第368話 敬神崇仏

 大河達が観光を楽しんでいる中、橋姫は、聖殿に居た。

「オキクルミ様、御会い出来て光栄です」

 彼女の目の前には、1人の武士が座っていた。

 身長150cm、女性と見紛うくらいの美形だ。

 彼の名は、源義経。

判官贔屓ほうがんびいき』の名の由来になった人物である。

「まさか会いに来てくれるとはな」

 その正体は、アイヌ伝承の創世神話における英雄神で、アイヌ民族の祖とされる地上で初めて誕生した神。

 日本人で言う所の天照大神の様な感覚だろう。

「何故、その御姿で?」

「これは、和人向けだよ。未来の和人の学者が、何故か源義経と同一人物説を唱えているから試しに化けてみたんだ。似合ってる?」

「畏れながら……本人と会った事が無いので」

「ま、そりゃあそうか」

 オキクルミの言う学者は、新井白石(1657~1725)の事だ。

 ―――

『今も蝦夷の地に義経の家の跡あり。

又、夷人飲食に必ずまつる。

 そのいはゆるヲキクルミといふは、即ち義経の事にて、義経のちには奥へゆきしなど言ひ伝へしともいふ也』(*1)

 ―――

 と、独自の見解を残している。

 義経に化けたオキクルミの人柄を後の詩人が、以下の様に紹介している。

 ―――

『神の様に知恵があり、情け深く、勇気がある偉い人―――その物語は無限という程沢山』(*2)

 ―――

 天と地程差がある橋姫に対して、この様なサービスを行うのは、まさに情け深い御方だろう。

 只管ひたすら恐縮する橋姫に対し、オキクルミは、優しい。

「そう固くなりなさんな。今日は相談に来たんだろう?」

「……はい」

 オキクルミに会いに来たのは、挨拶だけではない。

 恋愛相談が、真の理由だ。

「……私は、人間になっても宜しいのでしょうか?」

「そりゃあ、唐突な話だな。あのに惚れたか?」

「……はい」

「あそこまで同胞に惚れる和人は、今まで見た事が無いよ。こっちでも有名人だ。女神達も注目しているよ」

 橋姫の知る女神は、以下の5人(*3)。

・アペカムイ(炎を司る女神)


・アミタンネカムイ(アシダカグモを顕現体とする女神)


・シニコロカムイ(真の樹を司る。樹齢を重ねた大樹に宿るとされる、大地を司る女神)


・チキサニカムイ(『ハルニエ』というニレ科の落葉高木を顕現体とする)


・ピタカカムイ(神の国の風の女神。思いのまま空を飛び、舞によって様々な風を起こす)


