桜探し

 薄紅色の欠片、空に舞い、風に踊る。底に落ちる一滴、連れ添って。一掬い、その想いの中で、揺蕩い、微睡む。


花の咲く月、私の一番好きな季節。夜美にとっても、水と戯れる日々を別にすれば、一番好きな季節。

一雨ごとに、少しずつ温度は上がり、温もりの中で、静かに目覚めの時を待っていた、この季節に最も愛された薄紅の花が開く。

「今年も咲いたねえ、桜」

 いつも通りに夜美の声が、本の世界から私を引き戻す。

私の愛する乙女二人の物語は、今日の所は薄紅色に彩られた出会いで終わった。

この後の二人の日々に、想いを馳せながらも、私は手元の本を閉じて夜美の方を向く。

 ここから先の私の時間は全て、夜美の為だけの時間。

「咲いたね、まあ満開と言えるのは先週末から昨日今日にかけてだった感じだけど」

 夜美は私にいつもと変わらない横顔を見せながら、窓の外を見ている。

今日の空は、僅かばかりの、白色の色彩も交えて、静かに佇む春の蒼だ。

つまりは、夜美にとっては絶好の日だと言うことだ。

「よしっ!桜探しに行こう!」

 夜美は嬉しそうな顔をこちらに向ける。いつもと同じ笑顔と、予想通りの言葉だ。

「了解しました、姫様。では、まずはどちらへ参りますか?」

 その笑顔に、思わず釣られて微笑み返しつつ、私はガラステーブルに手をついて立ち上がる。続けて夜美も勢い良く立ち上がる。

「うんっ!まずは定番の第三公園から!」

 夜美のふわふわの髪が、勢いに任せて跳ねる。ほのかな桜の香りが漂ってくる。

なんだ、私にとっての桜は探すまでもなくここにいる。


 この団地内の隅っこの方にある第三公園。ここは、団地内では一番多くの桜が植えられている。

先週末は土日共に、お花見の団地住人で賑わっていたけれども、今日は何人かの子供たちと、ママさん達がいるだけだ。

私達も先週は、家族ぐるみで一応のお花見はしていたりする。

先週は頭上にあった薄紅色の花びらは、今は私立の足元に少しずつ広がっている。

時折ひらひらと舞う花びらは、この公園の空気さえ薄紅色に染めていくかのよう。

薄紅色の中を走り回る子供たち、花びらの中で眠る幼い子、花びらを捕まえようと手を伸ばす小さな子。

その子達に優しい目を向け、微笑みながら語らい合っているママさん方。

この、百合の丘団地と言う住空間の、濃密な幸福を凝縮したような優しい光景。

 その暖かさに私は酔いしれる。

「大分散ってるねー」

 嬉しそうな夜美の声が聞こえる。出来うる限りの花びらを踏まない努力を重ねつつ、薄紅色の空間を跳ね回る夜美。

子供たちとやってることがほとんど変わらない。時々子供たちと何か話したり笑い合ったり、追いかけあったりしながら散りゆく桜を楽しんでいる。

黄色の春物ジャケットが薄紅色の中を跳ね回る姿は、さながら黄色の蝶。周囲を跳ねる子供たちも、また白色の蝶。

その光景はとても美しかった。

けれども、美しさよりも可愛らしさ、微笑ましさに心奪われて、私はただ白色の蝶を引き連れた黄色の蝶が舞う姿を、その目で追い続けた。


「さーて、次はあそこ行こう。桜のお寺」

 幾つかの桜の花びらと、部屋で嗅いだ時よりも更に良い香りを、ふわふわの髪にまとわりつかせたまま、頬を花びらと同じ色に染めて、黄色の蝶は言う。

桜のお寺、そこは私達が生まれるよりもずっと昔に学校だったらしい。その敷地内に、その頃から植わっている桜が第三公園以上の密度で花を咲かせる。

今の時期の桜が一番好きな夜美にとって、第三公園以上のお気に入りの場所だ。

「夜美、桜の花びらが髪に幾つかついているよ。取っても良い?」

 夜美のふわふわの髪に少しだけ触れながら、聞くだけ聞いてみる。

「んーまだいいよー今取りたい?」

 顔を少し上げて、上目遣いで聞いてくる。少しだけ触れていた手が、桜の香りに埋もれる。このまま触れていたい衝動に駆られる。

「いや、取りたいって言うよりも、単に触りたいって思っただけ」

 正直に言う。最近の私は雛祭り以前と比べると、昔以上に大分素直だ。

「うーん、ちょっと我慢して。どのみち後で思う存分触らせてあげるし、取らせてあげるから」

 恥ずかしそうな顔をする訳でもなく、当たり前のように夜美はそう返してくる。

 多分、正直に言うまでもなく夜美には解っていたはず。解ってて敢えて聞いた上で、お預けする夜美の心理は、実は私の方は全部は良く解らない。


 桜のお寺。この季節意外にもたまに夜美と来るけれど、この時期のこのお寺は全てを圧倒する美しさがある。

「いやー予想通り、凄い量の花びら!桜の絨毯だね!」

 お寺の門をくぐると、そこは一面の薄紅色の雪。全て桜の花びらであることは頭では解っているのだけれども、思わず雪と表現してしまう。

こうなってしまっては、夜美も第三公園の時のような、花びらを踏まない努力は諦めたようで、桜の花びらを絨毯として、自分の足で、その感触をしっかりと味わうことにしたようだ。

