第18話 ひとりぼっちの男の子

「……ふぅ」


 浴衣というものは見ている者を涼し気な気分にさせるだけで意外と着ている当人はそうでもなく、寧ろ熱が籠るデザインのせいか洋服より暑く感じる時がある……というか暑い。


 だというのに、今回は綺麗な夕暮れをバックに撮影すると野外に作られた撮影現場でレフ版バシバシに当てられながらの撮影となった為、本当に暑かった。


「いいの撮れたよ、お疲れ様」

「あ、はい。お疲れ様でした」


 前回のように愛菜が激写したものではなく、プロのカメラマンを現地に寄越しての撮影だった為、中々の拘束時間だった。

 勿論私がプロのモデルならもっと短時間で済んだんだろうけど、読モをやる事になっているとはいえまだ撮影された事がない完全な素人なわけで、悪戦苦闘したのはいうまでもない。


「不意に撮られるんじゃくて、しっかりカメラを向けられて撮られるのって難しいんだなぁ」


 何度もリテイクを告げられる度にカメラマンから色々と要求されて自分なりにやったつもりだったんだけど、全然出来なくて……。

 そこでカメラマンに言われた一言が……。


「カメラ構えてるの俺じゃなくて、彼氏とか好きな男だと思ってみて」


 なるほど。知らない人に撮られてるんじゃなくて、良介に撮ってもらうと思い込めばと再度挑戦すると、あっさりOKもらえた。


 そういえば良介と初詣に行った帰りに駅前で写真撮ったっけ。

 あの時は2人で自撮りしようとしてドキドキしたなぁ。

 結局たまたま通りかかった希にツーショットを撮ってもらって、実は未だに私のスマホの待ち受け画像に使っていたりする。


 あれから色々と写真を撮ったんだけど、これを使い続けているのは初心を忘れないようにする為だ。

 今が幸せだと感じる気持ちを当たり前にしない為に。良介との時間をずっと幸せで埋め尽くす為に。


 スマホを取り出して少し緊張気味に映っている私達の画像を見ながらそんな事を考えていると、スタッフがバスが出る時間を知らせに来た。

 私は履き慣れない下駄をカランコロンと鳴らしてバスが待機している場所に向かう。


「お待たせしてすみません」


 バスではもう祭りの参加者が次々に乗り込み始めている所で、去年の経験上浴衣を着ている参加者は前の方に座るのを知っていた私は最後尾に並んだ。


「きゃー! 瑞樹先生チョー綺麗!!」


 浴衣のレンタル権を引き当てた女生徒の1人が私を見て黄色い声を上げる。

 正直目立ちたくなかったんだけど、昔のように無視するわけにはいかずに愛想笑いで応えると、浴衣組だけではなくてバスに乗り込み終えた生徒達からも声をかけられた。


「あはは」と振られる手に向かって小さく手を振って返すんだけど、正直良介以外に褒められても嬉しくない。


 そして目立ってしまった副作用として、断ったはずの男性講師達からまたこれから向かうお祭りの同行に誘われてしまった。

 全く知らないこの場限りの人間であれば得意技を炸裂させる場面かもだけど、そんな事をしたら天谷さん達に迷惑をかけてしまうかもと考えるとそれは出来ない。

 兎に角現地に着いたら逃げると決めて、やんわりと断り続けるスタイルで攻撃をかわす私達を乗せたバスがお祭り会場を目指して走り出す。

 私的に決して大袈裟ではなくて人生のターニングポイントだった合宿だったけど、やっぱり合宿そのものより良介がこの場にいるかいないかが重要だったんだなと隣にいない良介の事を思い浮かべていると、バスが懐かしい場所に到着した。

 生徒達は待ちきれないと言わんばかりに降りる前から高いテンションでスタッフの声があまり聞こえない。

 兎に角降りようとバスから外に出た瞬間、合宿施設がある場所と比べて低い所にある祭り会場は日本の夏独特の蒸し暑さがあって、肌が全く出ていない浴衣の生地が鬱陶しく感じた。


 全員バスを降り終えた所でスタッフの一人が去年同様に祭り見物の注意事項と集合時間を告げて一先ず解散となった。

 私は前から一緒にお祭り見物をしようと誘ってくれていた女生徒を探したんだけど、思っていた以上に人混みが出来てしまっていて見つけ出せずにいると、すかさず男性講師達に囲まれてしまった。


