第2部 ソフィアとノーブレス・オブリージュ
プロローグ
第0話 旅は道連れ世は情け
目の前で小ぶりなお尻が揺れていた。
ここ数時間まったく変わり映えのしない景色の中でそれだけは今までの旅路にないものだったから、私――ソフィア・エトワイレは何となくその様子を眺めてみる。
日本生まれ日本育ち、ロシア人の父と日本人の母を持ったハーフの私は、ひょんなことから事故に遭って死んでしまい、そして今のこの異世界に転生してきた。
この世界に来て色んな出来事があったが、心許し合える家族や友達ができて、そうして早くも3ヶ月が過ぎている。
今では目の前の小ぶりなお尻とその動きに合わせてヒラヒラと宙を舞う白い尻尾を観察する、そんな余裕があるくらいには落ち着いた生活を送れるようになっていた。
「――どう? 何か見える?」
「……何も。一面の草原が広がってるだけ」
視線の先のお尻にそう尋ねると、淡々とした答えが返ってきた。
ガコガコと小さく揺れながら進む6人乗りの馬車の中。
そのお尻はそれからすぐに、外の景色に飽きたのか窓から半分近く出していた身体を引っ込めて大人しく席に戻る。
そして窓を閉じると風にたなびいていた綺麗な銀色の髪が肩に落ちた。
「……ちょっと飽きた」
頭には黒い山羊の角、お尻には白く無毛な尻尾。
私と同じゴートン食堂に住み込みで働く妹分で魔族のルーリ・ファートラネッタはそう言って、無表情ながらも少しつまらなそうに口を尖らせる。
「そっかぁ……。リオルさん達によれば、あと1時間もしないうちに着くと思うんだけど――ってアイサ、ホントに大丈夫……?」
「う、うん……」
向かい側で硬くなったように座るアイサに尋ねると、まったく大丈夫そうではない声が返ってくる。
冒険者見習いで私がこの世界に来てからの初めての同世代の友だち。
元気一杯が取り柄のアイサ・ゼーベルグだったが、今の姿にその影はまるでない。
元気の印のような赤毛は心なしかいつもよりパサパサと色艶も劣るようで、またその普段のハツラツとした表情も今は青白く、目にも覇気が感じられない。
いつも腰に差している愛用の剣を、それだけが心の拠り所かのように抱きしめて、椅子に立て膝をして縮こまっている。
「あ。もしかして――酔った?」
この馬車の通る道の地面はかなり綺麗にならされているけれど、それでも時折凹凸があって、小さく上下左右に揺れるのだ。
私は前世の頃から乗り物酔いには強い方だったけど、アイサはセテニールの町から滅多に出ない生活だったこともあって乗り物には慣れていないからか、どうにも苦手意識があったらしい。
「でも、おかしいなぁ……。ちゃんと『フェンネルシード』は入れたから大丈夫なはずなんだけどなぁ……」
そう。今日は乗り物慣れしていないというアイサのために、出がけに特製の『朝カレー』を食べてきたのだ。
そのカレーの中に入れたフェンネルシードというスパイスには、元々『精神不振』や『吐き気』といった症状に効くという効能がある。
だから乗り物に酔った時にそのスパイスを噛んだり、そのスパイスの入った料理を食べることによって症状が治まりやすくなるのだが――
しかし、私がそのスパイスを使ってカレーを作った場合に限ってはさらにもう1つの効能が付いてくる。
それが、強化魔法。
――私の作ったカレーには
例えばカレーに必須であるといって過言ではない、クミンというスパイス。
これをカレーに加えれば<
今回加えたフェンネルシードというスパイスが与える魔法は<
これは相手の攻撃を受けたりした場合の
ただこれには副次的に三半規管を丈夫にする効果もあるので、乗り物酔いの対策にも非常に効果的なものとなる。
むしろ今回に関してはそちらの効果を期待していた入れたのだが……
「あ、それはホントに大丈夫……。<眩暈防止付与>はちゃんと発動してるよ」
「……そう? でもさっきまではいつも通り元気だったのに、急にどうしたの?」
「いやさ、ほら……。もうすぐ着くかと思ったら急に緊張がさ……」
「なんだ。そんなこと? もー、体調が悪いのかって心配しちゃったじゃない……」
「そ、そんなことってなんだよぉ~!! 私にとっては一大事なんだぞっ!?」
「それはわかるけどね……。でも今から緊張してたら身が持たないよ?」
「……しょうがないじゃん。かねてからの私の夢だよ? それが今こうやって手の届きそうなところまで来たのかと思うとさ、急に実感が湧いてきちゃって……」
そこまで言うと、アイサは深くため息を吐いて膝を抱え込むようにしてさらに縮こまってしまった。
これは相当な重症みたいだ。
何と言えば緊張をほぐせるだろうか、そんなことを考えていると「大丈夫」という静かで、それでいて力強い言葉が横から聞こえる。
ルーリがいつも通りの涼やかな顔でアイサを見つめていた。
「結果がどうであれ、私たちが一緒にいるから、大丈夫」
「――ルーリ……」
その言葉にアイサは感極まったように目を潤ませた。
しかしすぐに目元をゴシゴシと擦ると「よぉしっ」と自分を奮い立たせる。
「そうだよねっ! 2人にはそのためにわざわざ一緒に来てもらったんだもん! わかったよ、とにかく私は今出せる全力を尽くしてくるから!」
そう言ったアイサの姿はやはり本領ではないものの、少なくとも先ほどまでカチコチに固まったような強い緊張感はなくなっていた。
その様子に、私もホッと胸をなで下ろす。
そして隣でちょこんと座るルーリの頭をヨシヨシと撫でた。
ルーリは嫌がる様子もなく、気持ちよさそうにそれを受け入れる。
(ルーリがこんなこと言うようになるなんてなぁ……)
ルーリにとって初めての友達である私やアイサと出会って1か月半ほど。
その短くも濃密な時間で、ルーリはとても成長しているように思えた。
最初の頃は自分から話すことが苦手なところがあったけど、ゴートン食堂でホール接客のお仕事を中心にするようになってからはお客さんとも打ち解けて、引っ込み思案な性質は鳴りを潜めたように思える。
そんな成長を喜ぶあたり、その短い期間の中で私にもすっかり親心ならぬ姉心から芽生えてしまったようだ。
それから元気になったアイサとルーリを交えて色々な会話に花を咲かせている時、目の端に映った景色に思わず「あっ」と声が出てしまう。
「うん? どうかしたの?」
「アイサもルーリも、外を見てみて!」
「「――わぁっ!!」」
私の差した指の先。そこには未だ小さくはあるものの、確かに見える。
平原を遮るように幅広くそびえる頑強な壁。
その壁の内側からヌッと顔を出す高く荘厳な塔。
そして壁の中心にまるで大きく口を開けるような形で設置された立派な門。
「あれが――ローレフ……!!」
私たちの住む町・セテニールとは比較にならないほど大きいその場所。
それが私たち3人の目的地、都市ローレフだ。
ワクワクとした気持ちに胸の高鳴りは収まらない。
「いっぱい、いっぱい楽しい思い出を作ってこようね!」
異世界に来て初めての旅行。それも子供たち3人だけでの行動だ。
私の言葉に2人とも興奮気味にウンウンと頷く。
そうしてみんな馬車の窓から顔を出すようにして、次第に近づいていくその都市に目を釘付けにするのだった。
私たちがどうしてこの都市に訪れることになったのか、その話の始まりは数日前にさかのぼる――
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