第12話 水魔法刀殺法・人魚姫

 不思議の国には爆心湾と呼ばれる場所があります。

 雲の上からそれを見下ろせば、東西の伸びる海岸線の一部が不自然なほど綺麗にくり抜かれているのが分かるでしょう。

 それもそのはず、ここは自然にできた地形ではないのです。

 ここもまた、神代の武闘姫プリンセスたちが戦ったことで生まれたのです。

 

 伝承によれば、真夜中を昼にしてしまうほどの巨大な火の玉が生まれ、それが大地を削り取ったことで爆心湾が生まれたとされます。

 当時の武闘姫プリンセスは神に匹敵する力を持っていました。しかし、それが不遜なものとみなされ、人は神に見捨てられたとも言われています。

 

 さて、現在の爆心湾にはハンスという町があります。ここには友好国から沢山の船が訪れ、貿易の拠点として国一番の港町となっています。

 他国でしか手に入らない、あるいは不思議の国でしか手に入らない貴重な品々が取引され、莫大な富を生んでいます。

 

 そしてそれを狙ってか、ハンスの街につながる航路には海賊が頻繁に出没するようになりました。

 それに対し不思議の国の女王は、海軍を派遣して航路を守ろうとしました。

 

「絶対に逃がすな! 全速前進!」


 その日、五隻もの船を持つ大海賊団が貿易船に襲いかかりました。

 貿易船は必死に逃げますが、海賊たちの船はその何倍もの速度です。この海賊団は魔法を使えるものが多く、彼らは風の魔法を帆に当てて海賊船を加速させていたのです。

 

「お頭! 不思議の国の海軍がきやしたぜ。9時の方向!」


 先頭の海賊船にいるお頭は部下から受け取った望遠鏡を覗き込みます。


「たかが一隻じゃねえか。ビビるこたあねえ! こっちのほうが数は多い」


 その時、ドーンという音とがなったかと思うと、最後尾にいた海賊船が沈没してしまいました。

 

「なんだ! 何があった!」


 今度は何が起こったのかはっきりと分かりました。海の中から巨大な水の刃が現れて、海賊船を真っ二つに切り裂いたのです!

 

「噂はほんとうだったんだ!」


 一人の海賊が、海の藻屑となった仲間の海賊船を見て叫びます。

 

「人魚姫だ! あの無敵の海兵が現れたんだ!」

「馬鹿言うんじゃねえ!」


 お頭は怯えた海賊を怒鳴りつけます。

 

「人魚はおとぎ話なんだよ。アイツは泳ぎが上手いから人魚姫と呼ばれてるけだ」


 お頭は部下たちを落ち着かせるようとしますが、三隻目が沈むと、海賊たちに生まれた恐怖は止められなくなってしまいました。


「海になにかいるぞ!」

「人魚姫だ! 人魚姫があそこに!」

「もうおしまいだあ!」


 更にもう一隻、海賊船が巨大な水の刃で引き裂かれます。

 あとはもうお頭が乗っている最後の一隻を残すのみとなった。

 

「人魚姫! 俺と勝負しろ!」


 お頭は叫び、一騎打ちを求めます。

 彼は何も破れかぶれでそうしたのではありません。常人が武闘姫プリンセスにかなわないことはよく分かっています。

 お頭には秘策がありました、それは彼の懐に隠されています。

 

 それは神代に作られた武器で、光線を発射します。

 いくら超人である武闘姫プリンセスでも、光より早くは動けません。

 不意打ちで光線を当てれば、武闘姫プリンセスを倒せる。それが彼の称賛でした。


「早く出てこい! 海に隠れている臆病者め! 俺に負けるのが怖……うぎゃー!」

 

 その時、何者かが背後からお頭に襲いかかります。後頭部を殴りつけて甲板に倒し、あっという間にロープで縛り上げます。

 その人物は海兵セーラー服型の武闘礼装ドレスをまとった武闘姫プリンセスでした。

 

 彼女の肌は船上生活で小麦色に焼け、貴族令嬢のような華やかさな美しさはありませんが、野性味に溢れた力強い魅力があります。

 彼女の両足は人間のものです。お頭が言ったとおり、彼女は私達と同じ人間です。


「後ろから襲いかかるなんて卑怯だぞ、人魚姫! 武闘姫プリンセスの誇りはないのか」

「海賊のくせに誇りがどうとか言ってんじゃねーよ」


 人魚姫は呆れたようにいいます。

 

「だいたい、アタシはお高く止まった騎士様じゃない。誇り? クソくらえだね。アタシは海兵だ。命令を果たすことが一番大事だ」


 人魚姫は現実主義者でした。彼女にとって武闘姫プリンセスの力はあくまで海で戦う兵士としての武器の一つでしか無いのです。

 

