第518話 合歓綢繆

 廊下で与免は、滑石かっせきを撒いていた。

「えへへへへ」

 与免は、前田家一の悪戯好きであった。

 実家の屋敷でも、廊下等に滑石を撒き、家臣達が転ぶのを楽しんでいるのだ。

 だが、京都新城では、そんな空気では無かった。

 事前に情報を仕入れていたのだろう。

 与免が悪戯を行う直前、アプト等の侍女が、大阪府警組織犯罪対策部並の家宅捜索ガサ入れで滑石をその都度、没収する為、京都新城では成功例が無かった。

 それがこの宿では、侍女達も休んでいるので、撒く事が出来た。

 後は、誰かが転ぶのを眺めるのみだ。

(何処か良い場所あるかな?)

 死角を探す。

 その時、滑石を踏んでしまった。

(あ、やば)

 その瞬間、世界がスローモーションになった。

 足を滑らせる自分。

 庭の鹿威しも止まっている。

 踏んでしまった滑石は、その拍子で宙を舞っていた。

 そして自分も、空中に居る。

 このままだと、後頭部を床にしこたま強打する事は間違いない。

 与免は知らなかった。

 過去、これで急逝した帝が居る事を。

 名は、四条天皇(1231~1242)。

 87代天皇であり、後堀河天皇(1212~1234)の院政を目的とした譲位に伴い、2歳で即位。

 女御・九条彦子くじょうひろこ(1227~1262 くじょうげんし、とも)を迎え入れるも、その約1か月後、不慮の事故により、生涯を終えられた。

 その余りにも早い崩御は、幼帝が悪戯の為に御所の廊下に滑石を撒いた所、誤って自分がそれで滑って転び、当たり所が悪かったのが真相の様だ。

『五代帝王物語』『百練抄』によれば、転倒したのは崩御の僅か3日前と、されている。

 後世の臆説おくせつでは、脳挫傷が唱えられているが、真相は定かではない。

 世間では、その急逝から、

・後鳥羽上皇(1180~1239)怨念説(*1)

 動機:承久の乱で敗れ、隠岐に配流し、そこで崩御。

・慈円(1155~1225 天台宗僧侶 『愚管抄』著者)の祟り説(*2)

 動機:承久の乱で同母兄・九条兼実の曾孫・仲恭天皇が廃位された事で鎌倉幕府に

    非難し、復位を願う願文を奉納(*3)。

 と、囁かれた。

 崩御後、後継者問題で公卿と幕府が対立。

 この結果、11日間、空位となり、後に『仁治3(1242)年の政変』と呼ばれる前代未聞の事態となった。

 四条天皇と与免は、身分が違う為、比較対象には、し辛いが。

 それでも、滑石で滑ったのは、同じであった。

(ああ、しぬんだ)

