第2部 第3章

 呼んでいる。呼ばれている。


 おれには分かる。「石」が呼んでいる。「石」に呼ばれている


 最初は苦労したが、今ははっきりと分かる。目を瞑って意識を集中させれば、どちらの方向から呼ばれているか、どこから呼ばれているかが分かる。ここまでたどり着くのに二日もかかってしまった。事前準備に一日を費やしたので、計三日かかっている。


 目の前の建築物を眺め見る。どうやらアパートらしい。ここに間違いなく「石」はある。今はどこの部屋のどこにあるのかもはっきりと分かる。マンションではなくてよかった。大したセキュリティもないアパート。おれはその一番奥の部屋に向かう。今はまだ昼間だが、そんなことは関係ない。おれはどうあっても「石」を取り戻さなくてはならない。


 この部屋に住んでいるのが誰かなんてことは大体想像がつく。きっと葉山だろう。あいつはまだ「石」を会社に持ち帰っていない、ということか。


 とりあえず、おれは周りに誰も居ないことを確認すると、「石」が眠っている部屋の電気メーターの動き方を見る。……この動き方は、冷蔵庫だけが動いているような回り方ではない。間違いなく誰かが中に居て複数の電化製品を使っている回り方だ。中に居るのなら外にいるよりもむしろ好都合だ。外から来る場合は、まず相手が葉山かどうか目視しなければならないからな。そのときに気付かれてしまい反撃を受ける可能性が高い。


 おれは背中に背負ったバッグからスタンガンを取り出し右手に持つと、アパートと隣の建物との間のスペース……誰にも見られない物陰に隠れる。このスタンガンは一昨日、都心に行って買ってきた警棒タイプのもので、ネットを見ながら改造をした。三、四秒の放電で数分は声も出せないし立てもしない……身体中に力が入らない状態にすることが出来るらしい。もっとも、試したことはないが。


 インターホンを押して中から出てくるのを期待するほど焦ってもいないしおれは馬鹿じゃない。カメラは付いていないように見えるが、ドアに付いたのぞき穴から見れば外におれが立っていることは分かってしまう。中に居るのが葉山だったら、その時点でもう出てくることはないだろう。同時に石を手に入れる公算はなくなる。


 おれは、息を潜めて部屋のドアが開かれるのを待つ。ただ、待つ。一時間、二時間、三時間。地道で退屈で無駄で辛い時間だと思うか? 逆だ。おれはそこまで女のことを本気で好きになったことはないが、きっと、好きな女とのデートの時間が近づいてくる男というのはこういう気分なんだろうな、と思わされる胸の高鳴りと待ち遠しさを感じている。ただただ、楽しみしかない。


足が疲れたら座り、喉が渇いたら水を飲み、腹が減ったときのために携帯食料もたくさん用意してある。


 おれは、ここで、葉山が部屋から出てくるのを何日でも待つつもりだった……が、そう何日も待つ必要はなくなったようだ。


 八時間ほどが経って、そろそろ日も落ちてきたとき。一〇四号室の扉が開いて、中から人が姿を現した。


 おれはその相手が誰であるかを確認することもせずに素早く廊下に躍り出ると、ドアの鍵を閉めようとしていた相手の脇腹にスタンガンを押し付けてスイッチを入れる。


 スイッチを入れる瞬間、今日は眼鏡をかけていない葉山と目が合った。


 カッ、という音と眩しい光が薄暗くなってきたアパートの廊下に瞬いて、葉山は一言も発することなく地面に膝から崩れ落ちる。


 スタンガンでよかったな。本当だったらおれの大切な「石」を盗んだお前は殺されたって足りないくらいだ。だが、もし、部屋の中の「石」がすぐに手に入れられない状態……つまり、何かロックが掛かる入れ物に入っていたときのために生かしておいているだけだ。




「あ……く……」




 苦悶の表情を浮かべて、廊下に倒れこむ葉山。おれはその葉山を引きずって、一〇四号室の中へと引きずり込む。葉山はそこまで体格が良い方ではないので、そこまで苦労することなく葉山の身体を部屋の中へと引っ張り込むことが出来た。このアパートはどうやらワンルームのようだ。葉山の身体を引きずったまま、玄関のカギを締めると玄関脇のキッチンを抜けてワンルームの部屋に入る。あまり物が置かれていない洒落っ気のない部屋の床に葉山の身体を雑に横たえたまま、その口に丸めたハンカチを押し込む。


 急げ。このスタンガンの効力はせいぜい五分程度らしい。そのままタオルで葉山の口を塞いで、両手首を後ろ手にして紐できつく固結びにする。……よし、これで声も出せず、手も動かせまい。今度は足だ。両足を揃えてまずは両足首をまず紐で縛り付ける。こいつの手足が壊死しようが知ったことか。絶対に邪魔はさせないし、おれは目的を遂げる。


 最後に膝を紐で縛って完成だ。こいつから貰った百万円のおかげでスムーズに準備が出来た。こいつが律義に百万円をおれの部屋に置いたせいで、こいつは今危機に陥っている。自業自得、いや、自縄自縛とはこのことか。




