第40話「幼馴染は、過去のトラウマを克服したい」

「そんなに眠いんなら大人しく寝とけよ。無理な維持張らねぇでさ」


「…………。……別にいい」


 眠いなら寝ればいい。――透の言っていることは尤もだ。


 そんなに夢の世界へ意識が引き摺られつつあるなら、素直に身を投じればいいだけの話なのだ。別に他人へと身を投げ出すわけではないのだ。睡眠のために意識を手放すなど簡単に出来る。

 本が読みたい。ただそれだけの理由であればさすがの僕も折れている。


 では何故か?

 ……まぁ言えば、スゴくくだらなく聞こえるかもしれないが、僕にとってはクラス内での立ち位置を死守するために必要なことなのだ。


 理由としては、今の現状が全てを物語っている。

 真隣同士というこの状況。

 僕の席は窓際。そして通路側には渚が座っている。――つまりだ、僕が座るこの席は完全に逃げ道が無いのだ。左側には渚が、右側にはバスの衝撃によってガタガタと音が鳴る窓。この逃げ道が無い状況が数時間続くために、決して『間違い』を犯してはいけないという緊張感が走っているのだ。


 しかし、これだけではわからないだろうな。

 たったこれだけの現状で、どうやったら間違いとやらが起きるのか――。


「……晴斗。本当に無理そうだったら、いつでも言ってよ?」


「……あぁ」


 見慣れた幼馴染が顔を近づけ、僕のことを心配そうな瞳で真っ直ぐ見つめてくる。

 ……そう、僕が1番に注意しなくてはいけない問題。その大元にいる存在が、この『一之瀬渚』その人だ。


 冷静に考えれば窓際の席というのは、教室であろうと車内の座席であろうとも、睡眠を取ることに1番最適だと思うだろうが、僕にとってはそうじゃない。

 窓の淵際に頬杖をついた状態で寝ようとすれば、バスの揺れや振動が直に伝わってしまい、強制的に起こされることが確定となる。


 だからと言って、右がダメなら左で……何てのは絶対に取ってはいけない選択だ。

 渚のことだ。もし窓際から離れて眠った場合、僕が倒れる前に受け止めて、肩やら膝やらで寝かせてくれるだろう。


 ――だがそれこそなのだ。


 逃げ道が無いこの席で、クラスメイト全員が乗っているこの状況の中、もし渚の側で居眠りなんてしてみろ。――絶対に反感を買うに決まっている。幼馴染でその距離感はおかしい、とか何とか言ってな。