「さぁ! 行きましょう、瑞樹先生!」


 1人の講師が私の意見を訊く素振りもなく肩に手を置いて、強引に祭り会場に誘導を始めた。

 その強引な行動に天谷さん達の事が瞬時に思考から外れ、触れられている手を払おうとした時だった。


「すみません! お待たせしました、瑞樹先生!」


 私達の背後からあまり聞き覚えのない男の声に呼び止められた。


「なんだ君は。瑞樹先生は俺達と君達生徒が余計なトラブルに巻き込まれないか巡回する事になってるんだよ?」


 咄嗟にそう話す男性講師によく言うと苛立つ私の肩に触れている講師の手を、呼び止めた男がそっと引き離す。


「あれ? そんなわけないですよ。俺は確かに瑞樹先生と約束しましたから。ですよね、先生?」


 そう言う彼は全体的に生い茂る雑草のように伸ばし放題の髪と、更に眼鏡をかけていて顔がよく見えない。

 だけど、その長い前髪の間から僅かに見えた彼の目が私に合わせろと言っているのに気付いて、視線を再び男性講師達に向けた。


「そうなんですよ。えーと……そう! 彼、私のおとう……い、従妹なんです!」


 うーん。あまりに咄嗟だったから胡散臭い言い回しになっちゃったけど、このままゴリ押すしかない!


「ちょっと待ってよ! そんな話聞いてないよ!?」

「何でも言わないと駄目なんですか? 個人情報なんですから別に言わなくてもいいですよね?」


 うん、なんか調子出てきた!


「いや、そんな事ないけど……俺達だって楽しみにしてんですよ!?」


 楽しみにしてたって、断わってたじゃん! 

 なんでそこをガン無視するかなぁ。


「必死すぎてウケんですけど」

「は?」


 どんとこいや!と構えてたら、隣にいた男子生徒がプッと吹き出したかと思うと、しつこく食い下がる講師達にそう言い放つ。


「ここって俺達生徒達に勉強を教える場で、この時間は合宿期間を頑張った俺達のご褒美の時間――違いますか?」


 そう言う少年は数歩私から離れた分、男性講師達に近付き堂々と向き合った。


「そ、そうだ! だから俺達は君達がトラブルに巻き込まれないように巡回しようとだなぁ」

「は? どさくさに紛れて体のいいナンパしてただけじゃん」

「っ!?」


 違うと否定しようとしたんだろうけど、こうなった経緯を見ていた彼にそんな事を言っても滑稽でしかないと開きかけた口を忌々しそうに閉じた。


「時間が勿体ないので、もういいですよね?」

「…………」


 彼がそう問うても何も返ってこない事を肯定と受け止めたのか「いこう」と告げてお祭り会場に足を向ける背中を、講師達に小さく会釈した私は黙って追った。


 人通りが多く賑わっている通りに差し掛かり、講師達の視線から完全に外れたのを確認した私は彼を通りの脇に誘導して、下駄の音を止めた。


「えっと、ありがとう。それと生徒にこんな役をさせてしまって……ごめんなさい」


 助かったのは事実だけど、折角の息抜きの時間に不要な事をさせてしまったのもまた事実で、思う所はあったけど私は彼にお礼を言って頭を下げた。


「い、いえ! 悪いのはあいつらで、ずっと断ってたのはバスに乗る前から見てたので先生は悪くないですよ」

「それでも、だよ。せっかくの時間を無駄にしちゃったよね? 誰かとお祭り回る予定だったんじゃないの? ホントにごめんね」

「別に誰とも約束とかしてないんで、大丈夫ですから」


 それを訊いて他の誰かにも迷惑をかけていない事に安堵しつつも、これだけの人数がいるのに誰かと一緒に回る予定ではなかったと言う彼に首を傾げた。


 これだけの長期間の合宿生活だというのに、最後まで誰とも仲良くならずに過ごす人っているのだろうか。

 私でも愛菜と仲良くなって勉強を頑張りつつも、寝食を共にして仲良くなった人達と数人仲良くなれた。


「いつも1人でいたの?」

「そうですね。ここへは勉強に来たので、そういうのは必要ないと思うので」


 ストイックと言えば格好良く聞こえるかもしれないけど、私は当然のようにそう言う彼に思う所があったけど、これ以上私がどうこう言うのは違うと話題を変える事にした。


「そっか。それじゃあ助けてくれたお礼に先生が何か御馳走するよ。ご飯食べたばっかりだけど、男の子なんだからまだ食べれるよね」

「いいんですか? えっと、御馳走になります」


 遠慮されるかもと思ったけど、素直に御馳走になると言ってくれた事に安堵した私は「それじゃ、いこっか」と所忙しく並んでいる露店を指差して歩き出そうした時、ふと大事な事を訊いていないのに気付いた。


「おっと、その前に――名前教えて貰っていい?」

「あれ? 生徒の名前も把握してなかったんですか?」

「うっ! ち、違うの! 人の名前を覚えるのが苦手で、ね」

「はは、冗談ですよ」


 言って可笑しそうに笑う彼を見て揶揄われた事を知って、私は恨めしそうに半目をむけた。


「すみません。えっと、俺は月城つきしろ みやびっていいます。よろしくです、瑞樹先生」

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