第16話「幼馴染は、妹の策略にはまるらしい②」
部屋の扉から、ではなく一之瀬の背後から“ひょこっ”と顔を覗かせたのは僕の妹――凪宮優衣だった。
そしてそんな妹の顔は……ニヤけていた。
「晴兄の気持ちはよくわかる。当初はその予定だったんだろうけど、私はそれを認めないよ! 今どき女子同士で寝て何が楽しいのよ!」
「……ガールズトーク」
「古い!! 古いんだよ発想が!!」
何だか妹に「青春の何たるかがわかってないんだから!」と遠回しに言われてるみたいですっごく良心が痛い……。
「確かにね、夜通し好きな子について語り合うとか古典的だし、めっちゃ映えると思うよ? ……けどね。渚さんに関してはそれは必要ないの! 何しろ最上位カーストなわけだし。その辺は晴兄の方が詳しいでしょ?」
「まぁ……うん」
「つまり! 渚さんに足りていないのは実践力なのよ! 異性同士で一緒にいるっていうことに不慣れなのは晴兄も同じでしょ?」
……どうしてだろうか。
この妹のこんな自信満々な気迫を見ていると、とてつもなく嫌な予感がする……。
「――なので晴兄! 今日は晴兄の部屋で渚さんと一緒に寝てください!」
………………アイキャントアンダースタンド。
「ってなわけで、後はよろしくね?」
「よ、よろしくって――」
全く状況が読み取れないんですけど!? 状況説明を要求したい僕ではあるが、そう易々と話してくれるほどこの妹は容易くない。
呼び止める暇もなく、優衣は僕に有無を言わせることもせずに部屋の扉を閉めた。
……つまり、僕と一之瀬は今、同じ部屋にいるわけだ。
「……何でこうなったし」
「そ、そんなこと、私に言われたって……」
嘘だな。
さっきの様子を見るに優衣がここまで大きな行動を起こしたのは、一之瀬が絶対に関与しているはず。でないと、あいつはあそこまで懸命に好きな人間を放り出したりしない。
……となれば、ただ事情を知るこいつから情報を吐かせるのが先決。
――まぁそんな簡単に暴露してくれる相手なら、僕はここまで手を焼いたりしない。
それに、優衣の言うことにも一理ある気がする。
一之瀬には異性との交際関係は一切ない。過去のことを含めてもだ。長年こいつの側に居たのだから当然知っている。
そしてそれは、僕にも当てはまることだ。
自分の気持ちに嘘をつけないような条件を作り出すのに、ピッタリな状況だしな。
「……まぁいっか。どうせ泊まるのも一晩だけだし、ここで寝るか?」
「えっ……。ど、どこで寝ろって言うのよ」
「どこって……この部屋の惨状を見たなら1つしかないだろ。ベッドだけだ」
「~~~~~~っ!?」
一之瀬は一瞬で顔色を真っ赤に染め上げた。ゆで卵かよ、こいつは。
冷めたら熱くなって、熱くなったら冷えて……本当に忙しい奴だなまったく。
好きな相手とはいえ、一度は自分のことを振った男。
一緒の部屋で寝泊まりするというのは、僕の想像以上に嫌なことなのかもしれない。
「……わかった。僕はリビングで寝るからここ好きに……――」
「――嫌だ!!」
部屋からさっさと退散しようとしたとき。僕の進行は食い止められる。
男子高校生の平均身長並みしかないが自分よりも高い相手を……一之瀬は僕の寝間着の裾をぐいっと引っ張った。
ぱたん、と腕に体重がかかる。
顔を腕に埋める彼女の瞳には、少しばかり涙が溜まっていた。
「……え、な、なに?」
「……ダメ」
泣いている姿を直に見るのも久しぶりだ。
決して狙っているわけではないだろうが、僕にはとても痛い攻撃だった。
……この、卑怯者が。
一之瀬が掴む腕を僕は優しく触れる。
「……どうせ優衣の策略なんだろ? 僕の部屋で寝ることも、あいつの勝手な――」
「――そうじゃない! ……そう、じゃないの。…………違くて。これは、優衣ちゃんが私のためにしてくれたことで……」
わかっていた回答が聞けたのは……いいんだが。このシチュエーションは止まることなく、更に加速していった。
目から零れる数滴の涙を、彼女は
……ちょっと、これはさすがに抵抗出来ん。一之瀬のような美少女を泣かせることは、僕が……というより、クラスメイトが許さない。
もしこの状況が露呈するようなことがあれば、僕は社会的に窮地に立たされる。
一之瀬に限ってすることでもないとは思うが、噂というのはデットヒートするものだし、それ相応の万全は整えていく必要がある。
だからこそ僕に――逃げ道は存在しない。
……仕方ない。それが、僕の運命だ。
「はいはい。泣くな泣くな。僕でよかったら一緒に寝るから……その、僕のいる前で……そんなに泣くな」
ため息を吐いた後、一之瀬の頭に手を乗せて、優しく撫でる。
