第287話 二十六聖人ノ殉教

 城に帰った大河を、お江達が飛び上がって出迎える。

「兄者、御帰り!」

「ああ、只今ただいま

 松姫、与祢も皆、良い匂いだ。

「真田様、御無事で良かったです」

 松姫は、泣き顔で抱き着き、

「……」

 与祢は、無言で大河の懐に潜り込むと、

「……有難う御座います。お助け頂き」

「ああ」

「でも、私ももう少し信頼して欲しかったです」

「……済まん」

「責めてません」

 怒りと不安、そして喜び、様々な感情が入り混じった与祢は情緒不安定になったのか。

 コアラの様に抱き着くと、泣き出す。

「……」

 大河は、手巾でその涙を拭き、

「小太郎」

「は」

 小太郎に持って来させた手錠を、自分と与祢の手首に装着する。

 がちゃりと。

「……え?」

「今日は、これで一緒だ。お詫びだよ」

「……はい!」

 泣き顔から笑顔に。

 移動が制限されるが、それ以上に与祢の涙は、心が痛い。

 深夜、長を虐殺した鬼神であるが、女性には優しいのだ。

「真田様、私も宜しいでしょうか?」

「ああ。良いよ」

 松姫とも逆の手で繋がる。

 そして、2人を抱き締めた。

「兄者、私は?」

「何時も一緒だからね。これで許してくれ」

 額に接吻すると、不満顔が和らぐ。

「今晩、夜伽ね?」

「分かったよ」

 お江を肩車し、私室に戻る。

 本当なら、鶫の様子を見たいが、引きこもっているのならば、今は、1人になりたいのかもしれない。

 こんな大所帯で行っても、精神衛生上、悪いだけだ。

「御帰り」

 そこには、誾千代が、謙信とお市を控えて、待っていた。

「大変だったわね?」

「ああ」

 心配だった筈だが、3人は、お江等の様に感情を表に出さない。

 山城真田家の先輩女性として、冷静沈着だ。

「心配かけたな。済まん」

「良いよ。松の為だったんでしょう? 事情は聞いている」

 松姫を見ると、申し訳無さそうに頭を下げた。

 あの晩、松姫が外出の提案をした。

 よって、彼女が、事件の原因とも考えられる。

 誾千代が制裁しても可笑しくはないのだが、説明責任だけ果たさせ、後は不問な所を見ると、問題視していない様だ。

 誾千代、謙信、お市の順番に接吻していく。

 謙信が不安げに尋ねる。

「鶫、大丈夫なの? ずーっと泣いているけど?」

「多分な。小太郎」

「は」

「一応、見ててくれ。若し、自殺に走ったら全力で止めろ。薬を使っても構わん」

「は」

 小太郎が、消えると、今度は、お市が問う。

「自殺をしそうなくらい、嫌な事が?」

「ああ。ただ、探らないでくれ。気にはなるだろうが」

「分かったわ」

 お江をお市が抱き締める。

「真田様に助けられてばかりだね?」

「うん。でも、惚れ直したよ。兄者の事。今まで以上に大好き」

「それは、良かったわ。嫉妬しちゃうけれど」

 お市の目が、細くなる。

 御腹を痛めて産んだ子供が自分以上に懐き、更に自分以上にイチャイチャしているのは、嫉妬しても可笑しくはないだろう。

「……済まん」

「今晩。兄者と夜伽するんだ」

「あら、じゃあ、私も参加するわね? ? ?」

「……ああ」

 圧が凄い。

「じゃあ、夜伽迄は、私が相手するわね?」

 手刀で手錠を破壊し、誾千代は、そのまま大河を拉致。

 自室に連れていく。

「……これって金属ですよね?」

「松、深い事は考えるな」

 謙信の溜息と共に大河の悲鳴が城内に木霊こだました事は言う迄も無い。


 その後、アプト、阿国、朝顔にも説明会を開いた。

 夕刻。

 大河は、

・寝不足

・夜這いの心の傷

・圧による〃

 で疲弊化。

「……」

 餓死寸前の様に痩せ細っていた。

「それで、如何するの?」

