第10話 ご挨拶 act 3
「親バカかと笑われるかもしれないが、志乃はよくできた自慢の娘なんだ。私達は昔から共働きで家を空ける事が多くてね。だからいつも志乃に希の面倒を頼んできたんだよ」
希ちゃんの名前が出てきたからなのか、拓郎さんは志乃が小さい頃から希ちゃんの面倒をみてもらっていた事を話し始めた。
その話は以前志乃から聞いた事があって、聞いた時は俺の子供の頃と似ていて親近感を覚えたものだ。
「君について志乃からいくらか訊かせてもらってね。その事についていくつか質問したいんだけど、いいかな?」
「はい、勿論です」
当然だ。いくら娘を助けた人間とはいえ、得体の知れない男の事を何も知らずに任せる事なんて出来るわけがないのだから。
「君は初めて志乃と会った時はゼミの臨時講師だったらしいが、君はその……その時から志乃の事をそういう目で見ていたと言うかだね、志乃の事が好きだったのかな?」
「……いえ。あの時はそういう感情を志乃さんに抱いてはいませんでした。ただ、別の意味で気になってはいましたけど」
「別の意味?」
「はい。彼女は当初かなり周囲からどういう目で見られているかを気にしてるようでした。同性にはあからさまに気を使った行動が目に付いて、反対に男性を避ける……いえ、人が変わったように拒絶していたんです」
「ふむ、どうしてそんな態度をとっていたのか理由は知ってるのかな?」
「後日話してくれましたけど、あの時は知りませんでした。当時の志乃さんは自分の殻に本心を隠して回りの人間を怖がっているように見えたんです」
「……そうか。実は私も正確な理由を知ったのは恥ずかしい話なんだけど、最近の事でね」
「えぇ、志乃さんから聞きました。ずっと完全に隠せていると思ってたけど、華さんからバレていると言われて驚いたと……。でも、それを知っていた上で気付かないふりをして見守ってくれていた事が嬉しかったとも言ってましたね」
知られたくない事を気付かないふりをして、とても心配してくれていたはずなのに、自分の気持ちを優先してくれていた事が本当に嬉しかったと目に涙を溜めて話してくれた事があった。
その話を聞いた時から、親御さんがどれだけ志乃を大切に想っているのかが分かって嬉しかったのを覚えている。
だからこそ、そんな御両親に黙って志乃との関係を深めていく事に抵抗をもったのだから。
「はは、志乃は私達の事を過大評価しすぎだ……。そんなカッコいいものじゃないんだ。ただ本当の事を知るのを怖がっていただけなんだから……」
「だとしても、です。それが志乃さんの考えるプライドだったと思います――話が少し逸れてしまいましたね。僕はそんな志乃さんと自分を重ねて見ていたんです」
「重ねる? どういう事なのかな?」
「似てるなって思ったんです。勿論、原因は全然違うんですけど、自分の気持ちを殺している志乃さんと自分の気持ちを過去に置いてきた僕が似たような事をしていると感じたんですよ」
だからと、俺は合宿中に勉強を教えながら志乃が閉じ込めてしまっている感情の殻を壊してやりたいと考えていた事を拓郎さんに話した。
実際、あの期間でどれほどの事が出来たのかなんて俺には分からない。
だけど、合宿が始まった頃に見せた表情と最終日の夜、A駅前で見せた表情が違うものになっていた事だけは分かった。
ただの自己満足なんだろうけど、それでもずっと閉じこもっている1人の人間に前を向かせる事が出来て、俺はあの時満足していたんだ。
1人でも俺と同じように、まるで時間なんて概念がないような生き方をする人を減らす事が出来たと思えたから。
「似てる? それじゃ君の過去にも何かあったという事なのか?」
志乃が拓郎さん達に俺の事をどこまで話しているのか確認をとっていなかったからどこまで話していいのか迷ったけど、俺と言う人間を知って貰う必要があると思い、昔の事を話すと決めた。
「僕が入院した日に拓郎さんも病室にいらっしゃったんですよね?」
「あぁ」
