第七話 崩れ往く認識。その先にⅡ

 昼食を終えて――一旦自宅へと戻った悠月は服装を改めると、月見ノ原市中央区へと足を運んでいた。

 悠月が到着する頃には、既に日は傾いて辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。

 夕日が照らす世界は陰鬱とした気分をより一層深くしていく。複雑に絡み合った感情は心をじんわりと侵食し焦燥感と成って己を煽り始める。だが、無理もなかった。悠月がこれからやろうとしていることは、道徳心に反するタブー行為なのだから。

 悠月は、ひとしきり事件があった駅前周辺を散策して回った。

 各所に張られている規制線や事故の名残は未だに消えず爪痕として残っている。

 手に入れた情報によれば、警察はまだ事件の真相を追っているという話だが、この様子を見るに強ち嘘でもないらしい。

 事実、以前と比べれば市内の警邏活動は格段に活発化している。交番に配置された警察官の数や聞き取り調査を行っている人数はいつにも増して多いことからもこれは明らかだろう。

 ただ惜しむらくは、彼らたちの仕事が全て徒労に終わるという点だ。いくら捜査をしても、恐らく相手の足取りは掴めないだろう。元より常識の埒外にいる相手に対して、常識的な観点から迫ろうとしていること自体が愚かなのである。

 悔やまれる。あまりにも歯がゆい。事後に必死になって捜査をするくらいならば、未然に事件が起こらないように気を張っておけば良かったのに。

 無論、それが叶わないことは悠月にも理解できている。だが、どうしてもタラレバを考えてしまうのだ。もしも、万が一があったなら、と。ありもしない幻想を抱くのだ。或いは、警察官の動きが過去の自分と被っているからこそ、この黒い侮蔑の感情が湧くのかもしれない。

 そう考えた悠月は、駅周辺の調査を打ち切ると、駅構内へと向かった。

 駅構内も、やはり外と同じように事件の名残が残っていた。

 特に顕著なのは階段側の区画であり、規制線を張られている様子から察するに屋上への侵入を抑止しているように見える。

 だが、悠月の目的もまた屋上の調査にある。こんなところで足踏みはできなかった。

 人の往来がある駅構内で、息を潜めて探りを入れる様子はまさに諜報員のソレだった。

エレベータを使い、屋上の階下に位置づけた悠月は、人の目が己に向いていないことを確認すると足早に屋上へと続く階段へと足を踏み入れた。

 幸運なことに、この中央区の駅ビルは比較的監視の目が緩い。防犯カメラの類は最小限に抑えられており、その大半はマーケットを展開する主要部分に設置されていて、階段側の防犯は丸切り手薄になっているのである。本来ならばあってはならない失態であるが、古くからこの街を知る住人であればこの盲点には比較的容易に気づく事ができるだろう。

 そうして、カメラの死角から屋上へと続く唯一の経路を確保した悠月は、己の善とする規範を破り捨て、ただ目的を果たすために屋上へと駆け上がった。

「……ッ」

 差し込む夕日に一瞬目が眩んだ。

 あの日以来訪れていなかった殺風景な景色は、しかしあの当時の凄惨さを残したまま依然として広がっていた。

 折れてひしゃげた鉄柵が。杭を打たれたように割れたコンクリートが。地表に撒かれた茶色い塗料のような血痕があらゆる箇所に散見される。ここ二週間近く雨が降っていないことも手伝って、現場は比較的容易にあの日の夜の出来事を思い出させてくれた。

「……僕がやられたのは、この場所か」

 一際血痕が広がっている箇所で悠月は足を止めた。次いで怪物がいた方角も確認する。

「こうして見るとどのみち攻撃が届くような距離じゃなかったか」

 愚痴て、当時の無茶を顧みる。

 今となっては遅すぎる分析だが、父を殺めた手馴れに対してあの行動は拙かった。冷静さを欠かずとも拮抗を、いや――遥かに格上であったであろう相手を前に我を忘れて挑むとは。

