第49話 四番隊の攻防(1)

 

 時は少し遡り、ハイルたちがボワールの侵攻を知った一日前の早朝。


 ここは四番隊が駐留しているナンノ砦。


 ソルヴェルは五隊会議以降、ナンノ砦に戻りいつも以上の緊張感と危機感を持ってボワールの動向を窺っていた。


「様子はどうだい?」

「ハッ! 密偵の定期報告より未だ大きな動きはなしとのことです!」


 ソルヴェルは頷いて兵を下がらせる。


「しかし、いつ動くか分からないのも不気味だねぇ……。このまま攻めてくるのを止めてくれないかな」 


 そのとき背後から走ってくる足音が聞こえた。


 ソルヴェルは嫌な予感を感じ自ずと拳を握りしめる。


 後ろを振り向くと汗を垂らし息を切らしている兵士が跪いていた。


「報告します! ボワールがここナンノ砦方向を目指して侵攻を開始! その数、およそ一万! 戦闘にはかの英雄ジャンハイブを確認しました!」

「一万!? 想定より多いね。……ここに来ると言うことは恐らくこのナンノ砦を奪取が目的か」


 ソルヴェルはすぐに考えをまとめる。


「直ちに王都へと増援の連絡。そして、ここから南東にある荒野に陣を構える!」

「ハッ!」


 兵士が下がった瞬間に砦内は戦支度で騒々しくなった。


「さて、こちらにいる兵の数は五千。あちらさんの半分だね。クルスィーはどう思う?」


 いつの間にか隣に立っていたクルスィーにソルヴェルは尋ねる。


 クルスィーとは四番隊の隊長補佐、つまり副隊長と言っても差し支えはない。


 クルスィーは眠たそうに目を擦って首を傾げながら答える。


「どうしてわざわざここから出て迎え撃つのですか~? ここで戦えばいいじゃないですか~」

「あちらさんの目的はこのナンノ砦を奪取すること。何も抵抗せずにここまで到達させるわけにはいかない。手前たちは時間稼ぎだよ。だから、増援が来るまでできるだけあちらさんの動きを止めることに意味があるんだ。まぁ、嫌がらせだね」

「なるほど~。ですから荒野まで行くのですね~。小競り合いを繰り返しながら後退して最後にこの砦で戦う。そのときには既に援軍は駆けつけていますからなんとかなる。ということですね~。流石、ソルヴェル隊長です~」


 どうして、んな抜けてそうな少女が副隊長である理由はこのように意外と鋭いことを突いてくるからだ。


 ソルヴェルはクルスィーの知恵をいつも策を考えるための参考にしている。

 そのため自分の隣に置けるように副隊長とした。

 いわば、四番隊の参謀だ。


 クルスィーには自分が的確なことを言っているという自覚はないが。


「なるほど。その策があったか」


 ソルヴェルが考えていたことは荒野にて戦い、援軍が到着するまで根気よく耐えると言うことだった。


 クルスィーが言う荒野から徐々に後退するということは援軍に近づきながら敵の邪魔をできることになる。

 敵からすれば四番隊は鬱陶しく感じるだろう。


(よくよく考えて見ればあのジャンハイブがいるんだし耐えるなんて無謀だったね。やはり手前も緊張して頭が固まってしまっているようだ)


 即座にこのような策を思いつくクルスィーをソルヴェルは心強く思う。


 どのような緊急事態でも物怖じしないその胆力には頭が下がる思いだ。


(やっぱり遺伝というものかね)


