第17話 田畑式カウンターアタック

 とうとう恐れていた瞬間がやってきた。

 猿渡の攻撃の矛先が俺に向けられたのである。


 きっかけは単純。

 ギャルメイクに何回も注意したから。

 近いうちに報復があるだろうな、と覚悟していたら、本当に制裁が飛んできた。


「なあ、田畑」


 いきなり肩をトントンされる。


「はい、何でしょうか?」

「お前、いままで俺をだましてきたのか?」

「すみません……書類に何か不備がございましたか?」


 いきなり意味不明な言いがかりをつける。

 これは猿渡のやり口なので驚かない。


「お前、専門学校しか出ていないそうだな」

「おっしゃる通りです。私は専門卒として採用されました」

「どうして大卒じゃない人間がうちの会社に混じっているんだよ! ナメてんのか! おい!」


 のっけから雷を落とされる。


「ええとですね……」

「そういう大事なことは真っ先にいえよ! いつから専門卒を採用するようになった! ふざけてんのか! 役立たずのゴミが増えるじゃねえか!」


 いやいやいや⁉︎

 俺はまだ21歳なので大卒じゃないのは明白。

 100人いたら100人とも、ふざけているのは猿渡、と主張するはず。


 でも大切なのはそこじゃない。

 ここは猿渡が支配する独裁国であり、下手に反論することは、罪が重くなることを意味する。


「聞いてんのか、こら!」

「申し訳ありません」


 バシン! と猿渡がデスクを蹴ってくる。

 狂戦士バーサーカーのごとき暴れっぷりに全員が仕事の手をストップさせる。


「あのクソガキ……ザマァ」


 これはギャルメイクの声。

 撮影はしていないが、ニタニタと粘着質な笑みを浮かべている。


 ここで腹を立てたら負け。

 学歴で差別されることは想定していた。

 むしろ図に当たったせいで笑いをこらえるのに必死である。


「大卒みたいな顔しやがってよぉ……自分が優秀な人間だって言いたいのか……俺たちのことをバカにしてんのか」

「指摘いただいた言葉はごもっともです。勘違いさせてしまい申し訳ありません」


 とりあえず平謝り。


「てめえは負け犬ってことか? バカなのか? 申し開きがあるならいってみろよ」

「私の給料は専門卒です。ゆえに大卒並みの仕事量をこなせば、会社の利益になると思います」

「生意気いいやがってよ。テメエの給料は安いから、残業代も安いってことか」

「おっしゃる通りです」

「ケッ……」


 猿渡に鼻で笑われた。


 ボイスレコーダーはこっそり回してある。

 肩をトントンされたとき、さりげなくスイッチをONにしている。


「おもしろい。そうか、そうか。ちゃんと会社の利益は考えているのか。専門卒のくせに頭は回るな……」


 この男が口の端をグイッと吊り上げると、爬虫類はちゅうるいのようなグロテスクさがにじみ出てくる。


「だったらお前、今日は残業しろ」

「構いませんが……何時まで残ればよろしいでしょうか?」

「全員が帰るまでだよ。周りから仕事をもらえ。お前がオフィスの鍵を閉めるんだよ」


 わかりました、と答えてから頭を下げる。


「それとな……」


 肩をつかまれた。

 関節のところを指圧されて痛い。


「若いくせに一人前に意見してんじゃねえぞ。今回は見逃してやる」


 猿渡はギャルメイクを連れて出ていくと、一度だけこっちを振り返り、駐車場のところでつばを吐いた。


「田畑くん、大丈夫?」

「怪我はないか?」

「ひどいな……」


 心配してくれた先輩たちに、大丈夫です、平気ですから、と返しておく。


 いまから三時間くらい猿渡は帰ってこない。

 安息ともいえるフリータイムだ。


 にしても下劣。

 専門卒=役立たずのゴミ、は許されない。

 そりゃ、学歴には価値があると思うけれども、学歴マウントするのは人間のクズだろう。


 絶対に足をすくってやる。

 パワハラの証拠を集めまくってやる。


 あとは組織のパワーバランス。

 猿渡の影響力がどこまであるのか調べる。


 たとえば人事部が猿渡のコルトロール下にあったとする。

 パワハラの証拠を送りつけた瞬間、俺のクビが確定するだけでなく、ここにいるメンバー全員に迷惑がかかる。


 チャンスは一度きり。

 失敗は許されない。


 これは頭脳戦に似ている。

 猿渡だってポジションが掛かっているから、俺たちの中からパワハラ告白者が出ることくらい、予期した上で対策しているはず。


 だったら予想の上をいくまで。

 お前が支店長でいられる時間も長くないからな、と内心で宣告しておく。


