第507話 詐謀偽計
『上方、美濃口御取り相い当月までも御座候は、中国へ切りあげ、花々と見知返し候て、一合戦仕るべしと存じ候に、むやく内府御勝手に罷り成り残り多し候』
―――
『関ヶ原の戦いが後もう1か月も続いていれば、中国地方にも攻め込んで華々しい戦いをするつもりであったが、家康の勝利が早々と確定した為に何も出来なかった』(*1)
……
これが関ヶ原合戦(1600年)で、官兵衛が人生最大にして最後の大博打を行った、とされる理由だ。
官兵衛は、この野心家であり、この書状が表している通り、戦後、勝った東軍が疲弊していた所、九州から北進し、東軍を倒す事を想定していた、とされる。
然し、合戦は予想に反し、僅か半日で終わり、官兵衛は振り上げた拳を泣く泣く、隠し、東軍に属した事で黒田家は、豊臣秀吉の忠臣であったにも関わらず、江戸時代を生き抜く事が出来たのである。
一度、振り上げた拳を下ろすのは、54歳(天文15/1546年生まれ)では中々、出来る事ではないだろう。
こうした判断力が、家を救った、と言える。
尤も、戦後、東軍に事実上の人質として送っていた長政が、
「内府様は『我が徳川家の子孫の末まで黒田家に対して疎略あるまじ』と3回、右手を取り感謝して下さった」
と嬉しそうに報告したのに対し、
「その時、お前の左手は何をしていた?」
と叱責した逸話(*2)もある様に、東軍勝利は本意ではなかった様だ。
但し、歴史学的に同時代には、その様な資料が存在せず、掲載されているのが、明治時代以降の資料の為、実際にあったかは、分からない。
現代の歴史家も、
『如水の性格から言って考えにくい、この時の長政は唯一の黒田家の跡取りで、ここまで非情なことをする人ではない』(*3)
と、否定的だ。
そんな官兵衛であるが、日ノ本では、野心家であった。
(……信長を事実上、追い落とし、政権を乗っ取る
有岡城にて幽閉されていた時に出来た頭部の傷と掻きつつ、官兵衛は、思案を巡らせていた。
障碍の残った左足も擦る。
肖像画(蔵:崇福寺 福岡県福岡市博多区)通り、
目の前に居るのは、
・小少将
・甲斐姫
・井伊直虎
・早川殿
の4人。
小少将は、朝倉義景が政務を忘れ、結果、家を滅ぼす原因にもなった(*4)とされる様に、小悪魔的美貌だ。
現代の言葉で表現すれば、『白ギャル』が適当だろう。
甲斐姫は、
『東国無双の美人』(*5)
『男子であれば、成田家を中興させて天下に名を成す人物になっていた』(*5)
と評される様に、ボーイッシュな美人だ。
井伊直虎は、平成29(2017)年に大河ドラマの主人公に採用された事を契機に知った人々も多い事だろう。
目がクリクリとした美少女で、非常に愛くるしい顔立ちをしている。
現代だと、人気子役が近いかもしれない。
早川殿は、史実では、今川義元の嫡男・今川氏真の正室だ。
所謂、北条家、今川家、武田家の
その後、紆余曲折あり、駿河国を武田領になった事を実家の北条家が承認後、出国し、夫婦揃って家康の庇護に入った。
実家を出て、態々、敵対者を頼るのだから、相当、実家との仲が悪かったのだろう。
それでも2人は、離縁せず、最後まで添い遂げた。
氏真は、今川家没落を止めきれなかった無能者、との評価があり、実際、信長もそう見ていた様で、
『天正10(1582)年、武田家滅亡後、家康が駿河国を与える事を提案した。
然し、信長は、
「役にも立たない氏真に駿河を与えられようか、不要な人を生かすよりは腹を切らせたらいい」
と答えた。
これを伝え聞いて氏真は驚き、いずれかへ逃げ去っていたが、その内に本能寺の変が発生したという』(*6)
との逸話が残されている。
家康は優しかったが、信長は、この発言からするに氏真を相当、軽視していた事が分かるだろう。
然し、恥を忍んだ決断力は後に活き、子孫は
武将的には、無能ではあったが、時代を見る目はあった、と言えるだろう。
そんな夫を持ったのは、早川殿だ。
4男1女(*7)を儲けているのだが、人妻且つ経産婦とは、誰が思うだろうか。
「「「「……」」」」
4人は、緊張した面持ちだ。
内心では、未だに覚悟が出来ていない者も居るだろう。
特に早川殿は、人妻だ。
余り、乗り気ではない事は、人目見ても分かる。
それでも参加したのは、家の為だ。
夫の実家は、桶狭間合戦(1560年)以降、弱体化し、今では、徳川家の家臣に成り下がった。