「お、俺をどうするつもりだ」

「テメーには聞くことがある。他にも仲間はいるのかとか、アジトの場所とか、まあいろいろな。アタシは尋問の専門家じゃないんで、そのあたりは別のやつがやってくれるさ」


 やがて人魚姫が乗ってきた海軍の船が海賊船に横付けします。

 人魚姫はお頭を海軍の船へ連行し、船内の牢屋に閉じ込めます。

 

「これがテメーの人生最後の船旅だ。せいぜい楽しみな」

「畜生め!」


 お頭は悔しそうに床を殴りました。

 


 それから数日後、ハンスの街に戻ってきた人魚姫は、仲間たち共に今回の勝利を、行きつけの酒場で祝いました。


「我らが人魚姫の勝利に乾杯!」


 荒くれ者の海兵たちの乾杯はまるでジョッキをぶつけ合うようです。

 

「人魚姫と呼ぶのは勘弁してくれって言ってるだろ。アタシは人魚じゃないんだぞ」


 彼女の本当の名前は別にありますが、いつの間にか人魚姫と呼ばれるようになていました。

 

「良いじゃないか。お前は水の魔法の達人で、まるで人魚みたいに泳ぎ、何より武闘姫プリンセスじゃないか」

「だとしてもさ他に呼びようがあるだろ」


 人魚姫は自分の呼び名に居心地の悪さを感じていました。


「伝説にある人魚はすごいベッピンって話じゃないか。アタシのガラじゃないよ」

「何いってんだよ、俺たち全員がお前をいい女だと思ってるぜ。伝説の人魚と比べたって負けてない」

「はいはい」


 酔っ払っていい加減なことを言っていると思った人魚姫は、仲間の言葉を軽く受け流しました。

 

「あ、信じてないな。じゃあ証拠を見せてやる」


 彼はおもむろに立ち上がると、酒場にいる仲間たちに聞こえるよう声を張り上げました。

 

「みんな! 人魚姫と腕相撲して勝ったやつが彼女と結婚するってのはどうだ!」


 一瞬の静寂。直後に大歓声が湧き上がりました。

 

「よっしゃやるぜ!」

「人魚姫を嫁にするのは俺だ!」

「勝負するやつは順番に並べ!」


 そして海兵の全員が人魚姫と勝負するために列を作りました。


「船長まで!? なにやってんだ」


 列の中に自分の船長の姿を見た人魚姫は驚きます

 

「俺もいい年だ。そろそろ所帯を持とうと思っていたところだ」


 船長はダンディな(本人がそう思っているだけです)笑みを浮かべました。

 

「言っとくけど、アタシは誰かの女房になるつもりなんか無いからね!」


 人魚姫は挑んできた男たち全員を、武闘姫プリンセスに変身せず倒しました。もちろん、船長が相手でも返り討ちにします。

 

「はっはー! 勝ったぞ!」

「チキショー!」


 負けた海兵たちはみんな悔しがります。中には(船長など)本気で泣き出すものもいました。

 

「泣くな泣くな。男だろ。ほら、一曲歌ってやるからそれで我慢しろ」

「いよ、待ってました!」


 意外にも人魚姫は歌が得意でした。今日のように気分が乗ってくると、こうして歌を披露することがあります。

 彼女の歌は、劇場の歌姫のような美しく芸術的なものではありませんが、しかし聞くものを元気にする力がありました。

 


 ある日のことです。人魚姫が所属する船が交易海路の巡回をしていると、木片にしがみついて漂流している男を見つけました。

 

「待ってろ! 今助ける」


 人魚姫は男を見るとすぐさま海に飛び込んで助け出しました。

 

「助けていただき、ありがとうございます」

「アンタ、どこのもんだ?」

「ミラジュで商人をしているジョンといいます。不思議の国と取引するために貿易船に乗っていたのですが、嵐にあって沈没してしまったのです」


 ミラジュとは隣の大陸にある国で、不思議の国の貿易相手でもあります。

 

「ソイツは災難だったな。できればすぐにミラジュに帰してやりたいが、勝手に他所の国の領海に入るわけにもいかない。悪いが、いったんハンスの街に連れて行く」

「ええ。お願いします」


 それから人魚姫たちを乗せた軍艦はハンスの街に帰還しました。

 

「ジョンはこれからどうするんだ?」

「ひとまず故郷の家族に迎えに来てもらうよう手紙を出します」

「その間の生活は? 無一文になったんだろ?」


 ジョンは身一つでかろうじて助かったので、お金やそれに替えられる貴重品は持っていませんでした。

 

