第282話 破邪顕正

 万和3(1578)年中旬。

 大河は、与祢の両親に挨拶に行く。

 山内一豊・千代夫妻は、京都新城の敷地内の一等地に居を構えている。

 月々の家賃は、現代換算で100万円位だろう。

・仕事場まで徒歩数分

・警備兵常駐

・私営プール完備(予約制)

・家具家電付き

 ……

 これ程の好待遇で、夫妻が払うのは、何もない。

 あるとすれば、プールを使った際の1時間10円だろう。

 居心地が良過ぎて、金銭感覚が麻痺しそうだ。

 夫妻は、2人を客室に通す。

「いやはや、まさか、真田様自ら御挨拶とは」

 一豊は、緊張して冷や汗が止まらない。

 義理の息子になる訳だが、相手は、上皇とも結婚している。

 自身は、「平民」を自称しているが、夫妻には殿上人の様に感じられた。

 千代が震えた手で御茶を出す。

 今にもこぼしそうだが、何とか机に置けた。

「夏ですからね。暑中見舞いです。どうぞ」

 南国産の甘蕉かんしょう(=バナナ)を渡される。

 見ただけで分かる、高い物だ。

「仏壇に御供えしますね」

「いえいえ。御夫妻でお食べ下さい。その為に持って来たのですから」

 大河は、苦笑い。

 これと似た様な話が、文化大革命にある。


 1968年10月、パキスタンの外相から菴羅マンゴーを贈られた毛沢東は、北京の主要工場に1個ずつ分け与えた。

 その一つ、北京紡績工場では、工場関係者が菴羅を祭壇に設けて毎日一礼した。

 菴羅が腐りかけると果肉を茹で、その汁を従業員全員に恭しく飲ませ、その後、菴羅の模造品を祭壇に飾った(*1)。


 行き過ぎた個人崇拝の代表例であろう。

 こういった事例から大河は止めるのは、当然の話だ。

「もう、緊張し過ぎ」

 大河と手を繋いでいた与祢がようやく、口を開く。

 帰宅しても時間がかかったのは、両親の失態に呆れ、恥ずかしかったからだ。

「いや、でも」

「父上。若殿は御仏みほとけの様に全然怒らないから。後で絶対に食べてね? 腐るまで放置する事が失礼だよ」

「そうだな」

「そうだね」

 娘の正論に夫妻も我に返る。

 訪問には大河の意向で、小太郎等、いつものメンバーは居ない。

 大人数で押し掛けたら、千代の容量も超え、折角の休日も疲れてしまう。

 だからこそ、最少人数の2人での訪問なのだ。

「この通り、私達は鴛鴦おしどりだから。もう心配する手紙、寄越さないでね?」

「え~」

 一豊は、不満顔。

 大河の提案により、与祢は毎週土日は、ここに帰っている。

 然し、手紙が来てその都度つど返事を書いていたのは、知らなった。

 与祢の知られざる一面であり、山内家の仲良しさがよく分かる。

 今にも泣きだしそうな一豊。

 愛娘を送り出した父親の想いを、大河も華姫や累の時に感じるだろう。

「ほらほら、泣き虫は、邪魔だから。あっち行っててよ」

「うん。済まん」

 千代に追い払われ、一豊は、別室に。

 数秒後、すすりなく声が。

「御免なさいね? あの馬鹿、娘を送った癖にずーっとめそめそしていまして」

「そうなんですか?」

「はい。真田様の御配慮には、感謝していますが、未だ愛娘を可愛がりたい年頃らしく。済みません」

 流石、良妻だ。

 大河の気分を害さない様に、言葉を選んでいる。

 ただ、これくらいの事では怒らないのだが、まだ、その分、関係性が上手く築けていない様だ。

「いえいえ。自分も娘を2人居る為、分かりますよ。特に華は、同年代ですからね」

 と、言いつつ、与祢を抱き寄せる。

「うふふふ。仲良しですね?」

鴛鴦おしどりだから」

 与祢は、ぞっこんを主張アピールするべく更に大河と密着する。

「真田様、確認ですが、子供の方は?」

「まだですよ。成人してからです」