 それもそのはず。

 僕達は学校ではあくまで『幼馴染』という一線を引いた関係。その線を飛び越えた名前を持っていることを知っているのは、同じ班の2人のみ。後は僕の妹ぐらいだ。


 枠を飛び越えたいと何度も思った。

 ……けれどここまでの約6年間で出来てしまった『偽装』を取り外すというその意味を、僕も渚も、恐れてしまっている。


 女々しいと思う。あんな過去、ずっと引き摺ってるとか。

 でもな。――頭の中で描く『想像』よりも、抱えてしまった『現実』を払拭するというのは、考えるよりも難しいことなんだよ。……厄介で、重たいくさびだ。


 抱えた『トラウマ』は心臓をも握り潰しそうで、思い出すだけで吐き気がする……。


 けど、そうだな。それと同時に、覚悟もあった。いつまでも引き摺るわけにいかないのがわかっていたから。逃げているわけにいかなかいから。


 ――過去と向き合う覚悟。


 僕が幼馴染からの『告白』に返事をしたのは、そういった意味もある。



 だからといって、僕達のことを周囲に認めてほしいわけじゃない。

 これはあくまで僕達自身の問題。今の周りが、昔と同じだという確信も保証もどこにもありはしない以上、下手に油を注ぐわけにいかない。


 それに、まず僕達がしなくてはいけないのは――『幼馴染として、分け隔てなく学校生活を送ること』。……これが出来なきゃ、あのときの二の舞だ。




 ――お前は一之瀬さんには不要なんだよ


 ――一之瀬さんから身引けよ、じゃなきゃ……




 ……っく、また嫌なこと思い出した。


 本当に嫌いだ。立場だの、カーストだの……あんなのがどうして存在するのか、どうして消滅しないのかわからない。

 そのせいで、渚にも迷惑をかけてる。挙句には、傷つけた――。


 あのときは、今みたいに彼女への好意を自覚していたわけでもなくて、あんな奴らから渚を守りたかった一心で無茶までした。

 ……その結果、こいつは今でも『カースト』というかせを負っている。

 その意図は、僕にもわからない。多分、僕が絡んでいることは間違いないと思うけれど。


 ……まぁとにかく、だ。

 僕も渚も、過去を乗り越え無いことには、その場に立ち止まったまま進めない。にも。


 だからクラス内の雰囲気を掴みきるまで、渚との進んだ関係を知られるわけにいかないのだ。一歩ずつやらないと、僕達のことだ、また混乱するに決まってる。

 あのときの二の舞だけは……本当に嫌なんだ。



「……なぁ。頼み事があるんだけど」


「頼み?」


 僕は読書を再開しようとしていた渚を引き留める。


「僕を、寝かせないでくれ」


「こりゃまた随分と変わった依頼内容だこって。1周回って滑稽に思えるんだけど、この場合ってお前のことけなしていいのか?」


「その倍で返ってくる覚悟が出来てるならいいぞ」


 眠気に負けそうな気がして、思いつきでつい依頼してしまった。

 だがどっちみち彼女からの添い寝を回避するには『起きる』という選択肢を取らざるを得ない。……何か、前に僕の家へ泊まりに来た際それっぽいことした気がするけど。


 と、口では頼んでみたものの、一体どうすれば眠気が覚めるのか皆目検討もつかない。


「んー。晴が起きそうなものねー」


 すると、真後ろの席に座る透がボソボソと何かを呟いているのが聞こえた。

 生憎と内容までは聞き取れなかったが、それと同時に何やらガサゴソと荷物を漁るような音が聞こえてきた。


「……何やってるんだ、透?」


「要するに、お前の眼を覚ましてやりゃあいいんだろ? だったら、お前が1番興味心をそそられるもので釣るのがいいかと思ってさー」


「僕は魚か」


「えぇっと、確かこの辺に……。おっ、あったあった! ほい、お前が欲しがってたラノベの最新刊だ!」


「──えっ!? 本当に!?」


 まるで水を得た魚のように一瞬で心が跳ねまくった。衝撃が身体中を走りまくる。


 僕は座席の隙間から伸びてきた手に握られた真新しい新作ラノベを受け取った。今月の一推しだという書き込みも多く、僕自身も気になっていたファンタジー作品だ。


 ……悔しいが、完璧に好みを把握されてしまっている。


 しかし意外なのは、無類のラブコメ好きな透がファンタジー作品に手を出していたことだった。でも感謝している。今月も例によって購入予定の作品が多かったために買うのを断念していたのだが、まさかこいつが持っているとは……!


 電撃文庫から刊行された新作なのだが、あらすじやらタイトルやら口絵や表紙やらと、気になる箇所が多すぎたのだ。まさかこんなところで読むことが……――


 ――って違う違う!!


 透の意図した策略にハマるところだった……。趣味を把握されていると、ここまで厄介な刺客となる事実に恐ろしさを感じた。


 徹夜、それもオール状態である現在、こんな中で黙読だなんて自殺行為以外の何物でもない。寝る結末しかない道に、わざわざ乗り込む真似はしたくない。


 それにこれは、ファンタジー作品であると同時に推理ものでもあるらしい。

 睡眠不足なところに追い打ちをかけるが如くの推理小説での脳内殺し。圧倒的な殺意が籠もっていらっしゃる。


「あぁ、バレたか。ま、半分は純粋に貸してやりたかっただけだがな!」


「その半分が邪魔なんだよなぁ……」


 本当、僕を嵌める気満々だよなお前は。

 しかし残りの半分は純粋に貸してくれる気らしいので、僕は「……あんがと」と一言添えてお礼を述べる。まさか透にこんな形でお礼を言う羽目になろうとは……。


 だが結局眼が覚めるわけではないので、ワクワク感の喪失と共に、文字だらけという現実が更に眠気を加速させていった。

 ……逆効果になったな。

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