「ハンスは活気のある港町です、日雇いの仕事はいくらでもあるでしょう。まあ、金が手に入るまでは野宿でしょうが」

「だったらアタシの家に来い。ハンスはそんなに治安が悪くないとはいえ、流石に野宿は危ない」


 人魚姫はジョンの腕を掴むとそのまま自分の家に連れて帰りました。


「強引な人ですね。ですが、ありがとうございます」


 ジョンは申し訳無さと嬉しさが混ざりあった笑みを浮かべました。


「助けたからにはちゃんと最後まで面倒を見てやる。ちょうど、交易海路の海賊をほぼ全滅させた報酬で一ヶ月くらいの休みはもらっている」


 こうして人魚姫とジョンとの共同生活が始まりました。


「それでは、行ってきます」

「おう、頑張って稼いできな!」


 日雇い仕事に出かけるジョンを人魚姫は元気よく送り出します。

 そしてヘトヘトに疲れて帰ってきたジョンを温かな夕食とともに出迎えます。

 

「お疲れ! あんまり上等なもんじゃないが飯は作っておいたぞ」

「そんな、宿だけでなく夕食まで悪いですよ」

「一人分も二人分も大して変わんないよ。さ、食え食え」


 ジョンは人魚姫が作った料理ととても美味しそうに食べました。そんな彼を見て、人魚姫も作ったかいがあったと少し嬉しくなります。

 

「そういえば、この国では次の女王を決める行事が行われている最中ですね」

「武闘会だな。武闘姫プリンセス同士が戦って一番強いやつが次の女王になる」

「あなたは出場されないのですか? 武闘姫プリンセスでしょう」

「権力に興味はないよ。アタシはどこまで行っても海兵だ。仕事以外に興味はないね」

「歌はどうなんです? 港で働いていると、あなたの歌は素晴らしいと聞くことがよくあります」


 人魚姫はすぐに答えることはできませんでした。そもそも自分にとって歌は何であるのかと彼女はあらためて考えます。

 

「アタシにとって歌は……芸術家連中が言うような、誰かの心に訴えかけるとかそういうことは全然考えていない。なんていうかな、歌いたいから歌うとしか言えないよ。楽しいときに笑うのと同じさ」


 考えてはみましたが、人魚姫は一言で「こうである」と説明できませんでした。


「悪いな、うまく説明できなくてよ」

「いえ、そんな事ないですよ。よろしければ、私にも歌ってくれますか?」

「ああ、いいぜ」


 このとき人魚姫が歌ったのは、子供の頃に覚えたものでした。それは女性が浜辺で恋人に思いを伝えるといった内容です。

 それを歌いながら、幼い頃は自分も素敵な恋に憧れたていたことを思い出します。

 しかし今の彼女は武闘姫プリンセスであり、海兵です。

 歌のように美しい恋など、水平線の向う側にあるような遠い存在。自分にとって無縁のものになっていると、人魚姫が自嘲気味に恋の歌を口にしていました。


「いい歌ですね」


 ジョンはパチパチと拍手しながらいいます。

 

「また聴かせてくれますか、人魚姫」

「ああ、構わないよ。ただし、アタシのことはマリンとよべ。他人が勝手につけた異名じゃなくてな」

「ええ、分かりましたマリン」

 

 誰かのために歌うのも悪くない。人魚姫はそう思いました。

 


 それからまたしばらくして、人魚姫が水の魔法を使った洗濯を庭でしていると、隣に住む奥さんが話しかけてきました。

 

「ハンスの街が誇る女傑もとうとう家庭をもつようになったのね」

「なんだって?」

「あら、誤魔化したってだめよ。ご近所じゃみんな知ってるわ。人魚姫がハンサムな旦那さんを連れてきたって」


 オバさんの言葉に人魚姫は顔を真っ赤にして否定します。

 

「アイツはそんなんじゃないよ。それに明後日には故郷から家族が迎えに来る」

「あら、そうなの。寂しくなるわね」

「……ああ、そうだな」


 元々この休暇は人魚姫が望んだものではなく、国からの褒美として得たものです。それゆえに辞退するわけもいかず、休暇中は退屈な日々になると思っていました。

 でも実際はジョンと暮らすことで、ダラダラと続くかに思われた休暇はあっという間に過ぎていきました。

 そんな日々ももうすぐ終わりです。それはとても寂しいと人魚姫ははっきりと自覚していました。


「マリン、一緒に海へ行きませんか?」


 最後の日にジョンが日雇い仕事を休んで人魚姫を誘いました。

 

「ああ、かまわないぜ」


 二人は町外れにある古い桟橋へと向かいました。ここはハンスの街が成長するにしたがって忘れ去れ、誰にも使われなくなった場所です。

 

「……」

「……」


 二人はしばらく黙って日光で輝く海を眺めていましたが、やがて人魚姫が口を開きます。

 

「本来の仕事をする気になったのか?」


 人魚姫の言葉にジョンはかすかに驚きます。

 

