第37話「幼馴染は、素直になることが出来ない②」

 少しの間、私と晴斗は隣同士を歩くものの、この距離感に会話というものは生まれなかった。と、そんなとき……、


「……渚。少し訊きたいことがあるんだけど、いいか?」


 ふと、読書を続ける晴斗が私に問うた。

 それは構わないけど……まずさ、その本仕舞おうよ。危ないから。


「いいけど?」


「お前さ――今日、ずっと調子悪そうだけど、何かあったか?」


「…………っ、な、何で?」


 どきっ、と心臓の鼓動が高鳴った。

 思わないところからの攻撃につい動揺しちゃったけど。……やっぱり晴斗は、普段から他人を観察しているだけのことはあって、こういうところじゃ本当に鋭い。


 でも、今私が考えていることはただの嫉妬で……。それと、私自身の――。


「あー、やっぱあるんだな。そういう誤魔化し方するってことは。最初はただ、そんな気がしただけだったけど、今確信が持てた」


「……どういうこと?」


「いい加減自覚しろって」


 すると、晴斗は私の額に軽く凸ピンを打ち込んできた。……うっ、ちょっと痛い。


「お前、図星を突かれると顔に出やすいんだよ。その癖、直さないと色々不便になるぞ」


「……そんなに?」


 確かに、以前に優衣ちゃんにも佐倉さんにもそう言われたけど、私自身まったくその自覚がない。自分の顔なんて、反射するものを通してじゃないと見えないし。

 自分でもわかってないことを、一体どうやって改善しろと……。


「自覚してないのがスゴいぐらいに。多分だが、優衣にも言われてるだろ」


「……仰る通りです」


「まぁ、あいつは察しやすいタイプだからかもだが。少なくとも、僕でも気づいてるレベルだし、佐倉さんにもバレてるって考えるのが妥当。結論から言えば、お前と深く関わってる奴ら全員知ってるんじゃないか?」


「そ、そんなに――っ!?」


 私は改めて自身を認識させられ思わず顔を伏せ両手で覆う。

 ……ヤバい。ちょー恥ずかしいっ! おそらく今、私の顔は茹ダコみたいに真っ赤に染まり、羞恥心から顔が熱を帯びているに違いない!

 恥ずかしさのあまり死んでしまいます……。


「……それで、今度は何を悩んでるんだよ。僕に相談出来ることであれば聞くけど」


「…………。……別に、そこまで壮大なことじゃ」


「嘘だな。大した話じゃないならお前はそういう表情をしない。けど、そうだな。お前に無理強いさせるなら無理に訊かない。本当に僕じゃ、力不足なことなのか?」


「……べ、別に、そういうわけじゃ! ……たとえ聞いても、くだらないことだって思う内容だと思うから。聞いたところで、悩む理由がわからない――とか言ってさ」


「お前は僕を暴虐武人だと思ってるのか?」


 ……だって、本当のことだから。


 晴斗が自分の誕生日のときに私から避けていた理由と違って、私はただのヤキモチ――それも自分の友達に嫉妬してる。……私って、こんなに心狭かったっけ。


 相手が『楽しくしている』だとか『好き』だとか、友人関係にも当てはまる言葉でさえも、それは果たして――自分より上なのか下なのか。ずっと好きだったから、余計に――。


 そして、晴斗は軽くため息を吐くと私の右頬をやや強く引っ張った。


「い、いひゃいいひゃい! にゃ、にゃに!」


「日本語で話せよ」


「そ、それは晴斗がいきなり頬を引っ張ったから――」


「――別にいいよ、言いたいことがあるんだったら何だって言ってくれて。……あのとき、痛いほど実感したからな。たとえ幼馴染だからって、相手は自分じゃない、言わなくちゃ伝わらないこともあるんだって」


「……晴斗」


「透にも言われたよ。『僕達はお互いに遠慮しすぎてる』ってさ。確かに僕も渚も、あのことから変わったとは思うよ。……けど僕は、些細なことであっても溜め込むぐらいなら、少しだけでも言い合えたらって思ってる。って、偉そうに言える立場じゃないか」


