第99話 次の世代へ

 

 リラルスとウラノは早くも王城から抜け出し大通りを残像を残すほどの速度で走っていた。


「ウラノ、デルフの姉はどうした?」


 ウラノはデルフの口調を訝しげに思いながらも口を開く。


「多分、もう少しで……」

「ウラノちゃーん! こっちこっち!!」


 声がする方向を向くとナーシャが元気そうに手を振っていた。


 その周囲には魔物化した槍ボアや小型の狼が倒れている。


 服は砂埃などで汚れがあり所々裂けているが見た感じでは無傷のようでリラルスは安堵する。


「ウラノちゃん。もの凄く取り乱していたけどデルフは無事だったの?」


 リラルスとウラノはナーシャの前で立ち止まる。


「……ちゃんは止めてください。殿なら……こちらに」


 ウラノは隣にいたリラルスを横目で見る。


「えっ!? 嘘! あなた、デルフなの!? その髪にその目、一体どうしたの? それに抱えているのってフレイシアよね?」


 ナーシャは変わり果てたデルフの姿を見て思わず二度見をする。


 リラルスは口を開こうにもナーシャの慌てふためいた様子にその機会を掴めずにいた。


 しかし、突如ナーシャの口が止まった。


「あなた、本当にデルフ?」


 核心を突く一言にリラルスは目を見開いてナーシャを見る。


 隠すつもりなど微塵もなかったが一言も喋らないまま言い当てられるとは思いもしなかった。


(ふっ。流石、姉じゃの……。まだ一言も喋っておらぬというのに)


 リラルスの口元が緩み安心させるように口を開く。


「私はリラルスという。デルフから聞いたことがあるじゃろう?」


 ナーシャは記憶を辿りその名前を探しすぐに見つけたらしく戸惑っている。


「えっ? リラルス? あれよね昔デルフを助けてくれたって恩人で……あれ?」

「故あって今はデルフの身体を借りているのじゃ……」


 説明を続けようとしたリラルスだが遙か後方から急速に近づいてくる気配を感じ取った。


 味方ではないことは断言できる。


(恐らくあの場にいた中の一人か……)


