第四話 Hallows’nightmareⅠ
この世には明晰夢という概念がある。
人の意識が眠りに落ちた後、人がその夢を夢と自覚しながらにして見るものだ。
この夢の中では人はある程度の意志を介入させることができるのだという。意のままに空を飛び、架空の存在を世界に出現させるなど。つまるところ、現実では到底実現できないこともこの空間の中では達成が可能なのである。
ただし、見る光景は偶像であり虚像。悉くが偽りであるとを理解せねばならないが。
「――なんだ、ここは」
此処にはカタチがなく、果てもなかった。
周囲に漂うのは黒よりもなお暗い漆黒の瘴気。現実と虚構の狭間。事実と不実の境界線だ。
どことも繋がらない暗い闇の底に悠月は居た。
此処に在るのは自分という存在だけだ。他には何も無い。自分は一体なにを見せられているのか。自我はあれど、夢から醒めることは叶わず、悠月は手を伸ばした。
混濁とした意識の海を漂う中で、ソレは妖しくも〝光〟を燈した。
「あれは……」
指の先。ぼやけていた靄は次第に集合し巨大な輪を形成していく。
色が宿る。鮮やかな色合いが猛々しく燃え盛る焔のように変化していく。
ソレは紅蓮の業火か、はたまた太陽か。次第に強さを増していく輝きは、だがしかし最後には神々しさを喪い、禍々しい煉獄の炎へと。死の体現へとカタチを成していた。
「――えっ?」
それを知覚した瞬間、悠月の指先は意志が宿ったかのように駆動した。
否、其処に自分の意思は存在していない。背後に湧き出る無数の〝手〟が悠月の身体を強制的に動かしたのである。
〝手〟は赤く血塗られていた。細く、長い骨にも似たソレはおよそ生者の指先ではない。ぼうっと燈った灯火のような輪郭は、次第に悠月に纏わりついて身体を蝕んでいく。
もう目を瞑ることも許されない。驚愕は理解の範疇を超えていた。夢ならば早く覚めてほしい。その一心で現実を拒み続ける悠月の心の中に誰とも知れぬ声が響いた。
〝ようやくこの時が来たね。さぁ、目醒めるんだ。これでようやく我々の悲願は叶う〟
声は男とも女とも取れぬ声色であった。重なり合い木霊する数は恐らく数十。いや、数百はあるだろう。
「嫌だ。違う! 僕はこんなこと望んでない!!」
拒むことなど出来ないと理解していながらも悠月は本能でソレを拒んだ。
〝ダメだよ。君はもう選んでいる。その宿命から目を逸らすことは許されない〟
「――ッ!?」
次の瞬間、悠月の手には凍えるほどに冷たい柄が握られていた。柄から伸びるのは眩いばかりの刀身。この暗闇の中ではその剣はまさしく希望の光であった。
けれども、安息は絶望によって塗り替えられる。
剣先から湧き上がるドス黒い汚泥はこの世の悪性を一心に受けた嘆きであった。
此処に逃げ場はない。これが数多の願いなのだと識った時、悠月は抗えない死の本流に呑まれて姿を消した。
「……悠月。ねぇ、大丈夫? もしかして具合悪い?」
悠月が悪夢から目覚めた時。視界に映ったのは自分を心配する玲愛の顔であった。
いつものような素っ気無い態度ではまるでない。労わるような、腫れ物を扱うような細心の注意で妹は兄の身を案じていた。
「うっ、あぁ……玲愛、か。うん。なんとか、大丈夫だけど……」
視界が掠れている。きっと視力を補強するコンタクトをしていないせいなのだろうが、今はそれ以上に重く圧し掛かる倦怠感の方が遥かに悪さをしているようである。
これはもう誰の目から診ても明らかに体調不良の兆候であった。
「んなわけないでしょ。ちょっとおでこ貸して」
玲愛は兄の口癖のような返答を無視して自分の額を悠月に押しつけた。
「うん、普通に熱いね。ちょっと待ってて。すぐにお母さん呼んでくるから」
玲愛はそそくさと部屋を後にする。
続いて部屋を訪れた杏華も測定結果の出た体温計を見て、玲愛と同じ結論を口にする。
「う~ん、これは風邪かしらね。昨日は冷えたし体調を崩しちゃったのかも」
「はぁ。せっかくのハロウィンだってのに馬鹿だねホント。ただの風邪ならいいけど、インフルはやめてよね。アタシにも感染るからさ。とりあえず、安静にしてなよ。アタシは学校に行くけど……っと、はい。とりあえず元気の出そうなモノ買い込んで来たから、これで早く治しなね」
「あらあら、玲愛ったら。なんだかんだ言って優しいのね♪」
「う、うるさいな! いいから、早く良くなんなよ、じゃあね!!」
「もう、素直じゃないんだから。まぁいいわ。お母さんも買い物に行ってくるから少し留守番を頼むわね。なにか荷物が来ても出なくていいから」
玲愛に続いて、杏華も部屋を出て行こうとする。本来ならばなんら気にも止めない行為であるが、今日だけは危険だと本能が警鐘を鳴らしていた。
「母さん、ダメだ。外には行かないで」
「えっ?」
「上手く言えないけど、嫌な予感がするんだ。玲愛も早く、連れ戻して」
「……何を言ってるの。大丈夫よ、いつものスーパーに行くだけだから」
「かあ、さん……ッ!」
人は誰しも病魔に蝕まれれば人肌が恋しくなるものだ。杏華はこの言動を久方ぶりに見た息子の可愛らしい一面だとしか捉えていないだろう。
悠月は確信得て危険だと指摘しているのだが、残念ながら杏華には全くと言っていいほど真意が伝わっていない。
一度でも自由を許してしまえば、二度三度と同じことをするだろう。喩え病魔に冒され意識が朦朧としていようとも、悠月はこの現時点で二人を意地でも止めるべきだったのだ。
熱に浮かされ、意識が遠退いていく。
最後に感じ取ったのは、外の世界で刻々と侵略を始めた災厄の兆しであった。
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