 晴斗はそう言うと、苦笑いを浮かべながら前を歩いていく。


 あのとき、晴斗はどんな気持ちで私に全部を話してくれたのだろう。

 どれだけの勇気を持って、弱い部分を曝け出してくれたのだろう。


 記憶、思い出。それらの内側に秘めている黒い部分。それを曝け出すことは、生半可な覚悟で出来るものなのだろうか。少なくとも、私には無理だ。


 過去は怖い、過ちも怖い。もう2度と……そう考えれば考えるほど、私はどんどん、その沼にハマってしまいそうになる。それこそ、幼き頃に根付いた『恐怖トラウマ』は、簡単にはぬぐえない。


 ……それらからさえ逃げる私はきっと、晴斗や佐倉さんが思うほど以上に『臆病者』だ。


「……本当に、くだらないことだよ。晴斗、さっきまでずっと藤崎君と話してたでしょ? それが嫌で……隣を、盗られたのかなって、思って」


「………………」


「……何か言ったらどうなんですか?」


 不貞ふて腐れながら、私は下げていた頭を上げて晴斗の背中を見据える。

 私なりの勇気を持って振り絞った言葉に、晴斗は何も言わず、風の流れる音と車の音だけが耳に残るばかり。


 ……もしかして、聞こえてなかった。とかかな?

 たった数十センチしか離れていない距離だけど、物理的干渉がこの距離で届くかと定義されたら「無理」だと否定する。そんなバトル漫画に出てくるような、斬撃でもない限り。


「……はぁ」


 そんな考えに耽っていると、晴斗はため息と共に読んでいた本を閉じる。進めていた足を止め、私の方へと振り向き、持っていた本で私の頭を軽く叩いた。


「いった……! え、な、何で?」


「……バカか、お前は。本当にくだらないことで悩みやがって。聞いて損した気分だ」


「そ、そうですか! でも私は言ったもの、くだらないことだって! それでもいいから話せって強要してきたのは晴斗でしょ? その責任を私に押し付けないでくださいっ!」


 ――本っっ当に、デリカシーが無さすぎる!!


 何の前触れもなく話した私にも非があるのかもしれないけど、でも断言する! 今のは絶っ対晴斗が悪い!


「くだらない理由でごめんなさいね、もういいですー!!」


「――ずっと隣にいるんだろ?」


「…………えっ?」


「隣の家に住んでて、幼馴染で、そして今は学校でも隣の席に座ってる。こんだけ『隣』を占拠してるっていうのに、どうして今更誰かに変える必要があるんだ? ……それにな。僕だってあんな煩い奴より、お前が隣の方がいい。……恋人同士、なんだからさ」


「~~~~~~~っ!!」


 私のことを小馬鹿にしてきたかと思えば、今度は耳元で囁くように『甘々な台詞』を残していった。とても“根暗ぼっち”から吐き出された台詞とは思えないほどの、男気溢れた台詞だった。


「ど、どうしたの!? そ、そんな、いきなりか、彼氏みたいな台詞……っ!!」


「『みたいな』とか言うなよな、さすがの僕も傷つくぞ」


「だ、だってぇ~……!」


 動揺のあまりに目が泳いでいた私は、あることに気づく。

 それは――まだ夕暮れでもないというのに、晴斗の顔が熟した林檎のような真っ赤に染まっていたことだった。


「……まぁ、あれだ。……不安を与えないよう、なるべく努力する。だからお前も、偶には素直になれよ?」


 まるで照れ隠しのように顔を腕で覆い隠しながら言い放った台詞は、先程の男気溢れた台詞などではなく、いつものようなぎこちなさが残った――晴斗らしい、少し自信無さげな、落ち着く言葉の響きだった。


