が開かれた。そこで次の仕事に必要な用品や俺の装備を買い揃えるために、俺はエクと一緒に市場を回ることになった。市場には、この街に最初に来た時からは想像もつかないほどの人で溢れていた。その時に俺は、カジモドについての疑問をエクにぶつけてみた。

「もちろん私だって、あの老人の事は胡散臭いと思っている」エクはあっさり認めた。

「じゃあ何でこの話を引き受けたのさ?」

「私にとって千載一遇のチャンスというのは事実だからな」

「あぁ……獣人にはあまり良い仕事が回されない、って事?」カジモドが『獣人のお前にとっては、またと無い機会』と言ってたのを思い出した。

「そうだ」エクは食料品を物色しながら言った。「あの老人がどういうつもりだろうが、これが私にとってのチャンスなら、私はそれに乗るだけだ」

「そっか……」それがエクの本心なら、俺もまたエクの向上心のための道具に過ぎないのかな……?そう思うと、少し寂しい気がした。

「ここでお前の装備を買うぞ」ある店の前でエクが立ち止まった。

「装備?」

「そうだ。冒険者として旅に出るなら、ちゃんとそれなりの格好をしとかないとな。いつまでもその妙ちくりんな服を着てるわけにもいかない」妙ちくりん……まぁ確かに、こっちの世界では俺の格好は浮いてるけどね……。

 俺は、エクに言われるままに装備を購入した。枯草色のチュニック、白いタイツ、若草色のマント、革の帽子に革のブーツ。左腕には革と金属板を合わせた籠手。腰には刃渡り六十センチ程の剣。刃がやや肉厚になっており、鉈や斧の代わりにもなる優れものだ。もちろん高級品を買うわけにはいかなかったけど、服が変わると気分も変わる。初めて制服に袖を通す学生の様なものだ。俺の中に、自分はこの世界で冒険者としてやっていくんだという実感が湧いて来た。

「馬子にも衣裳だな」装備を着込んだ俺を見て、エクはうなずいて言った。「何事もまずは格好からだ」

「ちょっと不思議な気分だな」

「時期に慣れる。ま、私も引き受けたからには、お前が一人前の冒険者になるまでは責任は持つつもりだ。お前も頑張れよ」

「……わかった」




 もう、後戻りは出来なかった。エクが俺の事をどう思っているのかはわからないが、俺は一日も早く冒険者として一人前になり、彼女の力になりたいと思った。そのためには、まずは魔法だ。自分の内に目覚めた力を、しっかりと使いこなせるようにならなければ。前の世界に戻りたい気持ちももちろんあったが、その方法すらわからない以上、今は目の前の困難に立ち向かっていきたいと感じた。俺は、見た事も無い異世界での冒険に、心を震わせていた。

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