第231話 白雲孤飛

 万和3(1578)年3月1日。

 絶縁以来、道雪は初めて京都新城に入った。

 昨日まで九州に居たのに、翌日に上京出来たのは、文明の利器の御蔭である。

 生まれて初めて乗った鉄の化物―――飛行機に幼子の様に大興奮してしまったのは、黒歴史になるだろう。

「……綺麗な城だな」

「夫が潔癖症だからね」

「「……」」

 久し振りの父娘の会話は、ただたどしい。

 熟年夫婦の様だ。

「立花殿、宿泊先は何方どちらへ?」

 溜まらず同席していた大河が、回す。

 膝に累を抱え、机に向かって事務をこなしつつ。

「大友の屋敷だ。大殿が御用意して下さった」

「成程―――累、御爺様だよ」

「だー……」

 大河に促され、累は這い這い。

 道雪の膝迄行き、抱っこされる。

「……」

 人見知りしない性格なのか。

 物怖じせず、累は、道雪をじー。

 まるで珍獣を見るかの如く。

「……じいじ?」

「! 喋った?」

「そりゃあ喋るわよ」

 冷静沈着に誾千代は、突っ込む。

 然し、好々爺と化した道雪には、馬耳東風。

「可愛いなぁ♡」

 直ぐにメロメロとなり、懐からお金を取り出す。

「遅いが、お年玉だ―――」

「まだ赤ちゃんだけど」

 この突っ込みも無視。

 好々爺は、涎を垂らしそうな位、累に頬ずり。

「道雪殿、肌が傷付きます」

「そうだったな。済まん済まん」

 大河の忠告を遵守し、名残惜しそうに道雪は顔を離す。

 累の両頬は、真っ赤になり、彼女は、涙目だ。

「だー……」

 逃げる様に道雪から脱出し、大河の下へ。

「やはり、祖父より父が好きか……」

 今度は、道雪が涙目に。

 そして、大河に殺意の様な目を向ける。

「真田、娘の次に孫迄誑かしたか?」

「何故、怒られるか分かりませんが、先程のは、完全に道雪殿が悪いですよ。な、累?」

「だー」

 累が抗議すると、

「済まん」

 謝る事しか出来ない道雪。

 娘とは真正面から衝突出来るが、孫にはとことん弱いらしい。

「だー」

「厠か? じゃあ、一緒に行こうな。アプト」

『は』

 隣室からアプトが飛んできて、累を掻っ攫う様にして抱く。

「若殿も厠で?」

「ああ」

「御世話しましょうか?」

「自分で出来るよwww―――じゃあ、2人共、ごゆっくり」

 大河達が出て行くと、部屋は、再び沈黙が包む。

「「……」」

 宗麟の命令で来たとはいえ、2人は、仲直りした訳ではない。

 御互いそっぽを向き、一言も発さない。

 だが、思っている事は同じだ。

 早く緩衝材である大河が戻って来て欲しい。

 もっとも、

 ―――お互いが元気そうで良かった。

 という、後者の気持ちの方が強いが。

「……おっほん」

 誾千代が、

「父上、体調は如何?」

「……ああ、元気だよ」

 本来ならば、道雪の方が先制しなければばらないのだが、娘が先の為、話し易い。

 子供の様な自分に恥じつつ、道雪は、内心で褒める。

(よくやった、誾よ。成長したな。有難う)