 けど、これでいいんだ。

 これじゃなきゃ、晴斗らしくない。

 隣に居てほしいのは、誰よりも隣を望むのは晴斗だけ。いつもの、優しいけど臆病者の晴斗が、私が1番に望んだ晴斗そのもの。


「うん。期待だけしとくね!」


 私は駅に向かって先を歩く晴斗に小走りで近寄って隣を再び歩く。


 隣に立つ晴斗はとても大きくて、前髪で隠れた顔はまさに眉目秀麗。

 みんなは私を容姿端麗の“学園一の美少女”と呼ぶけれど、ミスターコンがあるのなら、きっとその頂点は男装した私ではなく、晴斗だと思う。



 そして、同時に思う。

 ――、と。



 晴斗に言いたかったことは全部言えてない。


 素直になれ……か。でもそれこそが、私達にとっての最難関そのものだということを、晴斗は承知の上で言ったのだろうか。


 気持ちをぶつけること、相手を巻き込んでしまうこと、素直になることへの恐怖――それらが私達の中にある以上、先に進むことは困難なことに変わりはない。


 故に私達は、一線を越えて『素直になる』ことが出来ない。

 幼き頃に根付いた記憶を、この歳になっても引き摺ってる。……振り払えない、消すことさえ叶わない。たった1つの記憶に私も晴斗も、全てを変えさせられた。


 そのせいもあるのだろうか。……こうして晴斗の隣を歩いて、歩幅も合わせてくれる優しさに触れて、余計に気づかされる。


 もし私が、幼馴染でもなくてましてや注目されるまとでもなかったら――周囲の視線を気にすることなく、晴斗といつも、ずっと一緒に、堂々と居られたんじゃないかって。


 小さい頃からずっと、晴斗のことが好きだった。

 この想いが、晴斗には重い枷になることを承知の上で、私はずっと秘めてきた想いを貴方に伝えた。返事なんて要らなかった。これは完全なる私自身のエゴだから。


 ……けどそれでも、晴斗はちゃんと考えてくれて。そして答えを出してくれた。


 晴斗の想いを聞いたとき――どれだけ嬉しかったか、晴斗にはわかる?

 そして……その1ヶ月間、私がどんな想いを抱えたまま隣に居座り続けたのか、晴斗にはわかる?


 わからなくていい。

 ただ私は、嫌だっただけなんだ。覚悟も何も無くて……自分のエゴだけで動いただけ。



 それらの根拠はただ1つ。――晴斗の隣を、誰にも譲りたくなかったから。



 藤崎君へと抱いた感情も、私以上に晴斗と仲が良さそうに“隣で”話す彼への、私自身の弱さが生み出した嫉妬だった。


『――私、ハル君のことが好きなの!』


 その感情だけが籠もった告白。もう本当、エゴ以外の何物でもない。


 欲の塊。愛情の欠片も籠もっていない言葉。もっと言うべき台詞があったんじゃないか、と思う。いつから好きだったのか、どうして好きになったのか。水族館での晴斗のように、言うべき台詞はたくさんあった。


 ……だからかな。

 隣を歩いてくれる晴斗を見ると、この居場所を護ることが出来たのだと心の底から思う。いつも一緒に居てくれて、頑固だけど優しい、大好きな幼馴染と恋人になれたのだと。


 でも同時に、私は『臆病者』だから。……あのとき、晴斗を助けられる覚悟も勇気もなかった私は、今もずっと、陽の影へと身を隠してしまっている。


 晴斗のように、一線を越えることへの覚悟が何も出来ていないから、あのときに戻ったとしても全てから晴斗を護れる力が無いから、思ってしまう。

 もし、晴斗の隣を堂々と歩けるような人が現れてしまったら――。


 ――私の席は、きっと……どこにも無いのだと。


 私は隣を歩く晴斗と少しだけ重なり合う手の感触を覚えたまま、駅へと向かうのだった。

 この空いた右手を……本当に繋げられたらいいのに、と。そう思ってしまった。



 ◆あとがき◆

 昨日更新予定だったものです。お待たせしてしまい、誠にすみません。ペコリ。

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