第573話 金亀換酒

 橘のような僭称者せんしょうしゃは、歴史上、沢山居る。

 ―――

袁術えんじゅつ(155~199)

 ちゅう王朝を興すも、瓦解し、病死(*1)。

桓玄かんげん(369~404)

 桓楚(404~404)を建国し、初代皇帝に就くも、政変に遭い、殺害される(*2)。

慕容詳ぼようしょう(? ~397)

 永康2(397)年、燕帝を名乗り悪政を行い、攻め込まれ、親族諸共虐殺される(*3)。

慕容麟ぼようりん(? ~398 *4)

 慕容詳を殺害後、帝位簒奪するも、南燕初代皇帝・慕容徳ぼようとく(336~405)に殺害される(*4)。

蕭正徳しょうせいとく(? ~ 549)

 梁(502~557)の皇帝になるも、政争で殺害される(*5)。

⑥安禄山(703~757)

 安史の乱を起こし、大燕国を興すも、最後は、次男に討たれる。

⑦ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート(1688~1776)

 1715年、挙兵するも失敗。

⑧チャールズ・エドワード・ステュアート(1720~1788)

 ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートの長男。

 1745年、挙兵するも、父親同様失敗。

⑨エメリヤン・プガチョフ(1740/1742~1775)

 プガチョフの乱(1773~1775)を主導し、ピョートル3世(1728~1762)を自称した偽皇帝。

 失敗し、公開処刑となる。

 ……

 ノートンのような平和主義者ならまだしも、権力を欲すれば、反乱を起こす者が多い為、当然、大河は、挙兵する素振りを見せただけでも許さない。

 橘の長屋の付近には、私服警官が一般市民に化けて行き交う。

「―――」

「―――」

 談笑する振りを見せつつ、その眼光は、長屋から外さない。

 周りが野原ならば、空爆したい所だが、流石に無関係な一般市民を巻き込むのは、大河の信条に反する行為だ。

 大河は、テロリストではない。

 戦闘員と非戦闘員を区別し、戦闘員のみを攻撃する、分別ある軍人である。

「源さんや。薔薇は、どうかい?」

「じゃあ、10本頼もうかな? 配達日は、1週間後で頼もうかな」

「毎度」

 花屋は、恭しくお辞儀し、平民は金を払う。

 一連のやり取りは、何処の商店街でも見受けられる事だが、2人の場合は、違った。

 薔薇とは、橘のことで、本数は、彼の長屋に出入りしている人数だ。

 1週間後、というのは、実行予想日である。

 この会話の意味を見抜く者は早々居ない。

 国家保安委員会は、本職の俳優並の演技力を持ち、嘘を突き通す能力に長けたプロ中のプロの集団なのである。

 この時代にアカデミー賞があれば、全員が主演男優賞(主演女優賞)を獲得出来るだろう。

 花屋の主人は、引っ込み、帳簿を付ける振りをしては、国家保安委員会本部に今の事を報告書として認めるのであった。


 国家保安委員会に多くの情報が集まるのは、非公式協力者の御蔭だ。

 この非公式協力者、というのは、冷戦期、東ドイツの国家保安省シュタージに貢献した一般市民である。

 その数は、時期によっては変動するものの、1989年時点で、18万9千人居たとされる。

 この数は、令和3(2021)年12月1日時点の山梨県甲府市(18万9591人)に匹敵するものだ。

 山梨県の県庁所在地にして、中核市に当たる都市の人口のほぼ全てが非公式の諜報員と考えると、東ドイツがどれほど監視社会であったことが分かるだろう。

 東ドイツの人口が1990年時点で1611万1千人(*7)なので、非公式協力者は、計算上、1人につき約89人を監視していた事になる。

 彼等の存在感は、当時の映像にも残されており、1987年6月、デビッド・ボウイがベルリンの壁の前で公演を行った所、壁の向こうの東ドイツ側に民衆が殺到(*8)。し、その場には、国家保安省シュタージと思しき男性も居た(*8)。

 日本では、歌手の公演が当局に監視される事は殆ど無いだろう。

 共産圏の監視社会が分かる事だ。

「主、非公式協力者からの報告書です」

「……ふむ」

 珠を抱きつつ、大河は、受け取る。

 仕事が多い為、寝室でも、仕事をしなければならないのが、今の地位の短所だ。

 外勤が少なくなった分、内勤は、日々、忙しい。

「あ♡」

 腕の中の珠が、甘えた声を出す。

 大河が報告書を読みつつ、頭を撫でたから。

「……良い出来だ。処分は任せる」

「良いんですか?」

「長官は君だ。俺は追認するだけだよ」

 今まではおんぶにだっこだが、着実に国家保安委員会は、小太郎に権力が集まりつつある。

 スムーズな移行作業であり、誰も、これには異を唱える事は無い。

 それだけ信頼されていることの表れなので、小太郎もやる気満々だ。

「有難う御座います!」

「あは♡」

 元気よく最敬礼したと同時に、珠はそれが最期の言葉かのように失神するのであった。


 珠に毛布をかけた後、大河は背伸びする。

「ふわぁ~」

 それから欠伸あくびも忘れない。

 喫煙者であるならば、煙管きせるの1本も吸いたい所だが、生憎、大河は、嫌煙家だ。

(肺癌等の危険性が無い煙管、出来ないかな)