 直感的にそう思った時、

「よっと」

 誰かが滑り込んで、与免を抱きとめる。

 固い胸板だ。

 沢山の滑石が、周囲に飛散する。

「……?」

 与免が目を開けると、大河が顔を覗き込んでいた。

「遊んでいたのか?」

 少し、怒った口調だ。

「……う、ん」

「死ぬぞ?」

 それだけ言って、大河は、与免を抱き締める。

「……」

 冷たい声音だったが、体は温かい。

「全く」

 前田家に居たら、利家や芳春院が激怒していた事だろう。

 然し、大河は、滅多に子供には、怒らない。

 恐らく、世界一、甘いだろう。

 それが功を奏しているのか、彼の子供達は、のびのびと育ち、人格破綻者は居ない。

「……」

 悪戯が露見し、更に死にかけた事を、与免は猛省する。

 今にも泣きだしそうな位に。

「……反省した?」

「……うん」

「じゃあ、次は無い様にな?」

「……みんなにいう?」

「言わないよ」

 大河は、与免を床に下ろす。

 そして、手巾で涙を拭う。

「いい、の?」

「反省しているのを、更に追い込む必要は無い」

「!」

 そこで鶫とアプトと遭遇する。

 2人とも風呂上りらしく、浴衣で、手巾を首に巻いていた。

「「若殿?」」

 2人はその現場に首を傾げる。

・飛び散った滑石

・涙目の与免

・それをなだめる大河

 何かあったことは一目瞭然だ。

「どうしたんですか?」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ」

 大河は、与免を抱っこし、その頭を撫でる。

「滑石を眺めてる為に運搬中に落としたんだと」

「……そう、ですか」

「はぁ……」

 2人は、疑問を抱いた様子だが、深く追求する事は無い。

「済まんが、片付けるのを手伝ってくれ。休日出勤手当、出すから」

「「分かりました」」

 大河と与免は、2人と一緒に滑石を片付け始めた。

 その後、与免の滑石遊びが減少した事は言うまでもない。


 その日の夜。

 与免は、昼間の出来事を長姉・摩阿姫、次女・豪姫、それと自分達の世話係である松姫に正直に話した。

「真田様らしいね」

 松姫は、微笑む。

「松様、この話は?」

「知らなかったよ」

 尋ねた摩阿姫に薬を処方しつつ、松姫は答えた。

「そういうの、あっても全然、話してくれないから」

「どうしてですか?」

「多分、与免を守る為じゃない? ほら、話したら、皆から怒られるから」

「「「……」」」

 女性陣が多い山城真田家では、その誰もが母親に成り得る。

 その為、悪事をすれば、その全員から怒られる可能性がある。

 1人でも嫌なのに20人以上から怒られるのは、相当な心労になるのは、明白だ。

 摩阿姫は、頭を下げた。

「愚妹の為に……真田様には、申し訳無いですね」

「良いのよ。本人も猛省しているんだし」

「……」

 松姫の視線に、与免は俯く。

「与免、真田様は好き?」

「……うん」

「理由は?」

「……やさしいから」

「そう」

 松姫は与免を抱き締める。

 大河が怒らない以上、松姫も又、叱る事は無い。

『おーい』

 襖越しに大河が声を掛けてきた。

『今、大丈夫?』

「はい」

 松姫は与免を抱っこしたまま、襖を開けた。

 大河は、ヨハンナ、阿国、小少将を連れていた。

 背中のヨハンナは、大河の肩甲骨が気に入っているのか、頬擦りを行い、他の2人は、それぞれ、彼の左右の手を握っている。

 求められれば温泉宿でも拒まない。

 大河のサービス精神の高さが伺える。

「如何されました?」

「3人の様子を見に来たんだよ。与免、大丈夫か?」

「……」

 昼間の出来事が起因しているらしく、与免は目を合わせない。

 赤くなったまま、頷くのみだ。

「良かった」

 一言、告げると大河は、座った。

 ヨハンナは相変わらず、背中に抱き着いたまま。

 阿国と小少将は、膝に乗る。

「あら、可愛い♡」

「御出で♡」

 2人は、母性が刺激された様で、阿国は、摩阿姫を。

 小少将は、豪姫を抱っこする。

 血の繋がっていない義理の母娘であるが、我が子同然だ。

 摩阿姫、豪姫は、緊張した面持ちだが、拒否する事は無い。

 そのまま受け入れる。

 拒否してギクシャクしたら、家に居続け難い、という判断か。

 若しそうなら、相当、賢い子だろう。

 松姫は、大河の隣に座って、お茶を出す。

「いつも有難う」