「俺が暗殺者だと、いつから気づいた」


 ジョンから穏やか好青年の気配が消え去りました。


「一緒に暮らし始めてしばらくしてからだ。商人にしては元から体を鍛えているし、足の運びも不自然なくらいに音がしない。時々、かすかな殺気も感じていた。だから、アタシを殺すために漂流者を装って近づいてきたと分かった」


 ジョンは諦観したように空を見上げます。

 

「俺はしょせん二流止まりか。けど、分かっているならどうして今まで放っておいた」

「対処するのは本性を見せた時でも問題ない」


 人魚姫は水の魔法で作った舶刀カットラスを突きつけます。


「アタシの暗殺を依頼したのは誰だ。海賊か? それともどこかの国か?」

「教えるわけ無いだろう」

「そうかよ、だったらこのまま失せな。ただのジョンとして帰るのなら見逃してやる」

「それはできない。暗殺者は卑しい仕事だが、果たすべき責任がある。そうだろ、”人魚姫”」


 もはや戦いは不可避でした。

 

「ブルース!」


 ジョンが叫ぶと、海から巨大な影が飛び出して人魚姫に襲いかかります!

 人魚姫はとっさに海へ飛び込んで奇襲を避けました。

 水中の中で人魚姫は襲ってきた影の正体を見ます。

 

(あれはブレードヘッドシャーク!)


 それは頭の両側から鋭い刃が飛び出している恐ろしいサメの魔物です。空の魔物で最も強いがドラゴンであるならば、海の魔物はサメなのです!

 

「やれ! ブルース!」


 ジョンの言葉に従い、ブレードヘッドシャークが人魚姫に攻撃してきます。


(こんな凶暴な魔物を手なづけているってのか!)


 古くから魔物を使役して戦いに利用するというのはよく行われていました。しかし、魔物が強ければ強いほど、凶暴なら凶暴なほど操るのは困難となり、多くの魔物使いが魔物たちに殺されていきました。

 ましてやブレードヘッドシャークはときに武闘姫プリンセスですら倒してしまうほどの魔物です。それを手なづけた者など伝説の中ですら存在しません。

 

 ジョンは暗殺者としては二流かも知れません.

 しかし魔物使いとしては一流の中の一流!

 未来永劫、歴史にその名を残してもおかしくない才能を持っていたのです!

 

(だけど、負けてやるつもりはない!)


 人魚姫の武闘礼装ドレスが変形し、彼女の足を包み込むと魚ような形になります。

 魚の形になった下半身を力強く動かして人魚姫は泳ぎます。

 その速さといったら! いくら海の魔物といえどついてくるのはこんなんでしょう!

 ですが、ブルースは人魚姫に追いつき、頭の刃で斬りつけてきました。

 

(やるな!)


 人魚姫は攻撃を回避しますが、それは彼女だからできたのです。並の武闘姫プリンセスならば今の一撃で胴体を真っ二つにされていたでしょう。

 一方、ジョンは桟橋の上から戦いを見ていました。

 彼はブルースが勝つと信じていました。

 しかしジョンの表情に勝利を確信した余裕はありませんでした。苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべ、まるで望まぬ仕事を仕方なくしているかのようです。

 

「悪いな人魚姫。俺を恨んでくれ」


 ジョンがつぶやいたその時、海から巨大な竜巻が生まれました。

 

「ブルース?!」


 ジョンはブルースが竜巻に巻き込まれている姿を見ます。

 そしてブルースは天高く打ち上げられました。

 直後、海から無数の水の刃が射出され、恐ろしい海の魔物をめった刺しにします。

 ブレードヘッドシャークは海で最も強い魔物でありましたが、しかし人魚姫の敵ではなかったのです。

 

「これでおしまいか」


 ジョンは達観した様子で海に浮かぶブルースの死骸を見つめます。

 やがて海から人魚姫が上がってきました。

 ジョンは懐から短剣を出し、構えます。

 

「なあマリン。俺たちが普通の男と女として出会っていたら、どうなってたんだろうな」

「そんなの考えて何になる。アタシらは、こうなるしか無いんだよ」

「……そうだな。お前は海兵で、俺は……暗殺者だ!」


 ジョンは短剣を突き刺そうとしますが、しかし逆に人魚姫の水のカットラスに胸を貫かれてしまいました。


「ああ、もう一度、あの歌を聞きたかった」


 その言葉を最後に、ジョンは絶命しました。


「……」


 人魚姫は悲しげなため息をつき、ジョンの亡骸へ寄り添うように座りました。

 そして人魚姫は歌い出します。それはジョンが褒めてくれた浜辺の恋の歌でした。

 明るく朗らかなであるはずのその歌は、どこか悲しげでありました。

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