第8話
ついにダンジョン生活一週間目に突入した。
この頃になると大半の生徒からは笑顔が消え、死んだ魚のような目で力無げに廊下に腰を下ろしていた。
「それにしても……臭うな」
俺は鼻を摘まみながら廊下を歩く。みんな髪はベトベトになり、校内のそこかしろから酷い異臭が漂ってくる。口臭も凄そうだ。おまけに制服はボロボロ。
一週間も風呂に入っていないのだから無理はない。俺は風呂に入っているし、クリーニング代わりに毎日錬金術で制服を新品同様に変換していた。当然洗口液で口臭対策もバッチリだ。
なので臭わないし清潔。
「なぁ……? なんでモザイクだけあんなに元気なんだ?」
「真っ先にくたばりそうなのに……変だよな?」
「それにモザイク君だけめっちゃ髪サラサラじゃない?」
「私さっきすれ違ったけど……めっちゃいい匂いしたよ!」
「マジ!? 憧れの常田君はうんこみたいな臭いしたわよ」
「うわぁ……幻滅」
「あたしらも言えた立場じゃないわよ」
みんな顔色が悪いし、ちゃんと食べてるのかな?
少し心配だが……俺が言うとまたモザイクに何て心配される筋合いわねぇ! とか言われるんだろうな。
無駄な言い争いはカロリーを消費するだけで、効率が悪い上に面倒臭い。
それぞれの【職業】を生かして対策すれば、必ず今より生活基準を引き上げることが可能だと思うんだが……自分のことしか考えない彼らでは、100年かかっても無理かも知れない。
「雫は大丈夫かな?」
様子を見に行きたい。
けど……2年2組の教室に向かうことが躊躇われる。心にも思ってないことだったとしても、俺は彼らに酷い言葉を浴びせてしまった。その事実が俺の足を2年2組の教室から遠ざける。
「ハァ……仕方ないよな」
嘆息し、適当に校内を徘徊していると……食堂へやって来てしまった。食堂は何度も他の生徒(派閥)から襲撃を受けていると噂で聞いていたが……酷いありさまだ。
食堂の入り口にはバリケードのように乱雑に机が積み上げられ、床や壁には焦げ跡のようなものが窺えた。恐らく食料を奪いにきた魔術師同盟と一戦交えたのだろう。
「あぁ? モザイクじゃねぇかよ!」
バリケードの向こう側から身を捻るように、器用に隙間を縫いながら白川昇が這い出てくる。
「てめぇまだ生きてたのかよ。意外としぶとい野郎だな」
「まぁ、何とか」
「何やってんだYO、白川!」
「あっ、鮫島さん! いや、モザイクの野郎が仲間になりたそうにじっとこっちを見てたんすよ」
人をドラ○エのモンスターみたいに言うんじゃないよ。第一仲間になんてなりたくない。
「がっはははは、モザイクもまだ生きてたか!」
「さっきから生きてるとか言ってるけど……誰か死んだの?」
細やかな疑問を口にすると、白川が「なんだお前知らねぇの?」と軽口を叩いてくる。
素直に「うん、知らない」と頷き返すと、「仕方ねぇな」と呆れながら話をしてくれた。
「センコーの大半は二日前に救助を呼んで来るって言ったきり帰って来ねぇ。他の連中もハイエナみたいに食料を奪い合って殺し合いに発展して……実際に死んだやつもいるって聞くぜ」
「ええっ!?」
初耳だった。
二日前と言ったら俺がダンジョンに潜った日と被ってるな。南側以外のルートを行ったと言うことか? それに、派閥争いが死者を出すまでに発展していたことにも驚きだ。
「そういやYO、昨夜は運動部の連中が化物退治に向かって何人か死んだらしいぜ」
「!? 本当にっ!?」
「ああ、俺も聞いたっすよ。ゴブリンにボコボコにされて即死だったとか。生き残った連中の中には毒を受けて今朝方死んだやつもいるらしい」
「その責任はすべて有栖川の野郎にあるってなったらしくてYO。体育館を追放されたとも聞いたぜ。今なら連中を片付けるのも楽勝だぜ」
不敵に笑みを浮かべる鮫島と白川に若干顔をしかめてしまうが、それどころではない。
昨夜ということは……俺がゴブリンを食べられると教えたのが原因じゃないのか?