 やがて定時になった。

 猿渡は荷物をまとめて帰った。


 先輩たちに声をかけて引き受けられる仕事があればゆずってもらった。


 どうせ勤怠のログが残る。

 俺が最終退社じゃないと翌朝に怒られる。


「田畑くん、すまないね、手伝ってもらって」

「いえいえ、俺の残業代が安いのは真実ですから」


 残っている社員が八人になり、六人になり、四人になる。

 すると妙な連帯感が生まれる。


 もっとも忙しそうなのは副支店長。

 書類の山とずっと格闘している。


 本来なら猿渡がやるべき仕事だった。

 丸投げされたから二人前のタスクを毎日こなしている。


 副支店長には小学生のお子さんが二人いる。

 それなのに休日もフル出勤しないと終わらない。


 子どもは親の背中を見て育つというのに……。

 同情しない方がどうかしている。


「お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様」


 けっきょく22時を過ぎからオフィスを出た。


 アイギスにメッセージを送る。

 家に向かって歩き出す。


 疲れすぎて頭がフワフワする。

 髪の毛だって脂ぎっている。


 達成感のようなものは一ミリもない。

 出口が見えない閉塞感みたいなやつが漂っている。


『ゴールがないから仕事はおもしろい』

 この手の発言をする経営者がいるけれども、いまの俺にいわせるとクソくらえだ。


 ……。

 …………。


 翌日、猿渡がオフィスから出ていくのを見届けた。

 すぐに隣の営業所へ電話して、顔なじみの担当者につないでもらった。


「お疲れ様です」


 最初は業務について会話する。

 支店長が変わったせいか、やけに明るい声をしている。


「それで田畑くんのところは? 大変な感じかな?」


 ほら、きた。

 この人なりに俺たちのことを心配している。


「その件でちょっとご相談なのですが……」


 パワハラの数々について打ち明けた。

 猿渡のせいで従業員が疲弊ひへいしていることも伝えた。


「あまり刺激しない方がいいよ。口では利益だの、ノルマだの、威勢のいいことを抜かすけれども、業績のことなんて興味がない男だから。そのうち社員をいびり倒すのに飽きてくるさ」


 動物としての本能なんだよ、と付け加えてくる。


 群れをつくる生き物にはサル、イルカ、アリなどがいる。

 彼らの社会には明確なヒエラルキーが存在しており、強者による弱者への暴力が遺伝子レベルでプログラムされている。


 猿渡はそれが顕著けんちょに出ているだけ。

 やつの排除に成功しても、空になったボスの座を狙うべく、リトル猿渡が名乗りをあげてくる。


 だから人間が動物である限りハラスメントは消えない、とこの担当者は締めくくる。


「それは極論すぎやしませんかね……」

「まあね……」


 力なく笑ったのは、俺だったか、担当者だったか。


「確認したいことはですね……」


 うちの人事部に掛けあったらハラスメントを注意してくれるのか、単刀直入に訊いてみた。


「それはね……絶対にやめた方がいいと思うよ……」


 予想していた答えが戻ってくる。


 隣の営業所にもヒーローがいたらしい。

 証拠を集めまくって猿渡を倒そうとした光の勇者が。


 人事部に電話したところ、

『それはひどいですね』

『ハラスメントは社則でもNGです』

『社のためにも断罪されてしかるべきです』

 と優しい言葉をかけてもらえた。


 裁判をほのめかしながら、

『物的な証拠があれば送ってください』

『一緒に猿渡支店長をやっつけましょう』

 と協力するポーズを示してくれた。


 その後、日記や録音データを持っていく。

 人事部のドアをノックする。


 なぜか怖い顔をした猿渡が待ち受けていて、

『殺すぞ』

『この反逆者が』

『覚悟はできてんだろうな』

『明日から出勤できると思うなよ』

 とボロクソにしごかれるわけである。


 つまり人事部と猿渡はつながっている。

 この悪どさはマフィアに匹敵する。


「猿渡以外のパワハラ案件だったら、効果があるかもしれないけれども、猿渡のことは絶対に相談しない方がいい」

「どうして人事部は猿渡寄りなのでしょうか? かつての部下なのですか?」

「あの人たちもね、元々はパワハラの被害者なんだよ。かわいそうな人達なんだよ。もう10年くらい洗脳されているから。猿渡の言いなりになったせいで、たくさん怨みを買っている。まあ、自業自得なんだけれども……」


