第十二話『帰還』

 ようやくタケルが泣き止んで落ち着いた頃、竜吾はそろそろ帰りますか、とタケルに声をかける。社の入口の階段に腰掛けていた二人は立ち上がった。

 少女はというと、石畳に横たわっている神の様子を見つつ、できるだけ社を綺麗にして、どうやっているのかわからないが、結界を貼り直しているようだった。

 敷地内から出る前に、二人はもう一度少女にお礼を言った。


「助けて頂きありがとうございました。それと、お名前、お聞きしてもいいですか?」


 竜吾がそう言うと、少女は何故か困ったような顔をした。何故名乗るのに困る必要があるのかと思ったが、もしかすると名乗ってしまうと何か不都合なことがあるのかと思ったのだが、返ってきた答えは全然違うものだった。


「名前……名前といってものぅ、昔は名前はあったんじゃが、もうその名前も忘れてしまっての」


 そう言って少女は照れ臭そうに笑う。名前を忘れてしまっていることも、衝撃だったのだが、何より昔という方が一番驚かされた。見た目はタケルより歳下に見えるのに……と思っていると、実は自分は五百歳以上だと、冗談にも限度がある年齢を白状した。

 五百年も前だと、この国では戦乱の時代ではないか?と歴史に疎いタケルでもすぐにわかったが、問題はそこではない。


「その、五百歳っていうのは生身の人間として、ですか?」


「そんなわけなかろう、いくら神のおる国でも肉体が滅ぶことは止められん、ほれ見てみろ」


 タケルの問に答えた少女は、自分の両手を前に差し出しす。戦闘のさなかには全くわからなかったが、彼女の手は薄らと透けていたのだ。

 タケルはハッとして少女の顔を見つめる。


「もしかして、幽霊……?そんなのがいるわけ……」


「さっきまで神と戦っておってそれを言うかおぬし、神様もいるんじゃから幽霊だっておるじゃろ。しかし幽霊とはいうが、儂には死んだ記憶はないからのぅ…」


 そう言って彼女は、タケルの頭を小突く。それは確かに小突かれたという感触があった。先ほどまで弓を引くのを手助けしてもらっていて今更なのだが、恐らく世間一般で言うところの幽霊とは別物なのだろう。

 竜吾はそのまま二人が延々と問答を続けるのではなかろうかと、ハラハラしながら見守っていたのだが、少女がそうじゃ、良いことを思いついたぞと手を打ったことで、その流れが止まる。


「儂は名前を忘れてしまったが故に、名乗る名がない。それでじゃ、おぬし、儂に新しい名前をつけてくれんか?」


 突然のその提案に、二人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。返事はすぐに返せなかった。タケルはこの提案を受けてしまってもよいのだろうかと、困って竜吾の顔を見たのだが、彼もまたどうしたらいいのかと困ってしまっているようで、苦い顔をしながらぎこちなく笑っただけだった。

 しかし、断ってしまうのも失礼にあたるのではなかろうかと考える。先程助けて貰っている以上、断ってしまうのは気分が悪いし、例え相手が見返りを求めていなかったにしても、せめてお礼のつもりとしてはいいのではなどと、しばらく考え続ける。

 少しの後、タケルは結論を出した。


「わかりました……俺にいい名前がつけられるかはわかりませんが……」


 その答えに少女はそうか!付けてくれるのか!と嬉しそうに笑い、タケルの手を取る。不思議なことにその手は、ほんのりと温かい。彼女の顔はまるで満開の桜のような笑顔で、こんなに嬉しそうな顔を見ると自分も嬉しくなってきて、頼みを受けて正解だったなと自分も嬉しくなる。

 だが、正直タケルには女の子にはどんな名前をつけるべきなのだろうというのがわからない。人の親ではないことは勿論、学校へ行って同年代の女の子達と話すこともなかった為、どんな名前がついているのかもよくわかっていなかった。ミコトが久々に会う女の子だったのだが、その名前を貰うわけにもいかないだろうと考える。久々にこんなに頭を使ったのではなかろうか。

 しかし、先程助けて貰った中で見たあの光景、月夜に映える満開の桜、それがこの少女にはぴったりな名前だろうと思いついていたものが、一つだけある。


「"夜桜"なんて、どうですか……?」


 タケルの出したその名前に、少女は動きを止め、じっとタケルを見つめた。その瞳が、何かを訴えているような目に見えたので、都合が悪い名前だったのではなかろうかととても不安になる。

 しかし、少女はタケルの想像とは全く逆の反応を示した。


「"夜桜"……夜桜か、なるほどのぅ、良い名じゃ!儂のこの着物ともぴったりじゃしな!」


 そう言ってまた嬉しそうに笑うと、着物の袖を持ち、回りながら見せびらかすように振りを振った。竜吾も安心したようで、いい名前ですね、と微笑みながら呟き、タケルもよかった、と安堵した。