「決まってるさ。黒幕を潰すのみだ」

 楠から貰った報告書を見つつ、大河は、答える。

「やはり、スペインが一枚噛んでいたか」

 報告書によれば、スペイン人宣教師が、日本人切支丹を煽り、暗殺を指示していた事が判った。

「……丁度、大坂に寄港中か」

「何するの?」

「そりゃあ爆沈してもらうしかないな」

「やっぱり?」

「やっぱり」

 スペインとは、国とは『雨降って地固まる』だが、民間の宣教師とは関係が悪い。

 都では少なくなって来ているが、地方では寺社仏閣の敷地内で布教し、不興を買う等、現地の宗教勢力と対立を深めている。

 日本人信者の獲得争いも激しい。

 船の名前は、『サン=フェリペ号』。

 スペイン船籍の貨物船だが、時折、宣教師や外交官等を乗せてやって来ていた。

「……油槽に煙草を投げ込め」

「そんな簡単な事?」

「ああ」

 歴史は、証明済みだ。


 昭和17(1942)年11月30日。

 横浜港に停泊中のドイツ軍艦、ウッカーマルクが爆発。

 これにより、ドイツ人、中国人、日本人合わせて105人が犠牲となった。

 戦時中であり、然も物証となり得る物も大規模な被害が生じた為、喪失。

 今尚、原因は、定かではない。

 その為、当時から、

・敵国(英又は蘇)の工作員による工作活動説

 が囁かれているが、目撃者の証言等から、『油槽の清掃作業中の作業員による喫煙』が有力視されている(*1)。


 そんな事で爆沈出来るのかは、想像出来ない楠であったが、

 ―――

『第1条 家長は常に正しい。

 第2条 家長が間違っていると思ったら第1条を見よ!』

 ―――

 という家訓が示している通り、逆らう事は出来ない。

「じゃあ、指示しておくわ」

「有難う」

 楠は、消える。

「主」

 見るからに作り笑顔の鶫が入って来た。

 泣き腫らした目が、痛々しい。

「頭痛するか?」

「! よく分かりましたね?」

「それだけ泣きゃあ頭も痛くなるもんさ」

 大河は、鶫の手を取って、膝に座らせる。

「主?」

「心配してたよ。自刃するかと思った位だ」

「何度か希死念慮はありましたが、主が居る限り、しませんよ」

「良かった。―――小太郎」

「は」

 天井裏から何時もの様に降り立つ。

「有難う」

 小太郎も座らせ、大河は、2人の頬に接吻する。

「これから数時間以内に面白い事が起きる」

「「と、言いますと?」」

 流石、親友だ。

 ここまで綺麗に揃うのは、双子の様だ。

「大坂港を彩る、花火だよ」


 数時間後、サン=フェリペ号が爆発する。

 突如、生まれた直径約5㎞もの火の玉は、船全体を覆い尽くす。

 指示通り、工作活動に成功した国家保安委員会であるが、船には、耶蘇教徒過激派を支援する武器も積まれていたのだ。

 爆発は、弾薬にもよって二次災害を引き起こし、何度も小爆発も繰り返す。

 兵器は、地上約4㎞まで吹き飛ばされ、海上や陸地に叩き付けられる。

 溶かす程の凄まじい熱に多くのスペイン人は、即死。

 運良くそれを免れた人々も、今度は、硝子片や金属片、それに壊れた武器や死体の雨を食らう。

 大坂港周辺では、震度6強の揺れを観測し、津波が発生する。

 然し、直近で淡路島を震源地とする震災を経験したばかりだった為、沿岸に居た人々は、直ぐに避難。

 防波堤も活躍し、被害も最小限に抑えられる。

 この爆発により、死者は数千人を数え、大坂にあるスペイン領事館も壊滅的な被害を受けたのであった。

(大坂港が横浜港じゃなく、ポートシカゴになった訳か)

 記事には、


『【惨事! 大坂港丸焼き! 死者多数】』


 と分かり易い見出しが躍っている。

(民間人にも被害が出ているが……国を想えば、『小の虫を生かして大の虫を助ける』、か)