 リラルスはナーシャとの会話を打ち切る。


「詳しいことは後じゃ。お前たち走るぞ」


 リラルスたちは急いで追っ手から距離を取るために走り始めた。


 だが、建物の影から複数の槍ボアが姿を見せリラルスに襲いかかる。


「ちっ! 面倒じゃの!」


 しかし、今のリラルスの左手はフレイシアを抱え右手の義手は壊れてしまっている。


 魔力で迎撃しようかとも考えたが逃げる際のときに使った魔法で尽きてしまっていた。


 仕方なくリラルスは魔物に蹴りを入れようとしたときウラノが前に出た。


「ここは小生に。殿は走り続けてください」


 ウラノは右手で小刀を抜き構える。


 魔物化した槍ボアは全身に岩を纏い敵からの攻撃を許さない。

 しかし、それが槍ボアが魔物化をして得られた能力の全てではなく真に脅威なのはその身に纏った岩を弾き飛ばすことだ。


 鎧など容易く貫通し人の命を簡単に奪ってしまう。


 ウラノはもちろんそのことを熟知している。

 目線だけを動かして突撃してくる槍ボアを数える。


「五頭ですか。一瞬で終わらせます」


 ウラノは左手を鎧の懐に入れると同時に姿をくらます。


 そして、再びウラノが姿を現したときには槍ボアは音も無く倒れてしまった。


 槍ボアの一頭は首が両断されて絶命しているのは一目瞭然だが残りの四頭は特に目立った外傷はない。


 だが、リラルスは走りながらも横目で全てを見ていた。


 ウラノは小刀を鞘に収めてリラルスとナーシャの隣に戻る。


「ほう、なかなかやるのう。剣の技術も素晴らしいが針……毒か?」

「さすが、殿です」

「えっ? なに? 針って?」


 ナーシャは全く見えてないらしく首を傾げている。


 槍ボアが全身を岩で纏っていると言っても隙間を全て埋めているわけでは無い。


 ウラノは針の穴に糸を通すように正確にその隙間に小刀を滑らせ一頭の槍ボアの首を両断した後、懐から取り出した針を素早く放ち残る四頭の首元に刺したのだ。


「全く見えなかった……」


 驚いているナーシャを横目で見てリラルスは笑い視線を前に向ける。


 リラルスは走りながらウラノに尋ねる。


「ウラノ、どこかしばらく身を隠せるような場所を知らないか?」


 しかし、ウラノは申し訳なさそうな暗い表情をする。


「……この周囲は既に魔物の巣窟となっております。申し訳ありません。小生が思いつくのは挑戦の森しか……」

「挑戦の森か……隠れるのには最適じゃが……。あの様子を見る限りじゃ安全とは程遠いじゃろう。ふむ、そうかあそこに向かうとしよう。少々気は引けるのじゃがの」

「……どこのことで?」

「北じゃ。そこに祠がある。私がいなくなったことで警備は手薄になっておるじゃろう。敵もわざわざ戻っては来ないと考えるじゃろうしな」


 リラルスは再び後ろに気を向ける。


 まだ、追っ手の姿は見えないが気配は確実に近づいてきている。

 つまり、リラルスたちの速度を越えているということだ。


「!? 不味いのう……。このままでは追いつかれてしまう」


 まだまだ距離は開いているが追っ手がさらに速度を上げたのだ。

 もはや、いつ追いつかれても不思議では無い。


「一人ならば魔力が無くても倒せるかもしれぬが……。いや、それは甘い考えじゃろう。そもそも足止めを食らった奴らがいつ加勢に現われるかも分からぬ」


 リラルスとウラノならまだ速度を上げる余力があるがナーシャは別だ。

 ナーシャの速度に合わせてリラルスたちは走っている。


 しかし、ナーシャを置いていくわけにはいかない。


「ふぉっふぉっふぉ、困っておるようじゃの。ならば儂が時間を稼いでやろう」

「!!」


 突如、すぐ隣から年老いて掠れた声が聞こえてきた。


 リラルスは臨戦態勢を取りながら反射的に振り向くとそこには鎧姿の白髪の老人が並走していたのだ。


 だが、その老人の顔を見てすぐに警戒を解いた。

 その顔に見覚えがあったからだ。


「確か……ウェガと言ったか」


 リラルスが一言喋っただけでウェガは険しい顔付きになったがすぐに数回頷いた。


「……そうか、お主が小僧たちが言っていた悪魔か」


 ウェガは一瞬でリラルスの正体を看破してしまった。

 そして、眠っているフレイシアに視線を移すと微笑んだ。


「フレイシア様もご無事なようで。一先ず安心じゃ」

「それでウェガさん……時間を稼ぐって……?」


 ナーシャが声を詰まらせるのも無理もない。


 ウェガが平然と話すから気付くのが遅れたが身体は傷だらけでまさに満身創痍だった。

 鎧はへこみ、血に濡れ足は震えている。


 表情に曇りの一つもないのはやせ我慢をしているからだろう。


 どうやら今に至るまで魔物と戦い続けていた様子。


 ハルザードが死んだ以上、王都陥落はすぐにでも訪れるとリラルスは考えていたがそうはならなかった。

 その理由はウェガの善戦が大きい。


 さすがは、元騎士団長だと感心させられる。


 だが、そんなリラルスの感想とは裏腹にウェガは自身の傷を見て顔をしかめる。


「儂も衰えてしまったのう。ふぉっふぉっふぉ、あれぐらいの相手に痛手を負うとは……」


 暢気な口調でそう口にするウェガだが突如として悲しげな表情をする。


「どうやらハルザードの小僧も逝ったようじゃな。リュースに続きなんと師匠不孝ものたちじゃ。師匠の儂が最後まで生き残ってしまった」