 クルスィーは五番隊隊長のイリーフィアの実の妹である。

 そのボーッとしている表情はイリーフィアの面影がありやはり姉妹であると思わせてくる。


 だが、それでも違う部分はあるが。


 姉の髪はストレートで長いがクルスィーは短くふわふわとしており寝癖かと思うぐらいに所々跳ねてしまっているほどのくせ毛だ。


 さらには身長もイリーフィアにとって残念ながら妹のクルスィーの方が大きい。

 いや、イリーフィアが平均よりも小さいとも言える。


 もっと言えば慎ましやかな姉の胸と比べると可哀想だ。


 以前、イリーフィアがクルスィーに「クル、走ってこないで」と言っていたのをソルヴェルは思い出した。

 その目は本気であったがクルスィーはそれに気付かず首を傾げるだけだった。


「ですけど~。ここの兵隊さんたち全員で行ってここを空っぽにするのは危ないと思います~」

「確かにそうだね。ある程度兵を残してその指揮を君に任せるとするよ」


 そう言うとなにも全く変わらない表情でクルスィーは自分の顔に指を差す。


「私がですか~?」

「うん。頼むね」


 ソルヴェルとしてはこれから赴く戦いにもクルスィーの知恵を貸して欲しいのが本音だ。

 しかし、クルスィーの言う通りここを空にするわけにはいかない。


 我が儘を言っていられない。


 クルスィーに任せればたとえ相手に別働隊がいたとしても簡単にはここを攻め落とすことはできないだろう。

 最低でも援軍が到着するまでは持ち堪えることは可能だとソルヴェルは踏んでいる。


 それほどソルヴェルはクルスィーを評価していた。


「わかりました~」


 クルスィーはこてっと頭を叩くように敬礼をする。


 独特の間で自分の調子が狂ってしまいそうになる。

 それでも姉よりは話しやすいが。

 そもそもイリーフィアとは会話になっているかすら怪しい。


 そして、ソルヴェルはこの場を後にして自分も戦支度を始めようと一度自室に戻った。




 準備が終わる頃にはもう日は暮れてしまい太陽は顔を隠そうと徐々に下がっており空に橙と黒の境目を作っていた。


(早く知らせが来たおかげゆっくりと準備ができたが、これは悠長にしすぎたかね?)


 ソルヴェルは足早に兵が待つ砦の門前まで移動する。


 門の前には既に騎士を含めた兵が約四千集まって並んでいる。


 残りの千は奇襲を防ぐためこの砦の防衛に当てている。

 そのためこの四千の兵でジャンハイブが率いる一万の大軍を相手にしなければならない。


 勝てといわれれば明らかに無謀であるが今回の戦いはあくまでも時間稼ぎ。


 ソルヴェルが得意とする勝つための戦いではなく守る戦いだ。


(さぁ始めるとするか)


 ソルヴェルは鼓舞をするため並んでいる兵の前に立つ。


「今から我らがする戦いは防衛戦である! 援軍が到着するまでできるだけ長く持ち堪えるのが我らの使命だ。こちらからは仕掛ける気など毛頭ない。敵が攻めてこなければ我らが動く必要は何一つない。我らが攻めるときは援軍が到着したとき! それまで耐えるのだ! 行くぞ!!」

「「おおーーー!!」」


 ソルヴェルは身を翻して繋いである馬の下に向かう。


 ソルヴェルの身体は分厚い鎧で包み込んでおり並の兵士ならばまともに動くことが出来ないほどの重量がある。

 その上、顔は見えているものの頭には顎まで覆い被さっているヘルムを装着している。


 だが、その動きにくさと引き換えに攻撃が通るところは数えられるほどしかなく相手にすれば厄介極まりない。

 まさに要塞と呼ばれるに相応しい格好をしていた。


 そして、左腕にはソルヴェルの身体を丸ごと隠せるような巨大な長方形の盾を装備しており背中には折りたたみ式の巨大なランスを身につけていた。

 そのランスは組み立てればソルヴェルの身長を超えるほど長く距離の有利を取ることができ敵は近づくことすら難しいだろう。


 このような重装備にもかかわらず普段通りに歩いて行くソルヴェルの姿を見た兵士たちは息を呑む。


 またソルヴェルが乗る馬も普通ではなくその途轍もない重量のソルヴェルを容易く乗せることができていた。


 普通の馬では完全武装したソルヴェルを乗せて走ることはできない。


 そこでソルヴェルの馬は豪馬と呼ばれている。


 普通の馬よりも足は太く一回り大きい。

 速度は普通よりも劣るが普通の馬よりも数倍の力がある馬だ。


 豪馬は主に超重量の荷物運びなどに使われるがある理由に兵や騎士たちには使われない。


 その理由は豪馬は人を乗せることを極端に嫌うことにある。


 面白半分に豪馬に乗った者が大怪我を負い死にかけたという話は良く聞く話だ。


 そんな豪馬だがソルヴェルには非常になついている。

 もちろんソルヴェルが乗っても暴れたりなどしない。


 それどころかソルヴェルが乗ると猫撫で声と思わしき声で元気よく鳴くほどだ。


 ソルヴェルは馬の上から後方を見て兵士たちの隊列が整っていることを確認し頷くと馬を歩かせる。


 そして、ソルヴェルを先頭に四番隊四千名がナンノ砦を出陣した。


 


