影忍処
影宮
第1話虎穴を埋める
激しく地面に叩き付けられる水、その勢いに土は抉られる。
混ざり濁った水溜まりを踏みつけた。
跳ねた水が雨に紛れる。
「雨が上がりゃしないねぇ。」
嫌悪もない声で傘の下に立つ者へ声を投げつけた。
首に刺さったままの苦無を引き抜いてその頬に手を添える。
その瞼を親指で押し上げて目を開かせる。
濁った瞳を眺めながら喉で笑った。
「殺さなきゃ良かった。」
もうこの瞳には鋭さもない。
地面を抉る音がする。
傘に水が跳ねる音が増える。
傘の下の息の無い者を蹴り倒し傘を拾い上げた。
泥の中に落ちた頭を踏みつけ裂いた腹に傘を押し付けた。
「あんたも暇なこって。」
振り返り様にそう投げ掛けた。
口を開きものを言おうとした表情が見える。
一度口を閉じ死体を見下ろした。
「お前に似た小僧だ。」
「手に負えないって顔してる。」
「だから虎穴に来た。」
また喉で笑った。
この雨音にもよく通るそれが耳に入り込む。
「頼んだぞ。」
「否は言わせないつもりってのがまた。」
影に潜り込み、それ連れていけとばかりに足裏をつついた。
妖連れて小さな小さな虎穴へ入る。
殺気が雨を貫き真っ直ぐと放たれる。
やれやれこの殺気を受け付けぬのが影の妖。
迫る小僧の刃が突き出されるを受け止めた夜影は舌舐めずりをする。
散々人を殺して回りやがった小僧の前にいる忍が散々忍を殺して回りやがった伝説だというのは流石に笑えない。
刃を弾いて首を掴み地面へ叩き付ける。
その素早さ目にも止まらぬ。
肩に苦無を刺し上に乗って喉で笑う。
その様はやはり異様そのもの。
小僧が刃で夜影を刺そうとも動じぬ。
「必死だねぇ。」
挑発するような声色だ。
小僧が抵抗して刺せども刺せども血だけが流れその笑みは一向に失せず、起き上がらせるつもりもないらしい乗ったまま。
片手を首に置いて締め上げる。
目を細めて殺さぬようにしかし苦しめるように。
手を緩め息をさせる。
そうして今度は忍刀を引き抜き腕に釘を刺す。
それを後ろで眺めながら吐き気がしそうだ。
「殺す…っ!殺す殺す殺す殺す……!」
掠れた声が殺意を露にするも危うく雨音に掻き消されそうだ。
夜影の首を斬ったがそれでも動けぬ。
首は飛ばず血を雨の如く降らせて顔をうつ。
「…嗚呼、こんな顔してたっけ。」
懐かしむように笑う。
刺されること、斬られることなぞどうでもよいのだとその目は真っ直ぐ小僧の瞳を見つめていた。
鋭くもなく、鈍りきった殺気。
「あの時は必死だったねぇ。殺したくて殺したくて仕方がなかった。何もかもがどうでもよくて滅したかった。」
両手で首をもう一度締め上げる。
息ができずもがく様を見下ろしながら、死ぬ前に緩めて息をさせる。
それを繰り返せば繰り返すほど小僧の力が弱くなっていった。
首にかかるこの手をどうにかすることの方が重要になったらしい刃を腕へ突き立てる。
「ねぇ、殺しても殺しても満足できないでしょうよ。でもやめられないんだよね。こちとらもそうだった。」
小僧の手からついに刃が落ちた。
震える手で夜影の手を掴む。
雨の間隙を通る声が嫌でも耳に突き刺さる。
「そうだった。そうだったんだよ。殺したところで何も得られやしないんだから。何も変わりゃしないんだから。何一つ。」
先程よりも強く締め上げる。
これで一息に絞め殺そうかというように。
それでもまた手を緩めて息をさせる。
その苦しさに雨に紛れて涙がつたう。
殺気が完全に失せ、瞳に恐怖が渦巻き始めた。
代わりに夜影の瞳には殺意が渦巻き始める。
そうしてゆらゆらと殺気を漂わせ、首から手を離さない。
「だから尚更誰でも良かった。その内何で殺したいのかも、誰を殺したかったのかもわからなくなって、どうでもよくなる。」
雨が落ちてこなくなった。
傘が二人の上に差し出されたのだ。
見下ろされながらそこにあるのは殺意だけではなくなっている。
どうしようもなくなった。
手が首から離れてゆくも、まだ息苦しい。
「心休まる何処かを失ってどうしようもなかった。だから心の何処かでそこを探して殺し続けてたんだよね。自分を止めてくれるよな、誰かさんが欲しくなるんだ。」
夜影は立ち上がったが小僧は起き上がらなかった。
動けるのに動けなくなっていた。
夜影の殺気も失せている。
恐怖の次に浮かんできた感情がなんなのかわからず唸った。
まだ息苦しく、息を吐く。
喉の奥で何かが詰まっている。
「現実を信じたくなくてさ。それを殺しにかかって嘘に変えたかった。どいつもこいつも同じ奴に見えるんだよね。」
小僧の胸ぐらを掴み持ち上げた。
顔をこれでもかと近付けて夜影は真顔で目を合わせる。
「現実を見ろ。夢を見るな。殺せないんだ。殺さなきゃなんないものを殺せ。」
見開かれた目が揺らぐ。
この暴走に終止をうつ。
虎穴から引き摺り出して終わらせる。
そうしてその穴を埋めるには、夜影ではないものが必要だった。
手を離し溜め息をつくと夜影は背を向けた。
「おい。」
「これ以上はこちとらにできないんでね。あとはあんた次第。虎穴を埋めてやんなさいよ。」
手を振りそのまま影となって失せた。
立ち尽くす小僧の腕を掴み振り向かせる。
「小僧、俺の忍にならねぇか。俺の背中預ける奴が欲しいんだ。お前の居場所をくれてやる。お互い死ぬまでだ。」
その言葉を盗み聞いて夜影は頭を掻いた。
「こりゃ、うちの主に欲しかったかな。」
苦笑しつつ走った。
互いを裏切らぬ為の糸をこうも使われるとは思わなんだ、動き難くていけない。
その内糸を絡めて首を締め上げてやらなければならないのが勿体無い。
だから少しでも長く気付かれぬようにしていよう。
赤き瞳が雨の向こうで光るのを誰かが見ていた。
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