第五話 紅夜の攻防Ⅰ
紅き月の夜。
漆黒の帳に閉ざされた世界の中で戦いの第二幕は開けていた。
辺りを彷徨っていた黒衣の怪物たちは一直線に悠月目掛けて跳躍を開始した。
弾丸のように襲い掛かってくる敵の数は五体。タイムラグはあれど、このまま接近を許せば五対一と即座に窮地に陥ってしまだろう。
太刀の間合いは先の戦いで把握している。ともすれば、この状況下で打てる最善の一手は。
〝――囲まれたら終わりだ。その前に、討つ!〟
悠月が地を蹴る。
数十メートルはあろう距離は、互いが間合いを詰めたことで一瞬の内に縮まる。
「うおおおおおおっ!」
気迫がこもる叫びと共に、悠月は太刀を振るう。続けざまに二閃。足元から胴へと伸びる逆袈裟斬りで正面の敵を。即座に身を反転させて後方より迫る敵を今度は袈裟斬りで断つ。
間髪いれず、今度は左右からの襲撃。伸びてくる二本の堅手は人の皮膚を切り裂き、肉を抉り取る刃だ。迎撃は間に合わない。ならばここは回避に徹するのみ。
即座に判断すると悠月は後方へと跳躍する。
「ぐ……ッ!!」
刃が交錯する。眼前で火花が飛び散った。
怯んでいる暇はない。着地は悠月の方がワンテンポ早い。敵が再び自分を捉えるよりも先に討つ。たった数手の刹那の攻防で悠月は迫り来る四体を屠って魅せた。
これならば油断さえしなければいける、そう浅はかにも思考を巡らせた時。
『なかなかやるじゃないか、鷲宮悠月。やはりお前も紛うことなき戦士の子であったな』
「なに!?」
疾い。こちらが補足した時には既に奴の堅手は届く範囲にまで迫っていた。
『だが、あまりにも拙い』
肉薄した黒衣の怪物は仮面の下で嗤っているのか、声は踊っているように聞こえた。
ここぞとばかりに連続で穿ってくる手刀はさながら槍だ。すべてが必殺の一撃。受ければひとたまりもないことは明らかである。
先の尖兵とは明らかに何かが違う。得体の知れない恐怖から逃れるように悠月は必死に回避に専念する。
『どうした、もう終わりか。この程度では我を殺せないぞ』
「黙れ! お前は僕が必ず討つ!!」
敵が腕を後ろに退いた瞬間。
〝――いまだッ!〟
僅かな溜めの隙を狙って太刀を横一線に振りぬいた。
『ほう』
自己防衛本能が故か。相手は胴への攻撃を両の前腕で受け止めていた。
ずぷり、と食い込んでゆく刃の感触は肉を断つ感触に相違ない。
無論、人型に刃を当てているのだから当然なのだが、先の尖兵とはまるで違う切れ味に悠月は違和感を抱いていた。
オカシイ。どうやらこの怪物、姿形は同じでも中身はまるで違うようである。
同様に、戦闘力も先の尖兵に比べればこの個体の方が数段手強い。
しかし、ここまで追い込んでしまえば悠月の勝利は揺るがない。
「侮るなよ、化物め」
胴体から上を断ち切って悠月は勝ち鬨を上げた。
――だが、恐怖は終わらない。
『見事な剣捌きだ。初陣にしてはよくやる。が、我にばかり感けていていいのか』
ハッとして悠月は周囲に目を配る。
いつから其処に居たのか。全く同じ装いをした複数体が距離を置いて立っていた。
黒衣の怪物たちは悠月を標的とすることなく、逃げ惑う街の住人を標的に捉える。
どうやら奴らの狙いは無差別に殺戮を行うことにあるらしい。
「ッ、やめろ!」
なるほど、奴の目論見はどうやら一般人を巻き込んだ耐久戦にあるらしい。
敵の策略に踊らされるのは癪だが、無関係な人を危険に晒すわけにもいかない。悠月はそう判断して襲われている人々の救護に向かう。
「大丈夫ですか!? 早く逃げて!」