 荒野に向かうため行軍していたソルヴェルだったが一つの選択に悩まされていた。


(ふむ、荒野に早急に向かうためにはこの森を抜けた方が早いがこうも暗くなってしまっては危険だ。しかしここを迂回するとなると馬鹿にならない時間がかかるし、もしあちらさんがここを通ってきていたらすれ違いになってしまう。一択だったね。うーん、こういうときにクルスィーの考えを聞きたいんだが……。無いものをねだっても仕方がないか……)


 ソルヴェルは大きく息を吸い込み大声を放つ。


「全軍! この森を突き進む! 道は暗いため足下には注意せよ!!」


 ソルヴェルは自分の前に数人の兵を歩かせ道を作らせる。


 道とは言っても行軍の邪魔になる木の枝をどかすことや長い雑草などを剣で切るぐらいの簡易的な道だ。


 ソルヴェルは馬の上から周りを見渡してみるが闇に染まっているのと木々が邪魔をして遠くまで見通すことができない。


(真夜中の森に足を踏み入れるのは悪手だったか?いや…他に何も思いつかなかった。大丈夫だ。これが最善の道)


 そう信じているが警戒を絶やさずにソルヴェルが進んでいく。


 森に入ってから少しの時が過ぎ、恐らく残り半分の距離になるぐらいまで歩いたとき何か不気味な予感が執拗とソルヴェルに訴えかけきた。

 そして、それはすぐに確信にと変わった。


「見られている? ……一人や二人どころじゃないね」


 ソルヴェルは暗く見通すことはできないが無数の視線を先程から感じていた。


 そのソルヴェルの呟きで近くにいた騎士や兵士は慌てて周りをキョロキョロと見渡すがその姿を発見することは叶わなかった。


「これは不味いね……。取り敢えず…ッ!! 皆、散開しろ!!」


 その視線が殺意へと変化したことを瞬時に察したソルヴェルは叫ぶ。


 しかし、その声で咄嗟に動けたものは少数で殆どのものが出遅れた。


 それを悠長に待ってくれるはずもなくソルヴェルたちが立っていた場所に矢の雨が降り注ぐ。


 ソルヴェルの後ろから複数の断末魔の叫びが続けて流れてくる。


 振り向いて被害を確かめると騎士は難なく防ぐことができていたが倒れている兵士は大多数。


「伏兵か!?」


 息をつかせてくれる間も与えてくれず弓を放ち終えた伏兵が森の茂みから顔を出した。

 そして、矢によって怯んでしまった四番隊まで素早く攻め寄せてくる。


 周囲は暗闇に染まっており唯一の光源である松明でも迫ってくる伏兵の影しか確認できない。

 このような仕事を専門としているのか慣れている動きをしている。


 その数はおよそ百といったところだ。

 百ならば対処は十分可能な数だが状況と場所が悪すぎる。


 狭い森の中では数の有利は果たすことはできずさらには暗闇の中であるため敵味方の判別もつきにくい。 


 兵士たちは混乱状態に陥ってしまいただ剣を振り回して味方と敵を見境なく攻撃してしまっている。


 それに比べて敵は暗闇の中の戦いに慣れているようで一切の迷いなく的確に兵士たちに攻撃を繰り返す。

 その動きは無駄が見えなくまさに阿吽の呼吸だ。


 騎士の面々はそれほど混乱していないが敵の影を追うのが精一杯な様子で攻撃に転じることができていない。


(これは不味いね……。まずは、怯えてしまっている兵たちを勇気付けることから始めるとしようか)