あの時は、従えていたのに、今では、従うのは、戦国時代の怖い所だ。
どれだけ名家であろうが、たった1回、負け、当主を失うだけで、後は坂道を下るだけ。
長篠合戦(1575年)の武田家の様になるよりかは、マシではあるものの、それでも屈辱的なのは、否めない。
直虎も、徳川家の家臣だが、以前は、氏真に仕えていた。
早川殿と直虎は、簡単に言えば、
2人共、官兵衛の調査では、大河好みの外見をしている。
好色家の嗜好に合わせて、人妻と美少女を同時に立候補したのである。
甲斐姫も御家再興の為であった。
実父・成田氏長は、元々、上杉に従っていたのだが、上杉が北条と合戦を始めた際に北条方に与し、永禄12(1569)年、両者の間で同盟が成立した際の
その後、謙信は、大河と結婚し、所謂、政府側になり、又、北条が大河と諍いを起こし、怒りを買った経緯から一気に没落。
現時点では、愛人・小太郎の御蔭で、一応は安心であるが、彼女が居なければ、北条家は、武田家の様な運命を辿っていたかもしれない。
北条についていた成田家もその煽りを諸に受け、政府に睨まれている状態だ。
要約すれば、江戸時代の外様が近いだろう。
氏長は、寝返った事を今でも悔やんでいる。
若し、上杉に付き従っていたならば、今では、譜代として、成田家は発展を遂げていた事だろうから。
小少将は、3人とは違い、復讐が動機だ。
朝倉義景は、一乗谷合戦(1573年)で敗死。
彼との間に出来た愛児・愛王丸も僅か3歳で殺害された。
自身も標的になったが、殺されたのは、影武者で、何とか逃げのびている。
だが、夫と子供を殺害した織田への恨みは強い。
その為、今回の秘密作戦に立候補したのであった。
恐らく、4人の中で最も士気が高い、と思われる。
官兵衛としてはやる気があるのは、歓迎だが、くれぐれも空回りして欲しくない所だ。
「集まってもらったのは、他でもない。近衛大将の事だ」
「「「「……」」」」
「知っての通り、近衛大将は、大変、好色家で、とりわけ、美女と美少女に目が無い。それで御家再興に成功した例がある。分かるな?」
「……浅井家ですね」
小少将が答えた。
「そうだ。北条、徳川も又、それに分類されるだろう」
「「「「……」」」」
「これは、人生を左右する事なので、今更だが、若し迷いが出来、撤退したくなっても責めはしない」
「「「「……」」」」
4人の目は、真っすぐだ。
官兵衛は、安心して西陣織を配る。
「国家保安委員会の目が厳しいだろうが、奴を喜ばせ、御家再興の鍵にして頂きたい。では、解散」
史実に於いて、秀吉から評価されつつ、危険視された男であって、その目は欲深い。
(天下を統べるのは、この私だ)
国家保安委員会は、綾御前の情報提供を受けて、調査に入った。
国家保安委員会が情報力で後手に回るのは、珍しい事だ。
そうなったのも官兵衛が身内だった為、過信し、調査不足であった事は否めない。
小太郎が、頭を下げた。
「主、申し訳御座いません。御報告が遅れて」
「全然」
鶫を膝に置きつつ、大河は、手を横に振った。
「若殿♡」
「鶫は可愛いなぁ」
デレデレだ。
鶫の頭を撫でつつ、もう片方の手は、しっかりと報告書を握っている。
寵愛していても仕事は、怠らない。
女性に
家臣団の結束が保たれているのも、それが理由の一つかもしれない。
大河は、報告書に添付された4人の顔写真を見る。
四者四様だが、全員正直好みだ。
野心家だけあって、官兵衛は、大河の嗜好を徹底的に調査し、突いて来ていた。
「それで、如何しましょうか? 例の様に、事故に見せかけましょうか?」
「いや、その必要は無い」
「では?」
「4人を呼べ。その策略に敢えて
「! 御意」
大河の発せられる雰囲気に、小太郎は、パブロフの犬の様に跪くのであった。
[参考文献・出典]
*1:慶長5(1600)年10月 黒田官兵衛が吉川広家に宛てた書状より
*2:福本日南 『黒田如水』 東亜堂書房 1911年
金子堅太郎『黒田如水傳』 博文館 1916年
*3:本郷和人「戦国武将のLOE」『週刊文春』1月1日号 2014年
*4:『朝倉始末記』
*5:著・小沼十五郎保道
訳、解説・大澤俊吉 『成田記』歴史図書社 1980年
*6:『続武家閑談』
*7:『系図纂要』 全102冊(103巻) 万延元(1860)年成立?
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