第13話 墓参り last act
タクシーを降りた俺達は霊園の門を潜り優香の墓の方へ通りを歩いていく。
前にここを通った時はまるで真っ赤な絨毯の上を歩いているような、赤い紅葉が敷き詰められていた。
今は梅雨が明けて燦燦と照り付ける日差しの下を歩いている。
だけど、この敷地に入ると暑さはそれほど感じない。
この霊園が少し山の方に立地されているのもあるんだろうけど、通りを囲むように立ち並ぶ立派な木のおかげだろう。
大きな木に生えている深い緑の葉が俺達を太陽の光から守るように光を適度に遮ってくれているから、木漏れ日程度の日差しで快適なものだった。
「ここだよ」
「……うん」
俺達は優香の墓の前に着いて、まるで志乃に優香を紹介するように墓石の方に手を向けた。
志乃は小さく頷くと何も言わずに優香の墓と向き合う。
「水酌んでくるの忘れてたから、行って来るな」
そう言ったが志乃からは何も反応がなくてもう一度声を掛けようとしたけど、喉元まで出かかった言葉を飲み込んでそのまま水道が設置されている場所へ足を向けた。
言葉を飲み込んだ理由。
それは志乃が向けている目線の高さだった。
初めは墓石に刻まれた文字に視線を落としていたんだけど、そんな志乃から視線を外して真っ青な空の下に広がる景色を見渡した後に再び視線を戻した先は、墓石より高い所で固定されていた。
そんなに高さの無い墓石なのに、志乃の目線はその墓石より高い所を見ていて、それはまるで志乃の目の前に誰かが立っているように見えたからだ。
優香が他界してから2度優香の姿を見た事がある経験がある俺には、どうしても気のせいだと思えなかったんだ。
◇
志乃は誰もいなくなった墓の前でまるで誰かと向き合うように立っている。
その視線の先に誰がいるのかなんて、志乃本人にしか分からない。
少し涼しい風が志乃と優香の墓石の間を吹き抜けて、艶やかな髪が静かに揺れたかと思うと、その髪は元の位置に戻らずに体の前に落ちる。
「はじめまして、良介さんとお付き合いさせて頂いている瑞樹志乃といいます」
志乃は墓石に向かってお辞儀をした状態で自己紹介を始めたが、勿論この場には誰もいない。
だが、頭を上げた志乃の視線は何もない空間から動く事はなかった。
それから何かを話しかけるように口を小さく動かした志乃であったが、その言葉はとても小さくて吹き抜けた風に掻き消されてしまって何を言ったのか本人にしか聞き取れないはずなのに、志乃は何もない空間に微笑んだ。
「おまたせ」
やがて水を汲んだ手桶と柄杓を持った良介が戻り、相変わらず墓の前から動かない志乃に声をかけた。
「あ、手伝わなくてごめんね」
「いや、いいよ」
言って墓石の前に手桶を置いて花瓶に目をやると、まだ瑞々しい花が供えてあった。
「お義父さん達、最近参りに来たんだな」
「お義父さん?」
「あ、ごめん」
優香の父親をお義父さんと呼ぶのは現在付き合っている相手に聞かせるものではなかったとハッとして謝る良介に、志乃は静かに首を左右に振った。
「気にしないで。実際そう呼ぶ間柄だったんだし、今でも優香さんのお父さんをそう呼ぶのって素敵だと思う」
ホッと安堵する良介が手に持っている物に指差して、志乃が問いかける。
「それが昨日言ってたお供え物?」
「ん? あぁ。優香はこれが好物だったんだよ」
言って手に持っていた箱を持ち上げて志乃に見せた後、花瓶に花を供え直して雑草を抜き水をかけた墓石を綺麗に拭き上げて、最後にお供えに買ってきたマドレーヌを箱を開けた状態で供えた。
このマドレーヌは優香が好きな代官山にある店の物だ。
昨日A駅で志乃と別れた後そのままホテルに向かわずに代官山に行っていたのだ。
当日に志乃と一緒に買いに行く事も考えた良介だったが、いつ行っても行列ができている店である為、待ち時間を考えて前日に買ってきておいた物だった。