「っ……」




 どうやら葉山が少しずつ動けるようになってきたらしい。


 だがもう遅い。そこで「石」が奪われるのを指を咥えて見ていろ。もっとも、咥える口も、咥えられる指も自由な状態ではないがな。


 おれは動き出した葉山を無視すると、目を瞑って「石」の場所を探る……。あそこか。


 部屋の壁に備え付けられているクローゼット。そのドアを開く。


 その中には大きな金庫が三つも入っていた。だが、これはダミーだ。この金庫の中に「石」はない。


 おれはそのクローゼットの上段をのぞき込む。……あった。そこにはもう一つ金庫。スマホを起動させてライトを点けると、その金庫を観察する。




「くそ……」




 その金庫はダイヤル式だ。おそらく、左右の方向に複数回、特定のナンバーまで回すことを繰り返さなくては開けられないものだろう。


 この前の四桁のダイヤルロックとは訳が違う……くそ。とてもあてずっぽうで当てられるような組み合わせ数ではないし、こんな百キロ以上ありそうな金庫を持ち運ぶことも出来ない。


 なら……方法は一つしかないな。


 おれはクローゼットから離れて自分のバッグを開くと、そこから折りたたみ式のナイフを取り出して、葉山の眼前に突き付ける。




「おい、今からお前の猿轡を外す。だけど大声を出したらどうなるか分かるよな」




 完全なる脅迫。強盗傷害に脅迫罪と強要罪がセットになって、一体いかほどの罪になるのか予想もつかなかったが、そんなことはどうでもいい。今「石」を取り返せるのならば、いくらでも刑務所に入ってやる。戻ってきたときに「石」がおれの手元にあるのなら構わない。


 おれは葉山の猿轡を外して目の前でナイフをちらつかせる。




「あの金庫の開け方を教えろ。上にある隠されてる金庫のだ」


「忘れた」




 葉山は目の前のナイフにも全く動じず、そんなふざけたことを言い始めた。


 その言葉に、正直、おれはどうしていいか分からなかった。この状態なら当然自分が上位……いわば、マウントを取れるはずだと考えていたが、葉山は全くナイフにびびる様子はなく、むしろおれが困惑してしまう。




「お前、おれが刺せないとでも思ってるのか?」


「刺せねえだろ。刺し殺したらどうやって金庫開けるんだよ。馬鹿なのか? お前」




 葉山はおれのことを舐めるような口調でそんなことを言う。「馬鹿なのか?」だと? このおれに向かって、低能の末端社員ごときが、馬鹿なのか? だと……?


 一瞬で頭が沸騰した。おれはナイフを持つ手とは逆の手で葉山の頬を思い切り叩いた。ぱぁん、という乾いた音が薄暗い部屋に響き渡り、葉山の頬を赤く染める。叩いた自分の手のひらの方が痛いくらいの平手打ちだった。




「ほら、刺せねえ」


「ぐっ……!」




 だが葉山は自分の頬を痛がる様子もなく、おれのことを一笑に付すと、肩口で自分の頬を拭うように擦った。


 屈辱。おれは葉山に図星を刺されたことが頭にきて、思わず手を出した。それは脅迫とは関係のない行為で、ただ自分の幼稚さをさらけ出しただけに思えた。




「この前のファミレスとはずいぶん様子が違うな。それがお前の本性か?」


「お前もずいぶん様子が違うな。「石」に心を囚われたか。一生ちんけな「石」の奴隷とは哀れなやつだ」


「……っ!」




 おれは反射的にナイフを捨てて葉山の頬を拳で殴りつけた。おれを馬鹿にしただけではなく「石」のことも馬鹿にする発言。許せることではない。




「「石」を馬鹿にするな……! あの「石」はおれの全てだ! おれの人生そのものだ! 命より大事なおれの「石」を――」


「たった三日で俺に盗まれたってわけか。命より大事なものをそんな簡単に盗まれちまう間抜けがいるとは思わなかったわ」




 ――頭が真っ白になる。人生で初めての経験だ。こいつを許せない。生かしておけない。そう思ったが、ギリギリでナイフを使うことだけは思いとどまった。その代わり、怒りの感情を込めた両の拳をこいつの顔面にたたきつける。何度も、何度も、何度も。


 息が切れるまで目の前のこざかしい男の顔面を殴り続けた。人のことを殴り続けると、自分の拳も物理的に痛くなるのだと初めて知った。




「金庫の開け方を、教えろ……!」


「忘れた」




 葉山は真っ赤に染まり形が変わった顔で、最初に言った台詞を事も無げに言い放つ。


 こいつ……今の状況が分かってるのか? とても余裕を持っていられるような状況ではないとこいつも理解しているはずだ。なぜこんなに冷静で、不敵でいられる? 死ぬのが怖くないとでもいうのか?


 目の前の男が怪物のように見えてくる。おれがこいつを縛り上げて、絶対的優位を保っているはずなのに、先ほどから全くそのように思えない。余裕がないのがおれで、余裕があるのが葉山。認めたくはないが、心の底では理解してしまっている現実。なぜだ。なぜ普通のサラリーマンなのにこれほど肝が据わっている?


