第95話 風声鶴唳

 ―――

『昔、安珍という若いお坊さんが、くま大社たいしゃへお参りする途中、庄屋さんの家に一晩泊めてもらった。

 庄屋さんの1人娘の清姫と出会い、2人とも強く心惹かれあった。

 安珍は、

「熊野大社からの帰りに、必ずまた立ち寄るから」

 と、言い残して庄屋の家を出発した。


 然し、到着した熊野大社の僧侶に心の迷いを見抜かれ、目を覚ませと諭された。

 修業中の身であった安珍は改心し、清姫と会わないよう帰り道とは違う道を帰る事にした。

 清姫はそんな事とは露しらず、安珍の帰りを待ち詫びて、見知らぬ旅人に声をかけた。

「あの、もし。熊野詣からの帰りの、若いお坊様にお会いになりはしませんでしたか?」


 別の道で帰ったと知った清姫は、訳が分からず混乱しながらも必死に安珍を追いかけた。

 日高川(現・田辺市、日高川町、御坊市)を船で渡る安珍を見付けたが、清姫は日高川で溺れてしまった。

 清姫は、赤い火を吐く恐ろしい大蛇の姿に変化し、更に安珍を追い続けた。


 安珍は必死の思いで道成寺どうじょうじに逃げ込み、釣鐘つりがねの中に隠れた。

 大蛇になった清姫は、安珍の隠れた釣鐘に体を巻きつけ、真っ赤な炎を吐き続けて、とうとう安珍を焼き殺してしまった』(*1)

 ―――

 大河の読み聞かせに呪々は、

「う……う……」

 徳●和夫並に大号泣だ。

 角を生やす人間目線では、異形の鬼だが、中身は悲恋に涙す純粋な女性らしい。

 大河が既婚者でなければ、ギャップ萌えで惚れていた事だろう。

 大河の裾を千切り、ハンカチ代わりに涙を拭く。

「貴方、読むの上手ね?」

「養女が居るからな。多分、それで上手く聞こえるんじゃないかな?」

「然う言う事ね」

 呪々は、巻物を指パッチンで消す。

 最初こそ驚いたが、何度も見る超能力に大河はもう慣れた。

 ちょっとやそっとの事では、驚かなくなっている。

「人間、お腹空いていない?」

「ああ。その前に、一つ良いか?」

「何?」

「『人間』って言うのは止めてくれないか? 呪々も名前の様に『鬼』って連呼されたら嫌だろう?」

「へー、私に物申すんだ?」

「嫌か?」

「いや、珍しいな、と。書物では、人間は、鬼を恐れているって読んでいたから」

 辞書を引けば、鬼は、次の様に説明されている。

 ―――

『【鬼】《「おん」の音変化で、隠れて見えないものの意とも》

[名]

1 仏教、おんようどう  に基づく想像上の怪物。

 人間の形をして、頭には角を生やし、口は横に裂けて鋭い牙 を持ち、裸で腰に虎の皮の褌を締める。

 性質は荒く、手に金棒を握る。地獄には赤鬼・青鬼が住むという。

2 《1の様な人の意から》

 ㋐勇猛な人。「鬼の弁慶」

 ㋑冷酷で無慈悲な人。「渡る世間に鬼はない」「心を鬼にする」

 ㋒借金取り。債鬼。

 ㋓ある一つの事に精魂を傾ける人。「仕事の鬼」「土俵の鬼」

3 鬼ごっこや隠れんぼうで、人を捕まえる役。「鬼さん、こちら」

4 紋所の名。鬼の形をかたどったもの。

5 目に見えない、超自然の存在。

 ㋐死人の霊魂。精霊。「異域の鬼となる」

 ㋑人に祟りをする化け物。

  物の怪。

なん殿でん  の―の、なにがし大臣おとど  脅かしけるたとひ」〈源・夕顔〉

6 飲食物の毒味役。→おに  い →おに  み

「鬼一口の毒の酒、是より毒の試みを―とは名付けそめつらん」〈浄・枕言葉〉

[接頭]名詞に付く。

1 荒々しく勇猛である意を表す。

「鬼将軍」

2 残酷・無慈悲・非情の意を表す。

おにばば  」

「鬼検事」

3 外見がかい  ・異形である様、また大形である様を表す。

「鬼歯」「鬼やんま」

[補説]近年、俗に、程度が甚だしい様を表すのにも用いられる。

・「鬼の様に忙しい」

・「鬼うまい」

・「おにでん  (=短時間に何度も電話をかけること)」』(*2)