「良かったです」

 秘密だが、子供の質問をした際、千代の顔が怖かった事は言う迄も無い。

 愛娘が成人前に交わっていれば、それこそ、不安で不安で仕方が無いだろう。

「与祢、真田様に言い寄り過ぎては駄目よ。婚約の身なんだから」

「分かってるよ。そこの所は、毎日、珠から習ってるから」

「なん……だと?」

 思わず見ると、与祢は、恥ずかしそうに続ける。

「珠に保健体育の先生して頂いているんです」

「……」

 与祢の前で交わっていたのは、自覚しているが、まさか、其処迄親しいとは思わなんだ。

「……与祢、ちょっと耳を塞いでて」

「え? 何で?」

「良いから」

「は、はい」

 千代の凄みに押され、与祢は、言われた通りにする。

「真田様、御婚約して下さった事は感謝しています」

「はい」

 大河は、正座していた。

 義母が、予想以上に怖い件。

「性教育は、大切ですが、臨機応変にして下さい。与祢が間違っても、痴女にしないで下さい」

「は。重々、承知しています」

 義母からの御叱りは、数時間続き、大河の足は痺れ、その帰り、歩けなかった事は言う迄も無い。


 山内家訪問の翌日。

 大河は、都庁に居た。

「真田殿、御久し振りです」

「今日は、暑中見舞いとその返礼品を届けに来ました」

 大河の腕に珠が、絡み付いている。

 2日連続、婚約者の家族に会いに来たのは、間を開けると、2人の何方かが焦るのではないか? と、考えたからだ。

「珠から毎週、手紙を貰っています。珠、幸せそうだな」

「うん。若殿は昼は優しくして、夜は獣だから」

 ロザリオを強く握りしめつつ、珠は、嬉しそうに答える。

 下ネタでも、娘が幸せならそれで良いらしく、微笑みを絶やさない。

「真田殿、御訪問して下さり、有難う御座います」

 返礼品を貰い受け、光秀は、自ら椅子を用意する。

「いや、長居する訳では―――」

「休憩中ですから」

 山城守は、現代で言う所の都知事に相当する。


・予算案作成

・予算執行

・議会に条例案等を提出

・租税等徴収


 する四つの権限を持つのは、現代の東京都知事と同じだ。

 この他、


・知事部局職員の人事権


 も行使する事が出来る為、副知事を指名出来たり、新たな地方税を創設も可能だ。

 もっとも、これらは当然、都議会の承認が必要不可欠である(*2)。

 公約を実現する為には、都議会との協力関係が必至なのだが。

 事実上、政界は大河が牛耳っている為、結局は”闇将軍”次第だ。

 都議会と上手く行っていないのか、光秀は少し、老けた様子。

 前任者・大河の人気が凄過ぎた為、多くの議員は、彼の復帰を願っているのかもしれない。

 国の借金を私費で埋めていた大久保利通も、西郷隆盛と比べると、人気が劣る。

 光秀も亀岡では成功したが、それが都政でも上手く行くとは限らない。

 珠が紅茶を飲んでいる間、

「明智殿、何か都政で御困りではないすか?」

「ええ。沢山ありますよ」

「では、次の都議会で『戦いに勝ちては、喪礼もれいってこれる』と、演説してみたら如何です?」

「! 老子ですか?」

「はい。潮目が変わるかと」

 同じ事は、昭和にも起きている。

 戦後最大の黒幕・安岡正篤の有名な逸話に以下の様な内容が伝わっている。

 ―――

『佐藤栄作がケネディ大統領を訪問したのは、昭和37(1962)年10月である。

 総理に就任する2年前の事だ。

 佐藤の名は、まだアメリカでは知られていない。

 折しも、米蘇間は一触即発の緊迫した関係にあった。

 ソ連がキューバにミサイル基地を造りかけ、アメリカはソ連艦船の海上封鎖に踏み切っていた。

 キューバ問題で沸きかえるホワイトハウスは、佐藤を迎えても、ゆっくり話し合っている暇は無い。