 電話を切った。

 髪をかきむしった。


 これで人事部というルートは消えてしまった。


 大きな収穫もあった。

 うっかり人事部のドアをノックしたら、俺までクモの糸に絡めとられるところだった。


 別のルートを開拓しないと……。


 匿名とくめいで会社のトップやナンバーツーに訴えるか。

 改善されない場合、ネット上に公開します、と脅せば効果がありそうな気がする。


 不動産仲介は世間のイメージが大切。

 ハラスメントが表面化するくらいなら猿渡を切り捨てそう。


 でも諸刃もろはつるぎでもある。

 この営業所のメンバーが疑われるのは確実であり、猿渡が小細工をろうしてくるかもしれない。


 どうする?

 もっと綿密に計画すべきか。


 たとえばパワハラ以外にも攻撃材料はないだろうか。

 猿渡が会社の金を着服しているとか。


 一発でクビである。

 会社から返還請求される。

 猿渡の富も地位も吹き飛ぶだろう。


 札つきのチンカス野郎なのだ。

 どこかに隙があるはず。


 社内システムを操作しているとき、画面上に『データを破棄しますか?』と表示されたので、強い指づかいで『はい』をクリックした。


 ……。

 …………。


 いきなり肩をトントンされる。


「なあ、田畑、最近は頑張っているじゃねえか」


 猿渡が立っていた。

 ミント臭にカレーの匂いが混ざって、ドブ川みたいな汚臭がする。


「なに考えてんだ? 頑張っても報われないだろう。仕事ってのはそんなものだろう」


 俺のポケットの中をあさられる。

 没収されたのはスティック状のボイスレコーダー。


「なんだ、テメエ……」


 近くにいた先輩がギョッとする。

 これから起こるであろう悲劇に青ざめる。

 ニタニタと笑っているのはギャルメイクの女だけ。


「職場で録音してんのか? なんのための機械だ?」

「いえ、それは単なる趣味でして……」


 声がひっくり返ってしまう。

 歯のカチカチが止まらなくなる。


 そんな俺の反応を楽しむように、猿渡は顔を水平に傾けて、ギラギラした目を近づけてきた。


 捕食者のオーラだ。

 こんなクソ野郎がいるから社員が苦しむ。


「再生してみろよ」

「いえ、恥ずかしいので……」

「聞かれたらマズいものでも入っているのかよ」

「そういうわけでは……」


 まあまあ、猿渡支店長、という声がする。


「うるせえ! 黙ってろ! ブチ殺されてえのか!」


 猿渡は近くにあったデスクを蹴りまくった。


 これで田畑マナトは終わった。

 誰しもがそう思ったはず。


「再生しろ。これは上司命令だ」

「はい……」


 震える指で再生ボタンを押し込む。

 しばらくノイズ音だけが流れる。


 ようやく聞き取れた音声というのが、


『かくばかりいつわり多き世の中に、子の可愛さはまことなりけり……』


 という古典落語の一節であった。


「なんだこれは?」

「通勤中に聴いている落語です」

「はぁ……」


 先輩の口からプッと笑いがもれる。

 それが伝播でんぱして輪になっていく。


 猿渡はねめつけるようにオフィスを見回したが、ゲラゲラという声は大きくなるばかりだった。


 ハトが豆鉄砲を食らったような顔とはこのことだ。

 俺だって笑いを我慢するのに必死である。


「チッ……」


 猿渡はドカドカと足を鳴らしながら去っていく。


 オフィス内に落語が響きまくり、それが社員たちの笑いを誘う。


 世界一のエンターテイナーになった気分だ。

 俺はこの日、光の勇者になった。

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