第37話 一刀両断

 義信に捕まった楠は、間諜のとがの下、幽閉されていた。

「……」

 1枚しかない蔵の窓から見える月は、非常に美しい。

 殴打された痛みも、和らぐ。

 考えている事は、常に大河の事だ。

 任務優先の為に結婚したが、それを承知の上でも大河は、とても優しい。

 彼の私室で帯刀しても、火縄銃に触れても「殺意が無い」との理由で、常におとがめなし。

 正直戸惑うばかりであったが、他の女性陣への接し方を見て嫉妬した際、彼女は大河に惚れている事に気付いた。

 妻が増える中で楠はその想いを封じ、任務に徹していたが、あの花見の時、無意識に理由を付けて彼を追ったのだが、このざまだ。

 恐らく、大河が知れば、「二流」と鼻で笑われている頃だろう。

 それでも楠は、彼に逢いたかった。

(……人間、死期が迫ると、走馬灯を感じるらしいけれど、これがそうなのかな?)

 自然と涙がこぼれる。

 思えば初対面時、大河には敵わなかった。

 その後、何もしていない為、徒手格闘の訓練の相手になってもらい強化に努めれば良かった。

 自分が積極的に動かなかったのは、照れがあった為だろう。

(……誾千代程、「愛してる」って言われなかったぁ……私の方から言っておけば良かったなぁ……)

 色々な後悔が、脳裏に過る。

 捕まってからは、ろくに飲食していない。

 頭がクラクラする。

・頭痛

・眠気

・脱力

・集中力低下

 等の症状も出て来た。

 血糖値が50mg/dl以下になった低血糖の表れだろう。

 これが、30mg/dl以下になると痙攣けいれん、昏睡になる。

 対処しないと、死の危険も伴う。

(駄目……か)

 楠は死を覚悟し、最後に大河の顔を思い浮かぶのであった。


 義信は、自邸で酒盛りをしていた。

 付き従うのは、

・飯富虎昌

・長坂昌国

・曽根虎盛

 等、義信事件に関わった反信玄派の武将達だ。

「真田は愛妻家ですから、絶対に受け入れますね。愛妻家が仇になりました」

「全くだ。幾ら一騎当千とはいえども、中身は人間。苦手な部分はありますよ」

「殿が甲斐守になれば、奴等が朝敵。我が軍は官軍です」

 3人は義信を持ち上げる。

「待て。まだ決した訳では無い。あの男は非常に残虐な一面もあるらしいからな。噂では、行方不明の将軍の骸を髑髏杯にした、という噂もあるから」

 長坂は頷いた。

「然うですが、間者によれば、真田は慌てふためき、京に戻ったらしいので、大丈夫かと」

「……それならば、良いのだが」

 戦勝は確定的だが、どうも義信には、しっくりこない。

 間者の報告が、早いのだ。

 否、早過ぎるのだ。

 矢文が届いたのが、2~3時間前の事。

 噂で『石橋を叩いて渡る』程の慎重な男が、そんな感情に任せて帰京するのは、正直考え辛い。

 矢文が帰って来るのも早過ぎる。

 ここから、長延寺までは、数十km離れている。

 早馬なら可能なのだろうが、そうなった場合、敵領の支配地を公然と通らないと難しいのだ。

「……」

 間者からの矢文を開けてみる。

 この字もそうだ。

 筆跡がうっすら違う様に見える。

 酒の所為で視覚が一時的に異常を来たしているだけの事かもしれないが。

(……第六感と言う奴か?)

