Section2-3 残されたカトレアとダンディの揺らぐ気持
あくる日の朝――。
妙に冴えた頭と重く目にのしかかる
そういえば、どうでもよいことだが、救急車で運ばれた大五郎が意識を取り戻したという連絡が、先ほど俺の携帯にあった。見た目的には外傷は少なく見えたが、どうやら内蔵系に損傷があったらしい。
相手は、凄腕の格闘家なのだろうか。
思わず、背筋が震えた。
下手に警察に連絡すれば、知美さんの命にかかわるかもしれない。
だが、大五郎が病院に運ばれた以上、黙っているわけにもいくまい……。警察には、店主からの届け出として、大五郎の名前で知美さんのことは一応届けておいた。
が、よくある『飲み屋でのいざこざ』ということで、あまり取り合ってくれなかったのだ。
恐らく、数日内にはミリア電子の面々が、警察へと正式な届け出を出すことだろう。一流企業の申し出ともなれば、警察も動かざるを得まい。だが、警察はあくまでも『保険』なのだ。
知美さんは、必ず俺が探し出し、助け出してみせる!
「どうしたの、さっきから気もそぞろって感じだけど――」
人知れず、めらめらと燃えあがる炎のような決心をしていた俺に向かって、そう声を掛けてきたのは佐川班長だった。
慌てて自分の顔の真ん中あたりに力を込めた俺は、凛々しい表情を無理矢理に作った。
「いや、大したことありませんよ、班長。ちょっと昨日、夜更かししてしまってですね……。それより、この花の種類ってわかります?」
昨晩撮影した「花束」の写真をスマホ画面に呼び出した。
もちろん、背景などはよく見えないようなアングルの代物である。班長は「どれどれ」と画面の中の小さな画像を除き込んだ。
「それは蘭の一種の『カトレア』ね。赤みの強いピンク系の……っていうか、なにそれ、彼女さんへのプレゼント? それでさっきから仕事に集中してなかったのね――。でも、ダンディさんにそんな趣味があったとは意外だわ」
「ああ、いやいや。そんなんじゃありません。知り合いに届いた花束がちょっと気になっただけです。第一、この顔に赤い花なんて似合いませんからね」
「あら、そんなことないわよ。ダンディさんみたいな『男臭さ』ぷんぷんの男性がそんな花束持って来たら、私なら――イチコロね」
くすくすと笑みを浮かべながら、冗談めいた口調で俺の瞳の奥に潜む『恋の炎』の存在を探ろうとする佐川班長。
俺は、わざとその視線から俺の目を外すと、「では、仕事にかかりますので」と言ってその場から離れた。
と、突然背中に感じた、ふんわりとした重力。
振り返れば、その重力の素は花子の
「ちょっと、ダンディ先輩! 佐川さんとなんか楽しそうだったじゃないですかぁ……ズルいです。あたしも話に混ぜてくださいよぉ」
「いや、別に楽しい話じゃないんだ……」
「あー、カトレア! 花言葉は――beautiful lady『美しい淑女』ですね」
スマホ画面に映し出された写真を見つけた花子が、楽しげに云う。
写真を見て花言葉を即座に云えるなんて、やはり花子はデキルやつである。
「へえ、詳しいな花子君。そうか……その『線』があったか」
「その線!? どういうことですかぁ?」
「あ、いや、別に……」
俺は、無邪気に笑う花子の顔をじっと見つめた。
大五郎が入院してしまった今、もしかしたら、この難局を乗り切るためには彼女を味方につけることが必要なのかもしれない。
――にしても、知美さんになんてぴったりな花言葉なんだ!