 西洋世界の女夢魔サキュバスもそうだったが、大河は、女性の悪魔にも神様にも人気がある様だ。

「知っての通り、あの男は、イレギュラーな存在だ。良い意味で世界の歴史を変えているよ」

「……高く評価して下さるんですね?」

「まぁな。人間には、不介入を決めているが、彼には興味あるよ。まぁ、女性にしか興味無さそうだが」

「恥ずかしながら……」

 事実が事実なだけに、橋姫は、我が事の様に頭を下げた。

「いや、良いんだ。謝罪は求めていない。それで本題に戻るが、人間になりたい、と?」

「はい……」

「何故、俺に相談するんだ?」

「向こうでは、私を鬼と見る者も居るので、相談し辛く……」

「成程な」

 都での神様は優しいが、中には未だに橋姫を鬼として見る者も多い。

 実際、鬼ではあるのだが、橋姫自身、人間を襲う様な事はしない。

 大河が襲われたら、我を忘れるだろうが、その時くらいだろう。

 リミッターが外れるのは。

「長所と短所、考えているよな?」

「はい」

 長所は、


・人間との結婚が可能になる

・人間と交わり、場合によっては子を成す事が出来る


 短所は、


・寿命が発生し、人間よりも早逝する可能性がある事

・契約が無効になり、契約者を洗脳マインドコントロール等が不可能


 短所の方が危険が大きく、これまで人間になった者は、数少ない。

 更にはれて夫婦になったとしても、相手が疫病等で早逝したり、浮気したりすると、今までの苦労は水の泡だ。

 大河に関しては、女性関係は公にしている為、浮気の問題は少ないが、寿命や病気等は避けられない。

 オキクルミが橋姫の親族ならば、猛反対するだろう。

「……死後、彼を眷属に出来なくなるぞ?」

「それも考えました。ですが、今の様などっちつかずの状況は辛いんです」

「……彼に相談は?」

「してません」

「理由を聞いても?」

「はい……彼は妻帯者で家族を優先しています。とてもその輪の中に入っていく空気では無かった為……」

「成程な」

 橋姫は、鬼であるが、優しい娘だ。

 大河が何度も死にかけてもその度に助け、彼の妻や子供とも仲良くする様、努めている。

「……想像以上に重い内容だな?」

「申し訳御座いません」

「良いんだ。責めてない」

 苦笑いしつつ、オキクルミは、考える。

(打開策……か)

 

 真夜中。

 橋姫の不在に気付いた大河は、探しに行く。

 外は吹雪。

 遭難の危険性があるが、それを差し引いても、橋姫は、大切な存在だ。

 御供は、与祢、珠、鶫、小太郎の4人。

 アプトも行きたがっていたが、饗応役で疲労困憊なのは目に見えていた為、大河の裁量で外したのである。

 5人は、防寒着で寒さ対策に努め、匂いを辿っていく。

「橋様の臭跡しゅうせきを辿るとは……若殿は、犬みたいですね」

「こら、与祢!」

「良いよ。本当の所だから。有難うな、珠。俺の為に怒ってくれて」

 珠と手を繋ぐ。

 与祢と親友である珠だが、やはり、大河を巡ると恋敵になる様だ。

 裏を返せば、大河が2人の友情を高めている可能性もある。

 小太郎が、囁いた。

「(主、監視されています)」

「(そうだな)」

 旅館を出て来た一行を、深雪の中、何者かが見詰めていた。

 1人だけでない。

 正確な数は分からないが、約10人。

 武装もしている様に感じられる。

「……」

 鶫が自然に刀に手を伸ばす。

「鶫」

「!」

 大河がその手首を掴んだ。

「大丈夫か? 風邪引いたか?」

 言葉とは裏腹に目は、本心を告げていた。

 ―――それは最終手段だ、と。

「……みたいです。甘えても良いですか?」

「良いよ」

 刀から手を離し、大河と手を繋ぐ。

 右手に婚約者。

 左手に愛人。

 武装しているとはいえ、ノーガード戦法に監視者達は、動揺する。

 大河が採ったのは、所謂、空城計くうじょうけいと呼ばれる物だ。

 

 元亀3(1573年)

三方ヶ原合戦で徳川軍は武田軍に大敗し、壊滅状態で浜松城に敗走。

 武田軍、追撃するも、家康は、

「敢えて大手門を開き、内と外に篝火をたかせ、太鼓を叩かせた」

それに警戒した武田軍は兵を引き挙げ、浜松城は落城を免れた。

 これは武田軍の指揮官の山県昌景や馬場信春が、信玄の教えによって中国古来の孫子・六韜・三略等の兵法に通じており、「空城計」(及び関門捉賊や欲擒姑縦)をよく知っていた為であるとされる(*4)。

 

 今回の大河は城ではないが、堂々とした態度は、まさにそれだろう。

 監視者達は、何もせず、監視に徹する。

「若殿?」

 与祢が視線で問うた。

「大丈夫だよ。いざとなったら、与祢が守ってくれるからな」

 わざと聞こえる様な大声で言うと、

「「「!」」」

 更に監視者達は驚く。

 あの様な幼子が、大河が信頼する程の手練れなのか、と。

「与祢、寒いだろう? 御出で」

「はい♡」

 大河の胴体に抱き着く。

「小太郎もな?」

「はい♡」

 小太郎は、背後だ。

 雪達磨の様に大きくなったが、密着している為、温かい。

「ここだな」

 迷わず、聖殿に到着。

 深夜だけあって誰も居ない。

 アイヌ人の聖域なので、大河も普段なら無断では立ち入らないが、人探しだ。

 一礼し、敷地内に入っていく。

「……礼儀正しいな」

「豪胆だし」

「監視に気付いていたな」

「怖い男だ」

 監視者達―――独立派は、口々に言い合うのであった。


[参考文献・出典]

*1:『読史余論』

*2:知里幸恵ちりゆきえ 1903~1922 『アイヌ神謡集』 1923

*3:ORIGAMI

*4:ウィキペディア

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