 胸がさわついている感じだ。

「御注進!」

 障子が開き、武田菱の軍旗を背中に背負った面鎧の若武者が、報告する。

「相模の北条氏康が、国境を突破!」

「「「何?」」」

 一気に酔いが冷めた。

 若武者が、続ける。

「又、越後の上杉景勝が信濃国から南進中!」

「「「!」」」

「又、駿河からは、見廻組が北進中であります!」

「「「!」」」

 3方向から攻められるのは、前代未聞だ。

「! 全軍転換しろ! 防戦に努めよ―――」

 と、叫んだ曽根の腰が抜ける。

「な……」

 続いて、3人も遅れて気付いた。

 向かいの富士山の麓には、沢山の篝火たきびが焚かれ、砲兵がアームストロング砲を用意していた。

 その数、10門。

 日頃の猛練習のお蔭でその命中精度は飛躍的に上がり、今では、2km先をピンポイント攻撃出来る事は、甲斐国でも有名だ。

「ひ―――ぐふ」

 曽根が逃げ出すも、若武者に斬られる。

 胴体を切断され、即死した。

「駄目でしょう? 敵前逃亡は、失格ですよ?」

 若武者は、面鎧を外す。

「「「!」」」

 その童顔に3人は。驚いた。

「初めまして。真田山城守大河と申します。御手紙頂き有難う御座います。その返礼として直接御伺いしました」

 そう言って、事切れた曽根の頭に村雨を突き刺す。

「「「!」」」

 童顔とその優しい声音とのギャップに、3人は一気に戦意を失った。

直々じきじきに見廻組に実戦の場を設けて頂きまして、武田義信様には大変感謝しています」

「……おい、近付くな」

「殿? うわ」

「何をなさるんです?」

 義信に押し出され、抗議する2人であったが、

「邪魔」

「ぐわ!」

「ぎゃあ!」

 2人は、袈裟斬りにされる。

「おい……冗談だよな?」

 よくよく見ると、大河の顔面は真っ赤に染まっていた。

 3人だけでない。

 屋敷に侵入する際、沢山の者達を殺害した返り血だろう。

「……! 金をやろう! 命だけは、助けてくれ!」

 土下座し、義信は許しを請う。

「楠は、何処だ?」

「う、裏の蔵だ」

「案内しろ」

「は、はひぃ……」

 つくばって、蔵まで行く。

「開けろ」

「は、い……」

 村雨を首に突き付けられ、義信は震えた手で鍵を挿し込み、何とか開錠する。

「! 楠!」

 簀巻すまきにされた楠を見付け、大河は駆ける。

「……たい……が?」

 目が虚ろで、よだれも垂らしていた。

 意識不明寸前の様だ。

「もう、大丈夫だ。さぁ、食え」

 お握りを差し出すと、

「!」

 楠は目を見開き、がっつく。

 危うく大河は、手を食い千切られそうだった。

「小太郎!」

「は!」

 隠れていたのだろう。

 瞬間移動の様に、小太郎が出現した。

(あいつか……北条が動いた理由は)