 ――

 肯定的な意味より否定的なそれの方が多い。

 人間が鬼に対する心象は、総じて「恐怖」なのだ。

 にも関わらず、一切、怖がらない大河を、呪々は気に入る。

「愛玩動物にしておくのは、勿体無いわね?」

 そして、首輪を外した。

「良いわ。名前は?」

「真田山城守大河―――」

「長い」

「じゃあ、ジョン・スミス―――」

「それも偽名でしょう? 本名を教えなさいよ? 私だけ名前を教えて不公平じゃない?」

「……」

 正論だ。

 然し、大河は、ある事情から極力、本名を明かしたくない。

 国際旅団でも、日ノ本でも偽名なのは、家庭の事情だ。

「……嫌なら、調べるだけよ」

 呪々の手元にスマートフォンが出現する。

 大河の金庫から引き寄せた様だ。

「……調べても出て来ないよ」

「あら? 大した自信ね? どうして?」

「不義の子だから」

「え……」

 言葉を失う呪々。

 大河が愛妻に隠していた醜聞スキャンダルが、それだ。

「……御免」

「責めるな。気にしていない」

 呪々からスマートフォンを引っ手繰った大河は、自分の名前を検索する。

 そして、その画面を見せる。

 ———

『検索に一致する情報は見付かりませんでした。検索ツールをリセット

 検索のヒント

・単語に誤字・脱字が無いか確認します。

・別の単語を試してみます。

・もっと一般的な単語に変えてみます』

 ———

 天下のグー●ル先生でも、情報が氾濫した現代社会において、ヒットしないのは、珍しい事だろう。

「……」

「多分、認定死亡されているから戸籍にも無いよ。まぁ、どの道、向こうでは、ナチの言う様に俺は、生きるに値しない命なんだから」

 言葉は少なげだが、大河が傭兵になったのは、潜在的に出自が原因で死に急いでいたからに他ならない。

 日ノ本では、愛妻や養女、愛妾の御蔭で何とか生きる希望はあるものの。

 言い換えれば、彼女達が居なければ、現代で侵されていた様に希死念慮が、発症しても何ら可笑しくは無い。

「……抱き締めて良い?」

「何で?」

「何となく」

「……殺さない程度なら良い―――ぐえ」

 熊式鯖折りされ、骨が折れ、内臓が破裂する。

 が、激痛よりも早く大河は気絶した為、苦しむ事は無かった。


「御免ねぇ……」

 次に大河が目覚めた時、呪々の膝の上であった。

 確実に骨折と内臓破裂したのだが、痛みは無い。

 天狗が再度、治療したのだろう。

 とうしんの様に心地良い。

「私、不器用だから」

 涙が、大河の頬に垂れ落ちる。

「良いよ。助かったんだから。次、気を付ければ良い」

「! 私に事、嫌いになったんじゃないの?」

「全然」

「良かった……」

 安堵した呪々は、返す。

「御免ね。私物を盗んで」

「良いよ」

 厳密に言えば、その所有者は、エリーゼだ。

 早急に返すべき事だが、返す時機を失っている為、返すに返せない。

 それを受け取ると、呪々が、じっと見つめていた。

「何だ?」

「……若し、嫌なら良いけれど、友達になってくれない? 人間の友達、欲しかったんだ」

「良いよ」

 妖怪に興味がある大河としても、悪い事では無い。

 大河の温厚さが、着実に彼女をリマ症候群にしていた。

「……じゃあ、友達」

 嬉しそうに大河の手を取り、握手する。

 鬼だけあって、その握力は、強い。

 本気を出せば、ゴリラ以上の握力が出るだろう。

 然し、賢い彼女は、先の失敗から大河の掌を粉砕する程の力を出す事は無い。

 少女と接するかの如く、それは弱かった。

 握手を終えた呪々は、

「……」

 自分の手を見詰めている。

 人生で初めて人間と握手したのだ。

 妙な感情なのだろう。

「……じゃあ、俺は、これで―――」

 むんず、と。

 大河の襟首が捕まった。

「駄目。もっと仲良くなろうよ」

「いや、厠に行きたいんだが?」

「じゃあ、一緒に行こう。連れションってのが、友達なんでしょ?」

「……まぁ」

 異性の連れションは、聞いた事が無い。

 然し、呪々に抵抗出来る訳が無く、大河は厠に連れ込まれるのだった。


 同時刻。

 捜索隊が、徐福村に到着する。

 廃村で無名の為、捜索には時間が掛かったのだ。

 その長は、エリーゼだ。

「……匂いがするわね?」

「隊長もですか?」

「貴女も?」

「はい。奴隷ですから」

 露出度が高い忍び装束の小太郎が、頷く。

 因みに当然の様に鶫も居る。

 こちらは、真っ黒な全身タイツ。

 体のラインがくっきり出て、背中には白い文字で『真田山城守大河専用愛妾』とある。

「……」

 最後は、巫女装束の於国。

 本来は、捜索隊の選抜要員から外れているのだが、今回は何故か積極的に自薦した為、付いて来ている。

