第357話 凱風寒泉

 一度、絶縁にまでになった謙信と華姫だが、朝顔のとりなしと、大河の橋渡しにより、復縁している。

 けれども、一度、縁を切った以上、後継ぎになる事は出来ない。

 髷を落とせば復帰出来ない角界と同じ様に。

 無論、これは山城真田家の方法である為、他家も同じとは限らない。

 それでも、華姫は幸せだ。

 大河の傍に居る事に変わりは無いのだから。

「ちちうえ、るいのせわもするの?」

「そうだよ」

 大河は、累の御襁褓おむつ御湿おしめ)を変える。

 何時もならばアプトや珠が、その専門職だ。

「どーして?」

「育児に男も女も関係無いよ。なぁ、累?」

「だ!」

 排泄物が処理された事で、累も上機嫌だ。

 この世界は、『良妻賢母の心得』の様な世界観だ。

 

『1、

 夕食をきちんと用意しましょう。

 前の晩からでもあらかじめ計画を立て、御主人がお帰りになる時には美味しい食事が用意されている様にしましょう。

 こうする事で、貴女がずっと御主人の事を考え、御主人の要求に注意を払っていると分かって頂けます。

 多くの男性は帰宅した時には空腹であり、美味しい食事(特に好物)を期待する事は、御主人が御求めになる暖かいもてなしの一部です。


 2、

 身形みなりを整えましょう。

 御主人がお帰りになる前に15分程体を休め、リフレッシュしましょう。

 化粧を直し、髪にリボンをつけ、爽やかに見える様に。

 御主人は仕事にとても疲れた方々と一緒に過ごしてきてらっしゃるのですから。


 3、

 御主人の前では快活に振舞い、退屈させない様に。

 御主人の退屈な日常には気晴らしが必要で、それを提供するのは貴女の務めの一つです。


 4、

 散らかっている物を片付けましょう。

 御主人が御帰りになる前に家の中を一通り見回って、最後のチェックをしましょう。


 5、

 教科書、玩具、紙屑類を片付け、机を雑巾がけしましょう。


 6、

 冬の間は御主人の為に暖をとる為の火を用意しましょう。

 貴女の御主人は休息と秩序の天国に帰ってきたと御感じになり、それは貴女をも元気付ける事でしょう。

 詰まる所、御主人に満足を御届けする事は貴女に無上の充足感をもたらす事でしょう。


 7、

 子供達の身嗜みだしなみを整えましょう。

(子供達が幼いならば)2、3分かけて子供達の手と顔を洗ってやり、髪を梳いてやり、必要ならば服を取り替えてやります。

 子供達は小さな掛け替えの無い家族であり、御主人は彼等に子供らしくあって欲しいと望んでらっしゃいます。

 あらゆる騒音を減らしましょう。

 御主人が御帰りになる時は、洗い物、乾燥機、掃除機の音は全て消しましょう。

 子供達を静かにさせましょう。


 8、

 幸せな気持ちで御主人を御迎えしましょう。


 9、

 御主人を喜ばせたいという願いを込め、暖かい笑顔と真心で御主人を御迎えしましょう。


 10、

 御主人に耳を傾けましょう。

 御主人に言いたい事が沢山あるかもしれませんが、御帰りになった時にはいけません。

 御主人が最初に話すのです。

 御主人が話す話題は、貴女のそれより重要だという事を忘れない様に。


 11、

 何事もご主人が中心です。

 帰りが遅いとか、貴女を残して食事に行ったり盛り場へ出かけてしまっても不平を言ってはいけません。

 そうでなく、ストレスとプレッシャーに満ちた御主人の世界、家に帰り休息をとるという御主人の切実な欲求を理解するよう努めなければなりません。


 12、

 貴女の目標:貴女の家を、平穏・秩序・静寂の場とし、そこで御主人が身も心もリフレッシュして頂ける様にする事。


 13、

 御主人が御帰りになるなり、不平や面倒事をぶつけてはいけません。


 14、

 御主人が夕食に遅れて御帰りになったり、或いは例え一晩お帰りにならなかったとしても、不満を言ってはいけません。

 御主人がその1日耐え忍ばれた御仕事に比べれば、取るに足らない事と考えましょう。


 15、

 御主人が居心地良い様にしましょう。

 心地良い椅子でゆったり体を伸ばして頂くか、寝室で横になって頂きましょう。

 御主人の為、に冷たい・暖かい飲み物を用意しましょう。


 16、

 枕を用意し、靴を脱ぐ様御勧めしましょう。

 静かに、物柔らかな、心地良い声で話しましょう。


 17、

 御主人の行動を問い質したり、その判断や誠実さを疑ってはいけません。

 御主人は一家の支配者であり、常に正直かつ誠実にその意思を実行しているのです。

 貴女には御主人を疑う権利等ありません。


 18、

 良き妻は、常に分をわきまえているものです』(*1)

 

 内容を見る限り、とても男尊女卑が強過ぎる為、現代でこの記事を出すと、日本中はおろか、世界中から袋叩きに遭うだろう。

 実際に、これが出回った形跡が見られない事から偽書の一つと解釈されているが、先にも述べた通り、この異世界は、この記事程ではないにしろ、性別役割分業が、現代よりも強い。

 雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律―――通称・男女雇用機会均等法を作ったのは良いのだが、人心に浸透するのは、まだまだ時間がかかる。