知美さんを思い出し、顔がにやけていたのだろう。
花子が俺の瞳の奥を覗き込む。
「確かに、今日の先輩は変ですね。あたし、力になりますよぉ」
その気になりかけた俺は、「実は昨晩――」とまで声に出したところで口の動きを止めた。
これは、ひとりの人間の『命』に係わることなのだ。
しかも知美さんという、かけがいのない人の――。
安易に仲間を増やし、「奴ら」の感情を害してしまう確率を増加させることは、絶対に避けねばならない。
「やっぱり、何でもない。気にしないでくれ」
「ええーっ、そんなあ!」
心配し、今日はやたらとまとわりつく花子を振り払って、外に出た。
しかし、花子はついてくる。ガラガラとミクリルの緑色カートを器用に引きずりながら、ピタリ、俺の背後を取っている。もしも彼女が
「花子君、いいから自分の持ち場に行きなさい」
「……イヤです」
忍者の『術』を使えば、簡単に巻くことはできるだろう。
だが、ここは一般の人々も往来する場。
しかも今の時間帯は、忍者が最も苦手とする時間帯――眠気という名の『悪魔』と戦わねばならない時間帯――の『朝』でもある。
そうして何の手立ても打てないまま、ミリア電子工業の本社の入るビルの入り口前まで花子を連れて来しまった。
「花子君。君のお客さんもミクリルを待っているはずだ。そちらへ行きなさい」
「あたしのお客さんは、一日くらいあたしが行かなくても大丈夫です」
「このバカモノ! 乳酸菌は毎日の習慣が大事なんだぞ!!」
「た、確かに、そうでしたぁ……。すみません、ミクリル・レディーとしての基本を忘れるところでした。でも――でも、時間がかかっても必ずミクリルをお客さんの届けに行きますから、とにかく今は先輩に同伴させてくださいよッ!」
さすがの俺も根負けした。
そんなくりくりとした大きな瞳で云われたら、おじさんはひとたまりもないのである。
「仕方がない……。ならばついてこい。行けば、わかるだろう」
「リョーカイですッ!」
☆
花子と共に、ミクリル電子の中枢へ。
いつものとおり、『関係者以外立ち入り禁止』の張り紙など俺の敵ではない。花子も慣れたものだった。立ち塞がろうとする受付のおねえさんなどものともせず、まるで春風に舞う花びらのように可憐に、そして力強くすいすいと奥へ進んでいった。
ミクリル・レディーとしてたくましく育った彼女の成長に、思わず涙がこぼれそうになる。
だが、今はそんなときではない。先を急いだ。
そして辿り着いた、企画開発課。
想像していたとおり、課内は大いにざわついていた。
「おかしいわねぇ……丸山さん、無断欠勤するような人じゃないのに」
「僕もそう思います。ところで昨日の二次会、丸山さんは課長と最後まで?」
「最後は二人になって――私は彼女より先に帰ったの」
「じゃあ、そのあとのことは誰も知らないんですね?」
「ええ、そうね。あのあと、何かあったのかしら……」
バーバラ課長とそんな会話をしていたのは、一年目の新人社員の
知美さんの安否を気にする課員を前にバーバラが携帯を取り出し、知美さんに電話してみる。が、当然のことながら、応答はなかった。
知美さんのことが心配で、仕事に身が入らない様子の課員たち。
こんなとき――ではあるのだが。
俺は、泣く子も黙るミクリル・ダンディなのだ。
いや――泣く子ですら乳酸飲料で笑顔にするミクリル・ダンディなのだ。こんな状態でもきちんと商売はしなくてはならない。各課員の机の上に、そっと無理矢理、主力商品である「ミクリル」を置いていく。
つけ払いでOKなのである。
と、そのとき花子が、俺の肩をちょんと叩いた。
振り返れば、彼女の目には【どういうこと?】という意味の疑問符が浮かび上がっていた。【彼女、さらわれたんだ】という意味を込め、目配せをする。するとその意味を即座に理解した賢明なる花子は、ひどく驚いた顔をして、叫んだ。
「さらわれたぁ!?」
集まる視線。
バーバラが不思議そうな表情で首を傾けた。
「さらわれた――ですって? あなたたち、何か知美さんのこと知ってるの?」
「いえいえ、知りません。この
「皿が割れた、ですって!? ……紛らわしいわね。とにかく今日は大変なのよ。用が済んだらすぐに外に出てくださる?」
「了解です。すぐに立ち去ります」
頭を下げ、そそくさと企画開発課の執務室から出る。
すぐに、花子の耳元で囁いた。
「すまんが、今は詳しいことは云えない。だが、彼女がさらわれたことは確かだ。俺は何としても行方を見つけ出し、彼女を助け出したい」
「でも、どうして先輩がそのことを?」
「それも云えない。彼女が一人で残ったBARの店長が、警察に通報しているはずだし、いずれこの職場でもそのことがわかるだろう」
と、花子が大声をあげた。
「なら、さっき皆さんにそう教えてあげればよかったじゃないですか!」
「そうはいかない。彼女の命を危険にさらす訳にはいかないのだ!」
ついつい、俺まで声のボルテージが上がってしまった。
気持ちを冷却し口に蓋をするため、俺はズボンのポケットに隠し入れてあったミクリル二本を取り出し、一本づつ、俺と花子の口に押し当てた。俺の体温を仄かに感じたであろう花子が、微妙な顔をする。
「ほら、これで分かっただろう? いいから、もう自分の『職場』へ行きなさい」
「……わからないけど、わかりました。そうしますッ!」
不貞腐れぎみにカートを転がして、花子が自分の持ち場へと向かった。
肩から力を抜き、大きく息を吐き出す。
その数十分後のことだった。
俺は、例の『古本屋』の入り口前にいたのである。
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