 くそ、そんなことを考えても仕方がない。


 まだまだ時間はたっぷりある。これからゆっくりこの男に金庫の開け方を吐かせてやる。絶対だ。






・・・・・・・・・・






 学校。授業が始まる前の教室は、未だに喧騒に包まれていた。だけど私の隣の席の男の子の席は今日も空席のままで。


 葉山君が無事に(?)「石」をゲットしてから五日が経ちました。今日は金曜日。もうあれは一週間も前の話なんだなぁ。この案件は長くなりそうだ、って零していたけれども、強引な手法を用いたためか、案外すぐに終わってしまったようです。私も今回は危ない目に遭うこともなくお手伝いを終えられてよかった。


 ……私だけじゃなくて葉山君も、だけど。




「あら? そー君、今日も休みー?」




 朝。チャイムが鳴るギリギリの時間にようやく教室に入ってきたももちゃんに言われる。


 隣の席はおとといも昨日も空席だった。そしておそらく今日も。


 葉山君が休みがちなのはいつものことだけれど、三日連続休みなのは珍しい。まあ、アドミについてしばらく調査してから本部に引き渡す、って言っていたので何か自宅で調査をしていたりするのかもしれない。それで三日間くらい連続で休むことも……まぁ、あるのかもしれない。




「分かんない。葉山君は遅刻してくることもよくあるし、これから来るかもしれないよ?」




 私がももちゃんにそう答えたところで授業の開始を告げるチャイムが鳴って、その話はそれで終わったけれど。


 葉山君は今日も学校には来なかった。








 その日の帰り道。私が一人寂しく家路についているとき。駅前でスマートフォンがけたたましい音を立てて電話の着信を告げる音を鳴らし始めた。


 一体誰だろう。SNSアプリでいつも友達と連絡を取っている私は、普通の電話着信を受けることはあんまりない。お母さんかな。私は鞄からスマホを取り出して、画面をのぞき込む。


 ……知らない携帯電話の番号だ。ちょっと通話するのが怖かったけど、危なそうな電話だったらすぐ切ればいいので、私はとりあえず通話ボタンをフリックしてスマホを耳に当てた。




「も、もしもし?」


『あ~、汐音ちゃん? こんにちわ~。わたし、鬼瓦だけど~』


「……? えっと?」




 鬼瓦さん? すごい名前です……声は可愛いらしくてすごく甘くておっとりしてるけれど。もちろんそんな名前を聞いたことはありません。




『あら~? ゲリちゃん、私たちのこと言ってなかったかしら~? そういえば~、言ってなかったかも?』




 ゲリちゃん? ゲリちゃん……。あ、ゲイリーさんのことだ。




「ゲイリーさんのお知り合いですか?」


『ん~ん、本人よ~?』


「……は?」




 本人……え? 本人⁉




『も~、ソウジ君もゲリちゃんも、なぁんにも言わないんだから~、困っちゃうなぁ、も~』




 鬼瓦さんは、あんまり困っていない風にそう言うと、ゲイリーさんの驚愕の秘密を告白し始める。




『あのね~? 私たちは三重人格なの。だからぁ、ゲリちゃんも、わたしも、本人なの。改めて自己紹介するわね~。私、鬼瓦けさ。よろしくね』




 鬼瓦けさ。


 すごい名前です……。でも、めちゃくちゃ怖そうな名前ですけど、電話ごしの鬼瓦さんはすっごく優しそうです……いえ、甘そうです。


 ……っていうか、名前のことはいいんだけど。




「え、三重人格? ほ、本当ですか? 私、からかわれてませんよね?」




 そっちの方がにわかには信じられない話だった。大体、声からして全然違くって。あの渋すぎるおじさんのゲイリーさんが、こんなスイートな女声を出せるだなんて到底考えられない。


 それに、私は多重人格というのはほとんどがフリで、本物の多重人格者というのは日本にはわずか数例しか存在しないという話を聞いたことがある。




『ん~、お医者さんが言う三重人格とはちょ~っと違うけどね。私たちはぁ、眠る度に身体ごと入れ替わっちゃうの。記憶はおんなじだけどね~」




 身体ごと……ということは、今はゲイリーさんは、実際に女の人になっているということだろうか?


