第3話

俺の目には、ゴブリンなんて言う存在の姿は全然見えなかった。彼女はどうしてその存在を感じ取れたのだろう。やっぱり獣人は、俺たち『普通の』人間よりも耳や鼻が利くのだろうか?それとも、長年のカンという奴だろうか……彼女がどれくらいこの仕事をやってるのかは知らないけど。とにかく、彼女が俺を驚かせようと嘘を言っている様には思えなかった。そんな事をするメリットも無いし、彼女の緊張感は本物だ。だから、例えその姿は見えずとも、事実俺達は囲まれているのだろう……ゴブリンとやらに。

「木の幹を背にして立ってろ。そこから動くな」どうやら彼女は、見ず知らずの俺を護って戦ってくれるようだった。この子は無愛想な様で根はホントに心優しい。この異世界?に来て最初に出会ったのが彼女で本当に良かった。地獄で仏とはまさにこの事。俺は心の中で感動の涙を流しながら、彼女の言う通りにした。

俺の感動を知ってか知らずか、獣人は完全に戦闘モードに入っていた。弓に矢をつがえ、右手指を弓弦に軽く引っ掛け、何時でも弓が引ける体勢で俺の目の前に立った。耳はレーダーの様に絶えず動き、周囲360°を警戒していた。そういう仕草は実に犬っぽかった。まさしく獣の超感覚で敵の位置を探ってるのだろう。俺も息を凝らして事の成り行きを見守っていたが、そのゴブリンとらやは一向に姿を見せない。周囲には木の葉の落ちる音も聞こえない。自分の心臓の音さえ聞こえそうな静寂が辺りを支配していた。果たして本当にそんな奴がいるのだろうか?彼女の勘違いじゃなくて?そんな疑問とも期待ともつかぬ感情が俺の心の中に沸いた。

「あの……」俺が静寂に耐え切れずに声を出したまさにその瞬間……それは一斉に襲いかかって来た!

俺は声にならない声をあげた。この状況で冷静でいられるほど、俺は肝が座った人間じゃ無い。何しろ、俺が目視出来ただけでも十匹程の数のバケモノ――背丈は1メートル位、不健康そうに薄汚れた茶褐色の皮膚、耳まで裂けた口唇、ラフレシアの花弁の様なおぞましい赤色の目――が四方八方からこちら目掛けて飛びかかって来たのだ!こんな奴らがこれだけの数、優しい獣人さん一人(一匹?)で勝てるのかよ?!と俺が疑問を感じても、それを責められる人はいないはずだ。

だがしかし、彼女は実際強かった!敵襲を認めるや否や彼女は弓を引き絞り、続け様に四発の矢を連射した。それらは見事にゴブリン共の脳天に直撃!地に倒れるバケモノ。残りは怯む様子も無く彼女に襲いかかる。接近され麗しの獣人はあわやゴブリンの牙にかかり……と思われた次の瞬間、彼女は腰の剣を抜き放つ!薄暗い森で、刀身が白く輝いたかと思うと、彼女は勝新太郎演じる座頭市を思わせる目にも止まらぬ早業で敵を切り伏せた。五匹のゴブリンが、その醜悪さに似つかわしくない鮮血を吹き出しながら力尽きる。残り一匹……!いや、コイツは初めから彼女を狙ってはいない。ターゲットは……俺だ!なんで?!

「……チッ!」彼女の真紅の目がキラリと輝いた。

「うわあぁぁぁぁぁあ!!!」俺は実に情けない悲鳴をあげて、必死に身を守ろうとした。

その時、俺の身体の中に、それまで感じた事も無い不思議な力が溢れて来るのを感じた。

人間、死ぬ様な出来事に巻き込まれると時間の流れがゆっくりに感じると言うが、今の俺はまさにその状態だ。全てがスローモーションの様に見えた。弓と剣を持った美しい獣人の女性、醜くおぞましいバケモノ、森の木々、微かな木漏れ日、大地を潤す鮮血……。それらは、一つの芸術的な絵画の様に不思議な調和を成していた。全てが非現実的な感覚の中で、俺の中に込み上げて来るエネルギーを持った何かだけが確かな実感を持って感じられた。その何かは、静止した世界の中で唯一の動的な存在だった。自分の身体が充電池にでもなった様な気分だった。止まった時の中で、その得体の知れないエネルギーは俺の身体の中にどんどん溜まってゆき……やがて暴発した。

「魔法?!」獣人の驚きの声が聞こえた。そこから先の出来事は、俺にはますます理解不能だった。自分でやってる事だという実感はあったが、自分が何をやっているのかは全くわからなかった。わからなかったが、俺の身体から『光』がほとばしったのだ。『光』としか言いようが無い。赤い様な青い様な、虹色とも見えるし無色透明の様でもある、得体の知れない『光』が俺の身体から放たれ、目の前のゴブリンに突き刺さった。しかもその『光』を通じて、ゴブリンの肉体を貫き抉る感覚が、手で触れる様に伝わって来た。生暖かい肉の感覚……硬い骨の感触……ブヨブヨした内臓の感触……。

「ぐええぇぇぇぇぇえ!!!」そこから先はただただパニックだった。俺が混乱すればするほど、俺の身体から発せられた『光』は狂った様に辺りを破壊した。その感覚が俺に伝わる、それで俺はますます混乱する、『光』が飛び散る……まぁ要するに、完全に悪循環。『光』は周りの木々をなぎ倒し、苔に覆われた土をほじくり返した。どうやらまだ周囲に潜伏していたらしいゴブリン共も『光』に巻き込まれ、次々と肉片に変わっていった。そんな地獄絵図は、俺がその異常感覚に耐えきれずに失神するまで続いた……。




「――おい――」

 どこからともなく、懐かしい女性の声が微かに聞こえた気がした。俺は一体どうなったんだろう?何か大変な事をしでかした様な気がするけど……。

「――おい!起きろ!!!」

「はい!」予想外にデカい声で怒鳴られて、俺はハッと目が覚めた。その途端、周囲の惨状が目に入った。これは酷い。自分達のいる所を中心に半径およそ二三十メートル位の空間は、完全に破壊され尽くしていた。さっきまで薄暗い森の中だったのに、今では青空が良く見える。そしてさらに周りを観察すると……あるわあるわ、ゴブリンの死体、死体、死体。その数二十匹位か?俺は全然気付かなかったけど、アイツらこんなに沢山潜んでやがった。まるでゴキブリだな。何が起きたのかにさっぱりわからない。ただ、どうやらゴブリン撃退は一応成功したのかな。そう考えると、一時はどうなるかと思ったけど、とりあえずは『結果良ければ全て良し』という事に……。

「なんて事してんだ!お前はーっ!!!」どうやら、そうは問屋が卸さない様だ。何か彼女、メッチャ怒ってる。

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