伊豆ノ踊子
第158話 救国済民
小笠原諸島は、現代の東京都特別区の南南東約1千kmの太平洋上にある30余の島々からなる。
総面積は104km2。
天文12(1543)年
スペインのルイ・ロペス・デ・ビリャロボスが指揮するガレオン船サン・ファン号が火山列島を発見。
この時、母島も発見されたという説もあるが、不確実。
天文20(1593)年
信濃小笠原氏の一族を自称する小笠原貞頼が伊豆諸島南方で三つの無人島を発見。
『巽無人島記』には、
・父島の大きさが実際よりも遥かに大きく書かれている
・
とあるが、内容的に信憑性は低い。
寛永16(1639)年
マティス・クワストが指揮する、オランダ東インド会社所属のエンゲル号とフラフト号が二つの無人島を発見。
・エンゲル島(→母島?)
・フラフト島(→父島?)
と命名される。
寛文10(1670)年
紀州を出港した阿波国の蜜柑船が母島に漂着。
その後、長右衛門等7人は八丈島経由で伊豆国下田に生還し、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告。
平成28(2016)年現在、この報告例が日本人による最初の発見報告とされる。
延宝3(1675)年
漂流民の報告を元に、江戸幕府が松浦党の島谷市左衛門を小笠原諸島に派遣。
調査船・富国寿丸は36日間に渡って島々の調査を行い、大村や奥村等の地名を命名した上、『此島大日本之内也』という碑を設置した。
これらの調査結果は、将軍を始め幕府上層部に披露され、これ以降、小笠原諸島は
享保12(1727)年
小笠原貞頼の子孫と称する浪人・小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求め、幕府に『辰巳無人島訴状幷口上留書』を提出して訴え出る。
それには父島、母島、兄島等の島名が記されており、各島の島名の由来に。
又、小笠原島と呼ばれるのはこれ以降の事である。
享保20(1735)年
奉行所が再調査。
最終的に貞任の訴えは却下され、探検の事実所か先祖である貞頼の実在も否定。
この為、貞任は詐欺罪に問われ、財産没収の上、重追放の処分。
文政6(1823)年
英の捕鯨船トランジット号が母島に来航し、母島をフィッシャー島、沖港をポートコフィンと命名する。
トランジット号は、記録に残る中では小笠原諸島に寄港した最初の捕鯨船。
文政9(1826)年
英の捕鯨船ウィリアム号が父島の湾内で難破。
乗組員の殆どは別の捕鯨船で父島を去るが、船員2名が父島に残留し、初の定住者。
文政10(1827)年
英軍艦ブロッサム号が父島に来航。
フレデリック・ウィリアム・ビーチー艦長(1796~1856 地理学者)は新島発見と思い違いし、父島をピール島、二見湾をポートロイド、母島をベイリー島と命名し、領有宣言。
然し、この領有宣言は英政府から正式に承認されなかった。
文政13(1830)年
天保6(1835)年
駐澳門貿易監督官が、英政府に対して父島へ軍艦を派遣し、当地の占領を要請。
これは清朝に対する英の根拠地を求めた為であり、英海軍は軍艦ローリー号の派遣を決定。
父島の英人、リチャード・ミリチャンプがロンドンに一時帰国し、英政府に小笠原移住民の保護を請願。
天保8(1837)年
ローリー号が父島に来航し、各種の調査を行い、当時の父島の人口を42名と報告。
天保13(1842)年
阿片戦争(1840~1842)の講和条約・南京条約により、英は香港獲得。
これにより、小笠原諸島占領白紙化。
弘化3(1846)年
出島のヨセフ・レフィスゾーン(1800頃~1883)商館長(蘭)が長崎奉行に対し、小笠原諸島の実効支配を行うよう忠告するが、幕府はこれを黙殺。
弘化4(1847)年
ジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航。
後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくる事になる。
嘉永2(1849)年
父島が海賊の襲撃を受け、数人の島民女性が拉致された上、家畜、食糧、医薬品や現金2千弗を強奪される。
嘉永6(1853)年
ペリーが日本へ行く途中、琉球を経て父島二見港に寄港する。
島民の為に、
・牛
・羊
・山羊
・野菜の種子
を与え、石炭補給所用の敷地を購入した他、3条13項から成るピール島植民地規約を制定し、自治政府設置を促す。
ピール島植民地規約に基づき、ピール島植民政府が設立され、
安政4(1857)年
モットレー一家が母島(沖村)に居住する。
文久元(1862)年
幕府は官吏を派遣し、測量を行う。
又、居住者に日本領である事、先住者を保護する事を呼びかけ同意を得る。
駐日の各国代表に小笠原諸島の領有権を通告。
文久2(1863)年
八丈島から38名の入植開始。
文久3(1864)年
生麦事件によって日英関係が悪化した事を受け、日本人移民が父島から撤収。
元治元(1864)年
ハワイの宣教師船モーニングスター号が南鳥発見。
明治9(1876)年
小笠原島の日本統治を各国に通告(日本の領有が確定)。