「良かった」

「そっちは如何なんだ?」

「元気。子供は出来ないけどね」

「……欲しいのか?」

「そりゃあ勿論。だけど、不妊だからこそ、夫を1番独占出来ているから不満は無いわ。夫は、阿弥陀如来様の贈答品かもね」

「……そうか」

 部下からの報告で、娘夫婦の熱愛振りは、事前に聞いていた。

 然し、まさか、これ程迄とは思いもしなかった。

「……良かったよ。幸せそうで」

「子供は出来なかったけれど、養子に囲まれ、夫とは何時も一緒。自慢になっちゃうけれど良い人生じゃない?」

「……そうだな」

 九州で意固地になり、娘を勝手に不幸と決めつけていたが、本人は、実父の心配を余所に心底幸せそうだ。

 又、今回の再会で、知った事がもう一つある。

 誾千代の成長だ。

 暫く見ない内にになっていた。

 婦人会会長として、女性陣を束ね、又、日々、育児に忙しい為、道雪の知っていた娘はもう居ない。

 これを知れただけでも最大の収穫だろう。

「……真田に泣かされた事は?」

「無いわ。正直者だし、何時も直行直帰よ」

「あれ程好色家なのに、女は買わないのか?」

「然う言えば、全然行かないね」

「隠れて行ってるんじゃないか?」

「さぁ? でも、無理だと思うよ。ほぼ毎日、夜伽があるから」

「おお……」

 10人以上居る妻を相手にほぼ毎晩、熟すのは、道雪でも難しい。

 それに近衛大将という激務があるにも関わらず、夜伽もしなければならないのは、確実に男性側の寿命を短くしている事だろう。

 男として羨ましく感じる一方、「真似したくは無い」と思う道雪であった。


 ”闇将軍”と化した大河を当然、好ましく思っていない勢力は残存している。

 人に好き嫌いの感情がある以上、これは、永遠に無くなる事は無い。

 表立っての公言はしていないが、潜在的反真田派は、以下の通り。

・三好長逸(三好三人衆唯一の生存者)

・十河存保(讃岐)

・安宅信康(淡路)

・池田知正(摂津)

・比叡山延暦寺(近江)

・筒井順慶(大和)

・和田惟長 (摂津)

・内藤如安 (丹波)

・三好笑岩(河内)

・日根野弘就(伊勢)

・遠藤慶隆(美濃)

・甲賀衆 (近江)

・伊賀衆 (伊賀)

・赤井直正(丹波)

・内藤貞勝 (丹波)

・宇津頼重 (丹波)

・別所長治(播磨)

・山名氏(但馬、因幡)

・菅達長(淡路)

 謙信は結婚した為、生き長らえ、毛利輝元等は大河を厚遇した為、今では中国地方の盟主だ。

 彼等は時機を失い、不運にも生き残りレースからの脱落者であった。

 この中で最も危機感を露わにしていたのが、延暦寺である。

 座主・弓削は、大河の政教分離原則と国家による宗教の管理に対し、非常に不満を持っていた。

(……蜂起すべきか?)

 自分と同じであった本願寺は、完膚なきまでに叩き潰され、今では、宗教活動のみしか許されていない。

 僧侶達は、官憲に監視される中で努めて、政治的権利は、投票のみだ。

 内通者・内藤如安が、切支丹(1564年入信)の御蔭で、武器の入手には問題無い。

 問題は、人心だ。

 大河が反体制派を徹底的に弾圧する為、恐怖し、賛同者が集まらない可能性がある。

「……」

 薬師如来を見る。

 当然、何も答えてはくれない。

 戦国時代、自分達の権利を守る為に武力闘争を選んだが、今は、平和路線に徹している。

 これは、薬師如来も評価して下さっている事だろう。

 然し、弓削には、如何もこの平和な時代が気持ち悪かった。

 大河は確かに名君だが、宗教家の人権を奪っている様にしか見えない。

 信教の自由を憲法で明記しつつ、宗教を国家が管理するのは、矛盾と言え様。

(……薬師如来様の御意思に反するかもしれないが……のは、悪くは無いだろう)