 戦いにおいて重要なのは、常に冷静さを失わずに相手の思惑を予見することだ。初歩中の初歩。戦士足るならば、必ず弁えて然るべきであったというのに。

 己の未熟さを痛感しながらも、悠月はめげずに立ち上がった。奴が生きているかは定かではないが仮にもし再戦が叶うのだとすれば今度こそ遅れは取らないと心に固く誓って。

 そのためにはやはり、彼女の協力が必要不可欠だろう。

 魔女――アルメリア・リア・ハート。彼女の存在が。

 悠月は、彼女が現われた給水槽を仰ぎ見た。

「――いい加減出て来い、アルメリア。僕は此処にいるぞ」

 逆巻く風は肯定するかのように悠月の頬を撫で上げた。

 再会の時は近い。確信めいた直感を頼りに悠月は屋上を後にした。


 路地裏は外の光を通さないほどに暗い闇で覆われていた。

 思えば、彼女との出会いはこの場所から始まった。

 捨てられたゴミのように壁にもたれかかった死体と腐臭。たった数分の刹那のやり取りを、悠月は今でも鮮明に覚えている。

 入り組んだ道ではあるが、このまま進んでいけば袋小路の一角に辿り着くはずだ。まさ

か、再びこの場所を訪れることになろうとは、悠月自身夢にも思わなかっただろう。

 もし、あの時との違いを挙げるとするなら、日が沈んでしまったという一点に尽きる。

 夜には異界の住人が姿を現す。怪魔、怪異、魑魅魍魎の類は決まって日暮のうちに人々

を襲う。這い寄る狂気に捕まるかは、正直運としか言いようがない。

 ただし――魔に魅入られた者は別である。

 魔性を宿す者は魔性に惹かれる。なればこそ、彼女は再三に渡って忠告をしたのだ。

 かくして、闇の住人は悠月を嘲笑うように地より淀み溢れ出でた。

「くっ!」

 今宵、袋小路に迷い込んだ鼠は他でもない自分自身。

 久方ぶりにありつけるご馳走を前に《奴ら》は舌舐めずりをした。

「なんで……なんでよりによってお前たちなんだッ!!」

 敵に背を向けていても、悠月にはこの嫌悪感に覚えがあった。

 否、忘れられるはずがない。揺らめく気配と佇むだけで人を射殺す殺意の象徴をどうして違えることができようか。

 嗚呼――この感覚が偽りであったならどれだけ良かったことか。怒りに震える指先は、次の瞬間には固く握り締められた。

「わかったよ。お前たちがどうしてもやりたいっていうなら、付き合ってやる」

 鮮やかに。鷲宮悠月の双眸が仇なす敵を葬らんと極彩色の輝きを取り戻した。

「だけど覚悟してもらう。次に死ぬのはお前たちの方だ」

 振り向き様に抜刀した白刃は、宵闇の使者を捉える。

 背後に退路はない。即ち、悠月がこの状況を切り抜けるには迫り来る敵を全て殲滅する他にない。

 間合いは距離にして十メートル弱。対して立ち塞がる敵の総数は三体。奇しくも、多勢に無勢という展開はあの夜を彷彿とさせるものだった。

「――ッ」

 悠月が息を呑む。

 一撃を貰えば勝敗はすぐに決する。故に気は抜けない。

 無論、相対する敵も悠月を同様に注視し、決して視線は逸らすまいとしている。

 ただ、今回の敵は何かが違った。正確には、放つ殺気は同じでもその風貌がまるで違うのである。

 ぬりかべのように伸びた円柱は消火栓のようで、視線は感じるが目となる核が存在していない。滾る怨嗟の念は体外に帯びており、実体は黒一色。漆黒の闇を更に暗く染め上げるような黒は注視しなければ影となんら大差ない。つまるとこが、いま悠月が対峙している敵は、あの日の怪物と全く同じ気配を持った全くの別物であったのだ。

「……」

 どうにも様子がオカシイ。

 どちらかというと恐怖よりも懐疑的な気持ちが上回り始めた頃。

 黒衣の怪物は突如としてその総身を震わせた。

「なんだッ!?」

 悠月が驚いたのも束の間。次いで左右に展開していた怪物たちも一斉に水泡のように現界を解いていく。

 一体なにが起きたのか。最初に死滅した怪物が完全に消えたのとほぼ同時に、彼方から声が聞こえた。

「まったく。あの人が言った通りだったな。危なっかしくて見ていられない」

 否、彼方というには余りにも距離が近すぎた。

 怪物たちが居た場所に、男が立っていた。

 男は、怪物を屠った黒塗りのコンバットナイフを横一線に振りぬいて付着した血糊を祓うとかけていた眼鏡を定位置に戻して鋭い視線を悠月に注いだ。

 その出で立ち、無駄のない所作は暗殺者を彷彿とさせる。

「鷲宮悠月だな」

「……あなたは?」

 緊張を崩さずに悠月は声の主に問いかける。

「それは聞くだけ野暮ってものじゃないか。こんな場所に来るなんて普通の人間じゃ無理だろう。俺が何者かなんて君が一番わかっているはずだ」

「まさか」

 悠月の驚きを肯定するように男は不敵に口角を吊り上げて嗤った。

「そうだ。俺も君と同じく異能の力を与えられた存在。つまりは――〝同類〟さ」

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