 僅か4人から成る捜索隊だが、錦旗を掲げているだけあって、山賊ですら襲う事は無い。

 無学な犯罪者であっても錦旗がどの様な意味を持っているのかは、知っている。

「……ここね」

 匂いを辿り、到着したのは、古民家であった。

 4人は、下馬した。

「……」

 エリーゼが暗視スコープを装着し、中を見る。

 1人居た。

 瞬間、扉をSWATの様に蹴り壊す。

 そして、あっという間に組み伏せた。

「確保―――!」

 大河と目が合う。

「おお、エリーゼ―――」

「た、大河ぁああああああああああああああああああああああああ!」

 もう少し映画の様な感動的な再会を期待していたエリーゼだったが、やはり、これでも嬉しい。

「ぐえ」

 大河が泡を吹く程、その首を絞める。

「ちょっと、エリーゼ様、死んじゃう! 死んじゃう!」

 小太郎がレフェリーストップし、その間、鶫が引き離す。

「大丈夫?」

 次に声を掛けたのが、於国であった。

 2人は、事実上の夫婦だが、肉体関係は無い。

 然し、冷めきっている、という訳ではなく、華姫経由で仲が良い為、大河の行方不明後は、他の妻達を幼いながらも励ましていた影の立役者だ。

「ああ、於国。久し振り」

「……」

 何も言わず、於国は、大河の頭を撫でる。

「何故、巫女装束なんだ?」

「それは、ここが、呪われた場所だからよ。妖に遭った?」

「! 知っているのか?」

「だから来たのよ」

 普段、小声な癖にこの時ばかりは、ジャンヌ・ダルク並に格好良い。

 流石、真田昌幸の娘だけある。

”表裏比興の者”の血を引いた巫女は、大河を抱き締め、その額に御札を貼った。

 キョンシーの様になるが、笑える雰囲気ではない。

 神妙な面持ちで、於国は言う。

「呪われてる……」

「何?」

「鬼と接したね?」

「ん? ああ―――」

「逃げるわよ」

 隊長のエリーゼの立場は無い。

 然し、切羽詰まった於国の態度にその本気度が分かった様だ。

 大河の脇の下に自分の首を差し入れ、肩の上に彼を担ぐ。

 所謂、『消防夫ファイヤーマンズ搬送キャリー』である。

 すると、突風が吹いた。

 木造家屋と木々は揺れる。

 ゴー!

 風の音は、威圧する様に一行を襲う。

『か……せ』

「……何?」

「隊長、如何しました?」

「何か、聞こえる」

「は?」

『か……え……せ』

「!」

 第六感が働き、エリーゼは、大河を担いだまま馬に飛び乗った。

 3人も続く。

 急速に天気が悪くなり、遠くの方では雷雲が生まれる。

 ラ●ちゃんが怒っていそうな空気だ。

「……抱擁は、後が良いみたいね?」

 今すぐにでも抱擁したいエリーゼは、必死に耐える。

 天災に人間が勝てない事を分かっているから。

 ―――

『落雷に遭う確率は、研究者によって違う。

 任意の1年で隕石の落下で死亡する確率は、最大で25万分の1(*3)。

 地震(13万分の1)や竜巻(6万分の1)、洪水(3万分の1)、飛行機の墜落事故(3万分の1)、自動車の衝突事故(90分の1)で死亡する確率の方が遥かに高い(*3)。

 又、別の研究者によれば、落雷死は、隕石よりも低いという。

 先と同じ条件での確率は77万5千分の1~100万分の1。

 但し、ある1人の人生(80歳)の中で雷に打たれる確率は1万分の1、誰かの落雷に巻き込まれる可能性は1千分の1(*4)。

 この他、米では、ある1人の人生における死亡確率は、落雷が8万3930分の1、隕石小惑星が20万分の1、津波が50万分の1(*5)』(*6)

 ―――

 とされている。

 因みに日本では、1994~2003年の統計によると、落雷による年平均被害者数は20人、内、死亡者数は13・8人であり、被害者の70%が死亡している(*7)。

 金ヶ崎の退き口の様に一行は、逃げる。

 だが、雷雲の正体―――呪々は、しつこい。

 折角、出来たばかりの親友を、見す見す人間側に帰らせる訳には行かないのだ。

 雷雲は、彼女の怒りを表現するかの如く、徐々に激しくなっていく。

(女難の相だな)

 人間の次に鬼だ。

 大河は、つくづく自分の天命を呪いたくなるのであった。


[参考文献・出典]

*1:http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=153

*2:goo辞書

*3:米 テューレーン大学

*4:米 海洋大気庁 落雷情報サイト

*5:LiveScince

*6:https://wired.jp/2013/02/18/asteroid-odds/

*7:警察白書

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