第415話 随処任意

 赤子の名前は中々、決まらない。

 お市は、悩んでいた。

「……一体、何が1番いいかしら?」

「そうだな」

 大河も同意する。

 人生を左右しかねない名前だ。

 親が進路等と並び最も悩み易い項目の一つだろう。

 赤子を抱っこしつつ、大河は兄に見せる。

「ほー」

 デイビッドは、興味津々に赤子の頬を指で突っつく。

 その弾力の柔らかさに驚いている様だ。

「妹可愛いだろ?」

「……」

 こくり。

 素直な子だ。

「これから君は、お兄ちゃんになる。責任重大だぞ」

「だ?」

 元康が「僕は?」と尋ねて来た。

 猿夜叉丸も不満げだ。

「君達もだよ。妹を虐めちゃ駄目だよ」

「「「……」」」

 3人は、緊張した面持ちで頷く。

 政宗も義妹の誕生に嬉しそうだ。

義父上ちちうえ、この子を伊達家に―――」

「ならん。俺の子だ」

 華姫を出したのだ。

 この子迄出すとなると、流石に大河も許さない。

 政宗を一睨み後、大河は、赤ちゃんを抱き締める。

 骨折しない様に、気を付けつつだが、やはり、愛情が零れてしまう。

「……」

 赤子は、眠っている。

 不幸にも大河の愛情を知らずに。

 幸運にも世界の現実を知らずに。


 文化上の制限時間である御七夜が迫る中、

「……決めたわ」

 朝顔は、くまを作りつつ、呟いた。

 三日三晩、寝ずに熟考した名前だ。

 日本人に馴染み辛い名前ではあるが、漢字だと、そうでもない。

「一応、皆の許可を取らなきゃね」

 フラフラとした足取りで部屋を出て行く。

 然し、睡眠不足が祟った為か、注意力散漫になっていた。

 段差に躓き、そのまま階段から落ちる。

「あ」

 気付いた時には、もう遅い。

 全てがスローモーションに感じ、首の骨が折れる未来が見えた。

 そのまま、頭から落ち様とした。

 死を覚悟し、目を瞑る。

「……」

 数瞬後、彼女が感じたのは、激痛―――ではなかった。

 触り慣れた腕が、抱きとめる。

「何、やってんの?」

「あ……」

 朝顔は、目を見開いた。

 助けてくれたのは、基本、傍に居る忠臣であったから。

 ストーカー並に近い場所に居るから、逸早く察知したのかもしれない。

「危ないな」

 大河は、苦笑いで、朝顔を抱き締めた。

「……有難う。でも、痛いよ」

「俺も痛いよ。心がね」

「!」

 この男は、日ノ本一、否、世界一の愛妻家だ。

 妻に先立たれたら死ぬ、と言って憚らない。

 面倒臭い感じもするが、愛されているのは、素直に嬉しい。

 見ると、その腕は赤く腫れていた。

「骨折?」

「かもな」

 それでも、大河は離さない。

「全く、幼帝は、そそっかしいな」

 何時もの笑顔で朝顔を更に強く抱擁するのであった。


 診断の結果、大河の両腕の骨に、ひびが入っていた事が判った。

 激痛の筈なのに、冷静沈着なのは、軍人だから痛みに慣れているのかもしれない。

 然し、全治1か月は、変わらない。

 朝顔は、頭を下げた。

「私の所為で……」

「気にするな。又、治るから」

 事務は、謙信が代理で済むが、軍事の方は、そうはいかない。

 訓練が出来なくなるし、第一、家臣に直接指導する事も出来なくなった。

 大河は、気にしていないが、それ以上に沢山の人々に迷惑をかけてしまうのは、いわずもがなだ。

 寝不足が吹っ飛んで、朝顔は、心の底から反省していた。

「……」

 飼い主に叱られた子犬の様に、俯いている。

「陛下、お気になさらずに」

「何も悪くありませんから」

 誾千代、謙信が、擁護する。

 何も故意で怪我させた訳では無い為、責められない。

 又、その反省している様子から、誰がこれ以上、責める事が出来ようか。

「これからの御世話は、私達が行います故、御安心下さい」

 アプトが説明しつつ、大河の服を脱がし、清拭に励んでいる。

 腕が使えない以上、治るまでの間、

・アプト

・与祢

・珠

・鶫

・ナチュラ

・小太郎

 の6人が、交代交代で、介護していくのだ。

 アプトが清拭する間、与祢が、湿布を貼り替え、珠が御茶を用意している。

 鶫達は、やる事が無いのだが、

「「「……」」」

 心配そうにその様子を見詰めていた。

「じゃあさ、朝顔。其処迄反省しているのならば、一つ頼みがある」

「何々?」

 頼みで骨折が、差し引き0になる訳ではないが、今の朝顔は、何をしても拒否権が無い位、切羽詰まっていた。

「1か月、公務休んで、俺と一緒に居てくれよ」

「え……」

「経過観察出来るだろ?」