 そう考えているうちにソルヴェルに不気味に光る刃が迫ってきた。


 その分厚く強固な鎧を避けその伏兵の刃はソルヴェルの顔を真っ直ぐに狙っている。


「甘いよ!!」


 ソルヴェルは左腕の巨大な盾でそれを弾きそれと同時に背中に背負っている折りたたんだランスを素早く抜き取り手慣れた操作で簡単に組み立てる。


 そして、少しの間も与えずに突き出しその伏兵を貫いた。


「がっ……」


 それで形勢が大きく変わった。


 脱力した伏兵を振り落とし次に迫ってくる者の気配を感知する。

 敵にとって有利な状況で仲間が殺されたのだ。


 傲りが焦りに変わった今その気配は隠そうとしても捉えることはソルヴェルにとって容易いこと。


「うおぉぉぉ!!」


 ソルヴェルは腰を入れて横に全力でランスを払う。

 それが的確に伏兵の首に命中してそれをへし折った。


 さらに二、三人伏兵がその攻撃の後、体勢を立て直そうと硬直しているソルヴェルに攻撃を仕掛ける。


 だが、焦っているのか急所を狙うところは止めソルヴェルの防具を上から叩き切ろうと短刀を振り下ろしてくるが当然短刀では精々防具に傷を付けるぐらいだ。


 ソルヴェルの全身は防具で包み込んでいるため傷を負わせることができる部位は数えるほどしかない。

 だが、この闇ではその部位が何処なのかも判断がつきにくく伏兵たちは戸惑って立ち止まる。


 さしもの伏兵たちもこのように頑丈な敵と戦うのは初めてなのだろう。


 それを絶好の機会と判断したソルヴェルは盾を前に突き出しそのまま走り出してその伏兵たちを盾にぶつけ木に目掛けて轢いていく。

 そして、速度を一切緩めず木と盾で挟み込むように押し潰す。


 その衝撃で腹部からこみ上げてきた伏兵たちの鮮血が返り血となってソルヴェルの顔や鎧に付着する。


 残りの伏兵たちは四番隊の兵士を襲うことを止め完全に標的をソルヴェルに定めた。

 そして、すぐさまソルヴェルを囲い込むように動き始める。


 ソルヴェルは侮蔑するように押し潰した伏兵を見下ろした後、自分を囲い込んだ伏兵にゆっくりと目を向ける。


 その動作は伏兵たちに走馬灯を見せるほどの恐怖心を植え付けた。


「まだ、やるかね?」


 その凍えるような眼差しと声とともに放たれた殺気は伏兵たちの戦意を完全に喪失させた。


「ひ、退けぇーーーー!!」


 一人の伏兵が背中を向けて一目散に逃げていくのを見て他の者たちも続けて逃げ去ってしまう。


 しかし、伏兵の中にも冷静な者もいたらしく平然と他の者に命令していた。


「真っ先に逃げ出すとは……。あれが俺たちを従える長なのか……。チッ! おい、あれを使え!!」


 そう言ったあとその男も緩やかに闇の中に消えていった。


 ソルヴェルたちには追い打ちをかける余裕もなく態勢を立て直しを図る。


「まさか、伏兵がいたなんてね……。この道を通るのは読まれていたようだ。これは非常に不味いね。……至急、王都へ連絡を! できるだけ早く! 全力でね!!」


 言い方は優しかったが真剣なソルヴェルの目を見て兵士は緊張し声を裏返して返事をした。


 ソルヴェルは確認のしようがないことだがその兵士の働きの結果、早朝に送り出した伝令とそれほど大差ない到着で王都に伏兵の襲撃を知らすことができた。


「被害の状況を確認し急ぎこの森を抜ける!」


 四番隊は迅速に動き態勢を整えたあと、進軍を再開した。


 夜も深くなったこともあり朝まで休息を取ることも考えた。

 しかし、先程みたいな奇襲を恐れてその考えを切り捨てた。


 先程の襲撃による被害はおよそ百程度であり奇襲を突かれたとしては最小に抑えられたと考えるべきだろう。

 しかし、負傷者は非常に多く本格な戦いが始まる前から手傷を負わされたと考えると事態は非常に深刻だ。


 悔しいが前哨戦は敗北とソルヴェルは判断する。


(状況によって策を練り直す必要があるね……)


 それからは邪魔もなく順調に進んでいくことができたが森の出口まであと一歩というところで前方から木の枝を折り茂みを踏んで擦る足音を察知した。


 いや、足音と言えば誤りがある。


 これは這いずる音だ。


 そしてそれはすぐに目に見えるところまで迫ってきていた。


「あれは!?」


 それを見た最初に出た感想は「大きい」だった。


 果たして人間が何人分の大きさだろうか。

 這いつくばる太く長い身体。

 顔しか見えていなく身体の途中で闇に紛れてしまってその端までは確認できない。


 その赤い目は鋭く、口からは細長く獲物を一瞬で絡め取るような舌が素早く出し入れしている。

 そして、表皮には無数の艶やかな鱗がひしめいており危ない光沢を放っている。


 その大蛇は明らかに気丈が昂っておりソルヴェルたちにしか目に入っていないようだ。


 そのとき大蛇とソルヴェルの目が合った。


 その刹那、大蛇は大きく口を開け威嚇しそのまま急速に突進を開始した。

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