そんなことがあり得るかと言われれば、絶対にあり得ないのだけれど。




「……ひょっとして、アドミのせいで、そうなっちゃったんですか?」


『そ~よ~? 私たち調査員は、み~んな一次接触者だからねぇ』




 一次接触者。


 アドミに直接関わって何らかの作用や被害を受けた人のこと。今回のケースで言えば、蘇我さんがそれにあたります。


 ちなみに、私は二次接触者。アドミに直接関わったり被害は受けていないけれど、アドミを見たりした人のことらしいです。


 なるほど、そういうことならどんなに突飛な事実でも信じるしかない。




『あ~、こうやってガールズトークに花を咲かせるのもいいけど~、今日はちょ~っと聞きたいことがあって電話したのよね~』


「聞きたいこと、ですか?」


『そうなの。昨日の夕方からソウジ君と連絡が取れなくってね~、困っちゃってるのよ~』




 葉山君と連絡が取れない……。学校も休んでいるし、何かあったのだろうか。




『汐音ちゃん、ソウジ君のこと何か知らない?』


「ごめんなさい。学校にも来てないですし、分からないです」


『う~ん、どうしようかなぁ~……』




 電話越しに鬼瓦さんは悩ましげな吐息を漏らすと。




『汐音ちゃん、悪いんだけど、ソウジ君の家に行って様子見てきてくれないかな~?』




 そんな提案をしてきた。




「えっ、私がですか? 鬼瓦さんが直接行った方がいいんじゃ。葉山君に何かあったとき、私じゃ力になれないかも」




 葉山君の家に行くのが嫌なわけではないけれど。


 家に行ってしまっていいのだろうか。葉山君たちの会社は秘密結社感あるので、社員の家が私みたいな一般人にバレてしまったらまずい気がする。


 消されない? 私、後で消されない?




『ん~、ソウジ君の場合、何かある、ってことはあんまり心配ないのよね~。ただ一つ困るのは、拘束されちゃってる場合かな~? もしそういう雰囲気を感じたら、汐音ちゃん、すぐに逃げて私に連絡してね~?』


「え、もう私が行く前提なんですか?」




 鬼瓦さんの言っていることの意味はよく分からなかったけれど、既に私が行く前提で話が進んでいるのはなぜなのか。




『わたしが行ってもいいんだけど~、これはゲリちゃんの意向なのよね~。多分、昼間だからそう危ないことにはならないし~?』


「……? あなたの中のゲイリーさんが、そう言ってる、ってことですか?」


『あはは、今はゲリちゃんは意識ないけどね~? この前、起きてるときにあの人、こう思ってたの~。あなたには、ソウジ君の友達になってやってほしい、ってね~』




 それから鬼瓦さんは、ゲイリーさんが何を思って先日、私に葉山君とペアで仕事をさせたのか教えてくれた。




 ソウジや俺は、やりたくてこの仕事をしてるわけじゃない……。俺たちはこれしか出来ないんだ。俺たちみたいな一次接触者は、もう普通の社会には絶対に馴染めない。日ごとに顔と性別が変わる人間が、普通の社会でどうやって生きればいい?「アドミニストレーターズ」は俺たちのような一般社会では受け入れられない存在の受け皿という一面もあるんだ。


 とりわけ、ソウジの孤独は人一倍だ。あいつはアドミに関わってから家族も失い、友人も失い、夢も失い、組織には実験動物にされ、自分の生きる意味や価値を失って、一時期は絶望の淵にいた。自暴自棄になってやさぐれていた時もあった。人間らしさを失っているときもあった。今はなんとか現実との折り合いをつけてやっていっているようだがな、それでもあいつの危うさがなくなったわけじゃない。あいつは、生きる理由を失っている。文字通り、死ぬために生きているんだ。あいつほど生きることと死ぬことの辛さを知っている人間はそういない。


 俺はな、ガール。ソウジのやつがあんたにスイーツを奢ったと聞いたとき、本当に驚いたんだ。あいつが自分から誰かに飯を奢るなんてこと、今まで一度もなかった。ガールの何がソウジの心を動かしたのかは分からない。あいつがガールのことをどう思ってるのかもな。


 だが、ガールはソウジの支えになってやれる可能性がある。もし出来ることなら、ソウジの友人になってやってほしい。もちろん、迷惑だっていうこともあるよな。ソウジは基本的にはクソ野郎だからな。クソ野郎で、我儘で、偉そうで、減らず口ばっかり叩いてる……ただの独りぼっちだ。だからこれはただのお願いだ。俺からのガールへの、たった一つのお願いだ。出来ることなら、ソウジの心を救ってやってくれ。それはきっとガールにしか出来ないことなんだ。






 ……その説明は鬼瓦さんの口調だったから、いつもの洋画テイストな言い回しはなかったけれど。


 思わず、涙ぐみそうになってしまった。




『ゲリちゃん、意外と面倒見良いからね~。ソウジ君のことは、前から弟分みたいに思ってたしね~』


「……ごめんなさい。でも、そのゲイリーさんのお願いは、私には聞けません」


『あら~? う……ん、悲しいけど仕方ないわよね~……』


「だって、言われるまでもなく、私はもう葉山君の友達のつもりですから」




 葉山君が私のことをどう思っているかは分からないけれど。


 私はもうとっくに葉山君を友達だと思っている。




『あらあら、うふふ、青春ね~』


「私、葉山君の家に行ってきます。友達に何かあったかもしれないなら行って当然ですもん」


『は~い。ソウジ君の家の住所とカギの隠し場所はね~……?』




 私は鬼瓦さんから聞いた葉山君の住所を地図アプリに打ち込む。……三駅離れた駅前のアパートが表示された。今いるこの場所から二十分ほどで着くらしい。




「……最後に一つ聞きたいんですけど」


『なぁに~?』


「葉山君も、一次接触者、なんですよね」


『………………』




 私はこの一か月くらい、葉山君と一緒に居たけれど、なにか普通の人とは違う部分……一次接触者たる何かを見つけられていない。それは葉山君が自分の秘密を隠しているからかもしれないけれど。