 1964年公民権法により、人種差別を法的に禁じたアメリカだが、有色人種への差別が無くなった訳ではない。

 インドでも1950年にカーストへの差別を憲法で禁じたが、カーストそのものは、廃止されていない。

 法律で禁じても、人々の間に浸透するのは、長期的な時間が必要だ。

 累を抱っこし、大河は、愛銃のM16を触れさせる。

 勿論、弾は抜いた上で。

「だ?」

「大きくなったら、安全講習受けた後、撃ってみる?」

「だ?」

「良いんだよ? 刀でも良い。性別で職業を区切る時代は、終わりだ」

 士農工商はあれど、実力主義で何とかなる。

 性別役割分業も、将来的には、実力主義で男女無関係に就きたい職業に就けるのが、大河の理想な世界だ。

「るいだけずるい。わたしもだっこ」

「甘えん坊だな?」

 華姫も抱っこし、2人は、大河の腕の中で微笑み合う。

 ……内心は、火花でバチバチだが。

『何、ぶりっ子しているの? 気持ち悪いんだけど?』

『貴女の方こそ「論語」読める癖に何時まで幼児語なの? 「論語」読めるのに「恥」を知らないんだ?』

 どちらかというと、華姫は文官系。

 累は、軍人系だ。

 石田三成と福島正則等の対立の様に、仲が悪い。

 養子と実子、というのも関係しているだろう。

 火種である大河は、子煩悩が故、2人には超甘々だ。

「今日は3人で日向ぼっこし様か?」

「だ!」

「さんせい!」

 大河の前では、何処までも猫を被る2人であった。


 縁側に行くと、朝顔とお市が、御茶をしていた。

「あら、今日は、子供と逢引?」

「違うよ」

 大河は、愛児達を抱き締めたまま、2人の間に座った。

「近江茶か?」

「正解。飲む?」

「有難う」

 お市が淹れてくれた。

 美女の御茶は、美味い(偏見)。

 朝顔がしな垂れかかる。

「……又、筋肉、増えた?」

「鍛えているからな?」

「健康的だね。私も初めて見様かしら?」

「良いけど、まずは体力作りから始めた方が良いと思うよ。体力も無しに運動は、危ないから」

「そうだね。じゃあ、手始めに走ってみるよ」

 皇居ラン誕生の瞬間になりそうだ。

「先生になってくれる?」

「良いよ」

 朝顔を抱き寄せて、膝の真ん中に座らせる。

「陛下、最近、甘え過ぎでは?」

「好きだからね? お市も甘えたら?」

「じゃあ、失礼します」

 お市は、背後に回り、項を舐めた。

「何?」

「好き♡」

「分かってる」

 違う女性の子供を想い人が抱っこしているのは、多くの場合、嫉妬するだろう。

 然し、お市は、広い心の持ち主だ。

「もう、ちちうえ。ひるまだよ?」

「愛し合うのに時間は関係無いよ」

 お市と接吻すると、累は不満顔。

「だー……」

 がぶ。

「いた」

 見ると手の甲に綺麗な歯型が。

 痛いが、可愛い。

 そのまま石膏模型にしたい所だ。

「だ!」

*訳注:「わたしをあいして!」

「愛してるよ」

 累の頭を撫でた後、大河は、抱き上げて、

「アプト」

「は」

 近くに居たアプトに引き渡す。