『小の虫を生かして大の虫を助ける』は、しばしば重大な決断を迫られた時に、大を救う為に少しの犠牲も止むを得ない時に使用される。

 その代表例は、コベントリー爆撃だろ。


 1940年11月14日。

 イギリスの工業都市であったコベントリーは、ナチスによる爆撃の標的となり、大聖堂を含む市の中心の大部分が破壊された。

 この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶ為、爆撃を見逃したとする陰謀論がある。

 BBC英国放送協会によれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」と暗号名コードネームで書かれていた為に、それがコべントリーであるという事までは判らなかったとされる(*2)。


 若し、実際に見逃していたのならば、チャーチルは、英雄から「国民を見殺しにした極悪人」として非難され、イギリス政府も国家賠償請求訴訟に遭うだろう。

 今回も又、コベントリーと同様だ。

 サン=フェリペ号に武器が詰まている等、思いもしなかった。

 検査はしているのだが、100%防ぐ事は不可能だ。

 現代でも、暴力団等の犯罪組織が網の目を掻い潜って、世界一厳しいとされる銃刀法がある日本で、M16等の銃器を入手している。

 彼等の死を無駄にしない為にも、日ノ本は守らなければならない。

 爆発の原因は、『宣教師による喫煙』と改竄され、流布される。

「出てけ~!」

「犯罪者め~!」

「人殺し~!」

 全国各地の教会が焼き討ちに遭う。

 耶蘇教受難の年である。

 珠も心苦しい。

「……禁教令、なる?」

「さぁな」

「……」

 大河に膝枕し、耳掻きをしている。

 こんな美人にされてもらうのは、耳掻き専門店な感じが否めないが、2人は、れっきとした婚約者同士。

 別の瓦版には、


『【宣教師26人、外患誘致罪により死刑】

 西班牙すぺいん貨物船爆沈事故の捜査により、26人の宣教師が過激派を支援していた事が判り、大坂高等裁判所は死刑を宣告。

 その日の内に執行された。

 刑場には、多くの被害者遺族が詰め掛け、死刑囚に対し、罵倒。

 一時、混乱した。

 死刑囚の一部には、人身売買にも関与していた事が判り、人権擁護局が動き、国際問題への発展が危惧されている。

 織田信孝首相は、

「これ以上の問題行動は、我が国の人権を著しく侵害しているものであり、断腸の思いで対応しなければならない」

 と、断交を示唆。

 駐日西班牙大使は、召喚される外務省に行く途中、遺族に囲まれる等、反西感情が戦争以来、高まっている』


 と、詳細に報じている。

 政権が真剣に断交を検討しているのは、大河の耳にも伝わっている。

(阿片、か)

 これでも尚、切支丹が居るのだから、

 ―――

『宗教は、逆境に悩める者の溜息であり(中略)、それは民衆の阿片である』(*3)

『宗教は救いの無い、苦しむ人々の為の、精神的な阿片である』(*4)

 ―――

 という意見は、理解出来るだろう。

「なぁ、珠は、敬虔なんだよな?」

「はい。どうしました?」

「いや、耶蘇教って自殺を禁じているだろう?」

「どの宗教も自殺を推奨していませんけどね」

「若し、自殺しなければならない状況に陥った時、どうするんだ?」

「人の手を借りて、自殺すると思う。猶太ユダヤの方々が要塞でした様にね」

「……」

 その人に殺人の罪を着せるのか? という言葉をぐっと飲みこむ。

 それを出せば、口論になる事は違いないからだ。

「若殿、何か心配事でも?」

「純粋な疑問だよ」

「私は、その時があれば、若殿に介錯をお願いしたいです」

「……」

 史実で細川ガラシャは、西軍の人質となり、夫・細川忠興が東軍に加わる為の作戦に巻き込まれた。

 ガラシャは、西軍の思惑に乗らず、自殺を選び、家臣に介錯を任せた。

 肩身が狭い耶蘇教の時代に於いて、彼女は、死ぬまで耶蘇教であったのだ。

「その時はな。でも、そこまで追い込んだ奴は殺すよ」


[参考文献・出典]

*1:エルヴィン・ヴィッケルト『戦時下ドイツ大使館 ある駐日外交官の証言』中央公論社 1998年)

*2:ウィキペディア

*3:『ヘーゲル法哲学批判序論』 カール・マルクス

*4:『Ludwigルートヴィヒ Borneベルネ iv』 ハインリヒ・ハイネ 1840年

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