明治15(1882)年
欧米系住民が全て日本に帰化。
明治24(1891)年
火山列島を小笠原島庁の所管、硫黄島が正式に日本領。
昭和3(1928)年
東京大正博覧会の『小笠原館』で小笠原住民が「陳列」。
昭和18(1943)年
東京都制の施行により東京都の管轄となる。
WWII時に硫黄島は激戦地となり、父島等も日本軍により要塞化(父島要塞)。
昭和19(1944)年
住民6886人(残留者825人)は本土へ強制疎開(但し、その内、20余人が引揚の時、事故死)。
昭和20(1945)年
硫黄島の戦いが行われ、日本兵1万8375名と米兵6821名戦死。
小笠原事件。
米軍駆逐艦ダンラップ号で小笠原の日本軍が降伏を調印。
昭和21(1946)年
連合軍総司令部がSCAPIN-677を指令し、日本の小笠原諸島への施政権が停止。
昭和27(1952)年
サンフランシスコ講和条約の発効により、小笠原諸島がアメリカの施政権下に。
昭和42(1967)年
小笠原返還協定により、小笠原諸島の日本への返還決定。
日本政府、小笠原復帰準備対策本部設置。
昭和43(1968)年
小笠原復帰協定が締結。
4月16日
南方諸島及びその他の諸島に関する日米間の協定の締結について国会の承認を求めるの件につき、閣議決定。
5月22日
協定締結につき、国会で承認。
5月27日
米へ協定を通告。
協定第6条により、米政府が日本政府から受領日の後、30日目の日(同年6月26日)に協定は効力を生ずる。
6月12日
協定を公布(昭和43年条約第8号)。
6月26日
協定が発効し、日本に返還。
東京都小笠原支庁設置。
小笠原諸島全域を領域とする小笠原村が設置される。
戦前の旧・大村、旧・扇村、袋沢村、旧・北村、旧・沖村及び旧・硫黄島村は、小笠原村となる。
然し、この異世界では、史実通りにはいかない。
島民を統率しているのは、褐色の美女。
名は、
タヒチ語由来の名前だ。
ショートボブの藍色の髪の彼女は、配下の村長からの手紙を読む。
『チチキトクスグカエレ ハハ』
「……」
ぎゅっと、破れそうなくらい、握る。
彼女が居るのは、山中城。
小田原城の支城として、北条氏康によって築城された中世の山城だ。
箱根十城の一つで、日本100名城に選ばれている。
天正18(1590)年、豊臣秀吉による小田原征伐の際に、豊臣秀次率いる7万の軍勢に攻撃され、僅か半日で落城。
現在も当時の
見た目は、純粋な日本人とは言い難いが、彼女はこれでも城主だ。
「……殿、近衛大将に御相談してみては、如何でしょう?」
提案者は、松田憲秀。
天正8(1590)年の豊臣秀吉による小田原征伐では、当初は徹底抗戦を主張するも、秀吉側の堀秀政等の誘いを受けて長男・笠原政晴(政尭)と共に豊臣方に内応し様とした。
然し、次男・直秀の注進があり北条氏直によって事前に防がれ、憲秀は監禁、政晴は殺害された。
この事件は、北条家に降伏を決意させる事となったといわれている。
この結果、北条家仕置時に、秀吉にその不忠を
籠城時に豊臣方に内応した説であるが、憲秀は一度は徹底抗戦を主張したものの、秀吉軍の前に抵抗は無理と悟り相模国・伊豆国の2国の所領安堵と城兵の助命を条件に和睦を打診していたという説もある。
然し、これは憲秀独断の交渉であり、又一度は徹底抗戦を主張した当事者としては許されるべき対応ではなかった為に、露見した際に死罪ではなく監禁されたと思われる。
子の政晴については積極的に内応をし様と次男・直秀に相談していたという経緯があった為に、憲秀とは違い即座に死罪となったと推測される。
一方で、政晴が僧になり静岡県三島市の蔵六寺を開山し、寛永3(1626)年に60歳で病死したという寺伝も残っている(*3)。
史実で裏切者になった様に、ここでも憲秀は、他家と内通している。
織田家―――ではなく、山城真田家と。
御館で真田軍の圧倒的な武力を前に、彼の北条家に対する忠誠心は薄れ、大河の誘いに応じ、
北条家も彼の不審さに気付いているものの、何かあれば大河に目を付けられ、事実上の厳封若しくは改易に遭う可能性があった。
だからこそ、彼を処分出来ないのだ。
「……近衛大将とは、どんな人物だ?」
「一言で申しますと、愛国者です。好色家が短所ですが」
「……京に早馬を」
「は」
ナチュラは、見た事はないが、真田軍には空軍がある。
小笠原諸島の海賊を掃討するのは簡単な事だ。
「”一騎当千”か……」
余り、仇敵に頼りたくないが、危機には変わりない。
昨日の敵は今日の友。
爪を噛みつつ、ナチュラは返事を心待ちにするのであった。
[参考文献・出典]
*1:田中弘之『幕末の小笠原--欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』 中央公論社 1997年
*2:https://kojodan.jp/castle/64/
*3:下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』 東京堂出版 2006年
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