「それだけで良いの?」

「良いよ。陛下からの許可も頂いているし」

 診断後、大河は、労災認定してもらう為に近衛前久を経由して帝に診断書を提出した。

 その際、帝は、『休め。上皇陛下も疲れが溜まっているのだろうから、本人の了承を得れば、一緒に過ごしたら如何?』と提案していた。

 忠臣を怪我させた償いなのだろう。

「陛下が……」

「まぁ、休暇だよな」

 大河は微笑んで、朝顔を手招きし、抱き締める。

 痛い筈なのに、愛情が勝る所が、大河らしい。

「「「……」」」

 誰も嫉妬する者は居ない。

 2人の純愛は、有名な話だから。


「何で、人間の医学に頼るの? 私ならお茶の子さいさいだけど?」

 橋姫は、不満げだ。

 魔法で使えば、骨折など、一瞬で完治するというのに、大河は、それを丁重に断っていた。

「休みたいじゃん」

「あら、不真面目」

 けれども、橋姫は、笑う。

 世間は、大河を「仕事人間」と見ているが、実際の所は、怠け者だ。

 基本的に、布団から出る事を好まず、休日は、日〇熟睡男の様に寝ている。

 無論、愛妻や子供達から呼ばれれば、素っ飛んで行くが、休まない、という事は無い。

「有難うな」

「何?」

「最小限で助けてくれたんだろ?」

「気付いていたんだ?」

 あの時、大河が粉砕骨折しなかったのは、橋姫の御蔭である。

 真上から落ちて来た女性を、両腕でキャッチし、罅で済むのは、少ないだろう。

 筋肉に自信はある大河だが、流石に朝顔程の体重の衝撃を殆ど殺したのは、疑問視していた。

 そして、確信を得る。

 大河が負傷直後から、やけに上機嫌な橋姫を見て。

だしな」

「有難う♡」

 元々は友達関係だったが、周囲の後押しの下、2人は結婚した。

 主従関係にあったアプトともそうなった様に、大河は、相手が友達だろうが、侍女だろうが、好きになれば、簡単に手を出す。

 まるで呼吸するかの様に結婚するのは、好色家たる故だろう。

 御所に有給休暇を申告しに行っていた朝顔が帰って来た。

「これで1か月、休みになったよ」

「夏休みだな」

 大河は冗談を飛ばしつつ、朝顔を迎え入れる。

 両手をギプスで固定されている為、抱き締める事は出来ないが、それでも軽く触れる位は出来る。

『貴方、今、大丈夫?』

『名前、決まったよ』

 お市と誾千代が障子の向こうから声を掛けた。

 朝顔と居る為、夫婦と雖も、無断で入る事は躊躇っているのだろう。

「良いよ」

 直後、直ぐに開いた。

 2人は、朝顔に頭を下げた後、彼女が書いた色紙を小渕恵三の様に掲げる。

 ―――『心愛』

 ~子が、一般的なこの時代に於いて、珍しい名前だ。

「何て読むんだ?」

 朝顔が胸を張って答えた。

「『ここあ』だよ」

 新型コロナウイルス接触確認アプリの略称と同じ音だが、当然、彼女はそんな事は知る由も無い。

「意味は?」

「『沢山の人達からからされます様に』―――と」

「良い名前だ」

 朝顔が名付け親の為、成長後、プレッシャーになるのでは? とも思っていたが、名前が良くて、不安は払拭された。

 子供を支えるのが、親の努めだ。

 若し、悪く言う奴は、殺せばいい。

 何処までも子煩悩(?)な大河である。

 赤ちゃんは―――心愛は、お市と大河を交互に見た後、

「……」

 ト〇ロの様に、にんまり。

「市、心愛を」

「はいはい」

 せがむ大河に微笑んで、お市は心愛を見せる。

「心愛、初めまして。御父さんだよ」

「……だ♡」

 微笑んで、心愛は、大河の頬をペタペタ。

「可愛いなぁ♡」

「……」

 じー。

 殺気を感じて、振り向く。

 累が仁王立ちしていた。

「ひ」

 まるで浮気現場を見付かってしまった間男の様に、震える。

「せーざ」

「いや、その……」

「なに?」

「はい、その、します。済みませんでした」

 累は、謙信似らしく、背後に時々、毘沙門天が見える。

 僅か2歳なのに、だ。

 景勝もそれに気付いている様で、最近では、累に氷菓等を贈り、御機嫌をとっている。

 それに、実父を威圧するのも謙信譲りだ。

(謙信二世ですな)

「失礼な事考えているでしょう?」

「ひ!」

 不意に謙信が現れ、原爆固めジャーマンスープレックスを食らう。

 両腕が使えない負傷者にこの仕打ち。

 愛妻は、悪妻だったかもしれない。

 謙信にボコボコにされる大河を見て、一同は大笑いするのであった。


 

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