『そうね~……ソウジ君の秘密は、私の口からは言えないけど……』


「あ、大丈夫です。一応確認したかっただけですから」




 もし、これから葉山君の秘密を知ることがあっても。


 受け止められる準備がしたかっただけだから。




『ただもし、ソウジ君がケガ……大きなケガをしてたら、伝言をお願いできるかしら~?』


「伝言、ですか?」


『ええ、バラしちゃってもいいんだぞ、ってね~』








 ……それから二十分後。


 私は葉山君の住んでいるというアパートの前に立っていた。


 見上げたアパートは小奇麗でそれなりに新しい。きっと最近引っ越してきたのだろう。


 考えてみたら、私、こうちゃん以外の男の子の家に来るのって初めてだ。あ、まずい、なんかドキドキしてきた……。


 って、別に遊びに来たわけじゃない! 私はぶんぶんと頭を振り払って、一〇四号室……一階の一番奥の部屋の前まで歩いていき、ドアの前に立つ……と、何やら、部屋の中からおかしな音が聞こえてくる。




「………………?」




 私はそっと葉山君の家と外を隔てるドアに耳を当てて意識を集中させる。




「……えよ、い……よ、お……らっ!」




 ごんっ、とか、ぶつっ、とか、ぐしゃ、とか、そんな音に紛れて、何か声が聞こえてくる。これは……何か、まずい気がする。


 この声は、この間の蘇我さんの声だ。間違いない。この中で葉山君は今……。


 どうしよう。心臓の音が高鳴ってくる。


 この部屋の中で、きっと何か良くないことが行われている。それが容易に想像できる音だった。どうしようどうしよう。


 鬼瓦さんには、何かあったらすぐ電話してね? と言われている。だけど、鬼瓦さんはすぐ近くにいるのだろうか。今から電話しても果たして間に合うのだろうか。警察? 警察に通報しても大丈夫なのだろうか。葉山君たちの身に迷惑がかかったりしないだろうか。ああもう、そうこうしている間にも、葉山君の身が危ないかもしれないっていうのに……!


 私は深呼吸して、葉山君の玄関横の室外機の裏に隠されている鍵を手に取ると、意を決して家のドアをどんどんと拳で何度も叩いた。




「そうちゃんー! お姉ちゃんだよー! あーけーてー! いるんでしょ! 寝てるのー⁉」




 うう、恥ずかしい。恥ずかしいけどその羞恥心をかなぐり捨てて私は思い切り何度もドアを叩く。




「そうちゃーーーん! あけてよーっ! もー! 居留守なんか使っちゃってー! 開けてくれないならお姉ちゃん鍵使っちゃうからねー!」




 そこまで私が心の叫びをあげて、部屋の鍵をがちゃがちゃと弄り始めたところで。


 部屋の中から、ドタドタと音が響いて、やがて聞こえなくなった。


 ……上手くいった、のかな。


 ここは一階だから、部屋の外で騒げばきっと中に居る不審人物は窓から外に逃げてくれるのではないか、という私の目論見。逆天岩戸作戦、とでも命名しましょう。


 ひょっとしたら、玄関から出てくる可能性もあったので、内心はドキドキでした。でも上手くいったのかな。私は高鳴る鼓動を抑えつつ、葉山君の家の扉に鍵を差し込むと、半回転させます。


 ぱちん、と音が鳴って、鍵が無事に開く。急がなくてはならない、という逸る気持ちと、まだ中に誰か……きっと蘇我さんがいるかもしれないという恐れの気持ち。二つの相反する気持ちを抑えつつ、私は何が起きても落ち着いていられるよう気持ちを静めてドアノブを回し、おそるおそる葉山君の部屋をのぞき込む。……今はまだ夕方前だけれども、カーテンが全部下りていて薄暗い。玄関を開けるとすぐにキッチンがあって、その奥に、寝室?リビング?に繋がる扉がある(後で知ったのだけれど、ワンルームというらしい)。


 ……薄暗いキッチンを抜けて、私はそのドアを開ける。誰かが居る気配はなかったけれど、誰が出て来てもいいように覚悟をしながら。




「……葉山君? っ! 葉山君っ!」




 ドアを開けると、すぐに葉山君の姿が目に入った……。いや、一瞬、葉山君なのかどうかすら迷ってしまう姿だった。






 葉山君の顔は血に染まり、赤紫に晴れ上がっていて。瞼は腫れて鼻は曲がり、原形を留めていないような状態だった。上着の白いシャツはその半分が赤く染まっていて。紅白のコントラストのシャツへと変化していた。