 義信は、徐々に冷静さを取り戻していく。

 そして、小刀を取り出す。

「……」

 3人の裏をかいて、大河に近付く。

 見た所、楠、小太郎は簡単に殺せるだろう。

 然し、大河はあっと言う間に3人を殺した。

 大河を真っ先に選んだのは、そんな理由からだった。

「……」

 覚悟を決めた義信は、一気に駆け出す。

 そして、

「死ね!」

「!」

 咄嗟に大河は、2人を抱き締めた。

 と、同時に脇腹を刺される。

 直後、大河は思いっ切り、肘鉄を義信の頭部に食らわせ、彼は倒れた。

 頭蓋骨が陥没骨折し、即死したのだ。

「大河!」

「主!」

 2人は、驚いて傷口を見る。

 小刀が、しっかりと突き刺さり、出血していた。

「ああ……」

「落ち着け、楠。軽傷だ」

「で、でも……」

 珍しく慌てている。

「大丈夫だよ」

 優しく諭し、大河は、抱き締める。

「……」

 徐々に楠は、落ち着いて来た。

「主、軍医に診せた方が―――」

「案ずるな。慣れてる。自分で―――」

 その時、『毘』の旗印の上杉軍が、突入してきた。

「あら、もう殺っちゃの?」

 指揮官は、謙信だ。

「! 怪我しているじゃない?」

 馬から降り、傷口を診る。

 そして状況を察した。

「全く、無茶して。軽傷だけど、病院に行くわよ」

「ああ……」

 大河の両脇に手を入れ、お姫様抱っこする。

 抵抗しない所を見ると、結構、ヤバイ感じなのだろう。

「謙信―――」

「大丈夫。ちょっと疲れて寝てるだけだから。小太郎、彼女を宜しく」

「は、は!」

「先に長延寺に行ってなさい。馬、貸すわ」

「有難う御座います」

 2人は、馬に乗る。

 心配そうな表情の2人だが、謙信が笑顔で送り出すと、ようやく蔵を出た。

 2人とは行き違いに景勝が、入って来る。

「母上、義父の様子は?」

「重傷よ。多分、刃先に毒か何かが塗布されていると思う。至急、名医を呼べ!」

「は」

 謙信は、毘沙門天に祈った。

 御救い下さい、と。


 武田義信一派が壊滅した事により、海野信親は武田家を一つにし、武田領に平穏が戻った。

 これ程迅速に解決出来たのは、ひとえに義信が独裁者で、民衆を圧迫していたからだ。

 北条、上杉、見廻組の侵攻直後、義信軍の多くは直ぐに無条件降伏し、武装解除。

 抵抗したのは、本当にごくごく少数で10万人の義信軍の内、数十人位であった。

 政変が成功しても、民心の支持が無ければ、独裁者は長続きしないのだ。

 僧侶の信親、信松尼は相続権を放棄し、武田家家長は、上杉領に亡命していた信玄の七男(六男説あり)・信清となり、甲斐国は上杉氏の家臣となった彼の下での統治が始まる。

 又、信清は甲斐守を朝廷から任命され、以後、朝廷にも忠義を尽くす事を誓った。

 甲斐国に同じく侵攻した北条氏康も、相模守に任命され、並びに「平和に貢献した」との理由で、朝廷に報奨金が、下賜された。

 甲斐国を一部、占領しておきながら、無条件で撤退するのは当然、彼等の中で不満であったが、朝廷との敵対は短所しかない事は分かっている為、お金を選び、その問題も解決する。

 そんな状況下、大河はと言うと。

「海野信親です。御挨拶が遅れて申し訳御座いません」

 長延寺で、療養中であった。

「極楽浄土の父上や異母弟・勝頼等は喜んでいる筈です。誠に有難う御座います」

 その目は、非常に綺麗だ。

「異母妹を貰って下さるという話でした。是非、娶って下さい」

「宜しくお願い致します」

 信親の隣の信松尼は、赤ら顔で会釈した。

 どうも武田家の間では、既に成立済みの様だ。

「いえ、結婚の話は、丁重にお断りします―――」

「真田様が御断りしても、謙信様を経由して、他の奥方様にも御伝えしています。既に了承された様ですが? 聞いていませんか?」

「……」

 誤報である事を願いたい。

 これ以上の妻の増加は、本意ではないから。

 彼女が、美人比丘尼である事は、認めるが。

「長延寺と同じ浄土真宗のお寺を探します。縁談は白紙で御願い―――いつつ」

 布団から起き上がる途中で、大河は、苦しむ。

 毒は抜けたが、刺し傷の痛みは、残っているのだ。

「まだお休み下さい。では私はここで。異母妹を頼みますぞ」

 完全に信親は、異母妹を差し出す気だ。

 信親が出た後、信松尼は寄り添う。

「御望みなら、ここで永住して下さっても良いんですよ? 何たって我が家を救って下さった英雄なんですから」

「気持ちは有難いですが、既に京で永住権を取得しています故、丁重に御断りします」

「お噂通り、無欲な御方ですね」

 うふふ、と微笑む信松尼は非常に可愛い。

 正直、独身男性なら、グラッと来ていただろう。

 スーッと襖が開き、楠達がやって来た。

「……」

 楠は信松尼に一瞥後、大河に一直線。

 そして、布団に入る。

「おい、どうした?」

「うっさい」

 と、言いつつ、添い寝する。

「……」

 1分ほど添い寝した後、恥じらいつつ、楠は離れる。

 その様子に謙信がニヤニヤし、小太郎が目を見開き、信松尼が不満そうに見つめていた。

「……如何した?」

「有難うね。私を助けてくれて。その傷、私を庇った時のでしょう?」

「……いや―――」

「嘘吐かないで。覚えているから」

「……」

 日本刀の様な斬れ味鋭い、その目付きに大河は思わず、正座しそうになる。

「貴方とは政略結婚の意味合いが強かったけれど、私、気付いたんだ。やっぱり、貴方の事が大好きよ」

「そりゃあ、有難う」

「謙信、恋敵よ。貴女以上にメロメロにさせるから」

「はっはっはっはっは! そうかい」

 謙信は高笑いし、余裕たっぷりに言う。

「宣戦布告は、勝手だが、真田の1番は誾だ。彼女にはしないのかい?」

「全員敵よ。私が正室になるわ」

「そりゃあ、良い度胸だ」

「でも、お子様体型は、真田の好みじゃないわよ?」

「貧乳だからこそ、魅了出来る場合もあるわ!」

 嫌な予感がした大河は、2人が睨み合う間、そーっと、逃げ出す。

「主、何処へ?」

 直後、逃走。

「「待て~!」」

 2人に追われ、大河は、死にもの狂いで走り回る。

 それを微笑ましく眺める信松尼であった。

(幸せそうで何より)

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