「だ?」

「愛は嬉しいけど、暴力は駄目だよ」

「……」

 流石に遣り過ぎた、と累は後悔するも時既に遅し。

 信賞必罰を信条とする大河ならではの罰であろう。

 華姫が舌を出して見送る。

「真田は、教育者だな?」

「学長だからな」

「そういう意味じゃなくて、我が子でも厳しく出来るんだね? てっきり親馬鹿かと」

 朝顔の言葉にお市も頷く。

 心外だが、親馬鹿と誤認されるのは、仕方ない事だろう。

 子供が好きなのは、事実なのだから。

「ただ、余り厳しくしちゃ駄目よ。偉大な親なんだから、圧力に感じて潰れちゃうかもしれないよ?」

「そうだな。その通りだ」

 子育てに正解は無い。

 甘やかせば、我儘わがままな子供に育つかもしれない。

 かといって、厳しく育てば、極論、精神が歪み、連続殺人犯の様になってしまう可能性も考えられる。

 均衡バランスが大事なのだが、それが子供にどの様に影響を与えるかは、運次第だろう。

 大河も謙信達もそこが、悩み所である。

 現時点で、誰も不良化していない為、成功と言えるだろうが。

「……若し、私が子供を産んでも同じ様に育ててくれる?」

「勿論。ただ、同じ様にはいかないよ。十人十色だから」

「そうだね」

 朝顔は朱色の頬を染めた後、大河と接吻するのであった。


 夕方。

 執務室に居ると、誾千代が謙信と来た。

 謙信の腕の中には、累が居る

「陛下から聞いたわ。累が手の甲を噛んだんだってね?」

「御免なさいね?」

 謙信は、平身低頭だ。

「怒ってないよ。それより、累は―――寝てるな?」

「うん。理由を問い質したら不貞寝しちゃって」

「いやいや期ってやつかもな?」

 大河は、微笑んで2人を座らせる。

 誾千代が、手の甲を撫でた。

「うわ、思った以上に重傷ね?」

 受傷後、血が滲んだ為、大事を取って消毒をして絆創膏を貼り、先程剥がした所だ。

 出血は無いが、痕はくっきりと残っている。

「そうだな。ま、気にしてないから」

「そう?」

「本気出せば殺せるし」

 にっこりと嗤う。

 冗談とも本気とも分からぬ言葉だ。

「手打ちも選択肢の一つなんだ?」

 予想外に誾千代は、驚く。

 柿崎景家(1513? ~1574)を手打ちにした(説)の謙信は、苦笑いだ。

「本気なの?」

「家の事を第一に考えたら、最悪な。家訓だよ」

「「……」」

 2人は、掛け軸を見た。


『第1条 家長は常に正しい

 第2条 家長が間違っていると思ったら第1条を見よ』


 優柔不断な大河であるが、時に身内をも殺人もいとわないのは、家長としての責任感だろう。

 家の恥を外には出さない。

 2人も同じ考えだ。

「……累、素直に育つのよ?」

 謙信の願いを知ってか知らずか。

 累は、寝息を立てるばかりであった。


[参考文献・出典]

*1:『月刊家事』 1955年5月13日号 出回った形跡が見られない為、偽書の可能性あり

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