夜美はお寺の敷地内をくるくる跳ね回る。先程よりも濃密な薄紅色の空間で、黄色の蝶が一人で舞い踊る。観客は私一人、可愛らしい妖精の楽しげな姿を独占する。

先程よりも多くの花びらが夜美の髪に舞い降りて、溶け込んで行く。

「凄い綺麗だねー彩月」

 私に笑顔を向けてくる夜美は、さながら桜の妖精のようでとても可愛らしかった。

その瞬間、今日一番の強い風がお寺の敷地内を吹き抜けた。

「キャッ」

 夜美はいつもの夜美らしい小さな悲鳴をあげた。強い風で、沢山の桜の花びらが舞い上がり、夜美の姿を薄紅色でかき消す。

静かに舞い降りた後、その場所にいた夜美は、今まで以上の桜の花びらに包まれていた。

「うーん凄い風。花びら一杯被っちゃった」

 そう言って、ちょこちょことちょっと小さめの歩幅で私の方に歩いて来る。

黄色と淡紅色に包まれた夜美は何ともいつも以上に子供っぽく、愛らしく見えてしまう。

「あ、彩月そこのお手水舎見てみて、桜の花びらが浮いていて綺麗」

 いやいや、桜の花びらを被った今の夜美も充分綺麗、とか思いつつ夜美の指差す先を見る。

円形の水面に浮かぶ、花びらが五つ。底に沈んでいる花びらが二つ。底に敷き詰められた綺麗な石と相まって、幻想的な感じ。

夜美は水の中に手を入れて、石一つと花びら一つを掬い上げる。

 石は、紫色と灰色と青色が合わさって、派手過ぎない落ち着いた色合いが素敵な石。そこに花びらの薄紅色が添えられて不思議な魅力を感じさせる。

「この石、持って帰っても大丈夫かな?」

 口調は疑問形だけど、私の方に向けられた顔は持って行く気満々だ。

「お寺に置いてある物を勝手に持っていくのは感心しないけど……取り敢えずお願いしてみたら?」

 と言う訳で、二人で両手を清めた後、二人でお祈りをした。カトリック系の学校に通っているけれども、お祈りする先は選ばないようにしている。

「大丈夫かな?」

 お祈りの後、夜美が上目遣いで聞いてくる。

「大丈夫だと思うけどね……あ、雨?」

 私が言い終わるか終わらないかの所で、一滴私の頬に落ちてきた。

でも、二人で空を見上げても青空は変わらず。ただ、ちょっとだけ雲が雨雲っぽくなってる。

「天気雨だー」

 夜美が見上げながら呟く。強くはならなそうだったけど、敷地内にある休憩室っぽい建物の縁側っぽい場所に避難する。

「怒られたのかな?」

 私が笑ってそう言うと、夜美が空を見上げながら言う。

「うーん、天気雨は狐の嫁入りって言うぐらいだから悪い答えじゃないと思うけどー」

 どうだろう、夜美らしいポジティブ解釈な気もするけど。私は赤い布が敷かれた、縁側っぽいところに深めに腰掛ける。

夜美は、眼の前に立って庇の向こうを見ている。

私は、背中を向けている夜美の腰の辺りを掴まえて、膝と膝の間に座らせる。ふわふわの髪と、可愛らしい桜の香りに包まれる。

「おっと、びっくりしたー」

 と言いつつも、いきなり倒れこんで私に負担をかけないように、上手いこと座り込んで来たので、ある程度予想していたのだと思われる。さすが夜美。

今日は私はジーパン。夜美は少し短めの春物スカートなので、縁側が深めなのもあって無理なく重なって座ることが出来ている。

私は手をそのまま前に回して、夜美を抱きしめつつ、可愛らしい桜の香りの中に顔を埋める。幾つかの花びらはその勢いでハラハラと縁側の上に落ちた。

天気雨の音の静けさの中で、少しの間寄り添った。


 その後は、夜美の体に纏わり付いた花びらを一つ一つ取ってあげた。

夜美は座ってからずっと、手持ち無沙汰気に、手は縁側の上に置き、足は縁側の縁でブラブラさせていた。

最後の一つを取ってあげて、それを夜美に伝えると、夜美は立ち上がってこっちを向いた。

「実は彩月の髪にも結構一杯付いているのでした」

 そう言いながら、今度は夜美が私の髪についた花びらを取ってくれた。

最後の一つを撮り終わった辺りで、丁度天気雨は収まったようだ。

お狐さまが私達にくれた、気まぐれの時間は終了だ。

「帰ろう、彩月」

 夜美がいつもの笑顔を向けながら、私の右手を両手で引っ張りあげる。

「うん、帰ろう」

今年の二人だけの花見は、これで終わり。来年もまた、この場所に二人で桜を観に来よう。

 桜達に別れを告げて、オレンジ色に染まり始めた空を眺めながら、二人の影が繋がった姿を見つつ、家路を急いだ。


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