 とりあえず、部屋の中に居るのは葉山君だけだった。部屋の奥の大きな窓ガラスが開いており、葉山君をこんなにした人はそこから逃げて行ったことが窺える。




「は、葉山君! しっかりしてください!」




 私は葉山君に駆け寄って肩を揺さぶる。


 ……葉山君は床に座ってベッドに背を預けていたが、よく見ると手を背後で縛り付けられ、両足首と膝も揃えて縛られて動けない状態にされていた。




「よう……おねえちゃん」




 葉山君が口を開く……どうやら意識はあるみたいだ。冗談を言う余裕もあるみたいだけれど。




「くそ……蘇我の野郎、やってくれた……」


「しゃ、喋らないでください……!」




 話をするたびに、葉山君の口内から血が零れ落ちる……。どうやら、歯が何本も折れているみたいで、床に何本か歯が転がっているのが見える……いや、見ていられない。私はとりあえず、葉山君の手足を縛っていた紐を解いて動けるようにしてあげた。


 ああ、どうしよう。と、とりあえず救急車を……。




「やめろ……救急車は、呼ぶな……」




 私はスマホを操作しようとしたところで、葉山君に腕を掴まれてしまう。葉山君の手首は長時間縛られていたためか紫色に染まり、その手にはほとんど力が入っていなかった。




「そんなこと言ってる場合ですか⁉ 頭からも血が出てるのにっ! 死んじゃったらどうするんですか!」


「あー、どうすっかな……いや、死んじゃったらどうするかの話じゃねえけど……。よりによってお前かよ、くそ……」




 なんでゲイリーじゃないんだ、とか葉山君はぶつぶつ言っている。確かに私は悔しいけどこういうとき役に立てない。どうしたらいいのか全然わからない。ただ、ゲイリー、という単語を聞いて私は思い出した。




「そ、そういえば、鬼瓦さんから伝言を預かってます。葉山君がケガしてるときは言うように、って……」


「伝言……?」




 葉山君が大きなケガをしていたら伝えるようにと言われていた言葉。




「バラしちゃってもいいんだぞ、って」


「……………………」




 葉山君はそう言われると考え込んでいるのかしばらく押し黙ってからため息をついて。


 ていうか、本当に生きてるか不安になるから黙らないで欲しい。




「そうだな……こんな状態見られちまったらな……後で言い訳するのも面倒くせえしな……」


「はい……?」


「四条……そこの机の右上の引き出しに、錠剤が……入ってるから、取ってくれ……。あと、コップに水も頼む……」


「……? は、はい」




 私は言われた通りに葉山君に指示された机の右上の引き出しを開け、その中に入っていた錠剤のシートから一錠取り出すと、玄関の方に向かっていき、キッチンでコップに水を貯める。


 この薬は、痛み止めか何かだろうか。




「持ってきました」




 葉山君は震える赤紫色の手で私の手から錠剤を摘まむと口に放り込んだ。


 ……でも、コップはどう見ても握れそうになかったから、私がその水を口に運んであげる。少しずつ丁寧にコップの水を葉山君の口内に入るように傾けると、葉山君の喉が蠢いて、水とおそらく錠剤が嚥下されるのを確認する。




「ふう……すまん、少し、寝る……」




 そして薬を飲み終えると、そのまま床に身体を横たえて。


 わけの分からないことを言い出した。




「え、ま、待って。ダメですよ。せめて手当をしてからじゃないと!」


「大丈夫だ……寝れば治る。治ったら起こしてくれ……」


「治るなんて、そんなわけ!」




 と、言いかけて私は止まった。


 葉山君も一次接触者。そして、バラしてもいい、という言葉。


 まさか、本当に治ってしまうのだろうか……?


 私は少しの不安を抱えつつも、葉山君が眠るのを止めることが出来なかった。


 ……葉山君が床に横たわって五分くらいが経った頃だろうか。


 ほんの瞬きする瞬間だった。私は葉山君から一瞬たりとも目を離していなかった。


 葉山君の顔が。腕が。シャツに着いた血が。




一瞬で、何事もなかったかのように元通りになっていた。




 そこにあったのはいつも見慣れている葉山君の寝顔。


 ……いや、こんな言い方するとちょっと厭らしい感じしますけど、授業中寝てる顔をよく見てるってだけですからね?