 予定の通りケネディとの会見は、短時間で終わるかに見えた。

「大統領」

 椅子を立つ間際に、佐藤がいった。

「シュバイツァー博士をご存じですね」

「ええ、存じています」

「そのシュバイツァー博士が仰ってますね。戦争に勝った国は、負けた国に対し喪に服する様な礼をもって接しなければならないと」

「ほう」

 帰りかけた佐藤をとどめて、ケネディは関心を示した。

「これは『戦いに勝つものは喪礼を以て之に拠る』という老子の教えでありまして、古来、東洋の哲学ともなっております。シュバイツァー博士は、あの1945年5月、ドイツ無条件降伏の報を聞いて老子語録を静かに味わいながら、敬虔な祈りを捧げられたと伺っております」

「そうでしたか」

 ケネディは益々興味を覚えた様であった。

 彼は旧教教徒として初めての大統領でもある。

「東洋で申します喪礼とは、人の死に際し、一定の期間、喪に服す礼の事であります。戦争はもとより不祥の出来事で君子のとらざる所でありますが、止むを得ず戦争になりましても、淡々を上とし、後はさっぱりと無欲である事がとうとばれるのであります。戦勝者は野心を戒め、敵味方多くの将兵を殺した事を悼んで、決して誇らしげであってはならない。戦勝者の上に立つ者は喪に服して天意を謹む、といった意味であります。例えば先の戦争で日本が勝っていましたら日本人、少なくとも天皇は、敗れた国に対し、そんな気持ちで対処されたに違いありません」

 この時の佐藤とケネディの会談は、大幅に予定を超え、1時間以上も続いたのだった』(*3)

 ―――

 ケネディ同様、光秀もその言葉に感心した。

「分かりました。試してみます」

「ふふふ」

 光秀の真摯な態度に珠は、嬉しそうだ。

 益々、大河への握力が強くなっていく。

 父親と未来の夫が仲良しなのは、珠としても安心だ。

 それに、大河の協力さえあれば、都政も簡単に進むだろう。

「父上、今後は、若殿を相談役に据えたら、万事解決になるかもよ?」

「そうだね。真田殿、今後とも宜しくお願いします」

 事実上の都政の二頭政治が、始まった瞬間であった。


 帰り道。

 都庁前で待っていたアプト、与祢と合流する。

「与祢」

「わ!」

 与祢を掴むと、そのまま肩車。

 そして、右でアプトを、左で珠の手を握る。

「若殿、目立って恥ずかしいです」

「良いんだよ」

 与祢の太腿に頬擦りし、言論封殺。

 幾ら与祢が、恥ずかしがっても、都民は、もう驚かない。

 大河の愛妻家と好色家振りは、有名だから。

 今更、公然とイチャイチャしようが、見慣れた物だ。

 ここ迄、公開していると、週刊誌も来ない。

 記事にしても、金には、ならないのだ。

 酒豪で愛煙家の芸人が外で女性を作っても世間的な心象は下がらず、逆に清廉潔白そうな俳優や芸人が同様の事をしたら、徹底的に叩かれるのと、似ているだろう。

「……」

 与祢は、恥ずかしさの余り、大河の頭にしがみ付き、顔を隠す。

「若殿、与祢を可愛がるのは、結構ですが、私達も忘れないで下さいね?」

「そうです」

 左右から、思いっ切り、力を加えられる。

 愛と嫉妬深さを感じるが、選んだのは、大河自身だ。

「分かってるよ」

  2人をそれぞれ、片腕で抱きあげて、抱擁する。

「今晩も頑張ろうな?」

 2人は、喜んで左右から頬に接吻するのであった。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:ivote Media 2020年6月5日

*3:『政財界の指南番・安岡正篤』須田 耕史 1993年

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