 そんな事を想いつつ、バルコニーに出て、手摺てすりで肘を突く。

 夜風が心地よい。

「……」

 ネオンサインが煌めく、街並みを眺めていると、

「眠れない?」

 振り返ると、誾千代が立っていた。

 お市、謙信、綾御前、早川殿、小少将と山城真田家が誇る女傑達も一緒だ。

「そうだね。目が冴えてな」

「夜更かしさん♡」

 綾御前が隣に立ち、寄りかかる。

義姉上あねうえ!」

 謙信が一括するも、綾御前は、離れない。

「だってぇ~♡」

 息を吐きかけられた。

 物凄く酒臭い。

 謙信を睨むと、彼女は、明後日の方向を見て、口笛を吹く。

 非常に分かり易い反応だ。

「2人を責めないで。私が酒宴の主催者だから」

 誾千代が背後から抱き締める。

 彼女からも微かに酒の臭いが。

「……」

 犬並に嗅覚を研ぎ澄ませると、他の4人からも同じ臭いがした。

 早川殿が床に三つ指を突いて、謝る。

「申し訳御座いません。元寡婦同士、女子会を開いていた訳です」

「……」

 早川殿の前夫・今川氏真は存命中なのだが、彼女が自分の事も「寡婦」と表現した所を見るに、彼女も前夫は、死んだように考えているのかもしれない。

 こればかりは、氏真に同情しかない。

 大河に一つ、疑問符が浮かぶ。

「主題は寡婦なんだろ?」

「そうだよ」

 お市が首肯した。

「じゃあ、直虎は?」

「あ」

 小少将が自分の口を抑えた。

 他の5人も同じ反応だ。

「……忘れてた?」

「……はい」

 罰が悪そうに小少将は、俯く。

 童顔で中学生みたいな顔立ちの井伊直虎だが、それでも立派な寡婦だ。

 前夫は、井伊直親。

 彼も又、大河と出逢う前に戦死している。

「「「「「……」」」」」

 綾御前以外の5人は、目配せで話し合う。

 然し、結論は出ないようだ。

 大所帯の為、山城真田家内部では、噂が広がり易い。

 誾千代が秘密裏に寡婦を集めて、酒宴を開いたのは、御酌をした侍女や目撃した家臣によってすぐに広まる筈だ。

 それを聞いた直虎は、自分が誘われていない事に気付き、ショックを受けるだろう。

 最悪、妻同士の火種になりかねない。

(面倒臭)

 女子会は構わないが、勝手に酒宴を開くのは、酒嫌いの大河の逆鱗に触れるのは当然の話だ。

 然し、今は、それ以上に直虎のフォローが先決である。

 大河は、大きく息を吐いた後、

「今回の酒宴は、もう終わった事だから責めないよ。ただ、次からは相談してくれ。俺が皆に酒を余り飲ませたくないのは、皆の健康を気遣っての事だから。どうしても飲みたくなった時は、言ってくれ。不味いかもしれないが、体にそれほど危険の無い酒を探すからさ」

「……御免」

 誾千代は、頭を下げた。

 謙信達も倣う。

 唯一、泥酔状態の綾御前は、事の深刻さを分かっていない。

 大河が、短気ならば、若しかしたら手討ちにしてかもしれない。

 大河の頬を蛸の吸盤のように吸い付く。

「うっふん♡」

 反対に異母妹・謙信は、多汗症のように汗がダラダラだ。

「……!」

 大河がいつ、激怒するのか怖がっているのだ。

「全く……」

 大河は、眉を揉んだ後、

「よっと」

「きゃは♡」

 綾御前を御姫様抱っこ。

「今日は、飲もう。普段、休肝日で我慢しているからな」

「「「「「!」」」」」

 誾千代の股をくぐって、彼女を肩車する。

「じゃあ、直虎と所、行くぞ?」

「「「「「……はい!」」」」」

 5人は勢いよく返事し、唯一、返事しなかった綾御前は、

「むっふ♡」

 キス魔と化し、大河の顔中にキスマークを量産するのであった。


 直虎は、自室で兵法書を読んでいた。

「……成程です」

 夜でも勉強を止めないのは、彼女が勤勉だからだ。

 元々、嫁入りする気は更々無かったのだが、嫁入り後、大河に惹かれ、彼の下で働きたい、と考えていた。

「……ふわ」

 欠伸が出て来た所で本を閉じる。

 そして、本棚に直した。

 兵法書の多くは、大河から貸与たいよされたものである。

 軍人気質な直虎には、それが嬉しく、つい夜更ししてしまうほど、読み耽ってしまう時があった。

「……?」

 外の騒がしさに気付き、玄関を開けた。

「!」

「寝てた?」

 訪問者は、大河であった。

 綾御前とお市を侍らせ、誾千代を肩車し、小少将、謙信、早川殿がその背後に居た。

「……えっと?」

「勉強、御疲れ様」

 お市が洋酒を差し出す。

 余りアルコール度数が高くない、素人向けの酒だ。

「城主主催の酒宴よ」

 誾千代が大河の頭を撫でつつ、言う。

「……それでは」

 洋酒を受け取り、直虎は全員を招き入れる。

 この判断が、後に彼女をある意味、後悔させた事は言うまでもなかった。


[参考文献・出典]

*1:『呉書』

*2: 『晋書』巻81 毛穆之伝 6行目

*3:『晋書』(載記第二十四)

*4:『資治通鑑』「晋紀」巻110

*5:『梁書』巻55 列伝第49 『魏書』巻59 列伝第47 『南史』巻51 列伝第41

   『北史』巻29 列伝第17

*6:ヘルムート・ミューラー・エンベルクの研究 2010年

*7:ウィキペディア

*8:『新・映像の世紀 NOの嵐が吹き荒れる』 2016年2月21日

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