「は、葉山君……?」




 治ったら起こしてくれ。


 そう言われていたので、私は葉山君の身体をゆさゆさと揺らしてみると。


 葉山君がまるで、バネ仕掛けの人形のように飛び起きた。そして私の方を見ると、俯いてため息をつきながら言う。




「あー、くそ……ばれちまったな……」




 葉山君は頭を掻きながらどうすればいいか迷っているように落ち着かないでいた。




「それが、葉山君がアドミと接触して受けた後遺症、ですか?」




 この期に及んで何が起きているか分からないほど、私も鈍くはない。


 だけど葉山君はこの期に及んでまだ言うかどうか迷っていたようで、ため息をついてから説明をしてくれる。




「そうさ、どんなケガも、病気も、意識を失った瞬間に元通りになる」




 それが、俺がアドミと接触した後遺症だ、と葉山君は自虐するように言う。




「お前には気付かれてるかも、と思ってたんだけどな」


「えっ?」


「俺がおっさんに殴られた翌日、俺の顔の傷がなくなってることに気付かなかったか?」


「あー……」




 傷の治りが早いな、くらいにしか思っていなかった。




「お前はただの人間が建物の崩落に巻き込まれて、普通無傷でいられると思ってたのか? 大した重装備でもなく」


「あー、あー……」




 葉山君、生きててよかった、って嬉しさでそれどころじゃなかった。


 その二つの事例は、この前こうちゃんが関わってしまったアドミ<スワンプルーム>の調査をしているときに起こったこと。


 ひょっとして、私って鈍かったのかな。確かに気付くチャンスが私にはあったんだ。いや、それにしても。




「意外と便利な身体ですね」




 三重人格のゲイリーさんに比べると、随分と便利な後遺症もあったものだと思う。寝るとたちまちケガが治るなんて、私も欲しいくらいです。


 ……ああそうか、さっき葉山君が飲んでいたのは睡眠薬だったんだ。意識を失えばケガが治るから、葉山君は睡眠薬を飲んだんだ。




「ああ、なんたって死んだとしてもその瞬間に治っちまうからな」


「え?」


「おまけに、寝ると同じ状態に戻るから、成長もしねえ。ずっとこのままだ」


「…………」




 えっと、それって……。






「分かりやすく言うと、俺は不老不死だ」






 ――衝撃の事実。


 そうか。寝ると……意識を失うと元に戻ってしまう、というのは、そういうことなのか。私は何も言えなかった。


 不老不死というのが良いものかどうか、すぐには判断が出来なかったから。




「羨ましくないのか? 女ってのはいつまでも若いままでいたいもんじゃねえの?」


「そういう人、多いと思いますけど……でも」




 いつまでも若々しくいたいとか。そういうレベルの話じゃない気がした。もっと根源的な恐ろしさを秘めているような……。




「意外だな。俺はその、若々しくいたい女のせいでこんな身体にされちまったんだがな」


「えっ……?」


「アドミと最初に接触したのは俺の母親だ。小さい女の子の姿をしたアドミだったよ。そのアドミは、どんな願いでも叶えてくれるアドミだった。俺の母親はそのアドミに願ったのさ。家族全員、不老不死にしてくれ、ってな」


 じゃあ、不老不死になったのは、葉山君だけじゃない、ってこと?




「それじゃ、葉山君は一人じゃないんですね。家族も一緒に不老不死になったのなら」


「……………………」




 不老不死になって、これから私には想像も出来ないような辛い現実が待ち構えていたとしても、それを分かち合える相手がいるのなら、まだ救いがある気がしたのだけれど。


 私の言葉に葉山君は押し黙ってしまった。




「なぁ、四条。そういう、どんな願いも叶えてくれるって話で、欲望のままに願いを叶えた人間が真っ当な最後を迎えた試しは少ないよな。ましてや相手はアドミだ」


「えっ……?」


「俺の両親は、代償を払い続けてる。不老不死になった代償を。俺もいつその代償を払い始めるのか分からない……」




 その話を始めた葉山君は、いつになく弱気で、その語尾は弱々しかった。




「いや、すまねえ、何でこんな話をしてんだ俺は……」




 葉山君は、自分の内面をさらけ出してしまったことに対して今更恥ずかしさを覚えたようで、照れくさそうに横を向いてそんなことを呟いた。




「えっと、ちなみに葉山君はおいくつなんですか?」


「二十六歳だよ。前に言わなかったか?」


「本当に二十六歳だったんですね」




 前に葉山君は自分で二十六歳とももちゃんに言っていたことがそういえばあった。


 葉山君は年上かあ……年上。ずいぶん上だなあ……うーーん。ぎり……。


 ……って、私は一体何を考えてるんだろう。頭をぶんぶん横に振って自分の中の邪念を振り払う。




「そ、それにしてもすごいですね。ケガが治るだけじゃなくて、シャツについてた血しぶきとか、床に落ちてた歯も全部元通りになってますよ」




 私は話を逸らすように言う。




「アドミの再生は大体そうなんだが、一番大きい部分が元の形に再生して、その他の部分については消滅する」


「へー、そんなことまで分かってるんですね」


「ああ、俺の身体で色々研究してたからな」




 さらりと、葉山君はヘビーなことを言う……。そういえば鬼瓦さんも葉山君が実験動物になっていた、って言っていた気がする。




「そ、それより、ここに来てたのは蘇我さんですよね。蘇我さんはどうやってここにやってきたんですか?」




 そしてまた私は話を逸らす。


 蘇我さんがやってきて、葉山君のことを縛り上げて拷問して、「石」を渡せー、って言ってたのは何となく想像が出来るけど。


 そもそもどうやって蘇我さんはこの場所が分かったのだろう。




「……多分あいつは、「石」の場所が分かるんだ」


「えっ、どういうことですか?」


「あいつは、この部屋のどこに「石」が隠されてるか、一発で当てた。家探しすることもなく、だ」




 そう言って葉山君が見つめた先には、開いているクローゼット、そしてその中にある金庫……金庫、金庫。


 三つの大型の金庫が並んでいた。




「あの三つの金庫はカモフラージュで、上段の棚の奥にもう一つ平べったい金庫がある。そこに「石」を隠してたんだが、あいつは一発でそれを見破りやがった。……まぁ、金庫に入れておいたおかげで奪われることはなかったが、どうやって金庫を開けるのか一日も拷問されちまったぜ。ケツでも掘られるかと思ったが、殴られて蹴られるだけで済んで助かった」


 ははは、と、葉山君は笑う。


 笑いごとなんですか?