「さて、と」
墓石の前にドッカリと胡坐をかき座り込む良介に「え? ちょ」と志乃が慌てたような声をあげる。
だが良介はそんな志乃を気にする様子も見せずに、徐に箱に手を突っ込んで取り出したマドレーヌをがぶりとかぶりついた。
「志乃も食うか?」と良介はもう1つ取り出したマドレーヌを墓の前にいる志乃に差し出した。
「え? 私も食べるの? ここで?」
「あぁ、いつもこうしてマドレーヌ食べながら近況報告するのが俺の墓参りなんだよ」
「ふふ、なにそれ。そんなお墓参り聞いた事ないよ」
そう言う志乃だったが、足を折って屈んで小さい口で一口手渡されたマドレーヌを食べた。
「あ、おいしい」
「だろ? 代官山にあるショップでさ。あそこに行ったらどれだけ行列が出来てても絶対に買ってたんだよな」
「ふふ、そうなんだ」
モグモグとマドレーヌを食べる志乃に微笑む顔を墓石に向け直して、小さく息を吐いて口を開いた。
「優香、紹介するよ。俺の恋人の志乃だ」
突然紹介された事に驚いて「んぐっ」とマドレーヌを喉に詰まらせた声を漏らした志乃だったが、ゴクリと飲み込み少し恨めしそうな目を良介に向けてから、優香が眠る墓石を見つめる。
「こんな子供がって思うかもしれませんが、良介の事は任せて下さい」
「……え? なんで俺が子供みたいになってんの?」
「あっはは! まぁいいじゃん」
「よくねーわ!」
そんな紹介から始まった近況報告は優香の昔の話を混じえて、良介と志乃がこうして恋人となった経緯を優香の墓石に話して聞かせた。
勿論その間優香が口を挟む事もなく相槌すらない時間であったが、良介と志乃にはしっかりと話を聞いてくれている確信があった。
一通り話し終えた2人は最後に墓に手を合わせて立ち上がった。
「それじゃあな、優香。また来るよ」
良介がいつもの台詞を墓石に告げると、隣にいる志乃が墓と良介を交互に見た後に口を開いた。
「優香さんが背中を押してくれなかったら……優香さんが助けてくれなかったら……優香さんが良介を愛してくれていなかったら……今こうして私は生きていなかったかもしれません。本当は直接お礼が言いたかったです。沢山お話したかったです。沢山会いたかったです」
「……志乃」
「優香さんと比べたら私じゃ役不足なのは重々承知しています。ですが――貴方の愛した人を……それ以上に愛させて下さい」
優香の事をずっと勝てない相手だと言った言葉を思い出した良介は、優香の墓に向かって宣言する志乃の姿に言葉が出てこなかった。
何時か優香のお墓に連れて行って欲しいと頼まれた時は恋人として紹介して欲しいのだと思っていた良介にとって、志乃が発した言葉に痺れのような感覚が体中に走る。
やがて志乃の頬に一筋の光の筋が生まれて、筋の切れ目からキラキラと光る雫が零れ落ちる。
だが、志乃は零れ落ちる涙の存在に気付いた様子を微塵も見せずに、黙ったまま墓石に向かい合っている。
その姿はまるで目の前にいる誰かと向いあっているようで、そんな志乃に良介はかける言葉を失った。
◇
「落ち着いたか?」
「ん、ごめんね」
優香に宣言した志乃はふと我に返ったかのように良介に目を向けたかと思うと「ごめんね」とだけ告げて微笑む事で目に溜まっていた涙がまた零れ落ちる。
『ごめんね』という言葉にどういった意味があるのか良介には分からなかった。
「それじゃ、いこっか」
「うん」
だが、その言葉の真意を志乃に問わなかったのは、自分で答えを見つけたいと思ったから。
その意味に辿り着いた時、優香と志乃の間にどんな感情が生まれたのか知る事が出来る気がしたから。
だから良介は何も問わずに志乃の手を引いて、笑ってしまう程の真っ青な空の下を黙って歩いていくのだった。
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