「いえいえ」

 警戒せずお茶を飲む。

 自分に心を開いている、と松姫は笑顔になった。

「松、甲斐とは知り合い?」

「いえ。如何しました?」

「いや、名前が『甲斐』だから、気になってな」

「生まれ故郷が甲斐国なのでは?」

「そうなのかな?」

「御調べしましょうか?」

「いや、そこまでじゃないよ」

 しなだれかかる松姫を、大河は受け入れ、その頬に口付け。

「貴方、私も♡」

「はいよ」

 ヨハンナにも行う。

 その様子を三姉妹は、凝視していた。

「「「……」」」

 一般的な家庭だと、「見るな」と叱ったり、子供に隠れて愛し合うのが、通常だろう。

 然し、情熱的な山城真田家では、これは、通常運転だ。

 流石に子供の前で、同衾は控えているが、それでも接吻は多い方だ。

 その視線に気付き、ヨハンナは、急に恥ずかしくなった。

「貴方、その……」

「何?」

「やっぱり、子供バンビーノが―――」

「誘って来たのは、君の方だろう?」

「そう、だけど……あ♡」

 ヨハンナの首筋に顔を埋め、彼女はそのまま押し倒される。

「い……」

「うん?」

「……もう」

 押しに負けたヨハンナは、身を任せる事にした。

 大河は、三姉妹を見た。

「見に来たけど、ヨハンナがこの通り、調だ。だから、松姫が必要になった。何かあれば、2人を頼る様に。阿国、小少将、良いか?」

「良いですよ♡」

「愉しんできて♡」

 2人は、三姉妹を愛でるのに忙しい。

「「「……」」」

 三姉妹は、文字通り、指を咥えて見送るのであった。


 ヨハンナ、松姫、それに誾千代を加えた3人を、大河は、呼吸をするかの如く抱き、朝を迎える。

「……」

 3人の寝顔を肴に、大河は咥え煙草だ。

 無論、嫌煙家なので、煙草の先端には火が付いていない。

 口寂しく咥えているだけである。

 肺癌等の危険性が無ければ、吸う所だが、生憎、軍人である以上、体は資本なので、極力、病気にはなりたくはない。

 橋姫が天女の如く、空中から降りて来る。

「……お早う」

「お早う。元気無い?」

「張り切り過ぎてな」

「治療しようか?」

 ナース服に早着替えし、橋姫は聴診器を用意する。

「……何処も悪くないけど?」

「分かるよ」

「何故?」

「透視したから」

 橋姫は、大河の膝に対面で座る。

 そして、彼の胸の前で右手をかざした。

 左手の方は、聴診器を使って、胸の鼓動を見る。

「……動いて無いね」

「じゃあ、死んでる?」

「そうみたい」

 首を振って橋姫は、呆れ顔で尋ねる。

「何故、心臓が止まっているのに動いているの?」

「俺に聞かれても……」

「透視するよ?」

「ああ」

 翳した手が光り出す。

「……」

 大河は、燃え盛る火を連想した。

 数秒後、心臓を鷲掴みにされた様な感覚になる。

「……痛くない?」

「全然」

「……ちょっと電気ショックするね?」

「直に?」

「うん。調整はするから安心して」

「分かった」

 同意した次の瞬間、大河の心臓に電気が起きられる。

 冬場の静電気の比ではない。

 余りの激痛に昏倒しそうになるが、何とか耐える。

 注がられた電気は、心臓を本部にし、体全体に広がっていく。

「ごほ!」

 咳をすると、黒煙が吐き出された。

 橋姫は、それを吸い込む。

「今のが毒素。死霊や生霊ね」

「……呪われていた?」

「そういう事。沢山殺しているからね」

「……生霊、ってのは?」

「貴方に嫉妬している人達よ。私が守護霊になって食べ―――退治しているの」

「凄いな。有難う」

「だからさ。もっと私にも甘えて欲しいなぁ、なんて」

「甘える?」

「そう♡」

 橋姫は、笑顔で大河に接吻し、押し倒す。

「私の子供もね♡」

「……分かったよ」

 煙草を吐き捨て、大河は、橋姫の背中に手を回すと抱き締める。

「してくれるの?」

「分かってるよ。妊活だ」

 空元気だが、橋姫は、大河の守護神である。

 幸せになってもらいたいのは、本音だ。

 2人は微笑んで、鶏の鳴き声を合図に愛し合うのであった。


[参考文献・出典]

 *1:『増鏡』巻4「三神山」

 *2:『門葉記』仁治3(1242)年正月24日条

 *3:『鎌倉遺文』3202号貞応3(1224)年正月「慈円願文」

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