だとしたら……間接的ではあるが、俺が彼らの死の原因を作ってしまったことになる。
そのことを二人に話すと……。
「はぁ? お前バカか? んっなもん弱ぇやつが悪りぃに決まってんだろ」
「鮫島さんの言う通りっすよ。第一モザイクが教えなかったとしても、直に食料は尽きる。そうなりゃどの道狩りには出ねぇとならねぇんだ。遅かれ早かれ死んでたってこったろ?」
「それは……そうかも知れないけど」
確かに彼らの言っていることも一理ある。でもだからと言って、胸の中に芽生えた罪悪感が消える訳じゃない。
俺はこれ以上死人が出ないようにと思い。二人にスライムの特性について教えた。彼らの中に魔法使いがいるかわからない以上、知っておいて損することはないだろう。
何よりも危険視すべきはポイズンスライム。やつの毒にかかったら薬を持たない俺たちはどうすることもできない。
「一つ聞くがYO。お前は一人でぶち殺したのかYO? ゴブリンを……」
「え……まぁ」
鮫島がいつになく真剣な面持ちで俺の目を覗き込んでくる。
「そうか。おい、白川! 桃缶一個モザイクにくれてやれ」
「えっ!? いいんすか? 貴重な食料っすよ?」
「情報に対する対価だ。……俺様は雑魚は嫌いだが、そうじゃえねぇなら話は別だ」
嫌なやつには変わりないが、鮫島の意外と律儀な一面を垣間見てしまった。
そういえば任侠映画とかでも暴力団――ヤクザは意外と律儀な生き物だと言っていたのを思い出す。彼らはヤクザ的思想の持ち主なのかも知れない。
「……あ、ありがとう」
「YOモザイク、他にも何かわかったことがあったら俺様に知らせに来い!」
「う、うん……わかったよ」
俺は久しぶりに果物が食べられると内心喜んでいたのだが、桃缶に視線を落として立ち止まる。
雫にも……食べさせてやりたいな。
甘い物が大好きな雫ならきっと桃缶は喜ぶと思っていた。
「よしっ!」
俺は躊躇っていた2年2組の教室へと向かうことに決めた。
階段を上りチラッと亀のように首を伸ばして三階の廊下を見渡す。
「……誰も居ない」
俺はなぜか差し足忍び足で2年2組の教室の前まで移動し、そっと室内の様子を窺ってみる。
「だからこのままやったらウチら飢え死にするって言ってんやろ!」
「だからって食料を探しに洞窟へ行くのは危険過ぎると言ってるのよ!」
教室では松田彩加と一堂寧々が揉めていた。
どうやら食料調達の件で意見が分かれているようだ。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてよ」
苦笑いを浮かべた常田優矢が間に割って入り、二人を宥めようと声をかけるが、空腹で苛立ちを募らせた二人が犬歯を光らせる。
「優かて食料を探しに行かなあかんて言うてたやん!」
「それはこの間までのことでしょ? 状況が違うって言ってんの! 剣道部ですら死人を出してるのよ!」
「そないなこと言うてたらウチら全員飢え死にしてまうわっ!」
狭山先生も他のメンバーも壁際にもたれ掛かり、虚ろな目で床を眺めている。きっと空腹で止めに入る気力もないのだろう。
しかし、教室中を見渡してみるが……雫の姿が何処にもない。
俺は握りしめた缶詰めを見やり、そっと2年2組の教室の前に置いた。
久しぶりの桃……食べたい気持ちはあるけど、さすがにこんな場所に雫は居辛いよな。色々迷惑かけたし……泣かしてしまったからな。今回は迷惑料ってことで置いていくか……と俺は踵を返した。
「文吉!」
「雫!」
階段の前でバッタリ雫と鉢合わせてしまった。
「元気そうで良かった」
まだ別れて二日しか経っていないのに、少し窶れたような印象を受けた。うるうると今にも泣き出しそうな相好で見つめてくる雫に、俺は「うん」と小さく頷く。
「ねぇ、あたしがみんなを説得するから戻ろ? 一人よりみんなと一緒の方が気も紛れるでしょ?」
「ありがとう。でも、それはいいよ」
「どうしてっ! 居辛い? 気まずい? ならずっとあたしが側にいるから!」
「俺……今、学校の屋上で暮らしてるんだ。もし暇だったら雫も一度遊びに来てよ」
「……相変わらず、そういうところは頑固だよね」
諦めるように小さく微笑んだ雫が、とても儚げに映った。罪悪感のような気持ちが胸を締めつけるけど、俺はあそこには戻らない。
あんな殺伐とした空間にずっと居たら息が詰まるし、何よりカロリーを大量消費してしまいそうだ。
できることなら雫と一緒に屋上で生活をしたい。
が……それを言えば雫のことだから同情して来てくれるかもしれない。
けれど、その後は仲の良かった友人たちとの間に軋轢が生じるかもしれない……そう考えると言えなかった。
「じゃあ……あたしみんなのところに戻るね」
「うん」
俺は雫の細く小さな後ろ姿を見送った。
教室の前の桃缶に気がついた雫はそれに手を伸ばし、座り込んで丸くなっていた。
「ぶんぎぢ……ありがどう」
肩を震わせる雫の声が、冷えきった廊下から微かに聞こえたような気がした。
「どう……いたしまして」
壁にもたれて頭を掻いて、感情希薄な相好がわずかに崩れる。
歩き出したその足取りは、軽やかだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。