 交流のある伊賀と甲賀の忍者がやって来た。

「座主、真田に不満があると御噂で知りました」

「我等、内藤殿の使いで参った」

「内藤……? 何故?」

 内藤如安は、切支丹大名で羽柴秀吉の部下とだ。

 所謂、政権側の武将なのだが。

「槇島城で足利に従い、敗れた内藤殿は、我等の味方です」

「あの時の様に2千を動員出来ます」

「……2千か……」

 先の内戦では、100万もの反乱軍でも斃せなかったのが、大河だ。

 又、運良く無傷で包囲しても”一騎当千”の二つ名を持つ彼の事。

 白兵戦でも難しい。

「……正面では、無理だ。罠でないと」

「吊り天井を仕掛けましょうか?」

 伊賀忍者の提案に、弓削は迷う。

 二条城で信忠がその標的ターゲットになったが、彼は死なず、無関係者が多数死傷した。

 仏に仕える弓削としては、無差別殺人は避けたい。

・テルアビブ空港で銃を乱射した日本赤軍

・世界各地で地元政府と戦うイスラム過激派

 ……

 何れも民心の支持を得られず解散や自然消滅に追い込まれている。

 宗教を掲げ、戦うには、やはり義賊でなければならないだろう。

 然し、民からの好感度が高い大河には敵わない。

 どれも敗色濃厚だ。

「……!」

 色々と考えていると、妙案が思い付く。

「確か、彼奴は、宇治茶が好きだっただろう?」

「ええ。毎日、2杯以上は、愛飲しています」

「! まさか?」

 ニヤリと、弓削は嗤う。

「仏道に反するが、仏教国・日ノ本を取り戻すには、これしかない」


 弓削からの手紙に内藤は、決意した。

「……敵の敵は味方か」

 切支丹として異教徒と手を組むのは癪だが、大河は何方も弾圧している。

 一向宗を殲滅した時は手を叩いて喜んだが、次に耶蘇教を標的にしたとは思いもしなかった。

 内藤に才能があれば、『真田が最初仏教徒を攻撃した時』と題した詩を発表していた事だろう。

 まさに、今の内藤は、『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』の由来となったマルティン・ニーメラー牧師(1892~1984)の気分である。

(……作戦としては、効果的だろうな。成功率は、低いだろう)

 十字架のロザリオを握り締める。

 そして、聖書を開く。


『罪から来る報酬は死です。然し、神の下さる賜物は、私達の主キリスト・イエスにある永遠の命です』(ロマ6:23)


「……」

 ―――デウスからの御言葉。

 その様に内藤は、感じた。

デウス様の思し召しか……)

 大河の下でを神の名を借りて、変える。

 それが、内藤の目標となった。

 尤も、日ノ本に於ける切支丹の割合は、1%以下。

 現代でも、宗教に寛容な国民性から、熱心なキリスト教徒は少なく、その割合は、日本人全体の1%前後と言われている。

 ―――

『キリスト教系信者数:191万4196人

 割合       :1・1%』(*1)

 ―――

『キリスト教人口  :97万6434人

 全人口の内    :0・82%』(*2)

 ―――

 と、国と民間の資料にそれ程差が無いのが証拠だ。

 意外にもキリスト教徒が多い職種が首相である。

 2020人10月1日現在、首相は歴代で63人居るが、キリスト教徒を公言しているのは、7人だ。

 9人に1人がキリスト教徒なのに、国内では超少数派。

 西洋人が混乱するのも無理無い現象だろう。

 熱心な切支丹である内藤は、日ノ本をキリスト教国にする事で、欧米列強の仲間入りを果たしたい、と常々考えていた。

 その為には、国民を切支丹に改宗し、神道や仏教等の他宗教を排斥しなければならない。

(信長公が引退した今、敵は真田のみ……先代将軍の仇討ちも出来るだろう。失敗しても武士として死ねばよい)

 抜刀し、デウスに誓う。

(御加護を……)

 再び、大河の下に暗雲が近付いていた。


[参考文献・出典]

*1:『宗教年鑑』平成29年版

*2:2017年現在 東京基督教大学国際宣教センター日本宣教リサーチ「JMR調査レポート2017年度版」記載 キリスト新聞社『キリスト教年鑑2018』

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