 だが、その瞬間安心しきってしまい、緊張の糸が切れたのか、急にタケルを疲労感が襲い、眠気で瞼を閉じてしまいそうになる。それに気づいた竜吾が、慌ててタケルに肩を貸す。


「すみません……竜吾さん……」


「いいんですよ、初仕事なのにあんな大仕事をやったら疲れるのは普通です」


 そう言って彼はタケルに微笑みかける。その言葉と共に、肩を貸してくれた竜吾の体の温もりを感じると、心から安心しきって、もっと強い眠気が襲ってきた。


「すまぬ、引き止めてしまって……」


「大丈夫です。それとあと一つお聞きしたいことが……」


 夜桜と竜吾の話し声が段々と遠くなっていくように感じた。タケルにはもうこれ以上、眠気に抗うのは限界だった。だが最後に、ある疑問が浮かび上がる。


(そういえば夜桜は、俺を見上げるくらい身長差があるのに、あの時どうやって手を貸したのだろう……)


 しかし、その答えを聞くよりも、考えるより先に、瞼が落ちて、押し寄せる眠気の波に飲まれ、ゆっくりと眠りの世界へと沈んでいった。



 ※※※※※※※


 タケルが目を覚ましたのは、ベッドの中だった。目覚めたばかりで霞む視界の中、ゆっくり辺りを見渡すと、自室のベッドに寝ていることがわかった。カーテンの隙間から薄らと光の筋が、部屋の中を照らしていた。

 枕元に置いてある時計の明かりをつけて時間を確認する。午前二時、仕事が終わった時間を確認していないので、どれくらい眠っていたかはわからない。

 さっきまで外にいたはずでは……と考えたが、そのあとの記憶が途切れている。意識を失ってしまったところまでは覚えているが、どうやって家まで帰ってきたのだろう。

 状況から考えれば、竜吾が家まで連れてきたことになるのだが、それだと人間一人を家まで、そして自室まで叔父に運ばせてしまったことになる。本人に言わせれば、「タケルくん一人運ぶくらいどうってことないですよ」と言いそうなのだが、タケル自身は、もういい歳なのに……と少し恥ずかしく、少し申し訳なく感じた。

 そう考えているうちに、部屋の扉が開いた。


「お、目が覚めたかタケル」


 龍太郎だった。慌ててベッドから起き上がろうとして、頭がグラグラとしたタケルが顔をしかめて額に手を当てると、まだ寝てていいぞと近づいた龍太郎によって、再びベッドに寝かしつけられる。


「竜吾さんは……」


「ああ、竜吾は報告の為に本部に行ってる。それよりお前、"始祖の血"の力使ったんだろ、慣れるまでは体にデカい負担かかるからな、まだゆっくり寝てていい」


 タケルは小さく頷いた。確かに少し意識がはっきりしてくると、目眩がするだけでなく、体に大量の重りをつけられてしまったような感じがする。先程はどうにか上半身は起き上がらせたが、正直もうベッドから身を起こしたくはない。


「それともう一つ、竜吾から伝言だ。『先程鎮めた神様は赤ちゃんを探していましたが、あの場所に一緒に殺された赤ちゃんは神様として祀られていませんでした。神様自身もその事は自覚していたようで、何かに取り憑かれた時にその事を忘れ、錯乱していただけのようです』だってさ」


 タケルは少し安心したように息をついた。だが、肝心なのは取り憑いたがまだわかっていない、とうのが竜吾の見解だ。竜吾はそれについて調べなくてはいけないので、夜桜と名をつけた少女と共に本部に戻り、詳しく調査をしているようだった。


「何か少しでも腹の中に入れておくべきだが、おにぎり作ってきたら食べられるか?」


 タケルは頷く。わかった、というと龍太郎はタケルの部屋を後にした。

 一人になった部屋でタケルはぼんやりと天井を眺める。昨晩の出来事が夢のように感じられた。まさか自分にあんな力があるとは露にも思わなかった。重い右腕を上げると、掌の皮が少し剥けていることに気がつく。恐らく、矢を放った時についたものだろう。そこにある傷が、あの出来事を夢ではないということを証明していた。

 荒魂と化した神は人を傷つけるという。もしかしたら母親が救われなかった理由というのは、あの時祈った神が荒魂だったからなのだろうか。だが、今のタケルにはそんなことは全くわからない。

 このまま神を救っていれば、いつかわかる日が来るのだろうか、そんなことを考えながら、再び深い眠りへと落ちていった。

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