あまりこういうのは得意じゃない。そもそも、僕は人の世話をするのに向いていない性格の持ち主だしな。
本当はもう少し彼女が安心出来るような台詞を言ってやるのがいいのだろうが、残念ながら、これくらいしか言えない。
僕はこの女の恋人ではない――ただのお隣さんで、幼馴染なんだ。おまけにラノベマニアというレッテル付き。過去15年間、彼女と同じように恋人を作ったことがない僕にとっては、読書で培ったことしか経験として活かせない。
せめて――こいつが安心出来るように抱き締めてやることしか、僕には出来ないんだ。
「――は、は、は、は――ハル、ハル……くんっ!?」
「何だよその慌てようは。居心地悪いのか?」
「そそそそ、そういうわけじゃ――!! だだだだ、だって、し、仕方ないじゃん!! こんなこと急にされたら!! ……き、期待しちゃう、からっ……」
一之瀬はそう言いながらも僕の腕の中でブルブルと身体を震えさせる。抱き締めている今だからこそ、よくわかる。
……こういうところは、昔と何も変わってない。
「お前ってさ、昔から1人って環境が嫌だよな。何で?」
「な、何でって……。そ、そりゃあ……誰もいないって、認識させられるから」
「泣くほどにか?」
「な、泣いたのはハル君のせいだもん! バーカ!」
「ったく……」
もし――こいつに僕以外に好きな人が出来たとして、そして付き合うことになったとしても。僕以上に、こいつを知る者はいない。あっちがどれだけ経験豊富であろうと、僕と過ごした15年間を埋めることは不可能なのだから。
幼馴染としての、ちょっとした独占欲。
娘を見守る父親って、こんな心境になるんだろうか。別に僕が父親ってわけじゃないけど。
けれど、もし、埋めるような相手が現れたら――。
……そんなことされたら、さすがに傷つくな。
ちょっと……心が痛い。
「も、もういいだろ? と、とっとと寝よう――」
「………………っと」
「えっ?」
「もっと! ……だ、抱き締めて、ください」
こんな……こんな絶世の美女に、僕は惚れられている。
それはもっと誇りに思ってもいいことなんだろうけど、僕にはそんなこと出来るわけがない。
だってそうだろう?
周りからあれだけの好意を持たれているというのに、一体どういう人生を歩めば僕のような“根暗ぼっち”に惚れるんだ?
けど――こんな顔を、こんな真っ赤になった可愛すぎる顔を、僕以外の誰かに見られることが、一瞬でも『ヤダな』と思ってしまった。
一之瀬渚を……独占出来ている気がした。
「……後少しだけな」
「……うん」
涙はすっかり目元から消え、代わりに目元には腫れた跡が残った。
いつもよりも近くにいるのに騒がしくなくて、妙に大人しい彼女に、困惑したものの……、
――嫌な気はまったくしなかった。
✻
「おはよう、ハル君!」
「……おはよう」
翌朝――僕の目の前に姿を見せた一之瀬は、昨日の寝る前とは打って変わって、いつもの元気な彼女に戻っていた。
結局、何故泣いたのかは本人にしかわからない。言及するつもりもないしな。
僕達は昨日の夜、今どきの幼馴染とは思えない行為に耽ってしまった。単に抱き締めただけなのだが。
それに気づいたのは驚くなかれ……こいつが寝ついた後のことだった。――遅っ!!
「今日は私が朝ご飯作るね!」
「……そっか。助かる」
何故か少しぎこちなさが残っている。
その原因は言わずもがな、昨日の出来事が原因である。
……だがそれを気にしているのはどうやら僕だけのようだ。僕より先に起きたのか、既に着替え終えている一之瀬は昨日のことがまるで無かったように上機嫌だし。
やはりこいつは、謎だらけだ。
「あ、そうだ。明日みんなで試しにお菓子作りするんだけど。……よかったらハル君、私が作ったの食べてくれたり、する?」
「別にいいが、みんなで食べないのか?」
「いいの! 愛想振り撒いてたら出来た知り合いだから。ハル君優先!」
……今すっごい悪意を感じる言い方をしてた気がするんだけど。
ともあれ、それが一之瀬渚なのだから、仕方がない。
「あ、それともう1つ!」
「何だよ。まだ何かあるのか?」
「昨日のあれ、カッコよかったよ!」
「……嫌味か」
置き土産でも残すようにして部屋から出ていく一之瀬。
それを後ろから見守った僕は、起きたばかりだというのに今日1番のため息を吐いた。
「……謎すぎる」
今日も今日とて、僕は一之瀬に翻弄されるんだろうな……最早、諦めるしかない。
そう思わずにはいられない僕であった。
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