「ひっ!? で、でも、こんな状況で、どこに逃げたらいいかなんて、わ、わからない」
恐怖に怯える女性はあろうことか悠月すら脅威として捉えているようだ。
無理もない。悠月が手にしているのは血に濡れた太刀だ。命を断つ刃は紛れもなく恐怖の象徴であるだろう。だが、今は一刻を争う。指示をしている暇はなかった。
「どこでもいい! とにかく逃げて。こいつらは僕が引きつける!」
「は、はいぃ……!!」
腰を抜かしながらも、女性は命からがら走り出す。
もはやこの場に残る人々に理性など残ってはいなかったのだろう。渇を入れられたことで、僅かばかりに正気を取り戻した群集はそれを見てたちどころに逃げ惑い始めた。
しかし、中には絶命した人もいるようでこと切れた人形のように屍が横たわっていた。
「くそっ、これ以上は!」
『どうした、鷲宮悠月。お前の実力はその程度か。亡き父のように我を殺してみろ』
正確な肉声を捉えさせない、認識阻害の魔法が編み込まれた疎ましいノイズが悠月を嘲笑うようにどこからともなく聞こえてくる。
黒衣の怪物は悠月がまだ仁のように闘えないことをとうに見抜いていたらしい。無論、図星である。どうすることもできずに怒りに震えるその姿が何よりの証拠であった。
「どうして僕を狙わない。無関係な人を巻き込むな!」
『勘違いするな鷲宮悠月。この世界において無関係である人間など誰一人として存在しない。皆等しく、母なるこの大地に芽吹き、業を背負い生まれてきたのだ。その命には等しく価値がある。故にこの我が喰らうに十分値するぞ』
「お前の目的はなんだ。一体なにが狙いだ!」
『知れたことを。己が宿命を、悲願を成就させる為に――そのためには、もっと多くの命が必要だ。お前も例外ではないが……鷲宮仁を仕留めるのに時間を使いすぎた。タイムリミットが近づいている』
黒衣の怪物は指先を天へと向けて語る。
『紅い月の現界時間だ。生と死を繋ぐ門はまもなく閉じられる。その前に可能な限りの命を刈り取らねばならない。我の命を繋ぎ、現世に留めるために。どうやらこの時代の人間は脆弱な者が多いらしい。質を求めなければお前を殺すよりも有象無象を屠った方がよほど効率はいいようだ。精々翻弄されてくれ、鷲宮悠月。若き魔法使い。家族を殺された憎しみを糧に大きく肥えてくれ。その時は我がお前の命を摘み取ってやる』
「なんだと」
黒衣の怪物は身体を戦慄かせると黒い双翼を現出させた。
その姿はさながら悪魔、死神のようであった。
「待てッ!」
逃げられる。悠月は直感で咄嗟に距離を詰めたが、刃は虚しく空を切る。
オマケとばかりに湧き出た怪物は悠月の往く道を塞ぐように閉ざしていく。
「くそ、邪魔だ!」
群がった怪物を殲滅する頃には飛び去った一個体は駅ビルの方角へと姿を晦ませた。
「――まさか」
その行方に一抹の不安を覚える悠月。
嫌な予感がする。そう思った時、偶然にも仕舞っていた携帯電話に着信が入った。
「ナオト。いまどこにいるの!?」
『……悠月か?』
受話口から聞こえたのは弱々しく声を発する親友だった。
「なにかあったの?」
『あぁ。さっき変な奴らがビルに現れたんだ。仮面の、気味のわりぃ奴だ。多分、屋上に向かって……』
「玲愛は!?」
『わからねェ。お前の言う通りなら屋上にいんだろう。早く、来い……やべェ気がする』
「わかった!」
通話を切ると悠月は急いで月見ノ原駅へと駆け出した。
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