「つまり、あの「石」に触った人は、魅了されるだけじゃなくて「石」がどこにあるのか分かっちゃうってことですか?」


「十中八九な。ただ、俺のところにたどり着くのに四日もかかったのを見ると、地図を見ればすぐ分かるようなものではないらしい。ただそうなると……」




 と、葉山君が何かを話し始めたとき、机の中からけたたましい着信音とバイブレーションの音が響き渡った。


 葉山君は舌打ちしながら机を開けると、その着信に応じる。




「葉山です。……はい。申し訳ありません。対象アドミの一次接触者に拘束され、定時連絡を怠りました。詳細については後ほど報告書をお送りします。……申し訳ありません。ですが、アドミはまだ私が確保しております。一次接触者は、当該アドミの位置を感知することが出来るらしく……。は?」




 葉山君は、きっと例の上司と話しているのだろうけど。何を言われたのか、少し慌てていた。




「い、いえ、了解いたしました。復唱します。当該アドミについては本部には持ち帰りません。私が責任を持って処分いたします。はい。それでは失礼いたします」




 と言って、葉山君はスマホを耳から話して通話を終えた。




「あーくそ、マジかよ……」




 葉山君は頭をがりがりと引っ掻きながら何かを悩んでいた。




「えっと、何を言われたんですか?」


「そのアドミを持ち帰れば本部の場所が特定される可能性がある。一次接触者が存在する限り本部に当該アドミを持ち帰るな。お前の手で責任を持って処理せよ。……復唱はどうした? だってよ。偉そうに言いやがってよ、クソ野郎が」




 自分がいつも偉そうなことは自覚していないのか、それとも偉そうだからこそ同族嫌悪を感じているのか、葉山君は謎の憤りを見せていた。


 これからこのアドミは本部に任せて仕事は終わりかと思ったのによ、とか葉山君は零していたけれど。




「でも、実際どうするんですか? 処分なんて」


「そうだなぁ……海に捨てるしかねえな」




 なるほど、良いアイデア。海に捨てれば、どこにあるか分かっていても拾いに行くことは困難だと思う。




「ただまぁ、気になることもあるし、保険は掛けておくべきだな」








 そして二日後。


 長い時間電車に揺られて。何回も乗り継ぎを繰り返して。


 私は海にやって来た。んー、髪の毛をなびかせる潮風が気持ちいい。それに寄せては返す波の音ってすごく落ち着く……。もう季節は秋を迎えているから海水浴をしてる人は居ないけれど、サーフィンをしてる人たちが数組いた。私は運動音痴だからあんまり泳いだりできないけれど、いいなぁ、海遊び。私も来年は海に行きたいなあ。


 ちなみに、今は私一人です。


……って、なんで「石」を海に捨てる役が私なんですかああああ⁉


葉山君は他に大事な用事があるから、って言って着いてきてくれませんでした。これって一番危ない仕事じゃないですか? どうして私に任せるんですか? 蘇我さん、石の場所が分かるんですよね? ……と聞いたら、ゲイリー達に蘇我を見張らせてるから大丈夫、危なくなったらすぐに連絡が行くし、何かあったら「石」を置いて逃げていい、っていう回答が。


それから二日経って、私は葉山君から「石」を受け取ってここに来ています。


確かに私が見張りなんて多分出来ないし、葉山君のすることを私が代わりにすることは出来ないのかもしれないけど。


……うう、なんか納得いかない。葉山君、私のことを雑に扱ってる感じがする。


頼ってくれている、と思えば嬉しい気もするけれど、でも、なんか……うーん。


そんなことを思いつつも結局押し切られて私はこの仕事を引き受けてしまったわけで。引き受けた以上は、任されたことをするしかない。


私は海水浴場を横目に見つつ、海岸沿いを歩いて遊覧船乗り場へと向かう。


チケットを買う前に、発着時間を確認。次の船は四十分後。あー、ももちゃんと一緒に来ればよかったなぁ。退屈。今日、遊びに行かないか誘われてたんだよね。


……って、ももちゃんをアドミ関係のことに関わらせるわけにはいかないか。




その後、私は遊覧船に乗りこんで。


船の上から、ウエストポーチにしまっておいた「石」を、巾着袋に入れたまま、誰にも見られないように投げ捨てた(触るときは本当に緊張しました……)。葉山君が言うには、ここに捨てれば海流に乗って日本海溝まで落ちていくから回収は絶対に不可能になるんだって。ここはせいぜい沖合一キロくらいの場所だから、そこまで行くには結構時間かかるみたいですけど。


特にトラブルもなく。困ってしまうこともなく。拍子抜けしてしまうくらい、何も問題なく私は任されたことをやり遂げた。




これにて、今回の案件は一件落着、ですね。

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