 ウェガが寂しげに呟きリラルスを見る。


「デルフをフレイシア様を無事に守ってやってほしい」

「言われなくともそのつもりじゃ」

「最後にデルフに伝えてくれ。フレイシア様のことよろしく頼むと」


 リラルスはこくりと頷く。


「礼を言う。……もはや思い残すことは何もない」


 そして、ウェガは剣を抜きリラルスたちに背を向け立ち止まる。


 その動作の意味を分からない者などこの場にいない。


「ウェガさん……。ウェガさんが囮になる必要なんて……」

「ナーシャよ。男の覚悟に水を差すものではないぞ」

「で、でも!!」


 ナーシャが涙混じりにリラルスに訴える。


「ふぉっふぉっふぉ。ここで生きながらえても先は短い身じゃ。囮、捨て駒、結構じゃ。この年寄りの命で先が繋がるなら喜んでこの身を捧げる」

「ふん。お前一人では時間稼ぎにもならん」


 ウェガの隣にもう一人、鎧を身に纏い腰に刀を下げた武士が現われた。


 それに反応したのはウラノだった。


「おじじ様?」


 ウラノは突然のココウマロの登場に呆気を取られている。


「来たのか。せっかく隠居生活にも慣れた頃だというのにわざわざ死にに来るとはのう」

「貴様も同じだろう」


 ココウマロもウェガと同じく傷だらけで満身創痍の様子だ。

 肩で息をして立っていることがやっとであることが見ただけで分かる。


 ウェガとココウマロは敵が迫ってくるであろう方向に目を向けながら皮肉を言い合う。

 そして、ウェガが後ろに向けて大声を張り上げる。


「早く行け! 儂たちができるだけ時間を稼ぐ」


 リラルスは二人の覚悟を受け取り無言で踵を返す。


 ナーシャは目に涙を浮かべながら言葉を紡ぐ。


「ウェガさん、ココウマロさん。ありがとうございます」


 リラルスがおぼつかない足取りのナーシャの背中を優しく押して二人は走り始める。


 しかし、ウラノ一人立ち止まったままであった。


 リラルスは何も言わず走りながら目配せをして頷く。


 ウラノは目に力を入れて泣かないように努力をしたまま言葉を出した。


「おじじ様……今までありがとうございました」


 ウラノは深々とココウマロに一礼する。


 簡潔に、手短く。

 だが、それが一番相手に伝わる。


「ウラノ、近くに」

「ハッ」


 ウラノはココウマロの近くに寄る。


「再起を図ろうとするならばまずはフテイルに向かえとデルフ殿に伝えてくれ」

「フテイルに? なぜでしょうか?」

「行けば分かる。さぁ行け! お前の居場所はここにはない!!」

「おじじ様……はい!!」


 ウラノは溢れ出た涙がこぼれ落ちる前に拭いリラルスたちを追いかける。


「後は任せたぞウラノ。達者でな」


 ココウマロの最後の言葉がウラノに届いたか分からないがその表情は満足していた。


「しかし、お主が出てくるとは思いもしなかった」

「王都の異変ぐらい分かる。それに姫様とリュース殿の忘れ形見は自分の命よりも遙かに重い」

「リュースの小僧の隣にいたのを初めてみたときは度肝を抜いたぞ」

「……今思えば懐かしい」

「さて、老いぼれは老いぼれらしく若い世代に繋ぐとするかのう」

「同感だ。しかし、まさか昔殺し合いをしていた拙者たちの最後の戦いが共闘とは分からないものだ」

「そうじゃのう〜」

「どうした? 嬉しそうだな。これから死ぬというのに」


 近づいてくる人物の気配の強さは尋常ではないほどに大きい。

 彼我の実力差を分からない二人ではない。


「そう言うお主こそ」


 ココウマロはにやりと笑う。


「武士として生まれたからには戦って死ぬことこそが誉れ。負け戦は負け戦。されど意味は十分ある。後に託すために死ねるのだ。これを喜ばずしてなんとする」

「ふぉっふぉっふぉ。まさにその通りじゃ」


 ウェガとココウマロは笑い合う。


「そうこう言っている間においでになったようじゃぞ」


 そして、二人は目の先で立ち止まったクロサイアに視線を移す。


「おいおい。爺さん方。道をあけてくれよ」


 悪戯な笑みを浮かべ言葉遣いは汚いが可愛らしい声をした少女がそう言う。

 肩には鉄でできた棍棒を乗せている。


「ならば、儂たちを無視して突っ切れば良かったのではないか?」

「よく言うぜ。爺さんたちの剣気の強さは無視できねーよ。ピリピリくるぜ。まぁ俺の敵では無いけどな。悪いことは言わねぇ。俺は年寄りをいたぶる趣味はねぇからよ。道を開けてくれればそれでいいんだ」


 そんなクロサイアの言葉にウェガは笑う。


「儂を年寄り扱いか。騎士団長と名を馳せていたときが懐かしいのう」


 ウェガが悲しそうに呟く。


「最後の戦いがこんな可愛らしいお嬢さんとは……」


 そのココウマロの言葉でクロサイアの沸点を向かえ雰囲気が著しく変化する。


「……可愛らしいだと? お前ら……殺すぞ」


 親指を下に向け犬歯を剥き出しにするクロサイア。


 クロサイアの殺気を直に感じたウェガとココウマロは武者震いをする。


「これはこれは滾るの〜」

「いざ、尋常に」


 そして、ウェガとココウマロの最後の戦いが始まった。


 お互いが共に若かりし頃、名を馳せた二人であったがその生涯は呆気なく終える。


 だが、死にゆく二人の戦い様は希望に満ちて安らかであった。

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