「では、あの場に神楽優希がいませんでしたか?」
「! や、やっぱりあの女性は神楽優希なのか!? ずっと気になってたんだけど、まさかあんな有名人があの場にいるなんて思えなくて、ね」
「はは、ですよね。でも、あの女性は正真正銘の神楽優希ですよ」
「そうなのか!? 君と彼女はどういう……」
あぁ、もう志乃にも話した事があるってのに、この話をしようとすると未だに手が震えるな。
「あの場にいた神楽優希さん――いえ、本名 香坂優希さんは本来なら僕の義理の妹になるはずだった人です」
「…………え?」
「香坂優希さんの姉、香坂優香さんと僕は婚約関係だったので」
前を向いて歩き出せていると思っていた。
だけど、こうして昔の事を口にすると震えてしまうのは、まだ過去を乗り越えていないという事なのかな。
でも、きっと忘れる事なんて何年経っても不可能なんだと心のどこかで分かっていたんだ。
志乃もきっとそれは分かっていて、そんな俺を丸ごと受け入れてくれているから、部屋に飾っていた優香の写真をそのままにしてくれているんだろう。
ずっと勝てないと思っている存在が俺の中に生き続けている。志乃にとってそれは決して軽い事じゃないはずだ。
だけど志乃はこれからもそんな気持ちを抱えたまま俺の傍にいる事を選んでくれたのだから、感謝の気持ちしかない。
だからこそ、これ以上志乃に何かを犠牲にして欲しくなくて、今日こうしてこの場に来たんだから、昔の事を話すなんて大した事じゃないんだ。
「神楽優希のお姉さんと婚約関係――だった?」
「はい。だったんです」
「……それはつまり婚約を解消する出来事があったという事か? 例えば、両家の関係が悪くなってしまったとか」
「いえ、そういう修復が可能な事案ならどんな事をしても絶対に解決させていたと言い切れる位には、彼女を愛していました」
「――な、なら何故そんな事を!?」
「……交通事故で亡くなったんです。僕の見ている前で息を引き取りました」
「………………」
「プロポーズをして彼女の実家に行って、御両親に結婚の許しを得た帰りの事でした。僕が彼女の実家に財布を忘れてしまって、それを届ける為に向かっている最中に事故にあって……そのまま」
「………………」
「今でも思ってます。忘れ物をしなければ、届けようとする彼女を止めてさえいれば事故に巻き込まれる事なんてなかったと。だから、僕はずっとこう思って生きてきたんです――僕が優香を殺したんだって」
「………………そんな事があったのか」
「………………はい」
俺が優香を殺したわけじゃない。
俺と優香を知る人間は、皆口々にそう言ってくれた。
だけど俺にはどうしてもそうは思えなくて、素直に聞き入れる事が出来なかったんだ。
「辛い事を話させてしまって、すまない」
「いえ、拓郎さんにどれだけ真剣に志乃さんと付き合っているのかを分かってもらう為には、話しておかないと駄目だと判断したのは僕自身なので気にしないで下さい」
「そう言って貰えると助かるよ。でも、そうか。だから志乃と似てると感じたんだね」
「はい。僕が志乃さんの殻を壊したように、志乃さんは過去に置いてきた人を好きになるという感情を引き戻してくれたんです。その時、僕は志乃さんの事を好きになっていた事に気付いたんです」
「それは何時頃の事なんだい?」
「志乃さんの学校で行われた文化祭があった夜、志乃さんが中学時代の事を話してくれたんです。あんなに辛い出来事を気丈に話す彼女を見て、気が付いたら自分の腕に中に引き寄せてました」
「………………」
「そうしたら堰を切ったように泣きだして、そんな彼女を抱きしめた時――俺はあの時以来、人を愛おしいと感じたんです」
そうだ。
俺はあの時すでに志乃の事が好きだったんだ。
なのに、俺は自分の気持ちに気付かないフリをしていた。
人を好きになれた事が怖くなったから……。
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